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映画『パンドラの箱』感想(ネタバレ)…初期のバイセクシュアル・テンション

パンドラの箱

ルルの場合…映画『パンドラの箱』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Die Büchse der Pandora(Pandora’s Box)
製作国:ドイツ(1929年)
日本公開日:1930年2月22日
監督:ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト
恋愛描写
パンドラの箱

ぱんどらのはこ
『パンドラの箱』のポスター

『パンドラの箱』物語 簡単紹介

麗しいダンサーで、男たちを虜にするルルは、今はルートヴィヒ・シェーンの愛人として居場所を得ていた。しかし、そのシェーンは急に他の女と結婚することになったのでもう付き合うことはできないと告げてくる。それでも挫けないルルは、シェーンの息子であるアルヴァさえも誘惑しながら、この状況を乗り越えようとする。そんな中、ルルを昔からよく知るシゴルヒという老人も久々に目の前に現れ…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『パンドラの箱』の感想です。

『パンドラの箱』感想(ネタバレなし)

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1929年のバイセクシュアル・テンション

ジャンルとは違うかもしれませんが、「バイセクシュアル・テンション」とも通称で呼ばれたりする、物語における登場人物の関係性のみせかたの型があります。

これは要するに、その登場人物の性的指向が「バイセクシュアル(両性愛)」かはさておき、男性と女性が複数入り混じる人間関係の中で、男女の異性同士だけでなく、そこに同性同士「romance/sexual tension(恋愛・性的緊張感)」が生じる…そういう異性と同性が交錯する駆け引きがみられるものです。

例えば、2020年代の映画だと、『チャレンジャーズ』『ヘッダ』がありました。

曖昧なバイセクシュアルとみなされたりもしますが、そもそも人のセクシュアリティなんてたいていは曖昧なものです。

この「バイセクシャル・テンション」の面白いところは、「女同士でひとりの男を奪い合う(女の敵は女)」とか、「女を手に入れるのが男らしさ」とか、そういう恋愛や性愛におけるジェンダー・ステレオタイプな関係性論を覆してくれる点でしょう。「男を無視して女同士で愛し合う」ことだってあるし、「ある男が女に惹かれているようにみえて、実は別の男にこそ夢中になっている」ということもある。そんなより複雑化した緊張関係を楽しめます。

では映画史において「バイセクシュアル・テンション」の初期の事例はどの作品なのでしょうか。

そこでよく取り上げられるのが1929年のドイツ映画である本作『パンドラの箱』です。

本作はドイツの劇作家“フランク・ヴェーデキント”の戯曲『地霊』(1897年)と『パンドラの箱』(1904年)…通称「ルル二部作」を映画化したものです。この戯曲はオペラにもなっており、現在は日本でも翻案されながら公演されているのをみかけます。

こちらの映画は“ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト”が監督し、公開当時は不評だったらしいのですが、今ではすっかりヴァイマル共和政時代のサイレント映画の傑作として語り継がれています。

『パンドラの箱』の主人公は、自由奔放に生きる踊り子の妖艶な女性で、愛人を作りながら生活し、年齢さまざまな男たちを魅了しているのですが、その中でこの主人公に魅入られている女性も登場します。それは「あの人、同性からみても綺麗だな…」くらいのフワっとしたものではなく、あからさまに恋愛的もしくは性的な欲求を匂わせる眼差しになっています。そのため、そのキャラクターは初期の明確なレズビアンの登場人物と評されたりもしています。

後半の感想では、この1929年の『パンドラの箱』の内容をさらに掘り下げ、クィア表象として紹介していこうと思います。

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『パンドラの箱』を観る前のQ&A

✔『パンドラの箱』の見どころ
★初期のバイセクシュアル・テンションを観察できる。
✔『パンドラの箱』の欠点
☆—

鑑賞の案内チェック

基本
キッズ 2.5
無声映画なので低年齢の子どもにはわかりにくいです。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『パンドラの箱』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

若い女性のルルは美人で、男たちはたいてい惚れるほどでした。今も住んでいるアパートでたまたま見かけた男に飲み物のサービスをしてあげると、その男は美しいルルにデレデレ。

そのとき、アパートの前で昔に深い付き合いのあった背の低い老人のシゴルヒがやってきて、思わず駆け寄り、話が弾みます。労いつつ、座ったシゴルヒの膝の上に無邪気に座り込んで身を寄せるルル。もう長いこと会っていなかったため、再会の喜びを分かち合います。

ダンサーとして活躍したいルルはエンターテインメントの業界に興味がありました。あとは酒と男に頼り切って暮らしています。

そこに今、ルルが愛人としている新聞社社長のルートヴィヒ・シェーンが帰ってきます。急いでシゴルヒをバルコニーの隅に座らせて隠れてもらいます。

なぜか暗い表情のシェーンにルルも様子がおかしいと感じます。いつものように気楽に振る舞ってもシェーンは憔悴。ルルが横になって誘っても、抱きしめることもないです。

シェーンはそばに座り込み 内務大臣の娘であるシャルロッテ・フォン・ザルニコウと結婚すると告げてきます。名のある家柄の令嬢です。そしてルルに別れ話を持ち出すのでした。もうこの関係を続けることはできないようです。

しかし、ルルは気にも留めません。それどころかシゴルヒを匿っていたこともあっけなく知られます。シゴルヒは浮浪者で、何かと犯罪と縁があると悪い噂もあったので、シェーンは不快に感じてその場を出ていきます。

一方のシゴルヒは、ルルに知り合いの怪力自慢の軽業師のロドリゴ・クアストを紹介します。ルルは相変わらず無邪気です。

翌日、ルルは親友のアルヴァに会いに行きます。実はこのアルヴァはシェーンの息子なのですが、彼までルルは虜にします。ルルはミュージカルに主演したいのでした。芸能業界に通じるアルヴァに取り入れば、その近道になるでしょう。

そんなやりとりを、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢はみつめていました。彼女もまた密かにルルのことが気に入っていました。

こうしてルルはレビュー(軽喜劇)に参加するチャンスを得て、張り切りますが、そこにシゴルヒも立ち入ったことで、シェーンとの間の亀裂が悪化していき…。

この『パンドラの箱』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/04/26に更新されています。

ここから『パンドラの箱』のネタバレありの感想本文です。

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男に支配されるルルを見つめる女

1929年の映画『パンドラの箱』の主人公であるルル。次から次へと男をたぶらかし、自分の求めるものをすべて手に入れようとしていくかのような姿ゆえに、「魔性の女」だと評されたりもしやすい女性像ですが、本当にそうでしょうか。

ルルの行動はわりと一貫していて、自立的なキャリアを求めています。当時の女性は家庭規範から抜け出してキャリアを得るのは非常に困難な時代だったでしょうし、ましてやルルはおそらくホームレス状態から出発した“持たざる者”。

ルルにしてみれば「男」を利用するのも「実力」であり、当然の行為だと考えていたのかもしれません。それこそ世の男たちはごく当たり前に「女(妻)」を利用してキャリアに専念できているのですからね。多くの男が普通にやっていることを女がやって何が悪いという感じでしょうか。

それよりも本作の男性たちの行動(悪徳)にこそ非難的な視線が足りていないとも言えます。

ルートヴィヒ・シェーンは恵まれた権力を持ちながらも、ルルという美女を傍に置いておきたいというさらなる欲望に抗えず、そのうえ、ルルが他の人と楽しくしているだけでも癪に障り、ルルの自由を縛ろうとします。シェーンはルルの主体性とかはほぼ考えておらず、支配欲の権化のようです。

そのシェーンの息子であるアルヴァは親の七光りで、じゅうぶんにこちらも恵まれた生活を送っているのですが、ルルをめぐるある種の父親への嫉妬感情を蓄積しています。作中の少ない描写を眺めているかぎりだと、アルヴァは有名な親を持つゆえに仕事は手に入っているけど、実力が見合っていない感じで、そのことも静かに自覚して劣等感を感じていそうではありました。

しかし、最も搾取的だなと思うのは、シゴルヒです。この老齢の彼は謎めいた人物です。「ルルの父親」と紹介されますが、実父なのか養父なのかは曖昧で、ルルと共に路上生活を送っていたらしいので、判断のしようもありません。

ただ、このシゴルヒはルルに対して一見すると親身そうで実際のところはとても操作的な態度で接していることが窺え、結局のところ、ルルの悲劇的な顛末の元凶は彼であるともみなせます。

ルルが最後に触れる男は「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」。ルルの寛容さに心を開き、一瞬、改心しかけるも、殺人衝動を抑えられないというバッドエンドは、本作の根底にある「男女のジェンダーの本質主義」が滲んでいるようでもありました。

ともあれ、性規範から逸脱した女性が悲劇を迎えるというのはステレオタイプなオチではあるのですけど、ルルは男社会の犠牲者なのか、ファム・ファタールなのか…そういう二元論にはとどまらない、かなり複雑さを持ったヒロインではあったと思いました。

そんな中でのゲシュヴィッツ伯爵令嬢です。彼女は初登場時からあからさまにルルに夢中で、ダンスのシーンといい、その後の裁判といい、あらゆるときでさえ、ルルに献身的です。ルルのために身を捧げてくれます。ルルを逃がすためにロドリゴ・クアストを誘惑までしてくれるほどで、見るからに男相手に嫌そうにしていますが、ルルの人生を最優先にしてくれます。

作中でも男性的な装いで、見るからにクィアネスを放ちまくっているのですが、このゲシュヴィッツがいることで、ルルにも男に支配されない別の道があるのに!…というひとつの希望の提示にもなっています。それは性的緊張感の向こうにある自由です。

しかし、本作はその自由には辿り着けません。そこが悲しいところではあります。

なお、原作の戯曲と違って、エンディングに明確な違いがあり、ゲシュヴィッツの役割も異なります。原作ではゲシュヴィッツはやはりレズビアンな立ち位置なのですが、原作だともっと目立っており、最後はフェミニズムを掲げるも、ルルと共に切り裂きジャックに殺され、その死の間際に永遠の愛を口にします

原作のほうが社会における女性の苦しさというものに自覚的な雰囲気がありますね。

原作者の“フランク・ヴェーデキント”は『春のめざめ』(1891年)など同性愛を題材にした作品を手がけたことで有名で、クィアと女性性を交えたこの原作も意識的な語り口なのだとは思います。

その作品性もあって、この映画『パンドラの箱』もそうなのですが、当時は検閲の対象になってしまうのですけど…。

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主演のルイーズ・ブルックスと重ねて

1929年の映画『パンドラの箱』はバイセクシュアリティを主題にはしていませんし、ルルのセクシュアリティすらも読み取るのも難しいですが、本作を「バイセクシュアル・テンション」として解釈することを一層後押ししているのが主演の“ルイーズ・ブルックス”の存在です。

ルルを演じた“ルイーズ・ブルックス”は、作中のルルと同じように、ボブ・カットのヘアスタイルとフラッパー的な魅力で、映画史に名を残していますが、アメリカのカンザス州出身の女優ながらドイツ映画である『パンドラの箱』に出演しているのはそれなりの込み入った背景がありました。

“ルイーズ・ブルックス”は後に批評家としても有名になり、1982年の著書『Lulu in Hollywood』(『ハリウッドのルル』という題名で邦訳もある)では、自身がその目でみてきた映画業界を痛烈に批評しています。

『港々に女あり』(1928年)、『人生の乞食』(1928年)などと、ハリウッドでキャリアを得てきた“ルイーズ・ブルックス”でしたが、その絶好調の最中、ハリウッドに嫌気が差して、ヨーロッパに活動の舞台を移します。

その理由はいろいろと噂されています。そのひとつに、“ルイーズ・ブルックス”自身はかなり自由人で、業界の有力な男性と性的関係をよく持っていたものの、自立的な主体性は失わず、ハッキリ意見をしていたらしいということがあります。もしかしたら強欲なハリウッドの男たちにうんざりしたのかもしれません。

一方で、“ルイーズ・ブルックス”は当時のクィアな女性たちとも交流があったそうで、女性と性関係を持ったこともあったとか。そのうちのひとりである女優“ペピ・レデラー”は当時は有名なレズビアンでしたが、精神科病棟に送り込まれ、1935年に25歳で飛び降り自殺をして亡くなりました。

“ルイーズ・ブルックス”自身は自分をレズビアンともバイセクシュアルとも表現していませんが、まさにその激動の人生は性的な緊張感の中にあり、悲劇も知っている。偶然ではあるのでしょうけど、『パンドラの箱』のルルと同じような重なりをみせているんですね。

だからこそこの『パンドラの箱』は後世にはクィア映画として原作以上の切実さをもって現代のLGBTQコミュニティの中で語られているわけなのでした

『パンドラの箱』
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)

以上、『パンドラの箱』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)public domain パンドラズボックス

Pandora’s Box (1929) [Japanese Review] 『パンドラの箱』考察・評価レビュー
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