完壁がそこにある…ドキュメンタリー『フリーソロ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年9月6日
監督:エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ、ジミー・チン
フリーソロ
ふりーそろ
『フリーソロ』あらすじ
世界的に著名なクライマーとして活躍するアレックス・オノルドには、1つの夢があった。それは、世界屈指の危険な断崖絶壁であり、これまで誰もフリーソロで登りきった者はいない、米カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にそびえる巨岩エル・キャピタンに挑むこと。この前人未到のフリーソロのために幾度の失敗と練習を重ねてきたオノルドは、2017年6月3日、ついに挑戦を開始する。
『フリーソロ』感想(ネタバレなし)
スパイダーマンでも失禁する
「完璧」という言葉の「ぺき」の漢字は「壁(かべ)」ではなく、「璧(へき)」だ…というのは知っている人は理解している常識な話(『史記 廉頗・藺相如列伝』という故事に由来し、これは中国の戦国時代の「和氏の璧」と呼ばれる趙の国の宝物にまつわる話で、「璧(へき)」は古代中国で祭祀用あるいは威信財として使われた玉器のこと)。
だからこの感想記事のタイトルも間違っているのですが、これはわざとやっています。なぜなら、今回の作品にぴったりな言い回しだと思ったので。まさに、完、壁、ですよ。
その作品とは本作『フリーソロ』です。ドキュメンタリーであり、2018年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞し、それだけにとどまらず各所で大絶賛されています。ナショナルジオグラフィック・ドキュメンタリーフィルムズ製作のこの作品がなぜここまで反響を呼んでいるのかと言えば、観れば誰でもその凄さを実感できるからだと思います。
本作はクライマーである「アレックス・オノルド」の壮大で危険な挑戦を生々しくとらえた衝撃的な映像です。その挑戦とは、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園にそびえ立つ「エル・キャピタン」という巨大な岩を「フリーソロ(フリーソロクライミング)」するというもの。
まずここで「フリーソロクライミング」について理解していないと「何それ?」となりますね。よく似た言葉に「フリークライミング(Free climbing)」というのがあって、これは「落下防止の安全装備を使うが、登るための補助になる装備は使わない」という登り方。一方、「フリーソロクライミング(Free solo climbing)」は「落下防止の安全装備さえも使わない」という登り方。つまり、ロープとかピッケルとか、その手のアイテムは一切使用せず、自分の手と足だけで登り、なおかつ「手を滑らせて落下しても命綱があるから平気」ということもない。落ちたら、即、死に直結する。そういうあまりにもデンジャラスすぎる登り方なんですね。
正直、私は意味わかりませんよ。私なんて普段、歩道を歩いているときだって安全装備が欲しいくらいなのに。なんで危険な山登りで安全を保障してくれる装備をわざわざ捨てるのか…。
しかも、本作『フリーソロ』でアレックス・オノルドがフリーソロする「エル・キャピタン」という場所は、普通の山じゃないのです。巨岩と書きましたが、巨壁です。花崗岩の一枚岩(モノリス)でできており、その高さは900mを超えます。ほとんど岩壁なので、手や足を引っかける部分なんて素人目には全くないように見えます。そこを登るのです。
トム・ホランド版スパイダーマンでも恐怖で失禁するレベルの、尋常じゃない行為。たぶんトム・クルーズでもこれは尻込みするでしょう(するよね?)。
登る人も凄いが、撮影者も凄かった
そして、本作がここまでの高評価を得ている理由は、その挑戦の凄まじさもあるのですが、同時に撮影が凄いんですね。
これまでもこういう山岳系ドキュメンタリーというのはいくつかありました。いずれも登山者の登っている姿をおさめた映像が使われますが、それは登山者本人が身につけている、もしくは同行者が撮影した、いわゆる記録映像を使用しているのがほとんどです。それはそれで迫力があって、まるで一緒に登っている仲間のような感覚に観客はなるものでした。
しかし、『フリーソロ』は違います。本作の監督は二人いて、“エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ”と“ジミー・チン”は夫婦なのですが、このうち“ジミー・チン”という人物はそれはそれは名高い実力のあるクライマーなんですね。『MERU メルー』というドキュメンタリーで、“ジミー・チン”がヒマラヤ・メルー峰シャークスフィン登頂に挑む姿をおさめ、この作品でも監督を自分でしています。
そして、作中でもアドバイザーとして頼もしい味方になってくれている“トミー・コールドウェル”もまたベテランのクライマー。この人物は、『The Dawn Wall ドーンウォール』というドキュメンタリーで、『フリーソロ』の舞台であるエル・キャピタンのドーン・ウォールというルートのフリークライミングを達成する姿が描かれ、一躍有名になりました。
つまり、あらゆる山を制覇したプロフェッショナルたちが挑戦におけるアドバイスをしてくれるだけでなく、撮影にも回ってくれているのです。
結果、通常では考えられない凄い撮り方が実現できていて、さながら映画のダイナミックな撮影で生まれた映像のようです。
「どうせドローンで撮ったんでしょ?」と疑う人もいるかもですが、撮影者も一緒に登って撮っています。もちろん撮影者側は安全のためにロープ等を使っていますが、ロープで体を固定して岩壁に横立ちして撮ったり、場合によっては少しせり出した岩壁からロープでぶら~んとぶら下がって撮っていたり、もうどこからツッコんでいいのやらですよ。
ドローンで良くない?と思わず余計な一言を言いたくなりますけど、まあ、こだわりなんでしょうね…(もしかしたら市販の通常ドローンはだいたい高度500m程度で飛行制限がかかるので無理なのかもしれないですけど)。
挑戦者も凄いし、撮影者も凄いという、人を超えた“超越人類”が生み出したドキュメンタリー。そう言っても過言ではない、『フリーソロ』。どうりで私は蚊帳の外なわけですよ。
これから鑑賞するという方は、ぜひ先ほど名前を挙げた2つの山岳ドキュメンタリーを事前に鑑賞しておくと良いです。『MERU メルー』→『The Dawn Wall ドーンウォール』→『フリーソロ』と続けて3部作みたいな感じで位置づけられますし、『フリーソロ』を3部作最終章として考えると、感動とその挑戦への畏敬の念が倍増しますから(2019年9月時点では『MERU メルー』はAmazon Prime Videoで、『The Dawn Wall ドーンウォール』はNetflixで視聴できます。すでにサービス利用者の人はそのまま無料で見られるでしょう)。
高所恐怖症でなくともガクブルする映像体験。劇場ならまた格別の体感です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(高所恐怖症でなくとも怖い) |
友人 | ◎(衝撃映像で盛り上がる) |
恋人 | ◯(愛もテーマです) |
キッズ | ◯(諦めない心を刺激します) |
『フリーソロ』感想(ネタバレあり)
観たのを後悔したくなる拷問的時間
『フリーソロ』は冒頭から観客を絶え間なく不安にさせる映像をお見舞いしてきます。
前述したように撮影者も一流のクライマーだからこその、クライミングという行為を最大限におさめつくそうとするかのような映像。下から登っている姿を覗くようなカット、ほんのわずかなでっぱりに足や手をかけるカット…。一挙手一投足が全部映し出されていきます。
これらの映像が映るたびに、席に座って見ているだけのはずの私の体がぶわっとなって“落ちる感覚”に陥るわけで…。ほんと、やめてくれっていう…。
いよいよアレックス・オノルドのフリーソロが開始する後半のシーン。時間にすれば短いのですが、なんでしょうか、あの体感的な長さは。2017年6月3日、早朝。ついに登り始めるアレックス。ここから撮影チームも観客も固唾を飲むことに。自分は登っていないのに生きた心地がしない、一種の見ていることしかできない拷問のような時間。
これが一般的なスポーツなら、普通に爽快感があるじゃないですか。マラソンとかなら、「頑張れ~」と応援したくなるじゃないですか。でもこのフリーソロは声を発するのもダメな気がしてくる。そんな張りつめた空気にどうにかなりそうで…。作中でも、アレックスの挑戦を下で見ているスタッフが目に涙を浮かべて泣きだしていましたけど、そりゃあ、そうなりますよ…。
岩の隙間に体を挟めながらジリジリ登るシーンとか、なんか冷静になると凄いバカっぽいことをしているのに、全然ふざけたことを思考する余裕がない自分。「空手キック」という股を広げて岩場に足を伸ばしてかける技もありましたけど、「正直、その名前はどうなんだ」と思うけど、それどころじゃない…。
心臓らへんが常時ゾクゾクする極限の緊張で、私の寿命が数年縮んだと思います。私もなんでこんなドキュメンタリー見ているんだ、と自問自答しましたとも。
でも“やり遂げてみせてしまった”アレックスという男。
なんか最近、手本にもならない“良くない人間”をたくさん目にする機会が増えましたけど、こうやって真に称賛に値する人間を見られるのは、本当にいいものだな、と漠然と思ったのでした。
パートナーは、人生の命綱
一方で、『フリーソロ』では、この偉大な功績を残したアレックスという男の普通な一面を描きだしてもいます。
そもそも彼は普通の人以上に普通な感じのする人間です。非常にストイックな性格で、菜食主義者でアルコールすら飲まない。無神論者で、宗教的な信仰心を糧にしているわけでもない。こうなると何が彼をそこまでロック・クライミングに駆り立てるのだろう?と思うのですが、まあ、きっとロック・クライミング自体が彼の全てなのでしょう。
また、本作ではアレックスの存在を支えている人たちにもスポットがあたり、これも山岳ドキュメンタリーではよくあるスタイルでありながら、その描く必然性を強く感じるところ。
登るのはひとりですけど、その裏では仲間に支えられている。アレックスの最愛のパートナーであるサンニ・マッカンドレスの存在は重要で、大きく取り上げられていました。この二人の夫婦の姿も微笑ましいです。対等なペアとしての信頼を強く感じます。そういう意味ではサンニはアレックスにとっての命綱のような人間だったのでしょう。
本作がクライマー経験のあるパートナーを持つ夫婦で監督されたものだということも、影響は大きいだろうというのは言うまでもありません。
別に結婚が大事だとか、独身がダメだとか言いたいのではなく、“人は孤独では何も成し遂げられない”というひとつの事実。それを壮大な挑戦によって証明したようなものではないでしょうか。
なんだ、ただのユニコーンか…
で、たぶん観ていた人の中にはかなり気になっている人も多いのではないかという、あのいよいよ本番というフリーソロ・チャレンジの一瞬の乱れも許されない緊張感の中で突如出現した、謎の着ぐるみ登山家。場違いにもほどがある、あれは何だったのか。
この人は「Forest Altherr」というクライマーで、ユニコーンのスーツを着て山に登ることでちょっとした話題の人だそうです(もっぱらこのドキュメンタリーのせいで注目が注がれたみたいですけど)。
以下のサイトで、その彼にインタビューした模様がレポートされています。やたらとユニコーンへの愛を語り、『フリーソロ』でのあの場面の状況を本人視点でも説明しているので、興味のある方はぜひ。
正直、コイツの存在のせいで一瞬の緊張感が台無しになったし、アレックスの挑戦がやらせなのかと思われかねない蛇足も蛇足なのですが、何と言いますか、これもクライマーの一側面。いろんな奴がいるのです。
アレックスもあのユニコーン男に全然動じていないのはさすがでしたね。やっぱり精神を極限まで集中すると、目の前に野生のユニコーン(二足歩行)が現れても無視できるんだなぁ…。
非常に感動的なフィナーレで終わる本作ですけど、実は「エル・キャピタン」をめぐる状況は少し予期せぬ形で変わってきているという話もあるそうです。というのも、相次いでこの場所でのクライミングが世間の注目を集めてしまったことで、ここに来て登ってみたい人が増加(ちなみに歩いていけるトレイルも整備されているとか)。関連して死亡事故も増えているようです。
なんか「混雑するエベレスト問題」を連想する事態ですね。選ばれし者だけの挑戦を受け付ける神聖な場所みたいな感じだったのに、それはそれでちょっと複雑な気持ちになります…。
それはさておき、この偉業に影を落とすことではありません。私もこれを見習って、人生の壁を頑張って登りたいと思います。安全装置はつけさせていただきますが…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 93%
IMDb
8.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 National Geographic Partners, LLC. All rights reserved.
以上、『フリーソロ』の感想でした。
Free Solo (2018) [Japanese Review] 『フリーソロ』考察・評価レビュー