許された子どもたち
映画『許された子どもたち』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:許された子どもたち
製作国:日本(2020年)
日本公開日:2020年6月1日
監督:内藤瑛亮

許された子どもたち

あらすじ

とある地方都市。不良グループのリーダーである中学1年生の市川絆星は、同級生の倉持樹に対するいじめをエスカレートさせ、ついには勢いのままに彼を殺してしまう。最初は何事もなかったように過ごしていたが、状況証拠を手にした警察に疑われた結果、犯行を自供する。しかし、息子の無罪を信じる母親・真理の説得により否認に転じたことで、状況は深みにハマっていく。

『許された子どもたち』感想(ネタバレなし)

内藤瑛亮監督、またも容赦なし!

平成30年度の文部科学省のデータなのですが、日本全国の小中高校で認知されたいじめ件数は54万3933件だったそうです。前年度から約13万件増加しています。だからといって状況が悪化していると悲観するのは短絡的ですし、それよりもいじめを認知しやすい環境整備が進んでいることを示しているだけかもしれません。アメリカでは3人に1人がいじめの影響を受け、30%が関与していると調査機関によってレポートされていますし、実際はまだまだ認知していないいじめは多そうです。

そもそもいじめは何をいじめとするかでも議論になりますし、気軽に自分をいじめ被害者であると認識することもハードルがあります。学校でのいじめ認知件数の増大は社会の関心の高さの向上として好意的に受け止めるべきかなと私も思います。

そうなのです。今の子どもたちは信じられないでしょうけど、昔は「いじめ」という概念が議題にも上がらなかった時代があるんですよね。その時代にもいじめは確実にあったのに…。

そんないじめの一般認識が飽和しつつある今だからこそ、この映画も作られたのかなと思える、そんな作品が2020年に公開されました。それが本作『許された子どもたち』です。

本作は退屈な授業のようにマンネリ化しつつある日本映画界にどこからともなくやってきた“内藤瑛亮”監督の最新作。“内藤瑛亮”監督は2012年に『先生を流産させる会』で衝撃の長編映画監督デビューをぶちかまして以降、『ライチ☆光クラブ』(2016年)、『ミスミソウ』(2018年)と過激かつセンセーショナルでインパクトありすぎる映画を次々と投入し、一種のカルト的な支持を集める監督になりました。

基本的に学校を舞台にした子どもたちを中心に、その子どもたちを取りまく社会問題にストレートに直球勝負で挑む作風が特徴で、独特な映像&演出センスもプラスされて、なかなかに唯一無二の作品を生み出す監督です。“内藤瑛亮”監督は特別支援学校(旧養護学校)に教員として勤務していた経験があり、明らかにそのキャリアが映画作りのリアリティを支えていますね。

今作の『許された子どもたち』は2011年から構想し、ずっと温めていたものだそうですが、題材は「いじめと少年犯罪」であり、いくつかの実際の事件からインスピレーションを得たとのこと。前作『ミスミソウ』が結構エンタメに寄った作りだったので、今回の『許された子どもたち』は、実話を基にした初期作『先生を流産させる会』の原点に戻った感じもしつつ、“内藤瑛亮”監督の映画スキルの向上があったからこそのフィクショナルな飛躍を華麗に落とし込む巧みさもあって、これは確かに“内藤瑛亮”監督の決定的一作になったかもしれません。ただ、まだまだ進化の余地がある監督だと思うので、今後もここからさらに伸びていくと思いますけど。

物語の中心に立つ子役たちは、主人公で加害少年を演じる“上村侑”を始め、“名倉雪乃”、“阿部匠晟”、“住川龍珠”など、演技経験も浅く、中には全然芸能活動をしていない子もいるほど。そのため、非常に生っぽい空気が生まれており、そこがまたこの映画の魅力になっています。

端的に言ってしまえば非常に胸糞悪い物語ですし、人の好き嫌いがハッキリ別れる一作です。“内藤瑛亮”監督の作品はいっつもそうなのですが、今作の『許された子どもたち』もその点は揺るぎません。むしろ大多数の一般層ならば「見たくない」と思う内容でしょう。でもそこをあえて「見せる」のが“内藤瑛亮”監督流のクリエイティブ。

カップルで観るような映画ではないですし、友人と観に行くにしても、もしかしたらその友情がハリボテの偽善や上下関係で成り立っていたことが映画で見透かされるかもしれないので怖くて無理な気もします。ひとりで観に行けば、心に閉まって鍵をかけたはずのトラウマや苦悩をぐちゃぐちゃにかき乱されて嫌な気分になることも…。

でもまたそれもひとつの映画体験。映画というのはときに暴力的に観客を一方的に殴ってくることもある。それをあなたが受容できるなら観てみるのは良いのではないでしょうか。

オススメ度のチェック
ひとり◯(小規模映画好きは要チェック)
友人△(関係が微妙な友達と観ない方が)
恋人△(あまりカップル向けではない)
キッズ△(暴力描写多めで内容に注意)

『許された子どもたち』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『許された子どもたち』感想(ネタバレあり)

許されてしまっていいのか

道路をトテトテと血まみれで歩く少年。「きら!」と呼びかけ、抱きしめる母らしき女性。少年は無言のまま指をしゃぶります(最初このシーンがどの時間軸を描くものなのかもわかりづらいですが、物語が進むとこのシーンは主人公がいじめられていた小学校時代の断片だと推察できます)。

場面は変わり、アイスを食べる中学生男子たち。4人の少年たちは、手作り感のあるかかしをボロボロにしていきます。それはまるで溢れ出る若さのエネルギーを暴力として気ままに発散するように。中の発泡スチロールが散乱。そこへサイレンが聞こえ、4人は一目散に逃げます。満足げに…。

4人の名前は、市川絆星(きら)、小嶋匠音(しょーん)、松本香弥憂(かみゅ)、井上緑夢(ぐりむ)

場所を変え、4人はLINEでもうひとりの同級生の倉持樹を呼びつけます。場所はフェンスを越えた先にある、川辺。途中で監視カメラがあるだけのひと気のないところです。倉持樹は割りばしで作ったボーガンを持ってきて、リーダー格の絆星に渡します。

満足そうな少年3人(絆星・匠音・香弥憂)に対して、緑夢と樹はこき使われています。絆星がダンボールのまとにめがけて撃つ中で、緑夢が割りばしを回収。すると、絆星がおもむろに緑夢にボーガンを向けます。一同、沈黙。そこへ樹が緑夢の前に立ち、絆星を見据えます。

次の瞬間、樹の首には割りばしが突き刺さっていました。ふらふらとよろめき倒れる樹。その倒れた勢いでさらに首に割りばしが深く刺さり、血を吐く樹。呆然と立ち尽くす一同。死にかけの樹はこっちを見ている気もする…。ハッと我に返った残りの4人は脱兎のごとく走って逃げました。

4人はボーガンを燃やして処分、川に捨てます。

絆星は何事もなかったかのように帰宅。母、市川真理は「倉持さんとこの子がいないので探しに行く」と出かけていきます。夜、集団で捜索する近隣住人たち。懐中電灯を照らし、「くらもちく~ん」「いつき!」と呼びかける中、発見されたのは無残な遺体でした。

学校では「今日は命の尊さを考え育てていく日にしてください」と先生の言葉とともにホームルームが終わります。一方、犠牲者は中学1年生ということで報道は盛んに取り上げていました。

ある日、絆星の家に人がやってきます。どうやら警察関係のようで、あの倉持樹の事件に関して話を聞きたいようです。「うちの子は関係ありません」とすぐさま母・市川真理は制止しますが、「二人で話をさせてもらえますか、関わっていないことがわかればすぐに終わりますから」と言われ、しぶしぶ2階に。1階で絆星と二人きりになった来訪者の男はスッと態度を変え、監視カメラ画像を見せ、「そんなんで大人を誤魔化せると思っているのか?」とキツイ態度。LINE画像も見せ、「呼び出したことはわかっている」と問い詰めます。「呼び出したけど会えませんでした」とボソボソ答える絆星に、「緑夢くんは全部話してくれたぞ、君が殺したと。いじめてたんだろう」と追及は継続。「わかった、じゃあいいわ。認めるなら今だけだぞ」と裁判をちらつかせます。絆星は不安に感じたのか犯行を認め、「よし、えらいぞ」と男は口にしました。

事態は急転直下。同級生が殺人の犯人と世間に広がると、ネット上ですぐさま特定され、家にマスコミが押し寄せます。フラッシュが暗い家を不気味に照らす中、「絆星はあんなことするわけないでしょ」と母・市川真理は認めません。

絆星の両親はこっそり家を出て、弁護士&付添人の女性とともに、絆星と久しぶりに面会。「今からでもやってないと言わなきゃダメ、やってないんだから」と母・市川真理は息子を説得します。

少年審判の日。絆星とその両親は前、一番後ろに倉持樹の両親が座る中、小さな部屋で審判は始まりました。絆星は容疑を否認。付添人は「調書に問題があった」「被害者の事故だ」と主張。絆星の父は「息子は小学校のときにいじめを受けていました。目の下の傷はそのときのものです」と自分の子は加害者になるような人間ではないと訴えます。

対して倉持樹の両親の意見陳述になると、絆星は一旦退廷となり、言葉を向けたい一番の相手が消えてしまって困惑する中で言葉に詰まりながら父が読み上げます。「許すことはできません…」しかし、すぐにぼろぼろに泣き崩れ、「樹の命のことは考えたことがあるのですか」と語気を強めるも「退廷してもらいますよ」と怒られ、終了。

結果は…「不処分とします」「それではこれで審判を終わります」

けれどもこれで終わりませんでした。遺族の両親は民事訴訟をするという記者会見を開き、「いつきは2回殺されました、あの河川敷と今回の少年審判です」と訴えます。ネットでの加害者バッシングはさらに過激化し、絆星の家族は引っ越すことに…。

いじめる側、いじめられる側、その境はどこにあるのか。誰にもわからない混沌が続き…。

キッチュな作家性に魅了される

『許された子どもたち』を観ているとあらためて“内藤瑛亮”監督の作家性がよくわかります。

確かに監督は本作を作るにあたって「山形マット死事件(1993年)」とか「川崎中1殺害事件(2015年)」など実在の事件をかなり入念にリサーチしており、それが反映されています。ただやっぱりドキュメンタリーチックな作りではまるでありません。今作はエンターテインメント性は抑えているみたいですけど、私は本作でもじゅうぶん監督の脚色力と言いますか、持ち味は出まくっていると思いました。

“内藤瑛亮”監督の特徴は一言で言えば「キッチュ」ですよね。現実的な問題をあえて俗悪に描くことに長けているというか。今作ではイジメの被害者、加害者、親、警察、弁護士、裁判関係者、マスコミ、ネットの住人、他の学校の生徒、教師、YouTuberまで、とにかく多様なステークホルダーが登場するのですが、それがみんな露悪的に描かれており、誰一人として正当性を持った安心できる存在がいません。

正直、やりすぎなくらい露悪的です。ここまで悪くないだろうと思ってしまうくらい、最低レベルの地獄を見せてきます。ここで「これはないな」と脱落する観客がいてもおかしくないですし、普通にいるでしょう。

それでも“内藤瑛亮”監督作品を映画という存在として成立させているのは間違いなく「キッチュ」としての完成度が高いからだと思います。

まずカメラワークや演出センスが良いです。序盤の4人が暴れてカカシをぐちゃぐちゃにする際の音楽演出からの、走る姿を追う流れるようなカメラのムーブ、そして少年たちの名前がバン!バン!と出るあの感じ。同様のノリは作中で何度も登場し、不処分になった4人がまた草むらを闊歩するシーンや、ラストに絆星がひとり大暴れするシーンなど、映画が観客を差し置いて勝手に爆発的に感情をぶちまけているような…。なんかこう「知ったことか!」みたいなテンションが映画を異様に不吉にさせて、観客を「怖い…でも見たい!」という感覚にさせてきます。

また『ミスミソウ』でも印象的だった色の演出、とくに「赤」の使い方が今作でもキマっていました。一番はやはり序盤に登場するあの割りばしボーガン。あのボーガンのデザインもよくて、確かにこれは中学生男子が好きそうなやつだと思える絶妙なアイテムですよね(無駄にデカイのがとくに)。

その深紅のボーガンが暴力に変化すると今度は無垢な少年から真っ赤な血が噴き出す。以降も絆星の目には呪いのように赤がちらつきます。母も赤系統の服を着ていますし、実家も赤く荒らされていくし、絆星は引っ越した先で赤いゴミ袋を蹴っているし…。

“内藤瑛亮”監督は説明的なセリフに頼らないこうした演出、それも難解でわかりにくいものではなく、あえて(乱暴な言い方だけど)バカでもわかる単刀直入な演出を遠慮なくぶっこむからこそ、ここまでのカルト的なウケの良さがあるのではないでしょうか。

許された子どもたち

子どものアンサンブルが最高

さらに『許された子どもたち』を観るとわかる“内藤瑛亮”監督の凄さは、俳優の活かし方。

あの子役たちの演技の引き出し方は最高に素晴らしく、教師経験のなせる技なのか、嫌になるくらいリアルな学校生活空間の“醜い部分”を全開にしてくれます。巷の過度に理想化された青春学園モノ映画なんて吹き飛ぶ生々しさです。

主演の絆星を演じた“上村侑”も文句なしの佇まい。こう言ったら本人に失礼ですけど、本当に人を殺しそうに見える…。かといって育ちが悪い感じはしない。目の下に傷がある以外は身なりも良くて、親に愛されてきたことがわかる。ゆえにあの行動が怖さを増幅しますね。この少年像を作り上げるだけでもたいした才能ではないですか。

その絆星の母を演じた“黒岩よし”も凄かった。私、知らなかったのですけど、元水泳のオリンピック選手で、スタントダブルをやったこともあるくらいの典型的なアスリート・パワータイプなんですね。だからなのか存在感がすでに屈強です。作中では顔面が映るシーンが多いですけど、顔のドアップだけでなんか殺せそうですよ(なんだそれ)。まさにこの母ゆえにあの息子なんだなと暗黙の説得力があります。

一方、もうひとりの影の主人公ポジションとも言える緑夢を演じた“住川龍珠”。彼は“上村侑”とはまるで正反対の存在感を上手く表現しており、それでいてどこかに同質の暴力性を秘めている怖さもある。あの複雑な内面を保持しながら演じているあたり、こちらも凄いなと思いますし、それを自然に引き出す監督の手腕は怖いくらいです。

子どもアンサンブル賞があるなら『許された子どもたち』は受賞確実ですね。

この映画の問題点

そんな『許された子どもたち』ですが、私は諸手を挙げて絶賛はできない、映画の欠落が気になるなとも思ったり…。

その映画の問題とは、この題材についてキッチュだけでいいのかということ。下手をすれば本作は作中で出てきたYouTuberのキャロルと同じ「なんとなく正しいっぽい」印象だけを観客に与えてしまうのではないか、と。

本作はとことん露悪的でそこが個性になっていますが、現実問題において全てが露悪性を持つわけでもありません。いや、全てに欠点や問題点があるかもしれませんが、そこをあげつらうよりも専門的に正しい道筋もあるんだと示さないと、最悪、映画自体がイジメ構造を助長しかねないです。

例えば、海外の人が本作を観たら「日本って被害者や加害者の支援の仕組みとか、いじめ防止のケアとか何もない国なの!?」と驚愕すると思いますが、そんなことはなくちゃんと存在するわけです。加害者支援の団体だってあります。ネットやマスコミだってあんな嫌みな奴らだけではない、ちゃんとしたメディアもあります。

それなのにそこに目を向けさせず、観客を「正しさの暴走って怖いな~」とか「ネットの集団は恐ろしいな~」みたいな感想にとどめるのは無責任でしかないなとも思います。

また、これは『SKIN スキン』の感想でも同じことを書きましたが、センシティブな加害性をともなう問題に対して“お気持ち”レベルの「心の問題」にしすぎている妥協さは本作では強く感じます。「人は誰しもが加害者にも被害者にもなる」のは当然ですが、そんなのは堂々巡りです。

やはり映画は社会構造に目を向けるべきです。これが欧米のイジメ題材の作品だったら、人種、経済格差、ドラッグ、ジェンダーなど、しっかり社会構造要素を取り入れて作品にするのですが、日本はどうも「心の問題」どまりですよね。

私が本作でとくに気になると思ったのは、子どもの非行という問題に関してなんとなく本作は「女性の責任」を強調しぎているなということ。絆星の母親といい、付添人の女性といい、女性が間違えれば子どもは闇に堕ちるように描かれていますし、一方で犠牲者の母が最後に「自分の罪と向き合いなさい」と受け入れたり、さらに櫻井桃子という絆星を無条件で抱きとめるステレオタイプな「女神」的女子が出てきたり、女性しだいで子どもは良くもなるという描き方も並列しています。ラストでこれみよがしに愛情に恵まれた赤ん坊と母親たちのお茶会みたいなのが映るので余計にです。

逆に男性はなんだかんだで物語からフェードアウトしてばっかりですよね。

でもこういう保守的な家庭観(育児の責任は母にあり)こそ、日本のいじめを取りまく問題構造の一端なのではないか。私はそう思うので、そこに無頓着さを見せた本作はやや残念です。

子どもたちのグループディスカッションの場面がありますけど、やはりいじめ問題に必要なのはきちんとした教師だなと思います。それは学校の先生という意味ではなく、正しい情報とそれを伝える人…という意味です。ただやみくもに論じていても話は誤った認識のもと脱線するだけ。

ぜひ『許された子どもたち』を鑑賞した後はいじめに関する正しい情報に触れてみてくださいね。研究も充実していますから(以下に専門家執筆の興味深い記事を掲載しておきます;英語だけど)。

↓ 10 Common Myths and Misconceptions About Bullying(いじめに関する10の一般的な神話と誤解)


『許された子どもたち』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer --% Audience --%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★

関連作品紹介

おすすめ PiCKUP!
↑『ミスミソウ』…同じく内藤瑛亮監督作。壮絶ないじめを受けた女子が復讐に染まっていく。
作品ポスター・画像 (C)2020「許された子どもたち」製作委員会

以上、『許された子どもたち』の感想でした。