罪悪感を期待して…映画『THE END/ジ・エンド』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:デンマーク・ドイツ・アイルランド・イタリア・イギリス・スウェーデン(2024年)
日本公開日:2025年12月12日
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
自死・自傷描写 恋愛描写
じえんど

『THE END(ジ・エンド)』物語 簡単紹介
『THE END(ジ・エンド)』感想(ネタバレなし)
シェルターでミュージカル?
これから儲かるビジネスが知りたい? ええ、私は知っていますよ。
今、市場が急成長拡大しているのは「シェルター」です。
シェルター…バンカーとも言いますが、要するに緊急時にそこに隠れてしばらく生きるための設備ですね。主に核戦争とか、自然災害とか、そういうものを想定しています。
アメリカのシェルター市場は今後10年で右肩上がりで倍以上に発達するとの予測もあります。世界の政治情勢は非常に不安定であり、核戦争や壊滅的環境破壊の危機がすぐそこまで迫っているので、需要は増えるばかりのようです。
『ハウス・オブ・ダイナマイト』にも登場した連邦緊急事態管理庁(FEMA)は「各人が最低約9平方mの広さと約2mの頭上空間を確保すること」を推奨しています。
まあ、でもそんなこと言われても凡人にはシェルターなんてそうそう作れませんよね。日本はただでさえ土地が狭いので物理的に無理です。結局、シェルターを作れるのは富裕層だけ。カネ持ちが世界壊滅の原因を作り、その終末後を生き残ろうとする…。ほんと、嫌な世界ですよ…。
今回紹介する映画はそんなシェルターで悠々自適に暮らすカネ持ちの家族を独特の眼差しで映し出す作品です。
それが本作『THE END(ジ・エンド)』。
本作はとある理由で地球の地上が人類は普通には住めなくなった世界が舞台で、いわゆるポストアポカリプスものなのですが、物語自体は完全に地下シェルター(バンカー)で展開されます。このシェルターがリッチなひと家族の所有物であるためなのか、屋敷のような内装になっており、その生活は使用人もいて何不自由なく過ごしています。
決してそのシェルターで熾烈なサバイバルが繰り広げられるとか、そういう物語ではないんですね。
今作はそんなシェルター内の家族の人生を映しだす…いわばカネ持ち観察映画です。
しかも、この『THE END(ジ・エンド)』はミュージカルになっているという、異色のアプローチとなっています。
こんな一風変わった『THE END(ジ・エンド)』を手がけた監督も意外な名前で、その人とは“ジョシュア・オッペンハイマー”。
ドキュメンタリー映画をよく観ている人なら知っている名ではないでしょうか。“ジョシュア・オッペンハイマー”と言えば、1960年代にインドネシアで行われた大量虐殺の加害者を取材してそ当事者心理を抉り出すようなドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』(2012年)と、その続編的な『ルック・オブ・サイレンス』(2014年)で、衝撃的な話題を集めた人です。
今回は実に10年ぶりの映画監督作となったのですが、まさかオリジナルの長編劇映画で、そのうえミュージカルになるとは誰が想像しただろうか…。でも『アクト・オブ・キリング』だって平凡じゃない切り込みかただったし、今作の『THE END(ジ・エンド)』もある意味で加害者の心理を浮き彫りにさせる作品なので、作家性は変わってないんでしょうね。
『THE END(ジ・エンド)』に出演するのは、『端くれ賭博人のバラード』の“ティルダ・スウィントン”、『FEMME フェム』の“ジョージ・マッケイ”、ドラマ『デス・バイ・ライトニング』の“マイケル・シャノン”、ドラマ『レディ・イン・ザ・レイク』の“モーゼス・イングラム”、『Dance First』の“ブロナー・ギャラガー”、『キラーズ・セッション』の“ティム・マッキナリー”、ドラマ『Mr Loverman』の“レニー・ジェームズ”など。
“ジョシュア・オッペンハイマー”監督の新たな試みが気になる人はぜひどうぞ。
『THE END(ジ・エンド)』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 自死を描くシーンが一部にあります。 |
| キッズ | 低年齢の子には意図がわかりにくいかもしれません。 |
『THE END(ジ・エンド)』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ひとりの女性がベッドから飛び起きます。隣の男性は「悪夢をみたのか?」と心配そうに声をかけます。最近はこうした寝つきの良くなさは珍しくありません。それでもこの夫婦はまた眠りにつきます。
ここは岩塩鉱山の奥深くにある地下シェルターです。鉱山自体はわずかな人工のライトで照らされるも時が止まったかのように静寂に包まれています。人影はないです。
なぜなら地球の地表が深刻な環境災害によって居住不可能になって20年が経過しているからです。もう人類の文明はありません。かつてのような経済も都市も存在しないです。
このシェルターでは邸宅のような内装の居住区があり、富裕層の一家が暮らしていました。妻であり母である女性、夫であり父である男性、そしてその夫婦の20歳の息子ひとり。
暮らしているのは家族だけではありません。母の古くからの友人女性もひとり。一家に仕える年老いた男性がひとり。そして一家に薬を支給し、安全管理を管理を兼任するドクターがひとり。
この少人数でこのシェルターを維持しています。
ここでの生活は何も不自由はしていません。食料は自給自足です。野菜なども室内で栽培しています。豪華な家具も貴重な絵画もプールさえもあります。美術品のコレクションは母の趣味で、母のこだわりは非常に強く、この部屋の内装も口うるさく指示しています。
緊急時の安全訓練も欠かしません。警報音の中で息子はガスマスクと防護服を着ながら懸命に対処しようとするも、想定としては父と母は死んだことになり、動揺を抑えます。落ち着きたいときは水槽の小魚やエビを見つめるくらいしかできません。もし両親が本当に亡くなったら自分は孤独になる…その将来に耐えられません。
人生の全てを地下で過ごしてきた息子は、これまで見たことのない外の世界を想像するのみ。その材料はシェルター内の父の書斎などにある書物です。そんなわずかな資料に基づき、歴史的な出来事やそれにまつわる場所のミニチュアを黙々と作ることに夢中になっています。そうすることで過去を知れたような気分になります。
息子は石油王だったという父の回顧録の執筆を手伝いながら、父の過去の仕事はきっと素晴らしいものだったのだろうと思い浮かべます。
ある日、車で鉱山をウロウロと運転中、意識を失っている少女を見つけます。息子と同年代くらいです。
こんなことは初めてでした。なぜこんなところに現れたのか。外から来たのだとしたら、一体どうやって、どんなことを見聞きしてきたのか。わからないことだらけでした。
シェルター内の人たちは最初はこの謎の少女を追い出そうとしますが、息子はどうしてもそれに賛同できず…。

ここから『THE END(ジ・エンド)』のネタバレありの感想本文です。
加害認識から逃げるための私たちの心のシェルター
『アクト・オブ・キリング』にて現実社会で存命する加害者の心理を炙り出した“ジョシュア・オッペンハイマー”監督ですが、劇映画『THE END(ジ・エンド)』でもその土台にあるものは同じです。
本作はフィクションですが、そもそもの企画の出発点は、実際の石油産業で莫大な富を得てそのために一線を越えるような行為に手を染めてきたとある一家を取材していたことなのだとか。その人たちは、バンカーを購入しようとしていたらしく、そのリサーチの中で、取材でバンカー見学に同行もしたそうです。その過程で「この人たちがもし本当に世界の破滅から数十年後、このバンカーで暮らし続けた際に、抑え込み続けた後悔や罪悪感とどう対峙するのだろうか」と監督は思案し、最終的にこの『THE END(ジ・エンド)』を思いついたとのことです。
本作の主役となるあの家族…名前も明らかにされないほどに記号的ですが、その背景は作中で読み取ることができます。
あの父はやはり石油産業で資産を獲得しています。おそらく映画内の環境災害もそうした石油産業による環境破壊が主因でしょうし、言うなればこの家族は世界を壊滅させた加害者のひとつです。
母の美術コレクションもそうです。芸術を評価しながら収集する行為の、一種の自己陶酔は自覚なき加害者の構図と似ていますし、現に美術館業界と石油産業は密接に癒着していますからね。
その父と母にシェルター(バンカー)内で育てられた息子は20歳という年齢にしては世間知らず…。でもそれはそれで当然なのですけどね。なにせ外を知らないのですから。
興味深いのは、本作では歴史認識もまた加害の側面が抜け落ちているということです。どうやらこのシェルターには“ジョシュア・オッペンハイマー”監督のドキュメンタリーとかは収集されていない様子。歴史の加害性を学ぶ術はない模様です。あの息子にとって「歴史」とは「人類の輝かしい栄光の軌跡」として美化だけされ続けています。
こうなってくると「シェルター」という概念自体が比喩的な意味を帯びてきます。つまり、外部からの情報をシャットアウトし、自身の内側に閉じこもり、ひたすら自分だけの都合で居心地のいい空間を作り、自己正当化を成立させ続ける…そういう場です。
これはあの一家特有の現象ではないかもしれません。私たちは実物のシェルターは持っていなくても、誰しもその心にシェルターを持っている…。それは「身を守る」ためという名目で、単に自身の加害認識から逃げているだけかもしれない…。
『THE END(ジ・エンド)』は加害認識から逃げるための私たちの心のシェルターをナラティブに風刺するアプローチとしては非常に個性が突き抜けた一作だと言えます。
そうやって本作を捉えると、あの家族を支える「フレンド」「バトラー」「ドクター」の役割も肩書がいかに上っ面だけなのかという内心の実態が透けてきます。
ミュージカルとの相性の悪さ
という感じでアプローチは面白いし、これはこれで確かにクリティカルな映画になりそうなのですけども、『THE END(ジ・エンド)』はあまり上手くハマっていないところも目立っていたとも思いました。
まずやっぱりミュージカルの部分ですよね。本作におけるミュージカルはある種の白々しさを表現する演出なので、ミュージカル自体がわざとらしいのも計算の内なのはわかります。
とは言え、ミュージカルとの相性は正直あまり良くないです。ミュージカルの面白さっていかに観客がその現実感のない「楽曲パフォーマンスで物語を展開する」というアプローチに一緒になってノれるか…に全てが懸かっていると思うのです。楽しい!と思わせないとミュージカルがただの「何だか知らないけど歌って踊っている人たち」という他人事になります。
その点、今作の主役の家族は最も観客と遠く、共感を得にくい存在です。もうこの時点でミュージカルに不利です。「なんでこいつら最低の糞野郎なのに楽しそうに歌っているんだよ…」と冷めてしまいます。
このミュージカルのハマらなさは『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を思い出させるな…。よりにもよって『THE END(ジ・エンド)』も息子が恋愛相手の女性と出会う流れになっていくし…。
もうひとつこの『THE END(ジ・エンド)』の問題点は、テーマとして重要な「加害性の炙り出しと自覚」の部分です。
“ジョシュア・オッペンハイマー”監督前作の『アクト・オブ・キリング』は、インドネシアで1960年代に共産党員・少数民族などの人たちがターゲットにされて大量虐殺が起きた事件を主題にしていました。加害者は明白であり、だからこそ追及にも筋が通ります。
しかし、この『THE END(ジ・エンド)』は確かに石油産業を軸にして加害者を設定していますけども、詳細な加害の構図はみえません。基本的に曖昧で、ぼかされています。それに環境破壊の加害者というのは、無論、石油産業に多大な責任があるのは言うまでもないのですけど、そんな単純でもありません。他にも無数の加害者が複雑に絡み合っており、それを整理するのも一筋縄ではいきません。
ちょっとこの『THE END(ジ・エンド)』は簡略化しすぎですね。最終的にはいくら富はあっても孤独は怖いという…普遍的な感情に帰結させようとしますが、その片づけ方も雑な気もします。
ということでもうひと捻りを用意するか、ミュージカル演出の組み込みかたを変えるか、何かしらのアイディアが追加で欲しい一作でもありました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
以上、『THE END(ジ・エンド)』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Felix Dickinson courtesy NEON
The End (2024) [Japanese Review] 『THE END(ジ・エンド)』考察・評価レビュー
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