シカリオは二度死ぬ…映画『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』(ボーダーライン2)の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2018年11月16日
監督:ステファノ・ソッリマ
ボーダーライン ソルジャーズ・デイ
ぼーだーらいん そるじゃーずでい
『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』あらすじ
アメリカで自爆テロ事件が発生。犯人がメキシコ経由で不法入国したと疑う政府から任務を命じられたCIA特別捜査官マットは、アレハンドロに協力を依頼。麻薬王の娘イサベルを誘拐し、麻薬カルテル同士の争いへと発展させる作戦を極秘裏に遂行するが…。
『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』感想(ネタバレなし)
友達(麻薬カルテルと一緒)
僕のことを知ってほしい。
僕は親友になる方法を知っているし、人生の楽しみ方も知っている。
そしてそれを君と分かち合いたい。
僕が持っているビーチ、世界遺産、芸術、聖なる道、空間、アイディア、民族の多様性、そして秘密。
それらが君を魅力するだろう。
君が思っている以上に、君の近くにいる。
君の訪れをとびっきりの笑顔とテキーラ、そして一生の思い出に残るようなサプライズのおもてなしを用意して待っているよ。
生きがいを一緒に見つけよう。
早く君と出会って心の平和を共有できたらと願っているよ。
そして、感動で満ち溢れたこの世界を一緒に進んでいこう。
君の友達、メキシコ。
この文章は、メキシコ観光局が作成した日本人に向けたメキシコPR動画「Dear Japan」のナレーションの一部の抜粋です(詳しくは「visitmexico.com」をどうぞ)。なんでもメキシコは日本をアジア最大の市場として観光分野でも注目しているようです。その動画自体はナレーションも片言ですけど、熱意は伝わってきます。
映画だと2018年は『リメンバー・ミー』という素晴らしいピクサーのアニメーションが公開されて、死者を敬うメキシコの文化に日本との親近感を感じるなど、ちょっと身近になってきた雰囲気もあります。
しかしです。メキシコの映画といえば、もうひとつ忘れてはならないものがあります。それは「メキシコ麻薬戦争」という題材です。
メキシコ麻薬戦争…この言葉を知らない人に長々と文章で説明するくらいなら、映画を観てくださいと言いたいところ。オススメは2つのドキュメンタリー。ひとつは『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』。もうひとつは『カルテル・ランド』。
2つともとにかく衝撃的。メキシコで起きている麻薬をめぐる人間模様に関する想像を絶する闇に愕然とすると同時に、途方もない無力感に苛まれると思います。フィクションじゃなくて、現実で起こっていることなんですよね…。メキシコのイメージがガラガラ崩れていきますよ。『リメンバー・ミー』のあの死者の世界、殺された人だらけで溢れかえっちゃうよ…。
そして、このメキシコ麻薬戦争を、サスペンス・スリラーとして上手い具合に映画に昇華したのが2015年の『ボーダーライン』でした。監督はそれまで批評家から高い評価を得ていたドゥニ・ヴィルヌーヴで、この『ボーダーライン』でもってさらに実力を認められたかたち。脚本はアメリカの地方の闇を描き続けている“テイラー・シェリダン”。このフレッシュな才能の組み合わせが絶妙だったなと今振り返っても思います。
その好評を博した『ボーダーライン』の続編が作られることになり、それが本作『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』です。
ドゥニ・ヴィルヌーヴは2作目となる本作では関わらず、監督を務めるのは“ステファノ・ソリマ”という人で、正直、聞いたことがない監督だったのですが、イタリアの映画監督のようで。本作が英語作品としては初めてらしいですね。大丈夫?と心配しなくてもOK。脚本は引き続き“テイラー・シェリダン”ですし、明確に前作の雰囲気を重視して継承していますから。
あまり言うとネタバレになりますので書きませんが、前作で「えっ…」という衝撃を残す終わり方をしていたので、続編なんて作れるのかと思いましたが、気になる中身は…そうくるかという感じ。
『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』感想(ネタバレあり)
はい、次は争ってください
まず初めに前作『ボーダーライン』の話を振り返ると、舞台はシウダー・フアレス(Ciudad Juarez)という、アメリカとの国境付近にあるメキシコの都市でした。この地で殺人など暴力事件が爆発的に増えたのは2008年頃だそうで、フアレス・カルテルとシナロア・カルテルという、2つの麻薬犯罪組織の間で、米国への麻薬輸送ルートの支配権をめぐる熾烈な争いが激化。その結果、どんな街になったのかは1作目の映画内で描写されていたとおり。
実はこのシウダー・フアレスでの麻薬戦争はもう終結しました。なので平和になりましたと言っている人もいます。でもですね。要するに街が1つのカルテル・グループの支配下に置かれたというだけであって、当然、意に反するようなことをすれば見るも無残な姿で路上に放置されるだけです。それを平和とは呼べない…ですよ。
1作目はこの「麻薬カルテル一党支配の確立」がテーマになっており、CIAが暗躍して“ジョシュ・ブローリン”演じるマット・グレイヴァーや、“ベニチオ・デル・トロ”演じるアレハンドロが現地で手を汚していく…というのが大筋のストーリーでした。
そして、2作目となる本作。今度は「テロが怖いし、やっぱりカルテル同士の抗争を誘発して弱体化させよう」というアメリカ側の方針転換で、またもやマットとアレハンドロが手を汚す展開に。しかも、そのためにカルテルのリーダーの娘イザベルを拉致して、ライバルのカルテルの仕業に見せかけるというなかなかの悪行を実行。前作からそうでしたが、CIAってクソだなとしか思わない、倫理も法も完全無視の暗躍っぷりは清々しいくらいです。アメリカの映画なのに、ここまで自国の諜報機関を悪に描けるのは、地味に凄いですよね。
1作目は実際のメキシコ麻薬戦争の実情を反映した物語でしたが、今作はどの程度のリアルベースなのかはわかりません。ただ、本作のストーリーの中には、常に敵は外部からくるものであるというアメリカの妄信や、自国の権力者の利益のためならいくらでも人命は切り捨てるという冷酷さなど、フィクションだからとは笑えない要素が、現代社会にグサリと突き刺さっていたと思います。
あくまで映画の中の話…そう思いたいのですが、私たち観客は全然そう思えない。脚本家“テイラー・シェリダン”、またしても心を乱してきますね。
暴力のルーチンワーク
前作も凄まじかった暴力描写ですが、今回もそれに輪をかけて凄惨な映像を序盤から観客の目に押し付けてきます。
手始めにアメリカとメキシコの国境付近で、夜間、合衆国警備隊が移民の集団を捕らえるシーン。ひとりの移民が集団から外れ、自爆。これがファースト・インパクト。この自爆事件は、最終的なオチを知ると、ミスリードだったことがわかるのですが、この時点では当然観客には情報もろくに提示されていないですから「なに!なに!?」と困惑するだけ。
続いて間髪入れずに、カンザスシティ。ごく普通の日常の中のスーパーマーケットで、男たちがゾロゾロと入り込み散らばると、またドカーン。この場面はずっと外から捉えたカメラで非常に嫌悪感と恐怖をMAXにさせる生々しさがありました。アメリカを舞台にこんなショッキングなテロ事件描写をやっていいのかと驚きましたが、『パトリオット・デイ』もそうでしたが、今のアメリカ映画界はもうテロに関してはタブーなしで真っ向勝負から描こうという意思があるのでしょうね。やっぱり、こういうところは凄いな、アメリカは。
で、その後に映るアレハンドロの汚れ仕事を淡々と実行する姿がまた容赦なくて。カルテルのリーダーの娘イザベルを拉致して、敵対するカルテルの責任にし、自分たちは家にイザベルを監禁したのち、突入して救出劇を自作自演するという、なんてあくどいんだということを平然とやってのけます。ちなみに1作目も序盤は突入シーンからスタートしていましたが、あれはガチ。対する2作目となる本作は“やらせ”。このギャップがまた観客を無力感に叩き込みますね。
今作もバイオレンスがただ残酷というだけでなく、しっかり1作目にあった「結局は意味なんてない」という絶望感も継承しているのが本作の良いところです。暴力が大義さえも見失って機械的に繰り返される…これこそメキシコ麻薬戦争の怖さでしょうし。
この映画に終わりなんてあるのか
そんな感じで相変わらずの衝撃にやられた本作ですが、映画としての面白さにつながる良い部分ばかりではなく、ちょっと気になった部分もあって。
まず、今作は観客側に寄り添ったキャラがいないという点。1作目はエミリー・ブラント演じるケイトというメキシコ麻薬戦争の実情を全然理解していない女性がどんどんその沼の恐ろしい深さを身をもって知るというのが流れでした。つまり、入門編みたいなものです。
一方の本作は、登場キャラクターが皆、このメキシコ麻薬戦争の闇を知り尽くしている奴ばかりで、さすがに観客もこいつらについていくのは大変です。あのイザベルですら、なかなかの肝のある子でしたからね。そういう意味では少し親切ではない映画だったのかなと思ったりも。まだ1作目の方が導入がスムーズでした。
そして、本作は1作目の精神を継承しているのは先ほども書いたとおりなのですが、それゆえに、同じような構成のシーンも多めになっているのが、逆に新鮮さを欠いていることにもなっていたり。例えば、誘拐されて救った(ことになっている)イザベルを連れてメキシコへ連れていこうと車列が国境に近づくシーン。もろに1作目と同じ展開なので、前作を知っている観客はそこまでドキドキしません。
もちろん本作ならではの特徴もあって、終盤に大きな意味が出てくる、メキシコのギャング団のひとりの若者が「暗殺者(シカリオ)」になっていく場面は、まさにすでに「暗殺者(シカリオ)」であるアレハンドロへの因果応報であると同時に、終わりのない連鎖を感じさせて味わい深いです。ただ、今作だけだとどうしても個人的には消化不良な面も否めないかな。
やはり3作目でどう着地させるのか、というか着地させるなんてことができるのか…そういう部分も含めて俯瞰しないとこの本作は評価しづらいかもしれないです。アレハンドロが次にどう行動を起こすのか全く読めないですし、何が起きてもおかしくない。
いや、もしかしたら“テイラー・シェリダン”が、今まさにアメリカとメキシコの間で起こっている時事ネタを食い入るように見つめてシナリオを練っているのかもしれないですけどね。本作のエンディングの後に何が待っているのか、それを知りたければ、リアルのニュースをチェックしておくのがいいのでしょう。
もしアメリカとメキシコが平和になって国境も暴力のない夢みたいな世界になったらどうしよう…(万が一にもないですけど)。そのときはアレハンドロには…う~ん、射的屋さんのおじちゃんとかになってもらおうかな…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 63% Audience 65%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
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以上、『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』の感想でした。
Sicario: Day of the Soldado (2018) [Japanese Review] 『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』考察・評価レビュー