アイヌモシリ
日本社会でアイヌは何を見ているかを映し出す…映画『アイヌモシリ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:アイヌモシリ
製作国:日本・アメリカ・中国(2020年)
日本公開日:2020年10月17日
監督:福永壮志

アイヌモシリ

『アイヌモシリ』あらすじ

北海道阿寒湖畔のアイヌコタンで母と暮らす14歳の少年カントは、1年前に父を亡くして以来、アイヌ文化と距離を置くようになっていた。友人と組んだバンドの練習に熱中する日々を送るカントは、中学卒業後は高校進学のため故郷を離れることを考える。そんな中、カントの父の友人だったアイヌコタンの中心的人物であるデボは、カントにアイヌの精神や文化について教え込もうとする。

『アイヌモシリ』感想(ネタバレなし)

当事者を参加させる意義

2020年11月28日、世界的なスポーツメーカーのNIKEが新しく公開したCM動画が世間を大きく騒がせました。それは日本を描いた映像でありながら、そこにはチョゴリ(朝鮮の民族衣装)を着た人物が映っていたためです。つまり、このCMは日本社会に確かに暮らしている「在日韓国・朝鮮人」の存在にフォーカスしたのでした。

残念ながらこのCMに対して案の定、民族差別的なコメントが相次ぎ、日本国内における在日韓国・朝鮮人への差別を痛烈に浮き彫りにさせました。その中で、果敢にこの題材を選択したNIKEの企業姿勢を評価する喜びの声も負けじとあがりました。

では当の在日韓国・朝鮮人の反応はどうだったか。勇気をもらったと素直に受け止める声も当然あります。しかし、その一方で複雑な感情を抱く当事者もいるのも事実です(以下の記事を参照)。


企業がいわゆるマイノリティを取り上げる…これは「ウォークネス(wokeness)」と一般には呼ばれており、最近では世界中で見られる現象です。ダイバーシティの重要性が認知される中、各企業は自社のコンプライアンスを示すためにも、こうしたウォークネスに積極的になっています。NIKEも以前からこの姿勢を打ち出していたのであり、この話題のCMが初ではありません。ただ、日本ではまだまだウォークネスが主流ではなく、ゆえに今回のCMはひときわ目立ってしまった感じもありますね。

そしてこのウォークネスには賛否もあります。無論、差別は論外です。しかしながら、これがマイノリティな当事者のためになるのかという問いかけもあるものです。

映画も問題が生じています。例えば、日本でも2020年にヒットした『ミッドナイトスワン』。この作品はトランスジェンダーを主人公にした物語で多くのマジョリティ観客が「感動した!」と絶賛していましたが、その一方でLGBTQ当事者からは中身と製作陣の態度に対して不満の声もあがっていました。

これらウォークネスが問題視される主因は“当事者不在”だからだと思います。当事者にとって“当事者ではない人たち”に好き勝手に弄り回されるのはいい気分がしないものです(まあ、NIKEのCMももしかしたら当事者が製作に関与しているのかもですが…)。こうした問題を扱った映像作品も最近はあって、例えば『40歳の解釈 ラダの場合』やドラマ『ザ・ボーイズ』シーズン2などがあります。

とにかくウォークネスがエンパワーメントに繋がるには難しいバランスとりが必要ですし、その手っ取り早い無難な策は「当事者参加」なのでしょう。近年、マイノリティ当事者参加型の映像作品が増えているのもそうした背景があります。

そんな中、今回紹介する邦画はまさに当事者参加型だからこその説得力がある一作だと言えます。それが本作『アイヌモシリ』です。

タイトルから察せるように本作はアイヌを題材にした映画です。アイヌを知らない人はいないと信じたいところですが、ざっくり言えば北海道を中心に暮らす先住民族です。本作の邦題「アイヌモシリ」は「アイヌの地」という意味があって、「モシリ」は大地や島を意味します。北海道には「奥尻」とか「焼尻」とか「シリ」のつく地名がチラホラあるのもそれが由来ですね。

アイヌは過去にいた民族ではありません。今もこの北海道の地にいます。『アイヌモシリ』はアイヌの少年を主人公に、現代の日本社会で生きるアイヌ民族の姿を映し出す物語です。

本作が特筆できるのは、なによりも俳優陣であり、主人公少年を演じる“下倉幹人”を始め、主要登場人物にちゃんとアイヌ当事者を起用していることです。誰ががアイヌを演じているのではない、現代アイヌそのものが産地直送されるわけです。なのでフィクションではあるけど、ドキュメンタリーのような、そんな生々しさがあります。

そのアイヌを主とする俳優陣の中に、“リリー・フランキー”が記者の役でしれっと混じっているのですが、さすがの名優、見事に溶け込んでいます。

監督は北海道出身の“福永壮志”。日本ではあまり有名ではない方なのですが、もともとニューヨークを拠点に海外で活動していた人で、⻑編映画デビュー作『リベリアの白い血』は2015年。この初作品では、ニューヨークに渡るアフリカ系移民の苦悩を描きだし、高く評価されました。あの『13th 憲法修正第13条』や『ボクらを見る目』でおなじみのエイヴァ・デュヴァーネイの配給会社にピックアップされているのですから、その実力はじゅうぶん認められていると言えるでしょう。


その気鋭の“福永壮志”監督の⻑編映画2作目は地元“北の大地”でのアイヌに焦点をあてるということで、こっちにきてくれたかと嬉しいです。たぶん日本においてアイヌを描ける映画人で“福永壮志”監督以上の人材はそうそういないでしょうから。

難しい映画ではなく、青春ドラマとして敷居は低いながらも、しっかりアイヌの葛藤を見せつけてきます。公開規模は少ないですが、ぜひ2020年の必見の作品として覚えておいてください。

映画のスクリーンから当事者がこちらを見つめるとき、観客はもう当事者です。

オススメ度のチェック
ひとり◎(映画ファン必見の一作)
友人◎(映画好き同士で誘い合って)
恋人◯(小規模な良作を一緒に)
キッズ◯(アイヌ文化を知るうえでも)

『アイヌモシリ』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『アイヌモシリ』感想(ネタバレあり)

アイヌはここで暮らしている

北海道の東部、釧路市にある湖の「阿寒湖」。全域が阿寒摩周国立公園に指定されており、エゾシカやヒグマなどの豊かな野生動物が暮らす大自然が広がるこの地。湖南岸には阿寒湖温泉の温泉街があり、観光客も道内外からよくやってきます。

その湖畔の一角には約30戸、120人程度が暮らす「アイヌコタン」があります。アイヌコタンというのは固有の地名ではなく、アイヌの集落を意味する言葉です。小さな小さなエリアではありますが、ここが現状の北海道最大のアイヌコタンとなっています。

この地域にカントというアイヌの血をひく少年が暮らしていました。父は少し前に亡くなっており、母はアイヌ民芸品店をひとり営んでいます。母はときにはアイヌ民族衣装を着て、観光客を前にアイヌの民族楽器を演奏したりもします。

中学生であるカントはごく普通に地元の学校に通っています。クラスの人数は北海道の地方ではどこも同じですが、少数です。今日は担任の先生と保護者同伴で進路面談がありました。

「来年は卒業ですからね」と先生は切り出し、カントの進路希望を聞きます。母は「もし本人が行きたいところがあるなら」と当人に任せる姿勢を見せます。カントは「阿寒から離れられるならどこでもいいです」とボソリ言うだけ。具体的には何もありません。

それが終わった後、帰り道、さきほどの発言の真意を母に問い詰められるカント。言葉を絞り出すように口にします。なぜここから離れたいのか、その理由を。

「普通じゃないでしょ」「アイヌ関連のことをやらされる」

「誰も強制なんてしてないよ」と母は静かに言いますが、カントは心に引っかかりを抱えたまま。

帰宅後、カントは自分の部屋でギターを弾きます。実は友達とバンドをしているのでした。

一方その頃、デボというアイヌの老人は檻の子熊に餌をあげていました。子熊は無邪気にデボの手に触れて楽しくじゃれあってきます。

その後、デボ含めたアイヌコタンの人たちが集まって会議を開きます。議題はデボの「イオマンテ」をやるという突然の提案です。イオマンテはアイヌに古くから伝わる伝統行事。しかし、子熊を捕まえて殺すことになるので、今ではすっかりやらなくなってしまいました。

「イオマンテするってか」「今の世の中の人、絶対に許さないぞ」

「可愛がって養ったクマを送るから意味があるんだと俺は思っている」「カムイとアイヌの関係性、主軸なのよ」「これをやらないとアイヌだと肝心のところが掴めない、変なのよ」
 
「俺はできないな」「昔と今は全然時代が違うぞ」

「世の中の人に納得してもらおうとなんて思ってない」

イオマンテを頑なにやりたがるデボに対して、周囲からは慎重意見が相次ぎます。

ある日、カントにデボが「洞穴に死んだ人が住んでいる村があるんだ」と話しかけてきます。「伝説の作り話でしょ」と興味なさげなカントですが、「でも伝説には元になるものがある、あながち全部嘘ってわけじゃないかもしれないぞ」と食い下がらないデボ。

「こっちから死んだ人の村にいけるの?」「こっちからはいけないんだって」「それってズルい」「いいから、洞穴見に行くべ」

結局、押し切られるかたちでカントはデボと一緒に森へ向かいます。森の入り口で「チャッチャリ」と呼ばれる儀式をし、何事もないように祈るデボ。「よし、これで山に入れる」と進みだしました。

例の穴に到着します。それは岩の隙間のようなもので、なんだかよくわかりません。

川で釣りをし、発散した後、魚をさばくデボ。「このナイフはお前の父さんが作ったマキリなんだ。これをお前にやるから」とその刃物をくれました。

夜。この森に野宿する2人。デボは「フクロウ見たことあるか」と問いかけます。「あるよ、動物園で」と答えるカントに「動物園で見たのは見たことならないな」と呟くデボ。「俺は昔見た、目力が凄い、村の守り神だなって納得したね」と感想を述べます。

次の日、デボは子熊のいる檻へカントを連れていきます。「めんこいべ」と語るデボ。「可愛い」とカントも楽しそうです。「名前はなんて言うの」と聞くと「チビ」と答えます。

「一緒にチビの世話をしないか」と提案され、乗り気になるカント。デボは続けます。

「ひとつ条件がある。ここにチビがいるってのは内緒」

その秘密がカントの心を揺れ動かすことになるとは露程も思っておらず…。

2つの世代のアイヌ観

『アイヌモシリ』はまずアイヌをそれほど知らないという人に、アイヌのリアルな姿を見せてくれます。しかし、それはよくありがちなアイヌ文化を伝える観光PR動画や博物館のようなものではありません。映画に映し出されるのは昔ながらのアイヌ民族ではなく、現代社会の狭間で生きる今のアイヌの人たちなのです。

冒頭から非常にわかりやすい強烈な対比が印象的です。それはカントとカントの母エミという2人の世代の違いでハッキリ示されます。

アイヌ民族衣装を身に着けたエミが伝統楽器で静かにひとり観光用に演奏させられる中、カントはバンドで思いっきり西洋音楽をガンガン鳴らして歌い上げる。そしてカントは上下が青いジャージという、ファッションセンス・ゼロなスタイルで学校に通う。

どちらもアイヌでありながらのこの両極端さ。2人の置かれている状況も違ってきます。

エミは基本的に観光のためにアイヌっぽくしています。土産物店にいるときも客に「ここってアイヌの店?あなた、アイヌ?」「日本語上手ですね」とか言われ、「あ、一生懸命勉強したんで…」と苦笑いするしかないエミ。実際は講習に通ってアイヌ語の勉強をしている真逆の状態なのですが…。

こういう言い方でいいのかあれですが「ビジネス・アイヌ」ですよ。ある意味、妥協しながらアイヌらしく振る舞わないといけない。観光業で生活するためであり、決してアイデンティティによって選んだ道ではありません。

一方のカントはそんな母を見て育っているせいか、すでに達観しており、押しつけられるアイヌ・イメージにうんざりしています。でもアイヌを完全に切り捨てたいわけでもない。このアンビバレントな少年期の心の迷い。カントもまたアイデンティティを見つけられていません。

この2人を演じた“下倉幹人”と“下倉絵美”は実の親子関係であり、そのためかわざとらしいステレオタイプな母と息子ではない、自然な距離感があってすごく良かったです。

ほんと、演技に見えないですね。かろうじて“リリー・フランキー”が出てくることで本作がフィクションだったと気づきますけど…。

イオマンテにこだわるデボ

カントとエミの世代が異なれど迷っている2人に対して、デボは昔ながらのアイヌにこだわることでしか生きられません。

そこでのイオマンテをめぐる議論がまたドキュメンタリー風にリアルに撮られており、こちらにまで強く論争を波及させてくる映像パワーがあります。人里に出没するヒグマを駆除しただけでも大量のクレームがくるくらいですから、動物愛護的な関心の高まりによってイオマンテなんて事実上不可能だと言う人たちの意見ももっともです。観光地ゆえに風評被害を気にする人もいます。

それでもイオマンテにこだわりたいデボの、言葉にできないけどやりたいその気持ち。論理的でも合理的でもないし、計画性もない。でもそこにこそおそらく「伝統」の意義があるはずなのだろう、と。

このデボを演じた“秋辺デボ”。俳優としても活動されている方なのですが、雰囲気が本当に良くていいですよね。伝統を主張する人ってどうしてもうるさい押しつけがましさが前に出がちですけど、このデボにはその嫌悪感のようなものは全くない。このキャラクターのバランスがまたいい味です。

そのデボをメンターにしつつ、カントが前に進む先。きっとカントの世代もたくさんの議論しないといけないはず。でも何か新しいアイヌの姿を提示できるかもしれない。実際、作中で登場するようにOKI率いる「OKI DUB AINU BAND」というミュージシャンもいるわけで、これもまたひとつのアイヌの継承ではないかと映画はサジェストします。でも答えはやっぱり当人が決めるところであり、そこは一歩ひいています。

私が本作で良いなと思うのは、マイノリティを題材にしながらも、感動とかカタルシスとかそういうものに一切見向きもしていないことです。悲劇を大仰に描くのでもなく、当事者に寄り添う、その姿勢がこの映画に良心があることを感じさせてくれます。

消えかけている日本の少数伝統文化とコミュニティを描く作品と言えば、最近は『洗骨』もありましたが、こういう作品がもっと増えるといいのですけどね。

差別の事実を忘れずに

『アイヌモシリ』はアイヌが描く差別を直接的に描くような踏み込みまではしていないので、その点は弱い部分でもあります。

海外に目を向ければ『ナイチンゲール』『ウインド・リバー』のような強烈な映画もありますから、今はそういうアプローチでも全然いける時代です。

もちろん『アイヌモシリ』では社会に蔓延する差別意識はさりげなく描写されています。「日本語上手ですね」に象徴されるマイクロアグレッションもそうですし、なによりも日本社会に同化させられているアイヌの人たちの物言えぬ静かな屈辱のようなものが、映画全体から滲み出ています。

自分のルーツを考えもしないで一生を過ごせる日本人に、ルーツと否応なしに常に向き合わないといけないアイヌの何がわかるのだという…。

ただ、アイヌのことを一旦脇に置いて、本作ではそもそも北海道の地方の閉塞感も語らないわけにはいかないと思うのです。私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。人口減少と少子高齢化によって地域は疲弊し、未来を前向きに見ることもできなくなっています。なんかもう町や村全体が鬱状態になっているようなものです。

北海道の地方自体が消えかけているのですから、その中にいるアイヌはさらに困窮しているわけで…。

2020年は北海道白老町にアイヌ文化施設「ウポポイ」がオープンしました。でもこの施設もアイヌの歴史における加害を受けてきた側面を語れていないなど、批判があります。このままアイヌは観光の材料として消費されるだけなのか。それともアイヌの誇りと平等な権利を取り戻せるのか。

残念なことに北海道にさえも「みんなアイヌになれる!」などと歪曲的なアイヌ否定の主張を掲げて陰湿な差別をばらまく人たちが現在進行形でいます。増えてきている印象さえあります。

アイヌであろうとなかろうと当事者である私たち。『アイヌモシリ』を観るだけではない、次の視点の先を見据えていきたいものです。

『アイヌモシリ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer --% Audience --%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

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↑『リベリアの白い血』…福永壮志監督のデビュー作。
作品ポスター・画像 (C)AINU MOSIR LLC/Booster Project

以上、『アイヌモシリ』の感想でした。