わかりました。では帰ってください…映画『ヤニック』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2023年)
日本公開日:2025年8月15日
監督:カンタン・デュピュー
やにっく
『ヤニック』物語 簡単紹介
『ヤニック』感想(ネタバレなし)
「つまらない」と言う勇気! …勇気?
もしあなたが映画館で映画を観たとき、それがあまりにもつまらないものだったら…どうしますか?
私は、こうやって自分の感想を自分のウェブサイトでテキトーに書きなぐっているので、そこに「つまらない」という感情をぶつければいいと思っています。でもわざわざこんな手間のかかることをするのは全体からみても珍しいでしょう。
たいていの人は今はSNSという便利なものがあるし、そんな長文を書かずとも、短いコメントで「さっき見た映画、つまらなかったな」とボヤけばそれで済みます。
しかし、最近思うのですが、なんでもかんでも「推し」という文化が尊ばれる時代になったじゃないですか。「好きなもの」を見つけてその「好き」という感情を多彩に表現できる人ほど、今の世の中では理想とされます。
でも、「好きじゃない」という気持ち、もっと言えば「つまらない」みたいな退屈さや自分にハマらなかったときのモヤモヤを表現することも、実は結構重要なんじゃないか、と。
最近は人の目を気にしすぎてこういうネガティブな感情を表現するのを躊躇する人もいます。一方で、このネガティブな感情を上手に処理できないと、それこそストレスを溜めることになりますし、下手したら差別や劣等感など攻撃的な感情にまで悪化するかもしれません。
なので「推し」を見つけて共有して充実するのに憧れるのもいいんですけど、「つまらない」という感情と向き合えるスキルも磨くのも、たまには良いのではないでしょうか。
まあ、でも今回紹介する映画は、全然向き合えていない人物を描くのですけどね。
それが本作『ヤニック』。
本作は“カンタン・デュピュー”の監督作です。“カンタン・デュピュー”とは何者か?…という話は『セカンド・アクト』の感想でもう書いているので、そちらを参照してください。
日本では2025年8月15日に『ヤニック』、『セカンド・アクト』、『ダリ!!!!!!』の3つの“カンタン・デュピュー”監督作が一挙公開されるという、贅沢なプチ祭りみたいな状態が開催されることに…(ちょっと公開規模は小さいけど)。
この3作はとくに物語上の接続はなく、それぞれで独立していますが、広い意味で芸術の業界を風刺しているという点でテーマを共有している感じです。しかし、そこは“カンタン・デュピュー”監督、3作それぞれ個性が際立っています。
『セカンド・アクト』はメタ的な演技いじり、『ダリ!!!!!!』は3作の中では最も支離滅裂な混沌に引きずりこんでいましたが、『ヤニック』はそれらと比べるとまだシンプルで大人しいかもしれません。
舞台はある演劇が公演中の劇場。そこで客席のひとりの男がおもむろに立ち上がり、「この劇はつまらない!」と文句を言い放つ…というところから始まります。
これが大人しい? “カンタン・デュピュー”監督作だとその基準。でもこの始まりから大変なことになっていくのですが…。
おなじみの不条理なシュールレアリスムなコメディではありますけども、『ヤニック』は奇抜すぎるビジュアルで置いてきぼりにすることもないですし、“カンタン・デュピュー”監督作の中ではまだ初心者向け?…なのかな。
結局、やっぱりハマるかハマらないかはあなたしだい。
つまらないと思ったときは、「つまらない!」と大声を映画館であげたい気持ちは抑えてもらいつつ、ネットの広い空間で叫んでください。この映画に関しては「つまらない!」と言い切っても別に誰も怒らないと思うので…。
『ヤニック』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 暴力の描写があります。 |
『ヤニック』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
演劇「寝取られ男」の公演がとある劇場で行われていました。これは少人数の小さな劇です。今、舞台ではひとりの男がキッチンテーブルでまくしたてており、赤い服の女は落ち着いて対峙。夫婦のギクシャクした空気の中、男の感情は収まらない様子。椅子に座っても口から言葉が溢れ出ています。
劇場の客席は半分程度が空席です。しかし、ときおり笑いがこぼれ、ウケてはいました。
さらに舞台のドアからひとりの男が入ってきて、3人の会話劇になります。不倫の果ての泥沼劇はとどまることを知りません。
そんなとき、客席からひとりの男が大声をあげて立ち上がります。明らかに劇の最中なのに突然の客の行動です。戸惑う舞台の俳優の3人と他の客。当然、演劇は停止してしまいます。
しかし、男はそんなのもお構いなしに立ったまま発言しだします。「この芝居は面白くない」と言い放って…。
彼は普段は夜間駐車監視員をしているヤニックという名だそうで、せっかく休みをとって長い時間をかけてここまで来たのに、あまりにこの芝居がつまらないので失望したようです。日々の悩みを忘れることもできない質の低さだとしきりに嘆きます。
そうこの場で言われても俳優たちにはどうしようもありません。呆然とした役者たちは反論。演者は冷静にヤニックに付き合い、不満があるなら出て行ってほしいとも言います。そもそも芝居を中断させるのはマナー違反だとも諭して…。
周囲で話を聞いていた客の中からもヤニックに意見する者が現れますが、ヤニックはそれにも動じず、自論を述べ続けます。
全く膠着状態だったので、俳優のひとりであるポールは舞台から降りて、出ていくように厳しく身振りも交えて促します。ヤニックはまだぶつぶつ言いながらも後ろのドアから出ていくことにしたようです。
俳優たちは今起きた状況にまだ少し驚きつつ、とりあえず劇場から立ち去ったヤニックを揶揄って演技を再開します。
ヤニックはクロークからコートを取り出していましたが、劇場の奥から笑い声が聞こえてくるのを耳にし、考え直します。
そして劇場内にヤニックは再び現れ、その手には拳銃が握られており…。
誰の手に銃があるか

ここから『ヤニック』のネタバレありの感想本文です。
“マーティン・スコセッシ”監督の『キング・オブ・コメディ』を、“カンタン・デュピュー”流にすれば『ヤニック』の出来上がりなのかもしれません。『ジョーカー』がやらかしたような作り手や支持者まで自己陶酔させることもなく、しっかりミニマムな範囲の中で全方位を風刺する手際はさすがです。
『ヤニック』で起きることは、端的に言ってしまうと劇場での人質事件なのですが、銃もでてくるわりには妙に緊迫感がなく、笑っていいのかわからないユーモアをずっと漂わせています。
そもそもあの劇場は俗にいう「ブールバール劇」(フランスの大衆向け娯楽劇の総称)で、そこをチョイスしているのがまた味になっていますよね。
要するに決して超一流の演劇が保証されているわけではなく、「まあまあ(そこそこ)」の劇でもいいので、とりあえず何か劇を見に行きたい人が行くところであり、客層もそこまでトップクラスの批評家や富裕層で埋め尽くされていることもありません。
だから…こう…何と言いますか…観客の期待値はおそらくてんでんばらばらなはずです。
その劇を観に来て「つまらない!」と中断させ、あげくに銃で脅して劇を乗っ取り、自作の劇に変えようとするのがヤニックです。彼は駐車場係員らしく、明らかにこういう演劇には不慣れのようにも思えますが、それでも娯楽を感じたいと頑張って訪れたその感情は本物。
この最初のいざこざの時点で、中流階級と労働者階級の意地を滲ませた対立感情が見え隠れします。
そしてヤニックは当然と言いますか、その異論的な発言をした瞬間にその場で浮くわけです。当初は本当にヤニックは「変な人」扱いです。まあ、それはそうです。ただ、それがちょっと冷笑としてヤニックの尊厳を傷つけたあの一瞬で、事態は急展開を迎えます。
こういう「面白さを理解できない奴を嘲笑う」みたいな内輪のちっちゃな排外の空気って、別に演劇界隈に限らず、どこでもありますよね。オタク・コミュニティとかでもそうです。「面白さを理解できる人は優れていて、理解できない人は劣っている」というマウント的振る舞いの構造はよく観察できます。嘲笑うどころか人格攻撃にまで発展したりもします。本作はその嫌~な体験を実に不条理な“カンタン・デュピュー”流に描いています。
なのでヤニックのあの大胆な行動は、正直、「ブルジョアを打ち負かしてやった!」的な快感もなくはないですよね。
そこで「やられたらやり返す」の精神を(過激に)実行に移して、劇を乗っ取ったヤニックが主導権を握るのですが、そうは言ってもこのヤニック、素人なんですね。
ただの駐車場係員がエンターテイメントを創造できることを証明してみせたいという野望があるわけですけども、ノートパソコンの操作にすら指1本ずつでポチポチとタイピングして、とにかく鈍感な姿を披露し(そのわりには観客のひとりから借りたノートパソコンの壁紙が女性のヌードなのを笑ったりと他人を愚弄はする)、ヤニックもヤニックで人間性の偏狭さを露呈します。
銃にも慣れていないようで危なっかしく持っているのですが、この小さな銃のプロット上の活かし方がまた(悔しいかな“カンタン・デュピュー”にしてやられた気分ですが)上手かったです。
あの銃は業界における「権力」の象徴になってます。通常は「劇をする側」と「観る側」には隔たりがあって、圧倒的に「劇をする側」は優勢です。「観る側」は「観させてもらっている」という姿勢で「良い客」でなければいけません。何を見せられるかはすべて「劇をする側」しだいです。
ヤニックはその暗黙の隔たりを破るという、イレギュラーなことをします。ある意味、客側が第4の壁を突破するようなものです。
そしてこの素人のヤニックに従うしかないのは彼が銃を持っている…ただそれだけの理由です。撃たれたら命が危ないですから。
途中で俳優のポールが隙をみて銃を奪い、形勢逆転で一気に威勢がよくなりますけど、結局のところは人というのは「銃」に象徴される権力があるかないかで、有利不利が決まる。その滑稽さがあの寸劇によく表されていました。
ポールもポールで「つまらない」と酷評されて劣等感を抱く点では実のところヤニックとそう変わりません。
しかも、その銃を手にしたポールも、ずっと登場していなかった舞台裏の技術者の勘違いですぐにその優位を失います(皮肉なことにあの裏方もヤニックと同じ労働者階級だというのがまた何とも言えない…)。
見下された者によるルサンチマンを風刺するにせよ、どちらに肩入れすることもなく、不条理さだけを巧みに抽出している図式でした。
観ているだけの滑稽さ
『ヤニック』は、このヤニックと俳優陣のやりとりだけでは済みません。そこに他の観客も混ぜ合わせているのが、すごく“カンタン・デュピュー”監督らしいシュールさで…。
ヤニック以外の客は、一種の傍観者です。多少の口を挟む者も最初はいましたが、見ているしかできない客のあられもなさを終始体現しています。
その…これも何というか、「こんなことが起きているのに観ているだけかよ!」っていう無能なアホらしさがまたよく浮き出ていて…。怯えまくりの姿だったら被害者の印象になるのですけど、本作の場合、ほんと、ただ席に座って見ているので…。
でもヤニックの独壇場となってからの舞台での光景も、やっぱり喜劇みたいであり、見ごたえはあるんですね。そこがおかしいところです。「確かにこれは観ちゃうかもな…」と私も思ってしまう…。
しかし、純粋にヤニックが評価されているのだとは言い切れません。なにせ彼の手には銃があります。本人はあまり自覚していないようですが、脅しているのと同じ。ここにあるのは強迫的な極めて不均衡な言論空間です。
あらためて思うことですけど、そもそも対等な関係での評価なんてどの業界にも存在しないのかな、と。完全に中立で無干渉な言論表現空間はないという残酷な現実を突きつけるような映画だったかもしれない…。
それでも相変わらずヤニックは業界の第4の壁など気にもせずに、満足そうに席で客と会話したり、と好き勝手にご満悦。最後の自作の演劇を披露させるくだりにいたっては、舞台袖で完全に自画自賛でうっとりと涙目を浮かべている姿をこれ見よがしに映し出します。
無論、これは“カンタン・デュピュー”監督作。ひとりの男の自己満足に付き合ってあげるほど優しくありません。
今度はヤニックが創作者として「批評される側」になり、客席のどこかの誰かが「こんな劇に付き合ってられないな」とこっそり出て行って警察を呼んだのか、突入部隊がぞろぞろと迫るシーンで終わります。当然、その突入部隊の手には「銃」があります。それもたくさん。ヤニックの手にする権力よりもはるかに巨大なパワーです。
この感想を読んで、「この感想はつまらないな」と思った皆さん、できれば銃を向けずに、ゆっくり後ろのドアから出て行ってくれると助かります。ここまでつまらない文章に付き合ってくれてありがとうございました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Atelier de Production
以上、『ヤニック』の感想でした。
Yannick (2023) [Japanese Review] 『ヤニック』考察・評価レビュー
#フランス映画 #カンタンデュピュー #ラファエルクナール #演劇 #Stranger