ゆっくり幸せに辿り着く…映画『かたつむりのメモワール』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:オーストラリア(2024年)
日本公開日:2025年6月27日
監督:アダム・エリオット
自死・自傷描写 児童虐待描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
かたつむりのめもわーる
『かたつむりのメモワール』物語 簡単紹介
『かたつむりのメモワール』感想(ネタバレなし)
カタツムリも忘れずに
2024年の映画を対象にしたアメリカの第97回アカデミー賞にて、長編アニメーション映画賞の部門は『Flow』が圧倒的でした。なにせ国際長編映画賞にもノミネートされましたからね。
その傑出した作品の陰に隠れて若干目立たない扱いだったのですけども、このアニメーション映画も個人的にはもっと注目されてもいいと思った一作です。
それが本作『かたつむりのメモワール』。
本作はオーストラリアのストップモーション・アニメーションです。手がけたのは“アダム・エリオット”というオーストラリアのメルボルンを拠点にインディペンデントで活動するアニメーター。2009年に初長編映画『メアリー&マックス』を作り上げ、一躍界隈では話題に。そして久しぶりの長編となった今作『かたつむりのメモワール』にてアヌシー国際アニメーション映画祭でクリスタル賞(最高賞)を受賞しました。
“アダム・エリオット”は非常に作家性がハッキリしていて、人生で経験する辛い出来事や境遇が直球で描かれ、その中でも自分の居場所を見つけようとする者たちを、CGIなどデジタルは一切使わないというこだわりのストップモーションで丁寧に描き出します。
“アダム・エリオット”監督のこのスタイルは「clayography(クレヨグラフィー)」なんて称されるほどです。
そういうテーマ性もあって、『かたつむりのメモワール』は完全に大人向けのアニメーションなので、勘違いしないように(小さい子には不向きです)。とくに今作は児童虐待など大人に抑圧される子どもたちが生々しく映し出されます。
そしてこの『かたつむりのメモワール』、クィア・アニメーションでもあるということは声を大にして伝えておきたいところです。というのも、“アダム・エリオット”監督はゲイを公表している人で、本作も監督の人生経験が少し反映された内容になっているのでしょうね。異性愛規範を含めたさまざまな社会構造が家庭や宗教をとおして抑圧してくる世界が、戯画化されたキャラクターたちの中でも、現実と向き合わせます。
でもちゃんと抑圧や困難な人生の中でも幸せを見つける物語になっていますので、そこは安心してください。
物語としては、ある双子の子どもが主人公で、そのうちのひとりはタイトルのとおり、カタツムリが好きなのですが、その双子が親の死をきっかけに引き離されてしまい…という感じで幕を開けます。ファンタジーみたいな雰囲気をだしていますけど、舞台は1970年代のオーストラリアです。
どことなくダークな大人の寓話の『かたつむりのメモワール』は、孤立しているあなたにそっと寄り添ってくれるはずです。
『かたつむりのメモワール』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 同性愛者への差別や暴力の描写があります。また、摂食障害などメンタルヘルスの問題も描かれます。 |
キッズ | 性行為や児童虐待の描写もあるため、低年齢の子どもには不向きです。 |
『かたつむりのメモワール』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1970年代のオーストラリアのメルボルン。グレース・パデルは生まれてすぐに母アニーを亡くし、双子の弟ギルバートと生活することになりました。ギルバートはいつもグレースの傍にいてくれます。グレースは唇の上が少し裂けている口唇口蓋裂でしたが、その治療をするときも一緒です。
グレースは学校ではその口唇口蓋裂の特徴などを理由に同級生から揶揄われ、イジメられていましたが、ギルバートがそんなイジメっ子たちをときに乱暴に追い返してくれもしました。
フランス人の父パーシーもいましたが、酷い飲んだくれで、よく道端で倒れてもいました。それでもグレースとギルバートにとっては父です。今では想像つきませんが、父は昔はストップモーション・アニメーションに関わり、ジャグラーもやっていたそうです。そして母に出会いました。しかし、オーストラリアではジャグリングの仕事が上手くいきません。それどころか事故で下半身が動かなくなってしまいました。
一方の今は亡き母はカタツムリが好きだったようで、家にはオルゴールなど大量のカタツムリの品々が残され、それらに囲まれて暮らすことになりました。母に影響を受けたグレースもよく目玉のついたカタツムリのニット帽を被っていました。お気に入りです。
生きたカタツムリを飼うこともしていました。瓶に入れると2匹のカタツムリは交尾し、子どもができました。グレースにとってはカタツムリが友達です。
ギルバートは火に関心を持ち始め、火遊びがどんどん過激になっていきます。危険が好きなのです。パリで火吹き大道芸のパフォーマーになるのが夢でした。
ある日、ギルバートと父と3人で遊園地にも行きました。ジェットコースターは解放感があり、普段は運動に不自由にしていた父も楽しそうでした。3人の大切な思い出になります。
しかし、父は家でいつものように眠っている間に亡くなってしまいます。あっけないものでした。
親を失ってしまったグレースとギルバートはまだ子どもなので、代わりの保護者を見つけないといけません。そして里親のもとに行くことになりましたが、グレースとギルバートはそれぞれ別の里親になってしまいます。引き離されるということです。
こうしてグレースとギルバートは同じオーストラリアでも、全くの反対側の地理的位置にある里親の家に送られました。
互いに手紙を送り合い、少しでも繋がりを保とうとしますが…。
過酷な境遇は現実に基づいている

ここから『かたつむりのメモワール』のネタバレありの感想本文です。
『かたつむりのメモワール』はピンキーを亡くした直後の全てに絶望したグレースが、ピンキーの墓と外に放したカタツムリのシルヴィアの前で、自分の過去を振り返っていくナレーション回想形式で始まります。
この冒頭でのグレースは本当に追い詰められきった状態にあり、実際に毒を飲み込んで自殺を図ろうとするほどですが、ここまでの境遇は確かに過酷です。
グレースは口唇口蓋裂という見た目もあって学校でも他者からバカにされていましたが、おそらく非定型発達(ニューロダイバーシティ)なのかなと思わせる素振りも多々見られ(そもそも“アダム・エリオット”監督は前作『メアリー&マックス』でも自閉スペクトラムの人物を描いていたり、そうしたキャラクター性を持たせる傾向にあります)、さまざまな要素において社会に適応できずにいる子どもだったようです。
シングルファザーのもとで育つ貧しい家庭であっても、そこぐらいしか居場所はありません。それでもその家庭にはほんの些細なことかもしれませんけど、喜びと幸せがありました。
ところがその父も死別し、唯一の対等な支持者であった双子の弟のギルバートすらも引き離されてしまい、グレースの孤立は自分ではどうしようもない状況にまで一変します。
グレースはキャンベラに送られ(オーストラリアの首都ですし、立地はかなり良い)、そこでイアンとナレルという男女に育てられることに…。このイアンとナレル、根は悪い人たちではないのですが、かなり自由主義な生活スタイルで、夜な夜なスウィンギングに出かけたりと、気ままです。傷心のグレースにしてみれば、ここを新しい家庭として最高に感じるのは到底難しく…。
こうしてグレースは、カタツムリ関係の品々に執着して拾い集めるという、いわゆる「強迫的ホーディング(ためこみ症)」というセルフネグレクト状態のメンタルヘルス悪化を示します。まさにカタツムリのように殻にこもる日々です。
ピンキーと出会い、愛してくれるケンとも出会い、年齢を少し重ねることで心理的にも回復するかと思った矢先、双子の弟ギルバートの不幸な知らせ、そしてケンがフェティシズムでしか自分を見ていなかったことが発覚し…。
ここからためこみ症と過食はさらに深刻化し、見ていてその心の健康不全が手に取るようにわかるので、いたたまれなくなってきます。
で、グレースだけでもこんなに辛いのに、一方のギルバートも別の方面で過酷さが待ち受けていました。
ギルバートはオーストラリア西部のパースに移され、そこでもとくに都市から離れた田舎寄りの家に暮らすのですけど、その家がよりにもよってキリスト教原理主義的な家庭なのでした。ルースとオーウェンという夫婦を長にして、表向きは農家をやっていますが、子どもたちは完全に信仰の名のもとに支配され、児童労働に従事させられています。
それでももともと反抗心の強いギルバートはその虐待的な環境でも抵抗の炎を絶やさず、ベジタリアンを否定されたりしながらも、ベンという少年と恋愛関係を育んでいきます。
しかし、そんな同性愛をあの宗教原理主義な人たちが許すわけもなく、ギルバートとベンに電気ショックを施すという、いわゆる「転向療法(コンバージョン・セラピー)」という野蛮で非人道的な手段を実行してきます(転向療法がいかに問題なのかということについては、ドキュメンタリー『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』を参照)。
ほんと、ギルバートのパートもキツイです…。
ちなみにギルバートの住むパースが属する西オーストラリア州というのは、2025年6月現時点でもオーストラリアで唯一、転向療法を一切の刑事罰なしに合法的に認めている本土の州となっています。実際に今も性的マイノリティ当事者に対する転向療法を行っている施設が存在し、最近もパースにある施設が告発されていました(The Guardian)。
なので本作のギルバートの経験も、あり得ない誇張された寓話とかではなく、現実に基づいた話だということは忘れないようにしておきたいところです。
このあたりも“アダム・エリオット”監督の「clayography」の技による現実の物語化の巧みさでした。
ぎこちなく、小さく、ゆっくりと
そんな辛い境遇ばかりの『かたつむりのメモワール』ですけど、でも本作が上手いバランスに仕上げているのは、ただひたすらに目を背けたくなる絶望を売りにしたトラウマポルノのような作品で押し出しているわけではなく、中身はしっかり「寄り添う」という芯を持っていることだと思います。
加えてその物語の中心にいる登場人物の繊細な描写が実に味わい深くて良かったです。
“アダム・エリオット”監督のキャラクターデザインは基本的に「黒」をベースにしていて、人物だけでなく小物から街並みまで煤けた感じで、印象的にはかなり暗いです。下手をすればホラー作品になってしまいます。
しかし、おどろおどろしい恐怖感で息苦しくさせることはなく、主要人物が人間味を滲ませ、ストップモーション・アニメーション特有の細やかな動きで感情をみせてくれます。
その最たるキャラクター構築を堪能できるのが、あのピンキーというお婆さん。作中で一番に自由人であり、2人の夫を失い、多くの職を失った経験がありながらも、全く暗澹とした感情に憑りつかれることはなく、とにかく快活です。エキゾチックダンサーだった過去といい、やることなすこと全部が規範に縛られず、あらゆる時間を全力で楽しんでいます。
人が自由というものを謳歌できれば、どういう境遇であろうとも無限に楽しさを見いだせる…そんな希望の象徴です。
そしてグレースは亡きピンキーの最期の励ましの言葉に背中を押され、創作という世界で自己表現をすることに居場所を見つけます。本作はクリエイティブ魂の継承という点でも、静かに心を打つ作品でした。
ストップモーション・アニメーションってあらためて思いましたけど、CGアニメや二次元アニメと比べると滑らかに動かないものです。でもそのぎこちなさがむしろ人間らしくて良いのだなと。だってリアルな人って滑らかに動けないじゃないですか。身体的にも心理的にも、たいていはぎこちない。それをカッコ悪いと思ってしまうこともある。“アダム・エリオット”監督はそういうぎこちない人間性を全肯定してくれます。
カタツムリは雌雄同体。クィアな生き物です。グレースとギルバートが2人揃ってひとつであることを示唆するような生物でもあります。そのカタツムリの移動速度のように、小さくゆっくりと生きていたいですね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA カタツムリのメモワール
以上、『かたつむりのメモワール』の感想でした。
Memoir of a Snail (2024) [Japanese Review] 『かたつむりのメモワール』考察・評価レビュー
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