同じ街なのに…「HBO」ドキュメンタリーシリーズ『引き裂かれた街 -ボストン保険金殺人事件-』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2024年にU-NEXTで配信
監督:ジェイソン・ヘーヒル
人種差別描写
ひきさかれたまち ぼすとんほけんきんさつじんじけん
『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』簡単紹介
『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』感想(ネタバレなし)
ボストンの負の歴史を知る
教育への政治介入を平然と強める2期目の“ドナルド・トランプ”大統領は、とくにハーバード大学を目の敵にし、せっかくの世界に誇るアメリカの研究教育の場を攻撃することに夢中です。2025年5月には、ハーバード大学の留学生受け入れ資格を一方的に取り消そうとし、この横暴な措置を裁判所が一時差し止める判断を下しましたが、「留学生に関するリストを政権に提出しろ」や「留学生の受け入れ上限を15%程度にしろ」など、要求は止まりません(CNN)。
ハーバード大学が言論の自由を認め、多様な人種や民族の学生を育んでいることが許せないようですが…。
そんなハーバード大学はマサチューセッツ州のケンブリッジにあるのですが、そのお隣のボストンは大都市であり、とてもリベラルな地域としても今は知られています。
しかし、そんなボストンもたった30~40年前は違いました。全く別の風景があったのです。
今回は“ドナルド・トランプ”もたぶん知らない、ボストンの歴史に密接に触れていく犯罪ドキュメンタリーを紹介します。
それが本作『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』。
最初に言っておくとこの邦題は忘れてください(誰が考えたのか知りませんけど、邦題、これでいいと思ったのだろうか…)。私もしょうがなく使いますが、脳内で適度に無視してもらってOKです。原題は「Murder in Boston: Roots, Rampage, and Reckoning」です。
本作は1989年10月23日に実際にボストンで起きた殺人事件を主題にしています。夜中の街で、とある白人夫婦が銃撃されたと夫から通報があり、夫は一命を取り留めましたが、妻のほうは亡くなってしまいます。そして夫は「犯人は黒人だった」と警察に語るのでした。そこからボストンの街は大騒動に発展していきます。
このドキュメンタリーはその当時の状況を、メディア、警察、行政、人権活動家、巻き込まれた人たちなど、さまざまな関係者の生々しい証言とともに整理して、あらためてあの事件は何だったのかをまとめています。
そしてボストンの人種差別(レイシズム)、とくに黒人差別に関する人種対立の歴史も紐解いており、この今はリベラルを掲げる街の負の歴史を浮き上がらせるものでもあります。
かなりショッキングな内容もありますが、紛れもなくこれが歴史です。
『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』は「HBO Documentary Films」の一作ですが、地元紙「ボストン・グローブ」も制作に関与しています。その理由は観るとわかりますが、あの過ちを二度と繰り返さないというメディアの反省の固い意思でもあって…。
全3話のドキュメンタリーで、1話あたり約50~60分。犯罪ドキュメンタリーが好きな人、ジャーナリズムや人種正義、警察問題などに関心のある人にオススメです。
『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』を観る前のQ&A
A:U-NEXTで2024年9月12日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
基本 | 遺体が映るシーンがあるので注意です。過去の黒人差別が生々しく映ります。 |
キッズ | 暴力事件を扱っているので、保護者のサポートが必要かもしれません。 |
『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』のネタバレありの感想本文です。
ボストン・シビル・ウォー
ドキュメンタリー『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』は、「妻が撃たれた。私も撃たれた」という通報者の第一声で始まります。
1989年10月23日の出来事。ボストン市警察にその通報をしてきたのは、チャールズ(チャック)・ステュアート。声はどんどん弱々しくなり、話さなくなるも、警察は何とか車にいた夫妻を発見。妻のキャロル・ステュアート(妊婦)は頭を撃たれ、夫は脇腹を撃たれており、搬送される夫チャールズは「私はいい。妻の手当てを」と呟きながら、「犯人は黒人の男だった」とその身長、声の特徴、逃げた先がミッション・ヒルであることなどを詳細に伝えるのでした…。
真相を知ったうえでこの事件の概要を表面的にだけ書き連ねるとなんか腹立たしいので、もう焦らすこともないので先に書いてしまいますが、キャロルを殺害したのは夫チャールズでした。黒人だという発言は偽装工作…でっち上げでした。
それはとりあえずさておくとして、本作はボストンという地域の白人と黒人の人種対立の歴史を有識者のナビゲートで振り返っていきます。
時を遡ること1974年9月。ボストンは白人の住むエリアと黒人の住むエリアが事実上分離されており、同じボストンなのに互いを知らないという異様な空間となっていたことが語られます。白人居住地のサウス・ボストンやチャールズタウンに対して、黒人居住地のロックスベリーやミッション・ヒルは経済格差も酷く、不平等極まりないもので…。
そこで人種隔離状態を無くそうと、地域を横断しての「バス通学」が始まったことが対立激化の引き金に…。白人の拒絶反応は想像以上で、「子どもが脅かされる!」と白人の親たちは絶叫しながら抗議する様子が本作でも映ります。
一方の黒人も白人が怖く、「サウス・ボストンをバスが通るときに乗車していた黒人は伏せて身を隠した」というエピソードが全てを物語っていましたね。白人抗議者に黒人が暴行される事件も起き、メディアはこれを「Boston’s Civil War」(ボストン内戦)と表現していたらしいですけど、いかに白人と黒人の見えている世界が違ったか。そして単なる見かけの強引な政策では人種融和など到底無理だという話でもありました。
1983年にレイ・フリンという元バスケ選手で、黒人にもフレンドリーな人物が市長に選ばれたことで、しだいに人種対立は沈静化していきます。やはり政治のトップの人の態度って大事ですよね。
ところが80年代後半に麻薬(クラック)が流行し、貧しい黒人がよく住んでいる公営住宅団地はギャングの溜まり場になってしまい、警察の取り締まりが激化。手当たり次第に身体検査するやりかたが黒人への憎悪を助長します。
そしてステュアート事件です。爆発寸前の人種的反感。その導火線に火をつける事件でした。
フリン市長は総動員でミッション・ヒルをしらみ潰しに捜査し、警察は歯止めなし。黒人の子どもたちは怯える日々。「捜査ではなくあれは危害で報復だった」と当時に子どもだった黒人の当事者の証言はトラウマが刻まれた切実なものでした。
キャメロット・カップルの現実
ドキュメンタリー『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』は、見える世界が違うどころではない…いわば人種の認知バイアスを強烈に浮かび上がらせる作品だったなと思います。
白人男性は妻を射殺してもそれがバレず、それどころか「理想的な夫婦」として大衆の感動と共感を享受できます。一方、黒人男性は誰も殺していないのに「そう見えるから」という理由で殺人鬼として扱われます。あまりに対極的です。
今回の事件の犯人であるチャールズ・ステュアートは、別にそこまで完璧な偽装工作をしていたわけではないんですよね。真相を知ってしまうと「なんだこのずさんな犯行は…」と呆れるレベルの酷さです。
通報の様子からして変ですし、発見時の様子もおかしいです。それだけだと疑惑でしかありませんが、実はマット(マシュー)といった兄弟を証拠隠蔽に加担させており、友人にまで犯行計画を相談しているなど、全然単独犯ではなく、いろいろ人を巻き込んで証拠を残しまくっていました。さらには犯行に使われた銃は職場から盗んだもので、妻には多額の保険金もかけていて…。もう「こいつが犯人です」と一発でわかる…どう考えても真っ先に怪しい奴です。
それなのに警察もメディアも追及せず(裏ではチャールズを怪しいと思う人はいたのに報道はできなかったことが作中でも語られます)、葬儀でのチャールズによる愛の手紙にみんな涙するなんて、もうこんな馬鹿々々しいことはあるかという…。
ステュアート夫妻は「キャメロット・カップル」と呼ばれたそうで、これは“ジョン・F・ケネディ”大統領と妻“ジャッキー・O・ケネディ”の理想化されたイメージに由来しています。
しかし、現実はどうか…チャールズは妻を邪魔として思っておらず、だから殺めたことが示唆され、非常に家父長的でミソジニー全開な人間だったことがわかります。だから私はこの「保険金殺人事件」という邦題も不適切だと思うのです。だってその根本の動機には女性蔑視があった可能性が高いわけですから。保険金と言ってしまうとその犯行感情がオブラートに包まれるので良くないです。それこそ悪いメディアの伝え方ですよ。
大衆というのはいかに「理想的な模範」というものに目を奪われて、疑うことをあっけなくやめてしまうかということですね。疑わなくていい存在はひたすら執念深く疑うのに…。
今回のドキュメンタリーでは、キャロルの遺族は取材に答えなかったそうです。本当はもっとミソジニーの観点での事件の掘り下げもあるといいのですけど。一番の声をあげるべき被害者はキャロルだったはずですから。
ただ、遺族はこの事件の後にキャロルの名を冠した財団を設立し、ミッション・ヒルの子どもたち向けの奨学金支援を行っているので、人種対立への償いというか、キャロルの存在が負の象徴にならないようにもなっていて、そこはひと安心はできます。
人種の認知バイアスの犠牲者
とは言え、今回の事件のせいであらぬ疑いをかけられて人生を滅茶苦茶にされたボストンの黒人たちの屈辱は計り知れません。
ドキュメンタリー『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』で映し出されるのは、黒い運動着を持っていたからという理由で容疑者となったアラン・スワンソン、前科があっただけで容疑者となったウィリアム・ベネット、噂話の伝言ゲームを理由に捕まって自白を強要されたデレク・ジャクソン…。
この3人は要するに見せしめであり、実際はボストンの全ての黒人が攻撃されました。
事件発生時の初期、白人住人は犯人は「頭のおかしい異常者」「精神疾患」「薬物中毒」と言い放っていましたが、これらの言葉は暗に黒人を指しているものです。「人種差別なんてしてませんよ」と表向きは取り繕っても、やはり態度に染み込んでいる…。
私は黒人ではないですし、ボストンに暮らしてもいないので、安易に共感はできると言い難い立場ですが、こういう何気ない(でも間違いなく傷つける)言葉をひたすらに繰り返しぶつけられ、ある事件を引き金に一気に大衆の秘めていた憎悪がぐわっと襲いかかってくる怖さというのを、別のトピックで経験しているので、このドキュメンタリーを観ている間もフラッシュバックしないように、わざと距離を置くメンタル自衛策をとらないといけない部分もあった…。
今回のドキュメンタリーではベネット家がとくに取材に答えてくれています。最初は乗り気ではなかったようですが、監督の“ジェイソン・ヘーヒル”が寄り添ってくれたこともあって心を開いてくれたそうです。とても勇気がいることだと思います。家族の人生を傷つけられた経験を語るのは…。
元凶の犯人のチャールズが飛び降り自殺しようとも、社会が元どおりになるわけではありません。事実、一部のメディアはチャールズが犯人と判明後も、なおもウィリアム・ベネットへの人格攻撃を続けました。
行政(警察含む)とメディアの責任は本当に重いです。
ボストンの街は今は変わりました。作中で映るように、黒人の人も政治のトップに普通に立てるようになりました。
でも本作で唯一出演しているボストン警察の元刑事ビル・ダン(なんでこの人は平然と出演する気になったんだろうか…)の発言からもわかるように、差別意識は今も奥底に沈んでいます。
もしステュアート事件のような出来事がまた現代で起こったらどうなるのか。それこそもっと国のトップが差別を扇動したらどうなるのか。
これは日本にとっては遠く離れた異国の話ではないです。日本も朝鮮やクルドの人への憎悪が社会に渦巻き、アフリカ系ルーツといった肌の濃さなど見た目を理由にレイシャル・プロファイリングが行われているような現状です。日本でもステュアート事件がいつ起こるかはわかりません。
そのときのためにまずは自分の人種の認知バイアスを疑うスキルを身につけておきましょう。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)HBO マーダー・イン・ボストン
以上、『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』の感想でした。
Murder in Boston: Roots, Rampage, and Reckoning (2023) [Japanese Review] 『引き裂かれた街 ボストン保険金殺人事件』考察・評価レビュー
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