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映画『オールド・オーク』感想(ネタバレ)…Shukran、ケン・ローチ

オールド・オーク

ありがとう…映画『オールド・オーク』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Old Oak
製作国:イギリス・フランス・ベルギー(2023年)
日本公開日:2026年4月24日
監督:ケン・ローチ
動物虐待描写(ペット) 人種差別描写
オールド・オーク

おーるどおーく
『オールド・オーク』のポスター

『オールド・オーク』物語 簡単紹介

イングランド北部の以前は炭鉱で栄えていた町。産業は廃れ、人口も大幅に減ってしまい、最後に残ったパブ「オールド・オーク」にいつもの地元の白人たちが数人集まる程度。住民に慕われている店主のTJ・バランタインはこのパブを一生懸命、経営して維持していた。しかし、町がシリア難民を受け入れ始めたことで、一部の白人の住民が、その新しく移り住んできたシリアの人々を露骨に嫌悪し、罵詈雑言を浴びせるようになる。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『オールド・オーク』の感想です。

『オールド・オーク』感想(ネタバレなし)

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ケン・ローチ監督の最後の映画を

1936年、イングランドの中央あたりに位置するヌニートンという町で生まれた“ケン・ローチ”は、当初は俳優として劇団で演技をしていたのですが、BBCで働き始め、監督の仕事をするようになります。

“ケン・ローチ”監督の作家性は明快で、労働基本権を主な土台とした社会主義的な切り口で現実を映す非常にリアリズムな語り口を得意とします。常に社会の底辺に生きる労働者の立場に立ち、格差を作る階級的な世のシステムを物語によって批判してきました。

初期のBBCで番組を作っていた頃からその作家性は如実でした。例えば、1966年のテレビドラマ『キャシー・カム・ホーム』は、若いカップルが貧困からホームレスに陥っていく姿を描いています。

1967年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビューを果たし、18歳の若い女性が貧しさの中でも奔放さを捨てずに生きようとする物語でした。この最初の映画はそんなに評価は高くなかったのですが、監督2作目で機能不全な労働者階級の家庭に生まれた子どもを描いた『ケス』(1969年)が高評価を獲得。一気に注目のイギリス人監督となります。

しかし、1970年代と1980年代はマーガレット・サッチャー政権下でイギリスが保守化し、社会問題を深掘りしようにも圧力があったため、“ケン・ローチ”監督の持ち味を発揮できず、不遇な状況となります。

それでも1990年の『ブラック・アジェンダ/隠された真相』や、1993年の『レイニング・ストーンズ』で国際的な評価を集め、2006年の『麦の穂をゆらす風』でついにカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。ここまでくるのに遅咲きではありましたが、もはや“ケン・ローチ”監督の実力を否定しようがありません。

それから何作も撮り続け、『ジミー、野を駆ける伝説』(2014年)を最後に映画界からの引退を表明した“ケン・ローチ”監督。ところが、社会を見渡してまだまだ描くべきものがあると感じたのか、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)でカムバックを果たし、カンヌ国際映画祭で2度目のパルム・ドールを受賞

2019年に『家族を想うとき』を監督し、まだまだこの人の映画を観たいと思わせてくれましたが、とても残念なことに次の映画で最後になるだろうということで…。

それが本作『オールド・オーク』

いや、もう高齢なのはわかります。でも…でもまだ“ケン・ローチ”監督の新作を観たかった…。ここからはもう“ケン・ローチ”監督の新作がない世の中になるなんて、どうしたらいいんだ…。

けれども、“ケン・ローチ”監督の映画を観続けられることに甘えるのではなく、これからの未来は私たちがこの社会の批評の目となれということなんだ…と、そう襟を正していくことにします。“ケン・ローチ”監督の志を受け継いで…。

そんないつもより感情いっぱいに迎えることになった『オールド・オーク』ですが、物語自体はイングランドの田舎の町を舞台にした、いつもどおりの“ケン・ローチ”監督の社会リアリズムです。今回は、炭鉱労働者の歴史と今、そして移民・難民との軋轢を交差的に描き、異なる二者の融和の希望を繋ぎとめようとしています。

日本でも現在、さまざまな外国人嫌悪というかたちで移民・難民の排外主義が急速に蔓延し、政治化して、さらなる悪化をみせています。この『オールド・オーク』で映し出される根っこの部分は完全に今の日本とも重なります。

『オールド・オーク』は2023年の映画なのですが、全然日本では劇場公開される気配がないなと思っていたら、2026年にようやく公開。でもこの時期に本作を日本で観るのはタイムリーな社会情勢だと言えるでしょう。

日本が戦後最も極右化した政権下にある2026年。そんな時代に“ケン・ローチ”監督の最後の映画を観ることになるとは思いもしませんでしたが、だからこそ何かを伝えてくれるはずですから。

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『オールド・オーク』を観る前のQ&A

✔『オールド・オーク』の見どころ
★当事者のリアルに寄り添って映し出す語り口。
★社会制度への構造的批判と未来の提示。
✔『オールド・オーク』の欠点
☆—

鑑賞の案内チェック

基本 人種および宗教への差別的な言動の描写が多いです。また、犬が死亡するシーンが一部にあります。
キッズ 2.0
差別的な描写があるので、大人のサポートが必要です。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『オールド・オーク』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

「お前ら、どこから来やがった?」「お願いします。言葉に気をつけて…」「知るか。俺は聞いているんだ。お前らはどこのどいつだ?」「シリアから来ました」「シリア? イスラム教徒が多すぎるわけだ!」「ターバン頭(ragheads)は失せろ!」

イングランド北部ダラム州にある小さな町。シリア難民を乗せたバスは、地元の怒れる白人たち数人に囲まれてしまっていました。バスには子どもも乗っていますが、周囲の白人は差別的な汚い言葉を遠慮なく使い、シリア難民の家族と支援者を罵倒しまくります。

写真を撮られたことに腹が立ったのか、ひとりの白人はバスの窓をガンガン叩きますが、その間に割って入ったのは別のひとりの白人の男でした。

彼の名前はTJ・バランタイン。近くにある住民たちから親しまれてきたパブ「オールド・オーク」を経営しています。TJは「みんな怖がってる」と怒れる白人をなだめています。その間にシリア難民の家族は車から降りますが、先ほどの敵対的な白人男は荷物からカメラを奪ってしまい、勝手に使って、地面に落とし、カメラは破損します。

TJは「申し訳なかった」と謝りながらシリア難民の家の玄関まで荷物を持つのを手伝い、去ります。

普段はTJは近くの浜辺で愛犬のマラと戯れ、散歩が終わって古びたアパートに帰ってくると、愛犬に水とご飯を与え、自分はパブの準備です。パブは老朽化しており、看板の最後の「K」の文字が傾いていて、何度も直そうにもまだ傾きます。もはやこの町で唯一のパブであり、なんとか経営していました。

パブではいつもの地元の白人たちが集まっています。最近の会話の内容は穏やかではありません。近頃は通りの空き家となっている場所が難民向けの居住地として利用されており、住民たちが自分たちの町が様変わりしていることに腹を立てている様子。キツイ言葉で現状を寄生だと表現します。「きっと次はモスクでも建てるんだろう」と…。その会話をTJは黙ってみていることしかできません。

そのとき、難民と一緒にいたひとりの女性がパブに入ってきます。あのカメラの持ち主です。ヤラという名前だそうです。2人は挨拶をかわします。

ヤラはカメラを壊した男に弁償を求めているようですが、相手は気にもしません。見かねてTJが対応してあげることにします。

パブの奥の部屋に案内。まだ町が炭鉱で栄えていた頃の写真が飾ってあります。今では信じられないくらいの大勢の労働者がそこに映っていて、ストライキをしていたときの写真もありました。

TJはヤラの難民支援活動も手伝うことにしますが…。

この『オールド・オーク』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/04/24に更新されています。

ここから『オールド・オーク』のネタバレありの感想本文です。

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分断は権力に責任がある

“ケン・ローチ”監督の直近の過去作では、『わたしは、ダニエル・ブレイク』では弱者を静かに切り捨てる自治体の構造を、『家族を想うとき』ではギグ・エコノミーという現代の農奴制を、それぞれ直視させました。いずれも「システム」を描くのが特徴です。

『オールド・オーク』では、炭鉱の産業衰退という時代の流れに取り残された白人たちが、現代において排外主義に染まってしまうというシステムの歪みをみせてきます。

“ケン・ローチ”監督作の良さは、対象となる人物を誇張しないことです。もちろん悪魔化もしません。一方で、過度に同情的に描くこともしません。

下手すれば個人の精神論になってしまうのですが、“ケン・ローチ”監督は社会制度の問題であるという視座がしっかりあるので、変に論点をすり替えることもなく、真正面から主題に取り組んでくれます。

確かに作中で描かれるいわゆるヘイトスピーチに該当する、シリア難民に向けられる言動は苛烈です。その残酷さは一切手加減せずに描き切っています。冒頭であえて声を強調した演出をすることで、まるでその鋭利な言葉が観客に向けられるような体験をさせ、他人事ではいられなくなります。

しかし、その有害な言動をとる白人たち…いわば「レイシスト」とか、そう乱雑に表現されるような人たちについて、もっと深掘りをするのが本作です。それは「この人たちにもいろいろ苦労があるんだよ(だからいちいち差別主義者だとかいうな)」というような加害責任の矮小化のための言い訳では決してありません。「分断って嫌だね。どっちも過激化したせいかな」なんて双方に嫌味を言うためでもありません。

何度も言うように、もっと大きな責任を持つシステムに批判を向けるためです。

本作の舞台となる町だけではありません。多くのイギリスの田舎町は以前は炭鉱で栄えていましたが、エネルギー情勢の変化にともない、炭鉱の需要が激減。1980年代には厳しい経営となっていました。そこで当時のマーガレット・サッチャー首相率いる保守党政権は、本心では労働組合の力を弱めたいという狙いもあって、採算の取れない炭鉱を閉鎖する政策を強行。これに怒り心頭となった炭鉱町の労働者は1984年から1年かけて一斉に抗議運動を展開し、後に「英国史上最も激しい労働争議」と評される炭鉱ストライキが勃発しました。

結局、保守党政権の目論見どおりに事が進み、大半の炭鉱は閉鎖。労働者は行き場を失い、活気を失った町は貧困化し、政治権力者だけが得をしました。

そんな自分たちの生活に対する主体性を権力に奪われた元炭鉱町の白人が、30~40年後になると今度は町に移り住む移民や難民に不満を蓄積するようになります。「なぜわざわざここに来るんだ?」と。

もちろん移民や難民は何も悪いことをしていません。むしろ人口が増えるのですから、町の活性化の再チャンス到来のはずです。

しかし、作中で主人公のTJも論じるように、「人というのは自分たちより“下”に位置する境遇にある“他の哀れな存在”を非難するように仕向けられる」という残念な性質があって…。まさにスケープゴートが欲しいんですね。かつては権力者に面と向かって抗議できたはずなのに、今は自分よりも弱者に罵詈雑言をぶつけるしかできなくなった…。

本作はそうなってしまった原因のひとつとして、YouTube動画など差別感情を煽るコンテンツの問題も取り上げつつ、劣等感を利用されてしまっている白人たちの現状の虚しさが淡々と映し出されます。

この光景は本当に寸分違わず日本でも起きています。差別コンテンツで稼ぐインフルエンサーや醜悪な政治家のみならず、大衆全般に「外国人って怖そう…」「イスラム教って危なそう…」みたいな“なんとなくの偏見”が醸成されてしまっている空気。それをTJのようになすすべなく眺めるしかできない己の無力さ…。

観ていてとにかくツラい映画でしたね…。

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人間を信じ、未来を一緒に作りたい

そんな『オールド・オーク』の主人公TJですが、彼は彼で聖人君子という理想者であるわけでもなく、離婚して、子どもとも会わず、この年齢でも独り暮らし…TJは誰よりも孤立しています。劣等感なんて人一倍あるはずです。

それでもTJは「人間性を信じる」ことにしており、それだけが彼を人として成り立たせています。

難民が無償で援助を受けられる傍ら、もともとの白人の中にいる貧困層が支援なしなのはさすがに不平等だろうということで、あのパブの奥の部屋で無料提供の昼食会を企画。人種も宗教も混ざり合ったコミュニケーションの場ができます。それは伝統的なパブを時代に合わせてアップデートする試みと言えるでしょう。

作中で白人の差別者は「ragheads」という言葉を使い、これはイスラム教徒の多くの頭に何か布を被る風貌を蔑視的に言い表したものです。対する白人たちは自分たちのことを親しみをこめて「lads」と表現し、これはおなじみの仲間意識を高めるイギリス英語です。この2つの言葉は、「私たち」と「あいつら」という他者化の境界線をこれ以上ないほどにくっきり示しています。

TJの新しいパブはこの境界線を壊しました。TJのやったことはかつての(失敗してしまった)ストライキとも違う、正反対の二者を繋げる融和です。この構図は炭鉱の町と性的マイノリティのコミュニティを繋げる姿を描いた『パレードへようこそ』(2014年)と似ています。

カメラというアイテムも効果的に活かされていました。次の時代の歴史を記録する道具が、誰に壊され、誰に修復され、最後は誰の手に委ねられるのか。そしてその歴史をみんなで観るあの瞬間。あの映画的な喜び。

そのTJに襲い掛かる苦難を盛り込むのもいつもの“ケン・ローチ”監督&脚本家“ポール・ラバーティ”の技です。愛犬を嚙み殺されるだけでも悲しいのに、TJをさらに失望させるのはあの幼馴染のチャーリーの裏切り。その計り知れないTJの失望の大きさを巧みに物語的にみせていました。

“ケン・ローチ”監督のキャスティング・センスも相変わらず見事ですね。主人公のTJを演じた“デイブ・ターナー”(デイヴ・ターナー)も言わずもがなですが、シリアの人たちも陰ながら素晴らしくて…。第2の主人公であるヤラを演じた“エブラ・マリ”はプロの俳優だそうですけど、それ以外は当事者起用をしています。本当に戦争のためにシリアから逃れてきた人たちです。なお、あのコミュニティワーカーのローラ役は実際にコミュニティオーガナイザーをやっていて、反人種差別活動家でもある“クレア・ロッジャーソン”に演じてもらっているそうで、こちらも実在感があります。

“ケン・ローチ”監督の「フィクションだからこそ本物を撮りたい」という姿勢が、配役にも表れていました。

「町が外国人に乗っ取られる」のではなく、「こういう生身のステキな人間たちと新たに暮らせるようになる」…その未来を私たちに信じさせてくれる『オールド・オーク』。この映画に恥じない未来の世界を築いていきたいです。

『オールド・オーク』
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

以上、『オールド・オーク』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023

The Old Oak (2023) [Japanese Review] 『オールド・オーク』考察・評価レビュー
#イギリス映画 #ケンローチ #移民難民 #宗教 #イスラム教 #家族