今年も走り抜けろ!…映画『ランニング・マン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス・アメリカ(2025年)
日本公開日:2026年1月30日
監督:エドガー・ライト
らんにんぐまん

『ランニング・マン』物語 簡単紹介
『ランニング・マン』感想(ネタバレなし)
低俗動画に囲まれた現実社会で…
調査によれば、YouTubeの新規ユーザーに表示されるおすすめフィードの動画の20%以上が「低品質のAI生成コンテンツ」(いわゆる「AIスロップ」)だったとのこと。さらに全体の3分の1は、この「AIスロップ」と「注目を集めて収益化するために人間の手で作られた低品質コンテンツ」が占めており、「brainrot」の侵食が深刻化しています(The Guardian)。
しかも、これらの動画はときに私たちに偏見を植え付けさせ、無自覚のうちに政治的に操作されてしまう作用を生じさせているわけですから…。
人類がAIにマインドコントロールされる…ひと昔前ならSFだと一蹴できたような現象がさも当たり前のように現実化しています。怖いのはこういう現象が本当に平然と起こっていて、私たちはほぼ無抵抗・無感覚にそれに浸されて受け入れてしまっていることです。
2026年はこの問題がますます悪化するのは避けられないでしょう。
今回紹介する映画はそんな世界に抗う作品です。
それが本作『ランニング・マン』。
2025年の本作は“スティーヴン・キング”が“リチャード・バックマン”名義で1982年に発表した小説が原作であり、ここ最近も乱発している“スティーヴン・キング”映像化の流れに加わることになります。
と言っても実はこの小説はもう1987年に当時人気絶好調だった“アーノルド・シュワルツェネッガー”主演で『バトルランナー』というタイトルで映画化されています。ただ、この1987年版の映画は原作を大幅に改変しており、かなり不評ではありました。
今回の『ランニング・マン』は比較的原作をなぞっており、それ以上にあの“エドガー・ライト”が監督するというところで、映画ファンにとっては注目ポイントになるでしょう。2021年の『ラストナイト・イン・ソーホー』以来の監督作となる“エドガー・ライト”ですが、なんでもこの原作をずっと自分で映像化したかったそうです。
『ランニング・マン』はいわゆるデスゲームものであり、主人公は高額報酬のために命を危険に晒すゲームに参加することになります。もともと原作がデスゲームの元祖のひとつみたいなジャンルを確立した一作ですので、本作を観れば「なんか他のデスゲーム作品っぽいところが多いな」と思うかもですけど、本来は本作の原作が原点ですからね。
その原作がこの2025年に再び映像化されたのも、今の現実との近似性を考えるとあれですが…。
今作『ランニング・マン』で主演を務めるのは、今や福男のように成功を掴んでいる“グレン・パウエル”。今回も実に“グレン・パウエル”らしい主人公の存在感を放っています。
共演は、『WEAPONS/ウェポンズ』の“ジョシュ・ブローリン”、『シンシン/SING SING』の“コールマン・ドミンゴ”、ドラマ『ファウンデーション』の“リー・ペイス”、『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』の“マイケル・セラ”、ドラマ『TASK / タスク』の“エミリア・ジョーンズ”、『罪人たち』の“ジェイミー・ローソン”など。
動画サイトやSNSの低俗なコンテンツを延々とスクロールして眺める時間があったら、映画館で『ランニング・マン』のようなちゃんとクリエイターが魂を込めて作った作品を観るほうがよっぽど有意義じゃないでしょうか。
『ランニング・マン』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | ヌードの描写が一部にあります。 |
『ランニング・マン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
コープ・シティの薄汚い曇った空気に覆われたスラム街でブルーカラー労働者として地道に働いていたベン・リチャーズは、幼い娘キャシーを育てる父でもありましたが、娘が病気になり、薬を求めていました。しかし、自身の労働組合活動を問題視され、職場からも排除され、娘の薬を買うことができません。声をあげてもあっけなく追い返されるだけです。
そのとき、テレビの番組の宣伝が目に入ります。それは『ランニング・マン』というデスゲーム番組でした。この社会を支配する「ネットワーク」は低俗で野蛮な動画コンテンツで大衆を熱狂させ、都合よく満足感を与えていました。
この『ランニング・マン』はその中でもとくに凶悪な番組のひとつで、出演者は「ランナー」として参加し、5人のハンターと一般市民が追跡し、殺そうとするので、ひたすら逃げます。範囲に制限はありません。中継される中、30日間生き延びられれば、10億ドルが手に入ります。
他にもクイズ番組など報酬が手に入るものはありますが、この『ランニング・マン』を圧倒的な高額報酬はありません。そこまで無謀ではないベンはとりあえず危険度の低そうな番組に出ることを検討し、妻シーラに相談します。妻ばかりに働かせるわけにはいかないという焦りがベンを突き動かします。
さっそくオーディションに足を運ぶべく、都心部のネットワークの高層ビルへ。すでに長蛇の列です。老若男女、身なりからみんな貧困なのだろうと察せます。病気で誰かが倒れようとみんな助けません。自分のことで精いっぱいでした。ベンは正義も何もないこの世界に苛立ちを隠せません。
受付で対応の冷たさについ拳がでてしまいますが、今はオーディションに集中です。あらゆる運動能力をテストされます。体力だけは自信がありました。危険な職場で鍛えてきたからです。
ところがエグゼクティブ・プロデューサーのダン・キリアンから『ランニング・マン』のランナーに抜擢されます。前金まで提示され、断ることはできませんでした。家族の安全も保証され、勝つしかなくなります。
どうやら一緒にテストに参加して知り合ったティム・ジャンスキーとジェニー・ラフリンも選ばれたようです。
名司会者のボビー・Tの盛り上げで番組は盛大に開始され、観客が下品に熱狂する中で、おなじみのルール説明があります。ランナーたちは1000ドルを与えられ、12時間だけ先行して解放されます。あとは逃げるのみ。毎日自分の姿を撮影しなければならないという制限があります。そのたびに居場所はバレるので、追っ手とカメラから逃げることを強いられます。
こうしてゲームは始まりますが…。

ここから『ランニング・マン』のネタバレありの感想本文です。
脳を腐らせるネットワーク
もともとの原作からしてかなり大味なディストピアを設定している作品ですが、テーマの芯にあるのは「低俗で享楽的なメディアが大衆を支配する最悪の道具になってしまう」という恐ろしさです。原作は1980年代に作られているので、当然、勢いを増していたテレビ業界を風刺していたのでしょうけど、無論、今はそのメディアの中心はテレビではなくインターネット。そして残念ながら、原作にて誇張されたあのディストピアの惨状は、今の時代ならそれほど誇張でもないような感覚になります。前述したとおり、それくらい現在のインターネット・メディアは酷い品質です。
“エドガー・ライト”監督版の『ランニング・マン』は基本は原作に忠実ながら、その世界観の風刺をしっかり現在に軸足を移していました。
今作の世界をメディア支配しているのは「ネットワーク」という組織。心なしか作中の「N」のロゴが「Netflix(ネットフリックス)」のロゴに見えなくもないですが、ともあれ巨大メディア企業が低俗コンテンツを流しまくって大衆の価値観を麻痺させています。原作とメディア名自体は同じですが、作中で映し出されるそのコンテンツ過多な粗雑さといい、まあ、その…狙っている感じはありますね。
例えば、映画内では『Americanos』というリアリティ・ショーが執拗に流れますが、ほんと、無意味な人間同士のやりとりです。かと思えば、貧困に苦しむ人を参加させて、エンターテインメントに変え、使い捨ての駒にする番組が視聴率を集める…。現実でも貧困を「貧困」と捉えず、コンテンツ消費する番組が山ほどありますし…。
ディープフェイクなんて、完全に今の時代に駆使される世論扇動ツールなので、フィクションに現実が追い付いてしまった最たる部分ですよ(こんなこと実現してほしくなかった)。
本当に酷い世界です。ただ、そこは“エドガー・ライト”監督というか、全体的に軽いトーンで世界観を構築させており、そこまで重々しくはありません。この映画そのものがまるでそんな下衆なカルチャーに取り込まれた産物ですよという自虐精神もあるかのようです。
それに、反ネットワーク活動家も登場しますが、その人も、こう言っちゃあれですけど、ずいぶんと低品質な動画配信で対抗しているんですよね。この「クソにはクソをぶつける」精神が、“エドガー・ライト”監督流かな、と。
オチ的に後半にでてくる“マイケル・セラ”演じるブラッドリーも愛すべきアホな奴で、こっちはデジタルから真逆に位置し、やたらアナログなトラップで敵をハメることに喜びを感じていて…。
一方の敵側なのですが、“ジョシュ・ブローリン”演じるダン・キリアンはわりとベタな悪役像なのでそれほど面白みに欠けるのですけども、“リー・ペイス”演じるエヴァン・マコーンはその強烈なビジュアルもあって、もっと描いてほしかったキャラクターではありました。この近年は“リー・ペイス”も良い味が出まくっている男優ですよね。
駆けろ、福男グレン・パウエル!
“エドガー・ライト”監督版の『ランニング・マン』で主演を飾る“グレン・パウエル”ですが、やっぱりさすが“グレン・パウエル”…見事にこの映画を“グレン・パウエル”色にして駆け抜けていました。
“グレン・パウエル”って、“トム・クルーズ”とかと比較されやすいですし、“トム・クルーズ”の継承者みたいに着目もされていますけど、見た目はよりマッチョなんですよね。実際、本作でもその筋肉ボディをみせるシーンがありますが、マッスル系の売り方でやっていける俳優です。
にもかかわらず、フィルモグラフィーでは筋肉はそれほど使わない役柄が多く、その「なんで自分を最大限に駆使しないんだ?」というチグハグさを逆に面白さにできる俳優だなと、いつも観ていて感じます。
最近は、映画『ヒットマン』やドラマ『チャド・パワーズ 人生コンバート大作戦』のように変装することが頻出していて、今作『ランニング・マン』でもバッチリ変装します。完全に変装ネタが俳優芸として板についてきています。
だから変な話ですけど、肉体を武器に戦っているときよりも、おかしな変装で場を誤魔化そうとしているシーンのほうが面白いという…。“グレン・パウエル”はハンサムさをよりシュールに器用に使いこなしている男優だというのが私の評価です。
『ランニング・マン』でもそれを再確認できました。
個人的には、今作でもうひとりのランナーだった“ケイティ・オブライアン”演じるジェニー・ラフリンとダブル主人公でも良かったですね。本作は全体的にボリュームに対して駆け足すぎるところが欠点なので、2人の主人公で役割分担しながら展開を整理してほしかったところです(ちょっとベンに全部背負わせすぎだったかもしれない)。
あのジェニーも女性たちとどんどん楽しみまくる快楽人生を謳歌しているクィアなハスラーなようなので、堅物なベンと組み合わせるといくらでも面白くなったのではないかと思いました。
本作『ランニング・マン』は最終的な顛末は原作から大きく変えており、ユーモアとエッジを利かせながら、この世界に反旗を翻す後押しをしています。“エドガー・ライト”監督としては現実社会でも闘ってほしいってことでしょうか。
はい、わかりました。じゃあ、まずはAIスロップを垂れ流すアカウントのブロックからですかね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ランニング・マン』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 Paramount Pictures. All Rights Reserved. ランニングマン
The Running Man (2025) [Japanese Review] 『ランニング・マン』考察・評価レビュー
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