続編をノンバイナリー視点で考察する…映画『マトリックス レザレクションズ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2021年12月17日
監督:ラナ・ウォシャウスキー
マトリックス レザレクションズ
まとりっくす れざれくしょんず
『マトリックス レザレクションズ』あらすじ
何気ない日常を過ごしていたこの世界、しかしその真実は突然明らかになる。コンピュータによって作られた仮想世界だと知ってしまえば、もう元には戻れない。トーマス・アンダーソンは救世主となる人生を選択した。トリニティやモーフィアスといった仲間たちと共に人類をコンピュータの支配から解放する戦いに身を投じ、世界を救った。そのはずだった…。再びこの世界は根底から揺らぎ始める…。
『マトリックス レザレクションズ』感想(ネタバレなし)
トランスジェンダーと「マトリックス」
いきなり本題。『マトリックス』…その映画が公開されたのは1999年のこと。今やこの映画は旧作の部類です。世界同時多発テロが起きる前であり、Facebookがリリースされる前であり、PlayStation2が発売されるよりも前の時期の映画です。そりゃあ、今の若い映画ファンがこの作品の話題っぷりを知らないのも無理はありません。
でも当時を知っている人なら覚えている。『マトリックス』は社会現象となった映画であり、SF映画としては珍しく一般大衆にもその名が知られました。
なぜ『マトリックス』がこれほどまでに注目されたのか。何が画期的で、革新的だったのか。私がこの『マトリックス』の面白さだなと思うのは、観る人によって作品の捉え方の解像度がまるで違うということ。ある人は斬新なアクション表現を特徴として挙げますし、ある人は多層的なSFの世界観を挙げますし、ある人はフェミニズム批評で作品を深掘りしていきます。
私自身がこの『マトリックス』をどう捉えるか。それはやっぱりトランスジェンダー文脈での解釈です。
ご存じの人も多いと思いますが、『マトリックス』シリーズの監督である“ウォシャウスキーズ”はトランスジェンダーであることを公表済みです。
この『マトリックス』公開時はトランスジェンダーであるとカミングアウトしていなかったのですが、後に公表した際、この『マトリックス』もトランスジェンダーを題材にしていることをメディアで監督自身が認めています。つまり、『マトリックス』はトランスナラティヴな解釈が可能なのです。
ただ、日本語圏ではあまりそのトランスジェンダー視点の考察が注目されることはほとんどありません(それどころかトランス当事者である監督への不適切な言論が目立つ…)。なので具体的にどう解釈できるのか、「PinkNews」の記事などを参考に簡単に列挙したいと思います。
① 本作の仮想世界は「0」と「1」のデジタルからなる「バイナリー」で構成されています。このバイナリーは性別二元論の意味でも使用される言葉であり、物語の主題となる仮想世界からの脱出は規範的な性別の概念からの脱却を暗示していると受け取れます。
② 主人公のトーマス・アンダーソンは仮想世界から脱して「ネオ」と名乗ります。これはトランスジェンダーの性自認そのものを象徴しているとされます。監督によればスウィッチというキャラクターは仮想世界と現実とで性別が変わる設定にするつもりだったそうです。
③ ネオが現実世界に戻るときに飲む「赤いピル」。あれはトランスジェンダーの一部の人が処方されるエストロゲンの90年代の形態に似ていると指摘されています。
④ ネオたちをしつこく追い詰めるエージェント・スミス。彼はトランスフォビアのメタファーとされており、ネオを「ミスター・アンダーソン」と執拗に呼ぶのもデッドネーミングを意味していると考えられます。
⑤ 映画のラストでおなじみのマトリックスコードの緑の文字が映るのですが「SYSTEM FAILURE」の単語にカメラはクローズアップして「M」と「F」の間を通り抜けます。「M」は男性(male)、「F」は女性(female)なので、この演出は性別二元論にひっかけた演出だと思われます。ちなみにこのエンディングでは「変化を恐れている」という、いかにもなセリフも挟まれます。
こんな感じで『マトリックス』をトランスジェンダー視点で分析することはいくらでもできます(論文や批評が英語では無数にあるので詳しく知りたいならそちらを読んでみてください)。
そんなクィア批評しがいのある『マトリックス』でしたが、2003年に『マトリックス リローデッド』と『マトリックス レボリューションズ』が作られ、3部作として完結しました。しかし、2021年になってなんと新作が登場しました。
それが本作『マトリックス レザレクションズ』。
監督は今回は“ラナ・ウォシャウスキー”ひとりだけです。なぜ18年も経って新作を作ろうと思ったのか。その理由は映画本編で語られています。それがテーマとも言える。というか本作はとても“ラナ・ウォシャウスキー”の想いが溢れまくっている作品だと思います。しかも、ものすごくメタ的というか…。こんな創作者主導じゃないとできない続編、ハリウッドではなかなかないですよ…。ゆえに『マトリックス』を「映像がかっこいい映画」程度に思っていた観客はこの『マトリックス レザレクションズ』は困惑しかないかもしれない…。
私に言わせれば、『マトリックス レザレクションズ』は監督個人のパーソナルな物語ではあるのですが、監督個人ありきだけではない、まさしくこれはあの作品にクィアネスを感じてくれた人に贈る一作なんじゃないかと感じました。
ということで以下の後半の感想ではネタバレ全開でクィア視点で私なりに思ったことをつらつらと書いています。
『マトリックス レザレクションズ』を観る前のQ&A
A:1作目の『マトリックス』だけでなく、2作目の『マトリックス リローデッド』と3作目の『マトリックス レボリューションズ』も鑑賞することをオススメします。かなり過去映像も駆使されてこれまでの物語を踏まえた展開が繰り広げられるので…。
オススメ度のチェック
ひとり | :クィア視点で読み解きたい人に |
友人 | :考察を語り合って |
恋人 | :中年ロマンスが堂々と |
キッズ | :作品の世界が好きなら |
『マトリックス レザレクションズ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ただのゲームデザイナーです
トーマス・アンダーソンは勤めているゲーム会社「デウス・マキナ」の職場部屋でゲーム開発に没頭していました。彼が開発に関わった「マトリックス」という3部作のゲームは世界的に大ヒットし、今は次の新作を制作中です。少しパソコンの調子がおかしくなりますが、気のせいだと思って気を取り直します。
同僚とカフェで休憩していると、同僚のひとりがたまたま来店したティファニーという女性に下心ありきで話しかけます。トーマスも握手。彼女には夫に子どももいるようです。しかし、トーマスはそのティファニーに何かを感じました。
ビジネスパートナーのスミスと会ったり、同僚と次に「マトリックス4」を作るべきかという談義で盛り上がったりしつつ、トーマスはどこか心ここにあらず。
なぜなら夢のようなもののせいで調子がすぐれないのです。精神科のアナリスト(心理セラピスト)から青いピルを大量に処方してもらって、心を落ち着けるのですが、それもままならないこともあります。
ある日、カフェであのティファニーとまた出会い、お茶をします。ティファニーはゲーム「マトリックス」に登場するトリニティというキャラクターの影響を受けてバイクに乗り始めたのだとか。
仕事場ではちょっとしたトラブル。犯罪予告があったそうで、ビルからみんな退避します。そのとき、トーマスのスマホにメッセージで指示が…。そのとおりにトイレに行くと、そこにはゲーム「マトリックス」に登場したモーフィアスと同じ格好の男が立っており、あげくには赤いピルを見せてネオとして現実世界へ帰還するようにトーマスに迫ってきたのです。
さすがにバカバカしい状況に困惑を隠せないトーマス。しかし、そこに武装した隊員が突撃してきて銃撃戦が勃発。敵はトーマスのことを知っているようで「ミスター・アンダーソン」と呼びかけてきます。さらにその自称モーフィアスは人間技とは思えない、まるでゲームキャラクターのようなアクロバットな動きでその敵襲を制圧。
これは一体何事なのか。トーマスの知らない世界の新たな真実とは…。
何から復活するのか
『マトリックス』は前3部作で基本的にやることを全部やりつくした作品でした。あの世界の驚きの正体は1作目で明らかになりましたし、現実世界を脅かす仮想世界の黒幕も3部作を通して解決したし…。ネオとトリニティの犠牲がまさに世界を救ったはず…。
ではこの『マトリックス レザレクションズ』は何をするのか。どうやらまたネオとトリニティは肉体を利用されて仮想世界に閉じ込められてしまったようで、単純に考える本作はそこからの「復活(resurrection)」の物語だと言えます。
でも本作は先にも言ったようにとにかくメタ的で(こんな露骨にメタな話、珍しいくらい)、これはどういうことかと考えるとやっぱり“ラナ・ウォシャウスキー”監督なりの過去作への後悔があると思うのです。
というのも過去作では1作目の大ヒットで続編が作られることになったのですが、それはもちろんワーナー・ブラザースという会社主導であり、必ずしも“ウォシャウスキーズ”監督の意図したとおりとはいかなかったのでしょう。私も2作目・3作目は1作目の明確な方向性から逸れて、いかにもハリウッド的な方程式に沿った話になってしまい、やや不満も感じたりもしました。とくに1作目にあったクィアネスな要素はだいぶ減退し、踏み込んだ描写はできていなかったと思います。本来であれば続編を重ねるたびにクィアなストーリーをもっと切り開くべきですからね。
しかも大企業にシリーズが支配されるというのは、『マトリックス』で描かれた仮想世界の構図と同じで、これじゃあ元も子もないですから。
だからこそ『マトリックス レザレクションズ』ではゲーム「マトリックス」の続編の開発議論がいかにも陳腐に描かれているわけで…(ほんとにあんな場を“ラナ・ウォシャウスキー”監督は経験したのかな…)。
つまり、『マトリックス』をもう一度“ラナ・ウォシャウスキー”監督の手に取り戻す、そういう「復活(resurrection)」の物語でもあったのではないでしょうか。
バイナリーを倒すだけでは…
それでは“ラナ・ウォシャウスキー”監督は商業主義の世界に染まった『マトリックス』を自分の世界に取り戻して何をしたいのか。それはやっぱりパイオニアであり続けること、クィア視点の創作の開拓なのではないかと私は思います。
“ウォシャウスキーズ”監督は『マトリックス』以降もその挑戦をしていて、『クラウド アトラス』(2012年)、『ジュピター』(2015年)と大作SF映画の土俵で奮闘していたのですが、正直あまり上手くいっている感じでもなく…。一番その開拓に近づけたのは2015年のドラマ『センス8』だったかな、と。
『マトリックス レザレクションズ』はわざわざ新たに世界観をひっくり返してまで「これは私たちの物語だから」と宣言している。それだけでも意味はあるのですが、中身ではしっかりクィアな視点で解釈できるストーリーを取り戻しています。
例えば、新鮮だったもの、理想を見い出せたものが、次の規範となっていつの間にか自分を苦しめている…という本作の根幹にある、ある種のクリエイティブには付き物の切なさ。これはジェンダーを追及する私たちにもありがちなこと。男性や女性というジェンダーに近づこうとするあまり、逆に規範的な性別らしさに今度は縛られてしまったり…。はたまたノンバイナリーな生き方の定式がないことで迷子になったり…。
前作までは仮想世界をぶっ壊せばいいという簡潔な目的でしたが、今回は「じゃあ現実世界でどう生きればいいの?」という問いも投げかけているような…。
だから今作ではネオは「バイナリー」というゲームを開発していて、またも新たな規範に悪用されそうになっているのですけど、そのバイナリーを倒すだけではノンバイナリーやジェンダークィアな居場所は手に入らない。そこは葛藤が続く。とくに本作では“ジェシカ・ヘンウィック”演じるバッグスが次世代の“迷える者”として登場しますが、みんなそれぞれ迷うのは当然だし、答えもバラバラなんですね。
そんな中、相変わらずトランスフォビアな勢力が活発。いや、攻撃性を増してきている。今作は攻撃ヘリによる機銃掃射の猛攻をネオがおなじみの能力でブロックしますが、現実のトランスフォーブな人たちによる誹謗中傷などもあんな感じで凄まじいですからね。今回のエージェント・スミス強襲の場としてトイレが何気なくフィールドになっていたのもトランスジェンダーの論争の場だからなのかな。
また、今作ではエージェント・スミスの他に“ニール・パトリック・ハリス”演じるアナリストが立ちはだかるのですが、あの存在もこの『マトリックス』をトランス解釈抜きで考察したがる映画ファン的な人間に重なって見えなくもないかなと私は思いましたけど…。
最終的には“キアヌ・リーブス”演じるネオと“キャリー=アン・モス”演じるトリニティは再会して愛を確認(こんな中年のロマンスは大作では珍しい)。私たちは犠牲になんてならないという信念のもと、家族規範を捨てて自分の世界へ飛び立つ。これほどさっぱりしたエンディングにしてくれるとは…。
『マトリックス』をシスヘテロなSFオタク男性に舐め回されるのはもういいでしょう。これからはあなたのものです。あなたの世界です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 69% Audience 71%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED マトリックス4 リザレクションズ
以上、『マトリックス レザレクションズ』の感想でした。
The Matrix Resurrections (2021) [Japanese Review] 『マトリックス レザレクションズ』考察・評価レビュー