性的指向や性自認を治すのは救いなのか…Netflixドキュメンタリー映画『祈りのもとで: 脱同性愛運動がもたらしたもの』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:クリスティン・ストラキス
LGBTQ差別描写
祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの
いのりのもとで だつどうせいあいうんどうがもたらしたもの
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』あらすじ
性的指向や性自認を矯正しようという転向療法を率先して推し進める宗教団体や活動家たち。それらに頼ってしまう当事者たち。その心の内側にはどんな思いがあるのか。政治・メディア・学者も巻き込みながら転向療法に中心的に関与した複数の人物の証言を基にしつつ、その信仰の裏に隠された実態に迫っていく。そこにいたのは、“救われている・救っている”と思っていたのに実際は傷ついていく者たちだった。
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』感想(ネタバレなし)
あの団体のおぞましさ
2021年、オリンピックに一部の人が浮かれる前の春のこと。「LGBT新法」が議員立法で提出される予定でしたが見送られました。性的少数者の平等を確保するための法律を求める動きは以前からあり、それを受けての今回の新しい法律のはずでした。しかし、蓋を開けてみると法律が制定される以前の問題で、一言でいって酷いありさまでした。
与党の自民党議員からは差別発言が駄々洩れ、「差別禁止」すら明記したくない本音が見え見え。さらに嘆かわしいのは性的マイノリティ関連団体という看板を掲げて議論に参加している「LGBT理解増進会」という組織です。この組織は表面上はいかにもLGBTQの味方のように振舞っていますが、今回の議論でも明らかに無理解というよりは偏見が根底にある擁護不可な発言を関係者が口にしまくっており、日本の政治の現場における認識の下劣さに反吐が出る気分でした。
詳細は以下の記事にまとまっているので参照にしてください。
私はこの「LGBT理解増進会」は明確なLGBTQ差別団体であるとハッキリ断言できると思っていますが、この団体の姿を見ていると“あるもの”を思い出しました。
それは「転向療法(コンバージョン・セラピー)」を勧める北米を中心に活動する団体や活動家たちです。
転向療法というのは、性的指向や性自認は治せるということとして扱い、それらを矯正しようという試みのことです。しかし、実際は治せないですし(そもそも治すものではない)、それどころか当事者をさらに苦しめます。それは深刻な社会問題になっており、その転向療法を題材にした『ある少年の告白』や『ミスエデュケーション』のような映画も作られています。
その転向療法についてさらに実態に迫ったドキュメンタリーが登場しました。それが本作『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』です。
本作はアメリカで「当事者を救う」という建前で近づいてくる転向療法を取り上げており、実際に転向療法推進団体の中心人物のインタビューなども交えつつ、その内部を暴き出しています。
かなり当事者には観ていてツライ内容ではあります。あまりにも淡々と転向療法に手を染めていた人の言葉が飛び込んできますからね。でも無視はできない現実です。
このセンセーショナルなドキュメンタリーを製作したのは、ご存じアメリカのLGBTQ作品ならその名を見ない方が珍しい“ライアン・マーフィー”です。
当事者にとっても、当事者を支援する人にとっても、世間一般にとっても必見のLGBTQドキュメンタリーの新たな一作なのは間違いありません。
ただ、やや日本語訳が雑ですよね。作中冒頭の「conversion therapy」の解説文の翻訳からしておかしくて、作中では「個人の性的指向(sexual orientation)や性自認(gender identity)を変える試み」と説明されているにもかかわらず、和訳字幕では「同性愛」に限定するかのように翻訳され、さらに「試み(attempt)」ではなく「治療」と翻訳されてしまっています。邦題も「脱同性愛運動」となっていますけど、これは「ex-gay movement」の訳ですが、ここの「gay」は広義の意味なわけで「同性愛」と日本語にするのはやはりニュアンスが変わるだろうに…。専門家の監修のもと翻訳してほしかったなぁ…せっかく教材にも最適な良いドキュメンタリーなのに…。
強調しておきますけど、転向療法は同性愛だけでなく、両性愛もパンセクシュアルもアセクシュアルもトランスジェンダーもノンバイナリーもみんなターゲットにされています。
“理解”したければ法律ではなくこのドキュメンタリーを観ればいいだけです。当事者たちは“理解”を待っている余裕はありません。
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル・ドキュメンタリー映画として2021年8月3日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :必見のドキュメンタリー |
友人 | :語り合える友と |
恋人 | :気持ちを素直に |
キッズ | :親と一緒に勉強を |
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』予告動画
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』感想(ネタバレあり)
赦しを餌にする宗教の罪
『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』、初っ端から悪夢を見ているような気分で言葉を失うばかりなのですが…。
とりあえず本作を鑑賞すれば、転向療法というものがいかにも医学的な用語っぽい響きを匂わせていますが、その中身はただの宗教活動だということがわかると思います。
一方で悪意ではなく純真な「人を救いたい」「救われたい」という動機に基づいているわけで、信仰の自由なのだし、それで仲間や居場所を得られるならいいじゃないかと考える人もいたかもしれません。「エクソダス」創立メンバーのマイケル・バッシーが支援グループを創設したのもそんな感情からなのは確かでした。
しかし、よく考えてほしいのですが、この「エクソダス」を始めとする転向療法推進団体は表向きは「善行」として堂々としていますが、実際のところは形を変えた布教活動です。信者を増やすのが本当の狙いです。同性愛者を異性愛者に変えて信者同士で結婚させれば、より強固な宗教依存になるし、子どもが生まれればその子も宗教に取り込める。団体にすれば“同性愛でいるよりも異性愛でいてくれる方が利用価値がある”…つまるところ宗教の利益が最優先です。そしてそのためなら性的指向や性自認の自由をいとも容易く侵害し、都合がいい方向に固定化させる。マインドコントロールによって…。エクソダス所属団体の「リビング・ホープ」の事務局長のリッキー・シュレットのように10代の心を洗脳するのが巧みな人も…。
この冷静に分析すれば明らかに利己的な施策なのに、それがさも「善行」のようにデコレーションされる。これこそ“おぞましさ”の正体。
「エクソダス」の元副理事長のランディ・トーマスも説明していましたが、男は男らしさを、女は女らしさを受け入れることを講演で学び、男はアメフト、女はメイクをする…っていうのも「なにそれ?」とツッコみし放題なのですけど、当人はそれが“良いこと”だと思えば疑わなくなる。
別に宗教を否定するつもりはないですが、本作を観ると宗教が持ちうるパワーが最悪のかたちで発現しているのがなんとも…。
広報に加担するメディアの罪
また、これは宗教団体だけの問題ではありません。メディアもこの転向療法に加担している姿が『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』では映し出されていました。
テレビに出演するジェリー・ファルエル伝道師は同性愛は神の法に反する罪深い行為でモラルに反すると語り、ジェームズ・ドブソン伝道師は倒錯だと豪語。
エクソダスの元理事長のジョン・ポークのように、元同性愛者で転向したことで幸せな異性家庭を築けているカップルは、メディアにしてみれば絵になる「奇跡」なのでしょう。盛んに持てはやします。
レズビアンだったイベット・カントゥ・シュナイダーは「マイノリティに与えられる特権」として既存のLGBTQ運動を批判し、その痛烈な言葉はメディアを喜ばせます。やがてはアメリカ最大級のキリスト教右派団体「家族調査評議会」に起用される。当人はカリスマ性を手にした気分でしたが、現実はただの宣伝材料です。
メディアによってタレントと化した回心経験を語る著名人が生まれれば、その人は宗教団体の勧誘リーダーとして活躍。この循環。
そしてメディアのネタになれば、つまりそれは大衆をコントロールする道具にもなるので、権力者たる政治家が目をつけないわけはありません。宗教団体・メディア・政治家の3大加害者の共謀の出来上がりです。
研究の素材にする学者の罪
しかし、それでは終わらない。残念ながらここに「科学」まで関与してくることに。
心理学者のジョセフ・ニコロージのように、心理学者の団体も転向療法に関与し、それが専門家に支持されているというお墨付きを宗教団体に与えてしまう。
宗教と科学は一見すると正反対に立つ存在に思えますが、歴史的にみれば密接に関わってきた交流があったのであり、それを考えると何も驚きはありません。
もちろん今は多くの名だたる学会が転向療法に対して「NO」を突きつけており、科学的な有効性を否定しています。
じゃあ、今は大丈夫なのかというとそうでもないと思います。
そもそも宗教と科学の違いって一般人にはわかっているようで実はわかっていないものなんですよね。例えば、マイナスイオンとか血液型診断とか地震雲とかの疑似科学を、平気で科学だと思って信じてしまう。または感染症に関するデマや陰謀論をあっけなく受け入れてしまう。コロナ禍においても科学や医療を平然と否定する発言をする論者がテレビやSNSで支持を集めていました。そしてそんな論者が科学者よりも専門家として扱われていくという「科学の乗っ取り」みたいな現象…。
現在なんかは宗教と科学がインターネット・コミュニケーションのせいで余計に曖昧になってしまっているので、全然本作の状況を過去のものとしては振り返れないですね。
“理解”ありきの論調は日本版「転向療法」
話をこの感想記事の冒頭の話題に戻しますが、『祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの』を観ることで、あの日本の政治中枢でLGBTQを語る組織「LGBT理解増進会」が転向療法推進宗教団体と同質に思えてきます。
手口が一緒なのです。作中でイベットが説明していましたが、よく用いられる「滑り坂論法(slippery slope argument)」。同性結婚を認めたらどんどん酷いことになっていくぞ…小児性愛も認めるのか…そんな論点ズラし。
そして何よりも「理解」を掲げる行為です。転向療法推進宗教団体も当事者を理解してあげますよと言いながら近づいてきます。しかし、実際は自分に都合のいいように誘導する。そうやって団体や政治の要望どおりのカタチに捻じ曲げる。
私は2021年に日本で浮き彫りになった「LGBT理解ありき」の論調はまさに日本版「転向療法」だと思っています。だからこそ、アメリカだけの話、日本は無宗教だから…と他人事ではいられないのです。
「救う」という行為に酔いしれないために
転向療法推進宗教団体はマイノリティな性的指向や性自認を「個人責任」として片づけようとします。心の闇であると…。人に罪の意識を植え付け、闇深い存在だと思わせて自傷へと追い込んでいく。それこそ悪魔の所業だと思うのですが…。
ただ、当事者にしてみれば弱り切っているので、簡単に心に入り込まれてしまいます。「虐待や性暴力などのトラウマのせいだよ」と頼りになりそうな大人に言われれば「そうなんだ」と思ってしまう。
私もボロボロだった10代の頃にこんな転向療法推進宗教団体に出会っていたら、信じきってしまっていたと思います。
一方で自分も他人事ではないなと思うのが「救う」という行為の責任です。元トランスジェンダーだと言うジェフリー・マッコールなんかを見ているととくに思いますが、あの人も本人的には「良いことをしている」という強い自信があります。反LGBTQを掲げるのも本心なのでしょうし、そんなLGBTQ脅威論に惹かれてやってくる当事者たちも同様。不満の受け皿になっています。
でも、救ってあげているという愉悦感に自己満足を感じ始めるのはやはり危険だなと再確認しました。大事なのはそういう「救っている私ってスゴイ…」という陶酔ではなく、本当に助けになっているのかを自己中心的ではなく多角的に批評する姿勢であり、要するに自己批判なんですね。
これはアドバイザー、カウンセラー、メンター、活動家、専門家…あらゆるLGBTQに関わる仕事の人は肝に銘じておくべき一番の厳守事項でしょう。
私も2021年8月から「AセクAロマ部」というアセクシュアルやアロマンティックを対象とするウェブメディアを新たに始めたのですが、このドキュメンタリー『祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの』は運営者としての教材にもなりました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 82%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
LGBTQを題材にしたドキュメンタリーの感想記事です。
・『テレビが見たLGBTQ』
・『ジェンダー革命』
・『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』
作品ポスター・画像 (C)Ryan Murphy Productions プレイ・アウェイ
以上、『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』の感想でした。
Pray Away (2021) [Japanese Review] 『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』考察・評価レビュー