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映画『美しい夏』感想(ネタバレ)…ジーニアとアメーリアは見つめ合う

美しい夏

2人だけの視線で…映画『美しい夏』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:La bella estate(The Beautiful Summer)
製作国:イタリア(2023年)
日本公開日:2025年8月1日
監督:ラウラ・ルケッティ
性描写 恋愛描写
美しい夏

うつくしいなつ
『美しい夏』のポスター

『美しい夏』物語 簡単紹介

1938年のイタリア。田舎からトリノに兄と一緒に引っ越ししてきて洋裁店で地道に働く16歳のジーニアという少女は、休みの時間は同じような若者とくつろぎ、漠然と生きていた。しかし、3歳上の美しく自由なアメーリアという女性と出会い、自分が知らない世界を教えてくれるそのアメーリアに夢中になる。2人は徐々に関係を深め、惹かれ合っていくが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『美しい夏』の感想です。

『美しい夏』感想(ネタバレなし)

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チェーザレ・パヴェーゼ作品をサフィックに

「南イタリアの田舎に行っておいで」…なんて言われたら、今だったら「え? いいんですか!? 休暇ってことですね!」とハシャいでしまいそうですが、1930年代のイタリアでは全く別の意味がありました。

というのも、1930年代のイタリアは“ベニート・ムッソリーニ”率いるファシスト政権下だったからです。

これがどう南イタリアと関わってくるのかというと、当時、「そこまで明確な証拠もなく重罪を犯していないが権力にとっては気に食わない奴=政治的反体制派」を捕まえては、南イタリアの辺鄙な町に送って住まわせるという一種の「国内流刑」を実行していたんですね。そうした南イタリアの地は「confino」と呼ばれ、要は人間関係を絶たせて孤立させる嫌がらせみたいなことをしていたわけです。

そうやって南イタリアに飛ばされたイタリアの有名な小説家がいました。その名は「チェーザレ・パヴェーゼ」。彼は若い頃から反ファシスト団体で活動していたために逮捕されて流刑され、戦後はイタリア共産党に入党し、党の機関紙「l’Unità」に寄稿し、作品を重ねていました。

その“チェーザレ・パヴェーゼ”が1949年(この1年後に自殺して亡くなる)に執筆した中編小説のひとつが、2023年にイタリアで映画化されました

それが本作『美しい夏』です。

基本的には原作の“チェーザレ・パヴェーゼ”の小説が土台になっていますが、今回の映画版ではだいぶ翻案によって印象を変えています

主人公はひとりの10代の女子で、田舎育ちの彼女が北イタリアで同年代の自分とは違う若者たちと交流を重ねながら、成長や葛藤を経験していく…雑に言ってしまえば青春物語です。

原作だとそこで出会う青年と恋愛関係が前に出がちだったのですが、今作の映画版ではその前に出会う少し年上との女性との関係に焦点をあてています。原作はこの女性同士の関係が、まあ、当たり障りのない言い方で「親密な友情」と表現されかねないところでしたけども、今作はかなりハッキリとクィアな…サフィックな関係性として活写されています。つまり、『美しい夏』はクィア映画です。

おそらく現代の若者ならこの原作を読めば、「う~ん、この主人公とあの女性をクィアな関係として解釈する方向で読めるともっといいのになぁ…」と思ったところでしょうが、今作はそれを実現しちゃいましたって感じです。

一方でまるっきり原作の味わいを台無しにしていることもなく、しっかり“チェーザレ・パヴェーゼ”らしい肌触りも残っており、上手くバランスをとっているなと思います。

フィクションなので、『シチリア・サマー』みたいな実話を基にはしていません。でも当時の社会背景には根差しています。

2023年にこの映画『美しい夏』を再構築して送り出したのは、イタリアのローマ生まれで、2010年に『Hayfever』で長編映画監督デビューし、『Twin Flower』に続いて本作が長編3作目となった“ラウラ・ルケッティ”。2021年には10代のリベンジポルノをテーマにしたドラマ『Nudes』でも監督を務め、国内で話題になりました。

『美しい夏』で主演を飾るのは、あの“アリーチェ・ロルヴァケル”監督に才能を見いだされて『天空のからだ』から常連となっている“イーレ・ヴィアネッロ”。最近も『墓泥棒と失われた女神』で出演していましたが、活躍の幅はまだまだ拡大していきそうです。

その“イーレ・ヴィアネッロ”演じる主人公が目が離せないことになっていく女性を熱演するのは、“ディーヴァ・カッセル”です。あの“モニカ・ベルッチ”と“ヴァンサン・カッセル”の間に生まれ、それも納得の整った顔立ちの持ち主ですが、最近はモデルから俳優業へと仕事を広げている真っ最中。“ラウラ・ルケッティ”が共同監督を務めるドラマ『山猫』でも出演していたので、今後は“ラウラ・ルケッティ”監督作の常連となるのでしょうか。

ちなみに『美しい夏』内では“イーレ・ヴィアネッロ”演じる主人公のほうが“ディーヴァ・カッセル”演じる女性より年齢が若いということになっていますが、俳優本人は“ディーヴァ・カッセル”のほうが若いです。

映画『美しい夏』はゆったり落ち着いて観られる環境で味わうのがオススメです。

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『美しい夏』を観る前のQ&A

✔『美しい夏』の見どころ
★主演2人の女性同士の繊細な感情の往来と重なり。
✔『美しい夏』の欠点
☆古い作品が土台なので全体的な流れは平凡。

鑑賞の案内チェック

基本
キッズ 2.0
性行為やヌードの描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『美しい夏』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

1938年のイタリア北部の街であるトリノ。16歳の少女ジーニアは着替えて身なりを整え、職場である洋裁店でお針子として働きにいきます。他にも多くの女性がそこで手を動かし、真面目に勤めていました。若い人もいれば中年の人もいる…退屈で堅苦しい職場です。でもここが今の自分の精一杯の居場所でもありました。

田舎から都市へと兄セヴェリーノと共に引っ越してきたジーニアにとって、今は馴染むことにいっぱいいっぱいです。

仕事のない時間は、男女の若者たちと集まり、森の水辺でくつろぎます。とくに何かを目的とするでもなく、座って足を延ばし、歌を歌ったりするだけのまったりした時間です。

そのとき、アメーリアという女性が湖畔の船で通りかかり、呼びかけに応じて躊躇なく水に飛び込み、軽々と泳いでこちらにやってきます。アメーリアは3歳年上の人で、随分と自由奔放でした。そのエネルギッシュで自分にはない魅力を前に、ジーニアは気になってしまいます。

家の近くの店でまたあのアメーリアとばったり出会います。彼女は赤いドレスで着飾っており、前とはまた違う雰囲気でしたが相変わらず綺麗でした。交流も多いようで、きっとはるかに自分よりは人付き合いも上手いのでしょうか。

それ以来、アメーリアとよく会うようになります。アメーリアもジーニアを可愛がってくれ、親しみやすいです。彼女は自転車を盗もうと誘い、そのまま2人で街を駆け回ります。

アメーリアは若いアーティストたちの芸術の世界に身を置いているようで、その夜の集まりに連れて行ってくれます。ロドリゲスグィードを紹介され、新鮮な場に緊張しながらも、その場に馴染んでいきます。寝転がるとアメーリアも横に寄り添い、共に夜空を見上げます。

職場で顧客に自身のドレスのアイディアを気に入ってもらい、上司にも褒められ、ジーニアはしだいに充実感を深めていきます。

ところが、アメーリアが画家の男性の前でヌードモデルをしている姿を目撃してしまい、少し動揺してしまいます。一部の人たちからはそんなアメーリアの振る舞いを咎めるように噂する声も聞かれ、ジーニアはそれでもアメーリアを慕います。

そんなある日、ある出来事が起こり…。

この『美しい夏』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2025/08/12に更新されています。
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女と女のすれ違う視線

ここから『美しい夏』のネタバレありの感想本文です。

“ラウラ・ルケッティ”監督作の映画『美しい夏』は、主人公の少女が背伸びをして大人になろうとする…みずみずしい青春と言えばそのとおりな物語です。情景描写とも相まって、非常にイタリアの風情を感じる青春の匂いが映画から漂ってきます。

本作は主人公のジーニアの一人称でブレませんが、このジーニアの孤独が印象的です。孤独と言っても露骨にズーンと沈んでいるわけでもないし、コミュニケーションが断絶されているわけでもありません。同年代の輪に加わっています。でもなんとなくまだ自分を見いだせていない感じがする。その絶妙な孤独の立ち位置ですね。

ジーニアは冒頭で描かれる職場での感じからして、明らかに創作意欲を内に秘めています。上司の女性もそこまで抑圧的ではありませんが、そんないきなり創作しまくりなチャンスを与えられる場ではないのも現実です。基本的には指示されたとおりに仕立てるだけの業務内容ですから。

その型にハメられてゆっくり歩むしかないジーニアにとって、アメーリアの存在はいかに衝撃的で魅惑的に映ったのか。

アメーリアのいる世界はボヘミアンな若者たちの集いで、活発なアーティストたちと溶け込めるだけでも刺激的です。ここでならドレスメーカーとしての才能も無限に広がっていくかもしれません。

原作だとこの先はグィードという青年と関係を一時は深め、一方で現実を噛みしめながら、ある種のジーニアにとっての苦い人生経験を重ねることになります。

原作は結局のところ、ジーニアの純潔さを尊ぶような単一の解釈になりかねないものでもあるのですが、この映画はより深みを与えています。現代の観客ならこれくらいの想定の奥行きを期待するのは当然だろうとは思います。

とくに『美しい夏』で象徴的に使われているのが「見る・見られる」の関係性の演出。これは『燃ゆる女の肖像』などレズビアン映画によく用いられるアプローチでもありますが、『美しい夏』も芸術分野が関与するので、なおさら似ているかもしれません。

アメーリアは世間からはスキャンダラスな存在にみられています。それはアメーリアがヌードモデルだからであり、自分の身体を自分の意思で用いる自立的な女性の選択を非難する目線でもあります。また、アメーリアの性的指向がクィアであることを踏まえれば、そうしたセクシュアリティへの差別的な視線とも解釈できます。

そのアメーリアはもっぱら男性の画家に見られる存在であり、一方的な「男の眼差し」の対象になっています。

対するジーニアはアメーリアを「見る存在」に堂々とはなれません。最初に窓越しにその裸体を目撃し、カーテンを閉じられてしまうシーンが表すように、女性同士の「見る・見られる」が成立しません

ジーニアにしてみればアメーリアを「見る存在」が男に独占されるのは歯がゆい感情を蓄積させるもので、本作はそんな苛立ちがこぼれでていました。

そうこうしているうちに、今度はジーニアが裸体モデルになって、男性の画家の前に立つのですが、その場にアメーリアもいるにもかかわらず、アメーリアはジーニアを直視せずに目を背ける…。この視線のすれ違いですね。

結局のところ、ジーニアとアメーリアが一緒に和めるのは隣り合って街中を歩いている瞬間。これだけでも幸せかもしれませんが、それ以上の視線の交わりはできないというもどかしさ。

穏やかな情景ですけど、2人の女性の心情を思うと苦しい孤独感が伝わる映画でもありました。

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あの時代の孤独が今のイタリアと重なる

『美しい夏』の終盤になって、ようやくといいますか、ジーニアとアメーリアは感情を吐露します。直前のダンス・シーンの「もう周囲の視線なんていいからこの気持ちを相手にぶつけたい!」というギリギリの高まりを表現する密着も良かったですが、これが限界なのだというのも突き付けられるので、余計に悲しくもなる…。

最後はまたあの絵のように美しい湖畔でのひとときに戻るのですが、オチとしてはだいぶ2人を創作で救ってあげようという感じで、“ラウラ・ルケッティ”監督の「悲劇にはしたくない」という寄り添いを感じました。

どうしてもアメーリアとの関係性が全面にでますし、それが確かに見どころではあるのですが、個人的にはジーニアと兄のセヴェリーノもさりげなく翻案が効いていて良かったなと思いました。

セヴェリーノも彼は彼で別方面で孤独に陥っている感じがあり、そんな兄とジーニアは互いに孤独同士でありながら孤立することなく孤独者の身の寄せ合いで微かに支え合うという…そんな関係軸もみえて…。

なお、映画の舞台は明確に1938年に設定されており、そのためか、差し迫る戦争の影の下で起こる社会変化をわずかに背景に映し出します。ラジオからは戦争意欲を鼓舞するようなニュースが流れ、外からは愛国心を叫ぶ演説が聞こえ、兵士たちは街路を行進し、日常に溶け込んでいます。それがジーニアと露骨に激突するわけではないですが、明らかに抑圧の象徴としての風景パーツでもあります。

原作者の“チェーザレ・パヴェーゼ”はまさにこんな風景の中で孤独を感じていたわけで…。

原作小説は1950年にイタリアで最も権威のある文学賞であるストレーガ賞を受賞しました。この賞は戦後にイタリアのファシズム体制崩壊を祝うようなかたちで始まっており、受賞者の作家も初期の多くはジャーナリスト兼任であるなど、体制に抗った創作者ばかりで、ある意味でその点での功労賞的な意味合いもあったのだと思います。“チェーザレ・パヴェーゼ”が受賞するのも納得です。

その彼の原作が2020年代のイタリアでクィアネスを深めて映像化されるというのは、時代に呼応するものだったのではないでしょうか。

なにせ今のイタリアは再び極右政党が政権をとり(現イタリア首相の“ジョルジャ・メローニ”は反LGBTQの姿勢で人気を集めてキャリアを高めた人物)、いまだに同性婚の法制化も実現せず、政治的に差別が助長されているありさまです。

もし“チェーザレ・パヴェーゼ”が今のネオファシストに統治されるイタリアを見たら、なんて思うのでしょうかね…。

『美しい夏』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)

作品ポスター・画像 (C)2023 Kino Produzioni, 9.99 Films ビューティフル・サマー

以上、『美しい夏』の感想でした。

The Beautiful Summer (2023) [Japanese Review] 『美しい夏』考察・評価レビュー
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