いや、私たちは違う目的で歩くんだ…映画『ロングウォーク』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2026年6月26日
監督:フランシス・ローレンス
ろんぐうぉーく

『ロングウォーク』物語 簡単紹介
『ロングウォーク』感想(ネタバレなし)
スティーヴン・キングが歩いてくる
「戦争反対」の声すら「ヤジ」とみなされ、白黒のスナックのパッケージに反戦の願いを描くと「思想が強い」を揶揄される日本だと、今回、紹介する映画はとんでもなく過激な作品だということになってしまうかもしれません。
でもそれでいいんです。こんな極限の恐怖を味わいたくない…という気持ちを呼び起こすことは、フィクションだからこそ発揮できるパワーですから。「こんなの、エンタメでしょ?」と笑っていると、いつの間にか自分の後頭部に突き付けられた銃口に気づかないだけ…。
ということで、本作『ロングウォーク』です。
この“スティーヴン・キング”の小説『死のロングウォーク』はいつ映画化されるのだろうと思っていたら、ついに2025年に映像になりましたね。原作は“リチャード・バックマン”名義で1979年に発表した小説で、大学生の頃に最初に書いていた物語だそうで、“スティーヴン・キング”作品の中では最も悲観的で社会への幻滅が詰まった一作だと思います。
いわゆる「デスゲーム」の元祖とも評される原作ですが、同じく“スティーヴン・キング”のデスゲーム作である『ランニング・マン』も近い時期に映画化されたのはなかなかに運命を感じます。
『ロングウォーク』は、軍事政権となった架空のアメリカを舞台に、若者の男たちがあるイベントに参加させられる…という内容です。それはひたすら歩き続けるだけのシンプルなものなのですけど、遅れたり止まったりすればその場で撃ち殺されます。休み無し。歩みを止めることは許されません。最後にひとりが残るまで終わりません。
本当に映画のほとんどは歩いているだけです。でも緊張感はじゅうぶんすぎるほどですし、その背景に政治的なメタファーを読み解くのはそう難しくもないでしょう。
『ロングウォーク』を監督するのは、『ハンガー・ゲーム』シリーズでおなじみのベテランの“フランシス・ローレンス”。
一方、脚本には『ストレンジ・ダーリン』で才能をみせていた“J・T・モルナー”が抜擢されています。
俳優陣は、その内容ゆえに若者が多め。『リコリス・ピザ』で華々しく俳優デビューを飾った“クーパー・ホフマン”、『エイリアン:ロムルス』の“デヴィッド・ジョンソン”、ドラマ『ランサム・キャニオン』の“ギャレット・ウェアリング”、『スティーヴ』の“トゥット・ニュオット”、『荒野にて』の“チャーリー・プラマー”、『ベスト・キッド:レジェンズ』の“ベン・ウォン”、『Sweet Summer Pow Wow』の“ジョシュア・オジック”など。
そして、しれっと出演する“マーク・ハミル”。俳優業を引退せず、まだまだたっぷり濃い演技をみせてくれて嬉しいです。やっぱり悪役の“マーク・ハミル”はいいなぁ…。
この『ロングウォーク』を観た後は、権力への怒りを背中に背負い、一緒に歩いてくれる仲間と、どこかの道を歩けるとなおいいですね。
『ロングウォーク』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 暴力的な描写が多々あります。 |
『ロングウォーク』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
20世紀のアメリカは内戦によって全体主義の軍事独裁政権が樹立し、軍部による高圧的な統制が行われる中、社会には貧困が蔓延していました。
そこで政権は「ロングウォーク」という年1回のイベントを開催することにします。これは全州から各ひとりずつ10代の少年が選ばれ、全員で一斉にひたすらに歩くというもの。しかし、これは競歩のようなスポーツではありません。参加者はその歩みが時速3マイル(4.8キロ)を下回ってはいけず、速度が下回ったり、停止すると警告され、3度目の警告でその場で射殺されます。最後の1人になるまで歩き続けなくてはいけません。
この最後の1人になると、多額の賞金と、ひとつ願いを叶えるという特権が与えられます。
メイン州出身のレイモンド・“レイ”・ギャラティは、母親のジニーに車でカナダとアメリカの国境近くの「ロングウォーク」のスタート地点まで送ってもらっていました。
ジニーはなるべく平然と振る舞って別れを告げるも、急に取り乱して抱きしめます。参加辞退の期限は過ぎていましたが、レイに辞退するように懇願します。しかし、レイはもう無理だと諭します。数日後には戻ってくるからと言い聞かせ…。
たいていの選ばれた参加者はそれぞれの事情ゆえに参加を断りません。
レイはゲートを通過し、同じく参加者のピーター・“ピート”・マクヴリーズと会話。他の参加者も地べたに座っています。
ビリー・ステビンズ、アーサー・“アート”・ベイカー、コリー・パーカー、ゲイリー・バーコヴィッチ、ハンク・オルソン、リチャード・ハークネスなど、軽く自己紹介します。
そこにサングラスの少佐がやってきて、それぞれの名前を呼び、番号を与えます。レイは47番です。
少佐は威圧的にあらためてルールを説明。罵声を浴びせながら参加者を焚きつけます。
ついに各自立ち上がり、スタートの合図とともに歩き出します。盛大なセレモニーもない、静かな出発です。
太陽が照り付けるアスファルトの上、軍車両が先導する中、ゆっくり行進のように歩く一同。しかし、表情は緊張に包まれています。後ろからも軍車両が監視しており、カメラも常にこちらを撮っています。きっと今の映像は放送され、国民は視聴しているはずです。
一同の中には談笑しながら、それぞれの緊張を和らげる者もいます。随行する兵士から水などは貰えますが、足を止めることはできません。
ゲイリーは一時、靴紐をなおすためにその場にしゃがみ、何度か警告を受けますが、ギリギリで歩き出します。
そんな中、若くみえるトーマス・カーリーという少年が、急に足をつって苦しそうにします。レイは落ち着かせてサポートしますが、苦痛に顔をゆがめて尻もちをつくトーマス。頭を抱えて泣き喚くも、彼は容赦なく撃ち殺されてしまいました。
ひとりめの犠牲者に参加者全員があらためてこの状況を理解しますが…。

ここから『ロングウォーク』のネタバレありの感想本文です。
自国に殺されていく若い国民男子たち
原作小説が出版されたのは1979年ですが、“スティーヴン・キング”は自身が学生だった1960年代頃にこの作品を考案していたということもあり、原作は批評家からベトナム戦争を暗示していると分析されたそうです。真っ只中でしたからね。
確かにベトナム戦争に限らず、この作品のシチュエーションは軍国主義への痛烈な批判であると解釈することはそう突飛ではない…というか、もろにそうでしょう。
若い男性が招集されるというのは徴兵そのものですし、一応は参加は任意であるものの、結局は個々の事情ゆえに参加せざるを得ない流れになる空気感も同じです。貧しいから、男らしくなりたいから、愛国心を示したいから…どういう背景であっても、それはある種の政治的な力の上で操作されています。
そして「歩く」という行為はそのまま軍隊における非人道的で過酷な訓練を投影します。パワハラよりもさらに酷い、若者を非人間的に扱うことが当然の世界。若い男性たちがいかにも体育会系なマッチョイズム全開のイベントをとおして、男らしさを強要され、脱落すれば価値なしとして排除される。これこそ軍というシステムの恐ろしさだ!という恐怖を突きつけてきますが、それがデスゲームの根源なんですね。
映画『ロングウォーク』は“J・T・モルナー”脚本なだけあり、蛇足な展開はほぼ入れ込ませず、ストイックに緊迫と戦慄を表現していました。
各参加者が殺されていくシーンはどれも本当に無残で、勇ましさなんてものとは無縁の光景です。愛国心の名のもとに自国に殺されていく若い国民男子たち…。泣き叫ぶ者もいれば、精神が崩壊する者もいる…。
最も冷笑的だったゲイリー・バーコヴィッチのあの死は象徴的だったと思います。ゲイリーの振る舞いって、現代でもみられる典型的なものです。「戦争反対って叫ぶ奴とか焦りすぎでしょ? こんなの怖くないよ、俺はね」みたいな感じで世間をヘラヘラと笑って強がっていればどうにかなると思っている若者。しかし、どんなに現実逃避して社会の権力の恐ろしさから目を背けても、その瞬間に自分は壊れてしまう…。
個人的に演出として一番良かったのは、主人公のレイと母親のシーン。作中で現在において2回の対面シーンがあるのですが、ベタにエモーショナルな感じにせず、もはやジャンプスケア並みに恐怖させる演出になっていて…。1回目の「やっぱり離れたくない!」という後悔と、2回目の「離れてくれ!じゃないと殺されてしまう!」という切望は、どちらも同じ感情の上に成り立っているのですけど、感動よりも怖さが際立つのはこの映画らしさでした。
今の日本の某防衛大臣にも観せてやりたい映画ですが、「いや~、マーク・ハミル演じる少佐がカッコよかったです!」とか、普通に笑顔でコメントしてきそうで怖い…。
「歩く」ことの意味が反転する
映画『ロングウォーク』は後半は(実際は序盤からずっとそうなのですけど)、陰惨な行進となっていきます。もはや死ぬための行進です。さながら捕虜や囚人に過酷な長距離移動を強制させる「死の行進」そのものの様相になってきます。
このイベントの建前の目的は愛国心の喚起であり、だからこそメディアでも放映しています。黙々と歩くあの若者たちは愛国精神の模範であり、犠牲者は悲劇の美談に利用し、唯一の勝者はヒーローとして崇める。
しかし、あの参加者たちはただ黙って国に利用されるだけでは終わりません。
そもそもレイは反体制派の父親の死に対する復讐心を胸に参加を決めており、国への従順さなんて微塵もありません。
「歩く」という行為はいつの間にか、それ自体が反権力のための行動に様変わりします。これは原作の時点から非常に巧みな表現だなと思っていました。行為の意味合いの反転によって、視覚的にはただ歩いているだけの展開が静かに、でも劇的に変化するのです。
レイたちの歩みはまるで権利を求める行進(抗議デモ)とそう変わらなくなっていきます。ベトナム戦争の時代はカウンターカルチャーも盛んになっていましたからね。これも時代の投影です。「fuck the long walk!」の掛け声とともに、若者のエネルギーは体制への反逆に消費されていきます。
ちなみに、原作だと、レイとピートの間にはわりとあからさまな同性愛関係の提示があるのですけど、今回の映画版だとほぼ深い友情くらいの解釈にとどめられる程度に収まっています。
でも映画版は最後にレイとピートのさらに切なくなった展開が待っています。ここは原作と明確に異なる部分です。
最終生存者が誰であれ、もともとこの展開は現実的に考えるとやや変なのですが、これは“スティーヴン・キング”作品なのでね。あの少佐も、某ピエロとかと同類の、悪魔的な存在だと思えば…。
少佐を撃ち倒しても平和が手に入るわけではない。暴力に依存した若者に待つのは、暴力の永続する世界です。それもわかっていたはずなのに、その引き金を引く手を止めることはできなかった…その苦悩もわかる…。ゆえに歩き続けることになります。終わっていないことを示すかのように…。
ちょうど同時期の映画『ランニング・マン』とは方向性が逆のラストの余韻ですよね。どっちかと言えば『フルメタル・ジャケット』を露骨にダークにしたような幕引きでしょうか。私としてはこっちのほうが好みなので、このラストで全然良かったです。最近は「希望」が流行りですが、たまには「幻滅」を描く映画もあっていいと思いますし。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ロングウォーク』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2026 Lions Gate Ent. Inc. All Rights Reserved. ザ・ロング・ウォーク
The Long Walk (2025) [Japanese Review] 『ロングウォーク』考察・評価レビュー
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