嫌いなら追いかけますよ…映画『ストレンジ・ダーリン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2025年7月11日
監督:J・T・モルナー
性描写
すとれんじだーりん
『ストレンジ・ダーリン』物語 簡単紹介
『ストレンジ・ダーリン』感想(ネタバレなし)
非線形であろうが走り出したら止まらない
これは前にもどこかで書いたと思いますが、私はいわゆる「非線形(non-linear)」の物語が得意ではありません。たぶん私の脳の理解力の問題なのかもですけど、非線形に物語を語られると、ものすっごく状況の把握に頭を使うので疲れ切ってしまうんですよね。
「非線形」というのは、物語が時系列で順番に語られるのではなく、あっちこっちとぐちゃぐちゃに行ったり来たりするプロット構成を指します。回想シーンでちょっと過去が振り返られるとか、そういう小さな展開はカウントしません。もっと大胆に時系列がバラバラに描かれるものを非線形と称します。
でもやはり非線形だからこそ面白い作品というのもやっぱりあって…。そういう作品に巡り合うと、悔しいですけど「ああ、非線形で疲れたけど…面白いなぁ…」と感心してしまいます。
今回紹介する映画も、正直に言って、お見事としか言いようがない非線形のテクニックをみせつけてくれました。
それが本作『ストレンジ・ダーリン』です。
本作、事前にネタバレなしでどこまで紹介すればいいのか悩みますね。ジャンルはクライム・スリラーで、女と男、ひとりずつが主役であり、登場人物は最小限です。
では一体何が起きるのか。そこが本作の肝心なところなので言及しづらい…。とりあえず人死にがでることだけは言えます。
とにかくこの『ストレンジ・ダーリン』は非線形のストーリーテリングです。全6章なのですが、ちゃんと「1章」「2章」と数字を割り振ってくれています。そして、「1章」「2章」と順番には展開しません。最初に第何章がくるかは観てのお楽しみですが、バラバラになっており、情報を仕入れずに観た観客としては「これ、どういう状況なんだ?」と自然と考察しながら眺めていくことになります。
まあ、でも非線形の作品の中ではかなり親切なほうですよね。章に数字をつけてくれていて、それで「本来はこの流れで起きているんだな」とすぐに察せますし、描かれる内容もそこまで極端にトリッキーなことはありませんから。
『ストレンジ・ダーリン』を監督したのは“J・T・モルナー”というアメリカ人で、お化け屋敷のビジネスをする会社を経営する家族に生まれ、本人はずっと映画を作りたいと考えていたそうです。そして俳優の仕事で生活費を稼ぎながら、2016年に『Outlaws and Angels』という西部劇で長編映画監督デビューを果たします。
その後の“J・T・モルナー”監督の2作目がこの『ストレンジ・ダーリン』で、2023年に映画祭でお目見えとなりました。
ただ、製作はとても苦労が多かったそうで、製作費を集めるも大変だったみたいですが、何よりも制作企業となった「Miramax」がこの非線形のアイディアを気に入らず、普通の線形の物語に直して公開する気満々だったとのこと。さすがに“J・T・モルナー”監督もショックだったようで、「それで公開するなら自分の名前をクレジットから消してくれ」と懇願するほどでしたが、非線形版の試写が好評だったので事なきを得たとか…。
いや、本作を平凡な線形にするとか、どういうつもりなんだと私も思いますけどね。この物語の根幹となる部分だろうに…。
『ストレンジ・ダーリン』の俳優陣は、ドラマ『ジャック・リーチャー 正義のアウトロー』の“ウィラ・フィッツジェラルド”、『Smile スマイル』の“カイル・ガルナー”…この2人が作品を引っ張ります。
何度も言いますが『ストレンジ・ダーリン』は非線形なので、ボ~っと見ていると物語に置いていかれます。集中できる態勢でじっくりと作品に没頭してみてください。
『ストレンジ・ダーリン』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 殺人や性行為の描写があります。 |
『ストレンジ・ダーリン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1台の赤い車が田舎の車道を不自然なほどに猛スピードで走り抜けています。そのすぐ後ろから別の黒いピックアップトラック車がやはり異様な猛スピードで追っていました。
赤い車を運転するのは上下赤い服の金髪の白人女。後方の車は赤黒チェック柄の白人男がハンドルを握っています。
このままでは埒が明かないと踏んだのか後ろの男は車を急ブレーキで止め、降りて素早い動きで荷台から猟銃で狙撃。前方の赤い車の後部窓は粉々に砕け、横転してクラッシュします。
中の女は無事でよろよろと降り、車外へ。そして轢き殺すかのように猛追してきた車をよけ、脇の森へと走って逃げ込みます。
女はほぼ何も持っておらず、必死に走るだけ。木の陰に隠れて座り込み、息を潜めます。そこで服で口を抑え、たまたま見つけたアルコールを左耳の怪我にかけます。耳は引きちぎれたかのように痛々しく損傷していました。タバコを吸い、落ち着こうとする女。ここにいればいずれ見つかります。
そして女は再び走り出し、フェンスを乗り越え、1軒の農家の敷地に辿り着きました。この家ではあちこちに設置したメガホンで終末論を流しています。まだあの男は追いついていないようです。
ボロボロのまま女は家のドアを叩き、現れた年配の白人夫婦に「助けてください」と泣きつきます。
それから少し経過し、男は銃を構えながら、とある家を慎重に練り歩いていました。挑発するように呼びかけ、探しているあの女を見つけようとします。隠れていそうな場所に銃弾を撃ちこむも、なかなか見つかりません。
絶対にここにいるはずだと睨んでいますが、巧妙に隠れているのか、それともすでに別の場所に逃げたのでしょうか。
リビングでは床にひとりの年配の男が血まみれで倒れています。ここの家主です。もう死んでいます。銃の男はその死体に注視せずに、警戒を解きません。
一旦家の外に出ますが、ふと思い立ち、家にあったクーラーボックスの前に立ちます。ここはまだ中を調べていません。
そして銃を構えて一発撃ちこむと、女の悲鳴が…。
セーフワードは大事です

ここから『ストレンジ・ダーリン』のネタバレありの感想本文です。
『ストレンジ・ダーリン』は全6章の非線形の物語で、「第3章→第5章→第1章→第4章→第2章→第6章」の順で展開します。厳密には冒頭にわずかなプロローグ的な導入と、最後にエピローグが追加されますが…。
最初に目に飛び込んでくる第3章「Can You Help Me? Please?」は、女が男に追われており、男側は女を殺す気満々です。シリアルキラーの情報が提示されるので、「これは女が殺人鬼の男に襲われている真っ最中なのだ」と単純に解釈できます。
それにしたって凄まじい追走劇で、双方がやけに手慣れています。男側はまだわかるにしても、女側も妙にサバイバルの気合いが見るからに違っていて、あからさまな弱々しい被害者という感じが微塵もありません。唯一、この章タイトルになっているとおり、民家に逃げ込むべく玄関を開けてもらった時だけ、脆弱さを身にまといます。
この時点でしっかり女の正体を暗示しているので、本作は行き当たりばったりに観客を騙しているわけではなく、全体のプロットとして細かい部分も練られているなと、振り返っても実感できます。
そして続く第5章「Here, Kitty, Kitty …」でも入念にミスリードを重ねつつ、次の第1章「Mister Snuffle」でついに真相が明らかになります。
要するに、この女と男、当初はモーテルでカジュアルセックスを楽しむために出会った一時の関係でした。しかも、SM(サドマゾヒズム)の性的ロールプレイを楽しんでいます。
BDSMには「Safe, sane and consensual」というルールがあって、双方の合意に基づいて安全に行うことを大前提にします。しかし、多少の安全はない…つまりある程度のリスクであっても同意があれば良し…という「Risk-aware consensual kink(RACK)」の考えを採用して楽しむ当事者も中には存在します。
今作の女はちょっとRACKで愉悦に浸りたい欲求を強く匂わせています。でも「Noの意味はYesである」という今回の前提はあっても、ちゃんとセーフワードは用意されているので、あの2人は健全に満喫できています。
なんだ、だったら良かったじゃないか…という話ですし、「じゃあ、あのこの後に起きる追走劇も“ごっこ遊び”の延長なの?」と勘ぐってしまいますけど、そうではありませんでした。
大きな誤算が男にはありました。第2章「Do You Like to Party?」でようやく発覚するとおり、この女は世を騒がせるシリアルキラーだったのです。「エレクトリック・レディ」と呼ばれるこの女の歯止めがきかない暴走があの部屋で勃発し、追走劇が開幕します。
このハイパーリアリスティックな模倣的なエンターテインメントから、本気の死に物狂いの生存闘争に一気に切り替わるという、展開の大ジャンプ。本作はここの見せ方が上手くて、テンポも良いので引き込まれますね。
要所要所で起きたことを見せていないというカットの手際も良いところで…。例えば、モーテルの部屋から撃たれて飛び出した下着姿の女が(その出た瞬間の隣の客とも会話もシュールですけど)、受付で車の鍵を奪うのですが、そこであの上下赤の服を着た客がいる…。それでどうなったのかは描かれませんけど、次の章では女は上下赤の服を着こんでいるので、普通に奪ったか、殺して奪ったか…とにかくその繋がりを察せます。
とにかくこのエレクトリック・レディ、現地調達で次々と状況を乗り越えようとするスキルが高いです。
対するあの警官だと判明するあの男もなかなかの根性で、肌にあんな傷を負わされて、ケタミンまで盛られたのに、あそこまで追撃する執念を発揮できるのですからね。
この双方が互角に白熱の勝負をかましてくれるからこそ、極限のスリルがひりひりと充満することになって、非常にハラハラドキドキさせてくれます。「被害者」と「加害者」という枠ではない、2人とも手練れであるというのが、本作の面白いところだな、と。
レディの背景を考えたくなる
『ストレンジ・ダーリン』、非線形の展開はさておき、判明するプロットを表面だけ受け取ると、既存のジェンダー構図をひっくり返しただけの物語に認識されかねないですし、そういう見方をするとあっけなく味気ないものにはなると思います。
しかし、個人的にはこのレディが「女こそ狡猾なんだ」という単純な女性蔑視的な視点で構築された薄っぺらい悪役になっていないとは感じました。
むしろあのレディは本作の中では、最も感情的にも作り手の愛着が注がれているキャラクターだったのではないでしょうか。逆に追う男のほうがあっけない後味ではありますよね。
レディがシリアルキラーとなった動機やその日常はよくわかりません。ただし、本作で男のクレジットの肩書が「デーモン」になっているとおり、どうやらあの女には他者が悪魔に見えることがあるようです。
オレゴン州の田舎で、作中で宗教熱心そうな農家の夫婦も登場しますが、そうした背景から、あのレディもすごく保守的な抑圧された家庭で育ち、「性欲は禁忌だ。お前をたぶらかす奴らはみんな悪魔だ」と強迫的に考えを植え付けられて育ったのかもしれません。これは私の勝手な想像ですが、実際にそういう価値観を家庭に植え込まれる女性はいますから。
今作のエレクトリック・レディのキャラクター性は、1970年代や1980年代のスラッシャー・ホラーから飛び出してきたような類似性を感じなくもないです。この時代の殺し屋たちの背景には抑圧から異様な殺意が生まれてしまうという悲劇性がよく見られます。
そうやって考えてみると、この『ストレンジ・ダーリン』はとても女性抑圧的な苦しさを滲ませた土台の上にあのレディが確立しているようにも思います。
人の善意を利用しながら最後まで手を血に染め続けるレディでしたが、終盤でまた善意の女性に助けられ、そこで自分こそが悪魔に見えたらしい演出が入ります。そしてレディは自分で自分を撃とうとして銃を取り出したようにも思える素振りをみせます。
かなり切ない幕引きでした。ファイナル・ガールのようにみえて、実はシリアルキラーで、でもやっぱりその人生はファイナル・ガールそのものだった…。
スプラッタなビジュアル的グロテスクさに頼らず、非線形のストーリーテリングだけで、このレディというキャラクターを誠実に掘り下げてみせているのは、なかなかにストイックで器用でしたね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024 Miramax Distribution Services, LLC. ALL rights reserved. ストレンジダーリン
以上、『ストレンジ・ダーリン』の感想でした。
Strange Darling (2023) [Japanese Review] 『ストレンジ・ダーリン』考察・評価レビュー
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