生理もレズビアンも(以下略)…「Netflix」ドラマシリーズ『モンスター: リジー・ボーデンの物語』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2026年)
シーズン4:2026年にNetflixで配信
ショーランナー:イアン・ブレナン
性暴力描写 ゴア描写 性描写 恋愛描写
もんすたー りじーぼーでんのものがたり

『モンスター リジー・ボーデンの物語』物語 簡単紹介
『モンスター リジー・ボーデンの物語』感想(ネタバレなし)
嫌な予感
Lizzie Borden took an axe(リジー・ボーデンは斧を手に)
And gave her mother forty whacks.(お母さんを40回打った)
And when she saw what she had done (自分がしたことに気づいて)
She gave her father forty-one.(今度はお父さんを41回打った)
これは「なわとび唄」という有名な歌謡で、英語圏で広く親しまれて語り継がれています。やけに物騒な内容ですが、実は実際に起きた殺人事件が元ネタとなっています。この殺人事件は英語圏だと「誰もがなんとなく聞いたことがある」くらいの認知度なのですが、日本ではほぼ知られていません。
その殺人事件とは、1892年にマサチューセッツ州でリジー・ボーデンという若い女性が、両親(実父と継母)を斧で惨殺したものの、裁判のすえ無罪になった…という話で…。
知らない人からすれば「どういうこと?」と思ってしまうくらい、中身も結末もショッキングな事件なのですが、2026年にその事件がドラマシリーズとなりました。
それが本作『モンスター リジー・ボーデンの物語』。
ただし…ハッキリ言っておきます。このドラマを観ても史実のリジー・ボーデン事件の全容が理解できるわけではありません。なぜならデタラメだらけだからです! はい、そうです。脚色満載で、肝心の史実はズタズタです!
まあ、本作はあの『モンスター』シリーズの最新シーズンであり、“ライアン・マーフィー”と“イアン・ブレナン”の問題児の座組が提供するアレですからね…。
『モンスター』シリーズというのは、「Netflix(ネットフリックス)」で配信されたアンソロジーで、シーズンごとにそれぞれの有名な実在の殺人鬼を取り上げて描いていく“伝記”風のドラマとなっています。
2022年の最初のシーズン『モンスター:ジェフリー・ダーマーの物語』は、死体性愛と人食の連続殺人鬼で1970年代後半から1990年代にかけて世を震撼させた別名「ミルウォーキー・モンスター」こと「ジェフリー・ダーマー」を主題に。
シーズン2の『モンスターズ:メネンデス兄弟の物語』(2024年)は、1989年に両親を殺害してその正当性について激しい法廷闘争となった兄弟「ライル・メネンデス&エリック・メネンデス」を主題に。
シーズン3の『モンスター: エド・ゲインの物語』(2025年)は、1950年代に死体泥棒で悪名を馳せ、殺人を自白し、人の皮を被るなどその精神性が論争となった「エド・ゲイン」を主題に。
いずれもセンセーショナルな猟奇的犯罪者ばかりで、正直、こういう実在の犯罪加害者を主役にすることの是非は以前から問題視されていました。しかし、ことさらこの『モンスター』シリーズはそれに過剰に傾倒するところがあって、その問題の悪例となっていました。それ以外にも具体的に山ほど物議を醸す部分があるのですけど、全部を語っていたらすごいボリュームになるのでこのへんで…。
その批判もなんのその、大衆はセンセーショナルな話題が好きなので、『モンスター』シリーズは視聴を集め、こうして人気作になっているわけでもあるのでした。
そんな『モンスター』シリーズが初めて女性の殺人鬼を題材にする…と聞いたときは、「あぁ…もっと嫌な予感…」と思いましたけど、案の定ね…。
ということで『モンスター リジー・ボーデンの物語』についてもうネタバレなしで語ることもありません。全8話(1話あたり約40~60分)の物語に触れてどう感じるかはあなたにお任せします。
『モンスター リジー・ボーデンの物語』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 直接的な性暴力の描写があります。また、残酷なゴア描写があります。 |
| キッズ | 低年齢の子どもには不向きです。 |
『モンスター リジー・ボーデンの物語』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
リジー・ボーデンは邸宅の中を蝋燭片手に素足で歩き、地下室に保管されている大きな斧を手に取りだします。その顔はどこか高揚していました。
そして部屋にいた継母のアビー・ボーデンに近づき、一瞬でその斧を胸に振り下ろします。一撃で殺害しましたが、何度も執拗にその床に横たわる遺体に斧を振り下ろし続けるリジー。
次に父のアンドリュー・ボーデンがパイプを拭かせながら仕事から帰ってきて、その父の前にも立ちます。すでに血しぶきを浴びて白い服に血が飛び散っていましたが、何の躊躇もなく、その父に斧を振り下ろします。何度も何度も…顔面がえぐれるまで…。
4ヶ月前。4月、アビーはリジーにコルセットを装着させ、ヒースという名の結婚相手に会わせる直前の最後の指導をしていました。女としてどう振る舞い、接するべきか…。
その夜、ヒースはリジーに会うためにボーデン家に現れ、アビーは2人を丁重に部屋に案内して2人きりにします。リジーは言いつけを守って完璧にやり遂げた…はずでした。しかし、物事は想定どおりには進まず、焦ったリジーは気まずい沈黙を埋めようと、ヒースに手順にない話題を話しだします。ヒースもどこか失礼な態度です。
そうこうしているうちにリジーは突然生理が始まったことに気づき、激しい生理痛に襲われます。そして、座っていたソファが経血で汚れてしまい、それを見たヒースは愕然とし、出て行ってしまうのでした。
その夜、アビーは夕食の席でアンドリューにリジーが「血まみれの惨劇」とも言うべき大失敗を起こしたことを告げ、苛立っていました。アンドリューはその話題にうんざりしており、息子を産んでくれなかったアビーを責め、さらに場は険悪に。
翌日、リジーは新しいメイド候補のブリジット・サリバンに対面します。彼女は「マギー」というあだ名で呼ばれており、かなり聡明で、物怖じしない人でした。
リジーはそんなブリジットと親しくなっていき…。

ここから『モンスター リジー・ボーデンの物語』のネタバレありの感想本文です。
リジーはフェミニズムのアイコン?
別に“ライアン・マーフィー”と“イアン・ブレナン”のクリエイター陣を擁護する気はこれっぽっちもないのですけど、本作『モンスター リジー・ボーデンの物語』はこれまでの過去シーズンとは事情が異なることがあります。
それは19世紀末という100年以上前の事件を扱っている点。もはや長年の伝承によって物語化しており、つまり、すでに脚色されまくってきています。それを本作がさらに脚色するわけですから、脚色過剰になるのは当然で…。かと言って『オデュッセイア』みたいに古典になっているわけではないですし、紛れもなく歴史上の事件ですから、現実を無視するわけにもいかないですよね。
結果、この製作陣はどういう方針でいったかというと、「殺害動機は女性差別のストレスゆえ、無罪を勝ち取れたのは女性への偏見を利用できたから」という、完全なる「女性」ありきのフェミニズム・ストーリーにしようとしたようで、それが墓穴を掘りました。
まず殺害動機ですが、一応、史実の分析では、リジーは両親と非常に仲が悪く、とくに継母のアビーは母と認めていなかったようで、同居していたけど事実上別居しているような家庭環境だったそうです。なのでその親嫌いからの凶行だった…というのが最もあり得そうな動機とされています。じゅうぶんな動機ですよね。
しかし、この製作陣は「それじゃあ、つまらないなぁ」と思ったのか、リジーはこっぴどく女性の役割の重圧に苦しみ、そこからの解放を求めるキャラクターにアレンジしています。
いや、別にその視点自体は悪いものではないと思います。いつの時代も女性の受けてきた抑圧は過小評価されているものですし、それを可視化させて、物語を補強するのは、変な翻案ではありません。
ただ、この本作はやりすぎというか、こういう言い方はあれかもですけど、「フェミニズムに関わる問題についてひととおり勉強したぞ。良し、全部盛り込んじゃえ!」と男性が張り切って作って空回りしているような物語になっているというか…。
ほんと、本作は盛り盛りで、結婚規範、生理、中絶…思いつきそうなベタなものが全部あります。
これに関して、「女性だったらその言動の背景には女性の苦悩が要因にあるはずだ」という考えは、それはそれで女性への偏見に根付いていないか?という疑念はやはり持つべきだと思うのですが、本作は良くも悪くも無邪気にテーマとして扱っていますね。
描きかたを一層悪くしているのは、リジーのキャラクター像もあるでしょう。史実のリジーは学があり、社交的で、かなり自立心があったそうですが、この本作のリジーはか弱そうで純真無垢な雰囲気がずっと漂っています。
そのリジーがブリジットからフェミニスト的な精神を学び、一方で両親家庭の狂気にも触れていき、それが歪んだ合体をみせて…というのがこのドラマのキャラクター・アークです。要するにリジーはとても他者に感化されやすい女性として映し出されています。これが作劇上は非常に都合がよく、結果的にものすっごく中身のない女性になってしまっていて…。“エラ・ベイティ”の演技自体は良いのですけどね…。
一方で、両親はすでに狂気のサイコパスとして出来上がっており、“チャーリー・ハナム”演じるアンドリューは故人の足を切断して棺に無理やり押し込むし、“レベッカ・ホール”演じるアビーはメイドに熱湯かけるわ、鳩殺しするわ、暴虐の限りを尽くしています。“ビリー・ラード”演じる姉のエマですら、終盤に桜の木を斧で斬り倒し、暴力性の遺伝子を覗かせるみたいな感じになっているし…。
私は観ていて「もうこの家族、4人で斧を振り回して互いを牽制し合うのが日課です…とかでいいんじゃないか」と開き直って思ってましたけど。
そして裁判のパート。ここはリジーが無罪を勝ち取れた理由を説明する非常に重要なところですが…なんと本作の肝心の裁判シーンは1話(第7話)だけで終わりという…。私はてっきり全4話くらいかけて描くのかと思ってた…。
しかも、その内容もめちゃくちゃ浅くて、製作陣はそもそも裁判シーンに興味とかないんだろうな、と。
やりたい意図はわかります。ナンス・オニールが知恵を授けたように、女性に対する固定観念(女がこんな凶悪殺人できるはずはない)を逆手にとることによるカタルシスを狙いたいのだろう、と。
でもやっぱりそこだけ強調するには無理があって、だって歴史的に「魔女狩り」という理不尽な理由で女性が罰を受けてきた事例なんて山ほどあり、女性と悪事を結びつける難癖なんていくらでもあるはずです。リジー裁判はあくまで当時の司法制度が現代とはだいぶ違っており、現代から見れば相当にいい加減だったという大前提があり、それを「女性に優位に持ち込む余地があるもの」として上書きするのは厳しいでしょう。
判決後の終盤にいたって、リジーが女性参政権運動とかに参加していて(そんな史実はない)、強引な印象操作がここでも繰り出されていて…。
本作はリジーをフェミニズムのアイコンにしたいという下心が見え見えですが、とにかく全体的にスカスカなハリボテ感があって、むしろフェミニズムをバカにしてるのか?と勘繰りたくなるような質の低さでした。
センスのないレズビアン・キラー
『モンスター リジー・ボーデンの物語』をもうひとつ特徴づけるのが、クィアネス…女と女の恋愛模様です。
これも“ライアン・マーフィー”と“イアン・ブレナン”の男2人クリエイターを庇うわけじゃないですけど(何回言うんだ)、史実ではセクシュアリティに関する明確な事実はない(もともとナンス・オニールと恋仲だったのでは?と言い出す人がいて、そこから生まれた逸話)このリジーをレズビアンと解釈するのは、本作が初ではなく、2018年の『モンスターズ 悪魔の復讐』でリジーとブリジットのレズビアン関係が主題になっていました。
なのでこの『モンスター リジー・ボーデンの物語』はぶっちゃけパクリですよ。
“ライアン・マーフィー”が関与しているだけあって、クィアな観客のツボを押さえた描写は悔しいかな上手いです。やけにクィアっぽさ全開のブリジットが“ザ・ランナウェイズ”の「Cherry Bomb」をBGMに現れ、さらにはバイブレーターを教えるのは少々やりすぎな気もしますけど。
本作でリジーとブリジットを繋げる大きな接点となるのが、1500年代後半のハンガリー王国の貴族にして「血の伯爵夫人」という異名を持つエリザベート・バートリ。女性殺人鬼の元祖とも言え、作中では処女の血で風呂に入ったという(明らかに科学的にみれば突拍子もない)作り話が映像化されます。そしてリジーとブリジットは2人だけのお手製の赤いバスタイムを満喫する…。もうここの映像だけでいいんじゃないかな?
ただ、この『モンスター』シリーズ全体の総評になりますけど、このシリーズは凶悪殺人者のクィアネス(もしくは当時は異常性欲と呼ばれた代物)を、ことさらわざとらしく強調し、結局は物議を醸す演出として利用しているだけに終わっていると思います。製作陣的には「そうじゃない。偏見を取り除きたい」とか思っているでしょうけど、志と中身が全然噛み合っていない…。
『モンスター リジー・ボーデンの物語』の場合、ダメ押しでさらにマズいのは、アイリーン・ウォーノスという1990年前後に7人の男性を殺害した罪で死刑判決を受けた実在の女性がいきなりリジーの物語に覆いかぶさってくる構成です。作中でアイリーンはリジーの逸話の影響を強く受けており、性暴力に苦しんだすえの正当な反撃だったと自供します。
この演出は、「私たちはイタズラに過去の殺人鬼を映像化しているわけではありません。現代に生きる“声をあげられずにいる者”に繋がる苦悩を可視化する意味があるのです」と言わんばかりの作り手の所信表明(言い訳)だったのだろうと私は受け止めましたが、ますます意味不明なことになってないか…。
犯罪者の知名度に便乗して、点と点を脚色で強引に繋げすぎなんじゃ…。ここまでくると陰謀論とそう変わらない…。
アイリーンは“サラ・ポールソン”が熱演しているので演技の見ごたえはあるんですけどね…。
とまあ、『モンスター リジー・ボーデンの物語』は「女性の怒り」が凶悪事件のエネルギーになることの構造を描こうとしているものの、あまりセンスが良くない作品だったな、と。
偶然なことに同じくらいの時期にドラマ『フューリアス 奪う女と追う女』も配信されていて、こちらのほうが何倍も「女性の怒り」の解像度が高く、センセーショナルな映像に頼らずに、その内面の苦悩(+クィアネスも)に迫っていました。
ここまで脚色するなら普通にオリジナルのフィクションでやればよいのではないでしょうか。リジー・ボーデンから着想を得たであろう『Pearl パール』とかは、それで自由にやってましたし。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
×(悪い)
以上、『モンスター リジー・ボーデンの物語』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Netflix モンスターリジーボーデンの物語
Monster: The Lizzie Borden Story (2026) [Japanese Review] 『モンスター リジー・ボーデンの物語』考察・評価レビュー
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