クィアのアレゴリーとしてのカニバリズム…映画『ボーンズアンドオール』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年2月17日
監督:ルカ・グァダニーノ
ゴア描写 恋愛描写
ボーンズ アンド オール
ぼーんずあんどおーる
『ボーンズ アンド オール』あらすじ
『ボーンズ アンド オール』感想(ネタバレなし)
骨の髄まで愛してる?
自分の恋人に対して、いくらその人が大好きであっても「食べちゃいたいくらい好きだ」とか「骨の髄まで愛している」なんて言葉を口走ったら、さすがにドン引きされる確率の方が高いかもしれません。
まあ、明らかに猟奇的な一線を越えているような気がしますからね…。当然と言えば当然です。
でも双方・両者の人権や同意に基づくなら、どうやって愛情を表現するかは個人の自由なので、それはそれで好きにしてくれていいのですけど…。
この「食べちゃいたいくらい好きだ」や「骨の髄まで愛している」といった愛情表現言葉がむしろピッタリに当てはまるような映画が、今回紹介する作品です。
それが本作『ボーンズ アンド オール』。
この『ボーンズ アンド オール』、もう日本の宣伝でもがっつり説明されているので、ここはネタバレしてもいいという判断でこちらも望みますけど、この映画は「カニバリズム」…つまり、人が人を食べる「食人」を題材にしています。
カニバリズム作品と言えば、2022年もあんな映画やこんなドラマなど、結構いろいろあったのですが、事前にこれはカニバリズム要素があると示さず、情報が伏せられていることも多いです。でも今作では全面的に打ち出していますね。そこ抜きでこの映画の何を語るんだという話ですけどね。
ただ、こういうタイプの映画にとりあえず「賛否両論」って宣伝しちゃう日本の配給のやり方はダサいと思いますよ。基本的にどんな映画も称賛もあれば、否定意見もあります。全ての映画が賛否両論なのです。しかし、カニバリズムみたいにタブーな要素だったり、過激な内容があると「賛否両論」ととりあえずつけるというのは日本でよく観察できる宣伝文句なのですが…。
「賛否両論」と煽って観客を映画館に呼び寄せても、映画鑑賞体験にプラスになることはないと私は思うのですよね。配給なら自分の扱う映画を自信を持って送り出すべきだし、中立ぶるなよと思いますし(第3者のメディアが論評するときなら賛否両論という言葉を用いてもいいかもだけど)、たぶん観客はそういう賛否なんて薄っぺらい評価軸ではなく、この映画の自分も気づけないような面白さを知る道案内を配給会社に求めているんじゃないかな。
話を戻して、『ボーンズ アンド オール』です。物語はカニバリズムということを除けば、1980年代のアメリカを舞台にしたロードムービーとなっており、食人の衝動を抑えられないひとりの少女が、同じ境遇の若い青年と出会い、親交を深め、愛を築いていく…ロマンス・ムービーにもなっています。
主人公を演じるのは、『WAVES/ウェイブス』でも印象的な演技を披露した若手の“テイラー・ラッセル”。今回は「肉」を食います。
そしてその“テイラー・ラッセル”と隣り合うのは、あの“ティモシー・シャラメ”です。現行の若手俳優の人気トップクラスの“ティモシー・シャラメ”もやっぱり今回は「肉」を食います。もぐもぐです。それにしても“ティモシー・シャラメ”だと「肉」を食う姿もカッコいいんだなぁ…。
このキャスティングでロマンス&ロードムービーとなると、なんだかヤングアダルトものっぽい空気感を漂わせますが、監督があの人なのでベタにはいきません。
その監督とはイタリアの“ルカ・グァダニーノ”です。“ルカ・グァダニーノ”監督と“ティモシー・シャラメ”の組み合わせと言えば『君の名前で僕を呼んで』ですが、あちらも一筋縄ではいかぬ苦悩と切なさが滲む恋愛映画でした。『ボーンズ アンド オール』もその類です。カニバリズム要素が追加されているわけですから、監督の作家性と合わせて癖があるだろうことは察しがつくと思います。今作でヴェネツィア国際映画祭にて銀獅子賞を獲得し、キャリアも絶好調を継続中。
なお、『ボーンズ アンド オール』の原作は、“カミール・デアンジェリス”という作家が2015年に執筆した「Bones & All」という小説です。当初は『悪魔はいつもそこに』の“アントニオ・カンポス”が映画化の企画にて監督する予定だったそうです。
カニバリズムゆえにレーティングは「R18+」となってしまっていますが、俳優ファンも気構えすることなくぜひ鑑賞してみてください。
以下の後半の感想では『ボーンズ アンド オール』をクィアの文脈で分析しながら語っていたりします。
『ボーンズ アンド オール』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :カニバリズムでもいいなら |
友人 | :見る人を選ぶけど |
恋人 | :変化球なロマンス |
キッズ | :R18+です |
『ボーンズ アンド オール』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):その衝動は抑えられない
バージニア州のとある普通の学校。ひとけのない教室でピアノを弾く女子がひとり。そのマレンのもとにもうひとり女子が寄ってきて、隣で家のパーティに誘ってくれます。あまり友達はいなかったマレンでしたが、その女子が気さくに誘ってくれて心が動きます。
父の車で迎えに来て一緒に帰宅するマレン。「おやすみ」と口にし、マレンは自室で眠りにつく…わけではありませんでした。
様子を窺い、靴を履き、窓を開けて外へ。パーティをしているあの子の家へ到着。息を落ち着かせ、ドアを叩くと温かく迎えてくれます。
泊りは無理で6時までに戻らないといけないと言いつつも、横に並んで語り合う時間は穏やかでした。そのフレンドリーな女子はマニキュアを塗った指を見せてくれます。マレンはその指におもむろにかぶりつき、食いちぎりました。
一瞬の沈黙、そして絶叫。ズタズタになった指を前に、ショックで大混乱の中、慌てて家を出るマレン。すぐさま帰宅すると、父は「やったのか」とそのひと言だけで事情を把握し、支度しろと急がせます。「警察が来る前に逃げないと」
次の家。マレンは目覚めて、父を起こそうとしますがいません。その代わり机にわずかばかりのカネとテープ。再生すると「もう会うことはない。無理だ、助けられない、何もできない、自分で解決しろ」という父の言葉が録音されており、マレンは父が自分を捨てたことを察します。
泣き叫んで悲しみを露わにしますが、ずっとそうしてもいられません。同封された出生証明書には母の住所が記されており、そこに向かおうと決心します。かなりの距離です。
バスに乗って、夜はベンチに座って野宿しようとしますが、雨がポツポツと降ってきます。
雨宿りしていると、暗闇からふらふら歩いてくる大人が目にとまります。その初老に見える男は「君を探しに来た。匂いがした。最後に食べたのはいつだ?」とマレンの衝動を知っているかのような口ぶりです。
不審に思いながらもついていくと、その男はサリヴァン(サリー)という名で、マレンと同じ人間のようです。彼はルールがあることを語り、「同じ族(イーター)を食べるな」と忠告します。
今いる家は他人の家。「私だけだと思った、大勢いるの?」と聞くと「多くはない」とサリーは答え、マレンは家を探索。鼻を駆使して臭いで理解しようとします。2階へ上がると半死半生の高齢者が床に倒れており、助けを呼ぼうとしますが、制止されます。生きるには食べるしかないのか…。
翌朝、サリーは食事をしており、飢えたマレンも一緒に這いつくばり、食事をとります。それが終わり、血塗れのまま会話。サリーは今まで食べた人間の髪を三つ編みで結んで数メートルの長さになるものを大事に持ち歩いていました。
なんだか不気味に思えてマレンは抜け出してバスに飛び乗ります。それをサリーは見つめていました。
店で万引きしようとしていたところ、乱暴な口調の男を見かけて怒鳴ろうとしましたが、別の若い男が叱りつけ、その男は追われつつ、店を出ていきました。
店を出たマレンは半裸のあの若い男に出会い、「奴は向こうで死んでいる」と言われます。匂いでわかりましたが、彼も同族です。
思い切って声をかけますが、人付き合いはしないらしく、男は背を向けます。でも「乗っていくか?」と誘われ、マレンは男が食べた男のトラックで出発。互いに自己紹介。男はリーと名乗ります。
一夜明け、2人は出発。こうして2人は交流していき、しだいに特別な想いを抱いていきますが…。
あの俳優が恐ろしすぎる
“ルカ・グァダニーノ”監督はイタリアの人なので、イタリアと言えばやっぱり“ダリオ・アルジェント”などに代表される「ジャッロ」、もしく『世界残酷物語』の“グァルティエロ・ヤコペッティ”的な1960年代に流行したショッキングなモンド映画が思い浮かびます。“ルカ・グァダニーノ”監督も2018年にあの名作『サスペリア』を大胆に再構築して生まれ変わらせていますし、今回の『ボーンズ アンド オール』もそんな感じなのかなと観る前は思ってました。
実際に鑑賞してみると、そこまで露骨にスプラッタな感じでもなかったですし、ごりごりにバイオレンスで暴れまくる映像ではありませんでしたね。
もちろんそうは言ってもカニバリズムなので、人を食べる残酷な描写はあります。序盤のマレンが何気なく女子と談笑している、いかにもガールズ・トークな場で、ごく自然に指を食いちぎる動作が紛れ込んでいくあの「パクっ」という擬音をつけたくなるシーン。『RAW 少女のめざめ』でも観たような、衝動的な食人の描き方でした。
ロードムービーの路線に安定して入り始めると、ゆったりしたペースになるのでジャンルとしてはわかりやすいですが、少しスリルは減退してやや集中が切れます。
でも相変わらずの絵になる“ティモシー・シャラメ”の存在感もあって、見ごたえまで消滅することはありません。
ただ、個人的に本作のベストアクトはやはり“マーク・ライランス”演じるサリーでした。あの初登場時からの「こいつ、ヤバそう…」という佇まい。何をしでかすかわからないので、このサリーが登場しているシーンの緊張感は別次元です。サイコパスとかベタな殺人鬼とも違う、一見すると普通のセリフしか言っていない、でも怖い。同じ食人の側なのに得体のしれない恐怖を感じさせる存在感を演技ひとつでだせる…“マーク・ライランス”、さすがの技ですよ。あの人に夜中に出会ったら、私は眠れなくなるな…。
物語のオチとしては、この手のタイプの作品なら珍しくないやつです。瀕死の重傷を負って回復不能になったリーをマレンは食べるという衝動で迎え入れる。こういうのを究極の愛とかの言葉で修飾するのは安っぽいですが、物語として綺麗に畳まれていました。
クィアの文脈で読み解いてみる
『ボーンズ アンド オール』は表面的にはカニバリズムな異色のロマンス&ロードムービーです。しかし、クィアの文脈で読み解いていくこともでき、非常にクィアなアレゴリーで溢れているのがわかります。
“ルカ・グァダニーノ”監督は、『君の名前で僕を呼んで』はもちろんのこと、ドラマ『僕らのままで WE ARE WHO WE ARE』でもクィアをふんだんに盛り込んで青春を描いてきたクリエイターですが、自然にクィアな要素が染み込むのかな。
例えば、冒頭。マレンが女子会みたいな集まりに混ざるシーン。親密に接してくれる女子との一瞬の空気感は非常に同性愛的なエロティシズムの匂いを感じます。でもマレンが食人という衝動を発露してしまったとき、マレンはその場にいられなくなる。このへんもクィアな境遇に重なります。
それだけでなく、マレンはこの後に父親に捨てられ、家庭という居場所を完全に失います。父や母からのネグレクトという点も、1980年代を舞台にしていることも考慮すれば、この時代に生きるクィア当事者にはよくあることです。
そしてひとりぼっちになる中、サリーやリーといった同じ側の人間に初めて出会い、「自分以外にもこういう人はいるんだ」と知る。この経験もとてもクィアな人生の出来事ですよね。
また、実は食人の同類であった母は精神科施設に入所させられており、自傷的な行為にも走っている。こうした劣悪な扱いは、LGBTQの迫害の歴史と重なります。
印象的なのは、クィアのアレゴリーと言っても、クィアを描けないから代用としてカニバリズムを描いた…わけじゃないということ。作中では、ちゃんと本来のクィアは存在しており、しっかり描かれてもいます。1980年代なので表社会で堂々と振舞えるわけではないですが、遊園地でリーが男をクルージング(ゲイが同じゲイの仲間と密会し、関係を持つこと)するような振りをしつつ、その男を食べたりしていました。このシーンは何かとネガティブなイメージで描かれることもあったクルージングという表象に少し変化を加えて、ステレオタイプを揺るがしているのが特徴です。
こうなってくるとカニバリズムは何を意味するのかと考えたくなります。私なりの感想としては、本作のカニバリズムは「まだ認知されていないクィアの存在」を暗示するのかなと思います。ラベルすら持ち合わせていないけど、この世界で生きている「クィア(仮)」がいる。
となれば、サリーの存在はクィア・コミュニティの中における有害なクィアという感じでしょうか。別にクィアが全員良識人というわけではないですからね。クィアを脅かすクィアだっています。
支えも何もないマイノリティは先人たちの骸を食べながら、それを糧にして生きるしかない。苦しさを抜きにして、思う存分にお腹いっぱいに食べられる幸せな未来が待っているといいな…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 82% Audience 61%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved. ボーンズ・アンド・オール
以上、『ボーンズ アンド オール』の感想でした。
Bones and All (2022) [Japanese Review] 『ボーンズ アンド オール』考察・評価レビュー