その重みを背負って空を飛ぶ…映画『スーパーマン(2025年)』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年7月11日
監督:ジェームズ・ガン
動物虐待描写(ペット) 恋愛描写
すーぱーまん
『スーパーマン』物語 簡単紹介
『スーパーマン』感想(ネタバレなし)
DCU、いよいよ飛び立つ!
2025年7月、「DCU(DCユニバース)」がやっと飛び立ちました!
はい、もうさっさとタイトルを挙げましょう。『スーパーマン』の感想です。
「DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)」からのゴタゴタは『ザ・フラッシュ』の感想記事で簡潔に整理して書いたので、説明は省きます。
厳密にはDCUは2024年に『クリーチャー・コマンドーズ』というアニメシリーズでひと足先に新作始動しているのですが、DCU映画第1弾はこの『スーパーマン』であり、やっぱりDCの幕開けはスーパーマンじゃないとね…という…。

DCUを先導するという重責を担うことになった“ジェームズ・ガン”にとっての一世一代の渾身の一作となったのではないでしょうか。実際にこのDCU版『スーパーマン』は“ジェームズ・ガン”らしさが眩しいくらいに全開です。“ジェームズ・ガン”ってどうしても「ふざけた下品さやバイオレンス」に作家性があると思われがちですが、私としては「愚直なくらいに正しさを描き抜く」ことにこそ“ジェームズ・ガン”の神髄があるのではないかと常々感じていて…。
“ジェームズ・ガン”監督のDCU版『スーパーマン』はとにかく「正義」です。何かと正義を冷笑する輩がうじゃうじゃ湧いて出てくる時代…この2025年にあえて真っすぐに正義を誇ってみせる…。この清々しさに胸を打たれ、励まされ、現実でも頑張ろうと思える…そんな映画だと思います。
そんな“ジェームズ・ガン”監督のDCU版『スーパーマン』で主役に大抜擢されたのは、ドラマ『ハリウッド』の“デヴィッド・コレンスウェット”。以前は“ヘンリー・カヴィル”でしたし、もっと前も含めて、これまで多くの俳優がその象徴的スーパーヒーローの座に輝いてきましたが、今回の“デヴィッド・コレンスウェット”は個人的にはベスト級に大好きなスーパーマンを披露してくれました。
アメリカでは本当に国を代表するようなスーパーヒーローなので知名度は語るまでもないですけど、日本だと名前は知っていても映像作品を観たことがない人も多いはず。
ぜひとも今作から夢中になってほしいですね。
『スーパーマン』を観る前のQ&A
A:とくにありません。
鑑賞の案内チェック
基本 | 犬など動物を虐待するシーンが一部にあります。 |
キッズ | やや殺人の描写がありますが、子どもでも観れます。 |
『スーパーマン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
クリプトン人のクラーク・ケントは、母星であるクリプトン星が滅亡間際に両親に幼い赤ん坊の頃に地球へ転送され、地球人のジョナサンとマーサのケント夫妻に拾われて育ちました。圧倒的な超人能力を持っており、今は「スーパーマン」として困っている人を助け、危険から守る活動をするようになりました。
しかし、ヒーロー活動から3年後。スーパーマンは、アメリカ合衆国の同盟国であるグルコス大統領が統治するボラビアという国家による隣国ジャルハンプルへの侵攻を食い止めるべく、独断で行動。これがアメリカの政府と世論から反感を買ってしまうことになりました。スーパーマンとしてはどんな理由であれ軍事侵攻は許されないとの考えでしたが、ボラビア側はジャルハンプルの独裁体制からの解放を目指していると大義名分を掲げており、さらにアメリカ国民にはスーパーマンはあくまでアメリカのヒーローであり、アメリカに尽くすべきだという意見も少なくありません。
そしてその事件の3週間後、「ボラビアのハンマー」と名乗る謎の存在が報復としてスーパーマンを強襲。その圧倒的な力でスーパーマンを撃墜させました。
スーパーマンは南極に落下し、疲労困憊で息も絶え絶えに氷の大地に体を横たえていました。それでも力を振り絞って口笛を吹くと、ある人から預かっているスーパーパワーのある犬「クリプト」が凄まじい力で走って駆け寄ってきてくれます。じゃれるばかりで言うことをなかなかきかないクリプトをなだめ、スーパーマンはある場所まで引きずって運んでもらいます。
それはクリプトン星のテクノロジーが眠る秘密の場所(孤独の要塞)。普段は氷の下ですが、クリプトン人のDNAに反応して出現し、扉を開きます。中では複数のロボットが出迎えてくれ、急いで応急処置にあたります。
その最中、スーパーマンが落ち着けるようにと、彼の母星での両親の姿とメッセージを流してくれます。途中で途切れていますが、そのメッセージを耳にしてスーパーマンはヒーローを志したのでした。
太陽の力でパワーを復活させ、スーパーマンはすぐさまメトロポリスへ引き返します。そして「ボラビアのハンマー」と再戦。
その戦闘をルーサー・コーポレーションの超高層ビルから飛行遠隔装置で眺めていたのは大富豪のレックス・ルーサーです。実は彼のチームはあの「ボラビアのハンマー」…またの名を「ウルトラマン」を支援しており、スーパーマンの行動分析データから動きを読み取って最適の戦い方を指示していました。
結局、スーパーマンはまたしても負けてしまい、ビル街の地面に叩きつけられます。それでもなおも手を差し伸べてくれる一般庶民もいます。
一方、ルーサーの配下であるナノテクノロジーで身体を改造した「エンジニア」は、南極のスーパーマンの秘密の場所を特定していました。そしてルーサーやウルトラマンを引き連れて内部に侵入し、機械にアクセスし、あのスーパーマンの両親のメッセージを復元します。
さらにルーサーは次元ポータル装置を開発してポケットユニバースに行き来できるようにしており、遠く離れたボラビアのグルコス大統領とも内通していました。
何も知らないスーパーマンは普段は大手メディアのデイリー・プラネット社で新聞記者クラーク・ケントとして働き、現場では恋人のロイス・レインだけがその正体を知っていましたが…。
今の政治情勢を投影する

ここから『スーパーマン』のネタバレありの感想本文です。
“ジェームズ・ガン”監督のDCU版『スーパーマン』は“ザック・スナイダー”監督のDCEU版の『マン・オブ・スティール』と比べると、真逆なくらいに明るい作風ですが、そんな浮かれ騒いでいるだけの楽観的もしくは無関心的な明るさではありません。
これまでどのDC映画よりも「ヒーローとは何か」という問いを政治と絡めて、逃げることなく向き合っており、ある意味で非常にポリティカルなスーパーヒーロー映画だったのが印象的です。
しかも、その政治風刺がこれまた極めてまさに「今」の情勢とシンクロしているもので…。DCってどうもメトロポリスやゴッサムシティなど架空の街がメインになることが多いので、現実とシンクロさせづらいところもあるし、架空だからこそ暗示させて風刺を強めるポテンシャルもあるのですが、今作は後者に思いっきり遠慮なしに切り込みましたね。
何がって一番は架空の白人国家「ボラビア(Boravia)」とその国家に武力侵攻されている中東あたりと思われる有色人種の隣国「ジャルハンプル(Jarhanpur)」の構図。これはどうみたって現実における「イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への軍事侵攻(民族浄化)」が重なります。まさに欧米諸国の正義が機能していない最新事例ですよね。
アメリカの同盟国であるボラビアは非人道的な軍事行為にもお墨付きが与えられ、しかも、レックス・ルーサーは奴隷化したサルを大量に使ってオンライン上でスーパーマン含むジャルハンプル支持者へのネガティブキャンペーンまでしているという始末…。これもイスラエルが実際にやっているロビー活動の戯画化なわけですが…。
その今回のレックス・ルーサーですが、スーパーマンのクローンを作るわ、怪獣を送り込むわ、危険な次元接続技術を強行するわ、アメリカ政府にも首を突っ込むわ…何でもやりまくりです。でもルーサー自身は劣等感の塊で今作ではとことん幼稚。もともとのコミックのルーサーもこれくらいのスケールのことをがんがんやりまくるキャラですが、本作においては“ジェームズ・ガン”監督流のキャラづけもあって、ルーサーがすごくルーサーらしく嫌な奴として君臨していたと思います。
もちろんこのレックス・ルーサーも現実の某IT億万長者を彷彿とさせるのは言うまでもありませんが…。“ニコラス・ホルト”のキャスティングも完璧でした。
そして忘れてはいけないスーパーマンの地球での立ち位置。要するにスーパーマンは移民です。それも一部の世間から「不法移民」と中傷されるような非正規移民です。
本作に対してアメリカの右派メディアは「ジェームズ・ガンはスーパーマンをポリコレに染めた」と非難轟々のようですけど(The Mary Sue; Media Matters)、そもそもスーパーマンはそういう移民を軸にした作品です。
今作ではそのアメリカ、そして(日本も含む)世界中で激化する移民(外国人)への敵視を物語に大きく取り上げています。明らかに移民ルーツのアメリカ人に支持される姿をあえて強調して描き、大衆からの「侵略者では?」という不信感に押しつぶされそうになり…。「ハーレムを作っているらしい!」なんて下品な陰謀論も現実によくあるアレです…。
終盤ではルーサーは「エイリアン!」と大声でスーパーマンを罵倒します。これはそのまま「宇宙人」という意味ですが、同時にことさら非正規移民は「エイリアン(alien)」と誹謗中傷されるので、その意味も被せているでしょう。
それに対するスーパーマンの毅然とした返答。ボラビアに加虐される民衆への加勢。二極化するように亀裂の入るメトロポリスを再び接続する最終展開。全てが「今」の政治に対する姿勢になっていて、「ジェームズ・ガン、言い切ったな」とこちらも感無量でしたよ。
負ける、挫ける、傷つく正義
スーパーマンってあからさまに凄まじい超人なので何をするにしても超越していてチートすぎるわけです。そこが親近感に欠けるとして馴染めてこなかった人もいたと思います。
その点、“ジェームズ・ガン”監督のDCU版『スーパーマン』は、能力は依然として最強クラスですが、人間らしさの描き込みによって一段と違う側面を映し出すことに成功していたと思います。
今作のスーパーマンは無敵じゃないです。映画は敗北で始まります。ネットでバッシングされたら傷つくし、カっとなることもある。正義の在り方に揺らぐ姿は多くの人々とそう変わりありません。「自分の社会正義はこのやりかたでいいのだろうか?」とバックラッシュに狼狽える経験、身に染みてわかります。
しかし、この映画自体はスーパーマンの正義を絶対に冷笑しません。正義の暴走だなんてチープな言葉で批評もしません。「行き過ぎた人権」なんて説教自体に聞く耳を持つ必要はない…だってそんな戯言よりも自分が正義を選択して責任を持つことが何よりも大事なのだから、と。
そして今作スーパーマンは純朴です。ちょっと心配になるくらいに抜けていて、「そんな正義感だと足元をすくわれるよ」と心配したくなるほどに。実際、ロイス・レインはそこを気にかけているのですが(パンク談義もあどけない)。
今作ではスーパーマン単独だけでなく、「ジャスティス・ギャング」と名乗る(まだ正式名ではない様子)…“ネイサン・フィリオン”演じるグリーン・ランタン(ガイ・ガードナー)、“イザベラ・メルセード”演じるホークガール、“エディ・ガデギ”演じるミスター・テリフィック、終盤には“アンソニー・キャリガン”演じるメタモルフォも加わって登場します。
鑑賞前は「こんなに他キャラも出しまくって体感の邪魔にならないかな」と懸念もあったのですけど、実際に観てみると、あの「ジャスティス・ギャング」のいかにもこれまでの“ジェームズ・ガン”監督らしい露悪的な危なっかしい正義集団がいるおかげで、余計にスーパーマンのピュアさが際立つ効果があって良かったですね。
ミスター・テリフィックにいたっては大活躍ですが(“ジェームズ・ガン”監督らしい音楽との合わせ技の戦闘シーンがGood)、同じテック派ながらレックス・ルーサーとの対比にもなっていて、こちらも重要な正義を示す柱でしたし。
まだ書き足りないこともはいくらでもあります。クリプトも最高でした。“ジェームズ・ガン”監督、ほんと、動物好きですが、屈指の犬映画を届けてくれました。ありがとう。
ピュアな正義。今の現実社会が忘れかけているものです。自国ファーストではなく全世界のヒーローに。みんなの心にあるスーパーパワーを…。
負けてもいい、挫けてもいい、傷ついてもおかしくない…自分の正義を再認識させてくれる『スーパーマン』に2025年に出会えて本当に良かったです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
世界線は異なるもスーパーマンが登場する他のDC作品の感想記事です。
・『アドベンチャー・ウィズ・スーパーマン』
・『スーパーマン&ロイス』
作品ポスター・画像 (C)DC 2025 WBEI
以上、『スーパーマン』の感想でした。
Superman (2025) [Japanese Review] 『スーパーマン』考察・評価レビュー
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