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『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』感想(ネタバレ)…ジョーカー2はつまらなくていい

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

そう別の誰かが言っている…映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Joker: Folie a Deux
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2024年10月11日
監督:トッド・フィリップス
性描写 恋愛描写
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

じょーかー ふぉりあどぅ
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』のポスター。アーサーとリーの2人の男女を映したデザイン。

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』物語 簡単紹介

衝動的な殺人によって「ジョーカー」として有名になったアーサー・フレック。今はアーカム州立病院に収監され、以前の狂気は消え失せ、静かに過ごしていた。裁判の日は近づき、弁護士が無罪のために策を練るが、アーサーはそんなことにも関心がない。刑務所ではジョーカーの熱狂的な支持者は多いが、あえて注目を集めようともしていなかった。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の感想です。

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』感想(ネタバレなし)

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そんな評価でもアイツは笑っている

2019年ってなんか妙に距離を感じますね。翌年にあの世界的異変が起きたせいなんですけど…。

その2019年に劇場公開され、映画界に旋風を巻き起こした『ジョーカー』。この『ジョーカー』現象を振り返らないと今回は始まりません。

バットマンでおなじみのDCのヴィラン「ジョーカー」の単独映画であった『ジョーカー』は、公開されるや話題を独占。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、脚色賞を含む最多11部門にノミネートされ、ジョーカーを怪演した“ホアキン・フェニックス”主演男優賞を受賞。興行収入もR指定映画として初めて10億ドルを超え、間違いなくその年の顔となりました。

ただ、そんな映画『ジョーカー』は批評家からは賛否両論でした。ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞しましたが、一般公開されると手厳しいレビューも相次ぎます。

批評外としては映画を取り巻く反応も問題に…。映画内ではニヒリズムの究極体のようなジョーカーを突き放す絶妙なバランスもみせていましたが、やはり一部の観客は作中のとおり、ジョーカーを理不尽な世の中への反逆者として信奉するようにもなって…。とくにインセルを惹きつけたのが厄介でした。

正直、日本でも『ジョーカー』は大ヒットしましたけども、その余波なのか、ジョーカーの猿真似をするような自己陶酔なニヒリストがあちこちに続出しましたし、犯罪者も現れてしまいましたから…

あの映画自体を全否定するつもりはないですけど、すごく幼稚なカタルシスとして解釈されかねないリスクは軽視できませんでしたね。私も受け手の愚かさを過小評価してました。

その問題作がまさかの続編を用意してきたから、さあ、大変。

それが本作『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』

一発だけの特別作だと思ったら、シリーズ化するのか…。監督の“トッド・フィリップス”と主演の“ホアキン・フェニックス”も了承の上の企画なんだろうけど…。

その『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』、嫌な予感はしていましたが、状況は一層ややこしくなりました。2024年の公開すぐ、酷評が殺到します。批評家の評価が前作より低いのは想定内です。注目は観客の評価が著しく下がったこと

映画を観たばかりの観客から評価を聞いて集計する「CinemaScore」「D」を獲得した初のハリウッド・ヒーロー系アメコミ映画となったそうで…The Hollywood Reporter。これはかなり異例で、というのも批評家評価の低いアメコミ映画なんていくらでもありましたが、それでも観客の評価はまあまあを保っていることがたいていです。批評家にはウケなくてもファンにはわかってくれる人がいる。そういうジャンルですから。

じゃあ、なんで『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はこんなにも観客からさえも嫌われたのか。それは…私も映画を観たらだいたい察しがつきました。

ネタバレせずに説明はしづらいですけど、早い話がこの映画、わざと退屈になるように作っている感じです。”わざと”って部分が大事。

1作目を楽しんだ人は「え?」と冷水を浴びせられます。だったら、1作目を楽しめなかった人は楽しいのかというと、そうでもなく、1作目以上に楽しめない可能性のほうが大きいです。全方向に嫌われるつもりで狙ってる映画といいますか…。

いや、本作が好きだ!という人もいると思いますよ。ここが良かったと一部のシーンだけを抜き取って褒める人もいるでしょう。

2024年公開でマーベルの『デッドプール&ウルヴァリン』もR指定ですが(ちなみに『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はなぜか日本ではPG12なのでR指定ですらないです)、あちらはファンサービス盛り盛りだったのに対し、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はファンサービス皆無でひたすら地味に2時間以上突っ切ります

私もミスリードとかしたくないのでハッキリ言いますが、1作目以上に人を選ぶ映画です。覚悟はしてください。

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『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を観る前のQ&A

Q:『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を観る前に観たほうがいい作品は?
A:1作目の鑑賞を推奨します。ただし、前作のラストとは繋がりません。
✔『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の見どころ
★観客への挑発と我慢のせめぎ合い。
✔『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の欠点
☆この映画は一体誰のための作品だったのだろうか…。

オススメ度のチェック

ひとり 2.5:覚悟のうえで
友人 2.5:期待を下げて
恋人 2.0:デート向きではない
キッズ 2.0:性描写&殺人描写あり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

アーカム州立病院。ここにいるのは精神的に不安定で、犯罪の危険性がある者たちです。一斉に各部屋から起こされる患者の中にアーサー・フレックがいました。

アーサーは2年前にゴッサム・シティで話題騒然となった男です。「ジョーカー」という異名で、大衆の前で堂々と殺人を実行。社会の片隅でくすぶっている人間たちにとってその凶行は反逆と映り、一部の人たちはアーサーを信奉するようになりました。

今、アーサーは犯した罪について裁判を待つために拘留中。劣悪な環境で虐げられたこともあり、やせ細り、覇気もなく、しかし、従っていました。患者同士の乱闘騒ぎがあっても喧騒に混ざることもないです。陰気でかつてのジョーカーの狂乱は影も形もありません。

髭を剃られる中、看守は仲間同士でジョークを飛ばし、笑い合っています。アーサーはぴくりとも笑いません。

降りしきる雨を浴びつつ、別の病棟へ。歌が聞こえてきます。音楽療法のセッションが行われている様子。そこにいるリーという女性と目が合います。

そのリーは部屋から現れ、廊下で看守に連行されるアーサーに声をかけます。リーは指で銃を作り、自分の頭に撃つ仕草をします。アーサーはそれを見つめます。

弁護士のメアリーアン・スチュワートは、アーサーが解離性同一性障害を患っているということで話を進め、裁判で「ジョーカー」の人格が犯罪の原因であると主張するつもりのようです。興味なさそうにその話を聞くアーサー。

唯一、アーサーが関心を持ち始めたのはあのリーです。音楽療法のセッションに向かう許可を得て、リーと会話。リーはアーサーと同じ近所で育ち、虐待的な父親が亡くなり、両親のアパートを全焼させた後に投獄されたと打ち明けてきます。さらにあのジョーカーの行為を賛辞します。ここには他にもジョーカーの支持者はいますが、リーの言葉はアーサーに届き、リーと笑い合います。

テレビでは検事のハービー・デントは「アーサーは怪物です」と有罪に持ち込む気で自信満々にメディアに答えていました。

ある日、施設内での映画鑑賞会でのこと。隣にリーがいる中、アーサーも座っていましたが、背後で炎が上がります。周りがパニックになって逃げ惑いますが、アーサーとリーは2人でその場に立ち尽くし、互いを見つめます。そしてリーがキスをし、手を繋ぎ、廊下を走り…

アーサーの高笑いがまた戻ってきました…。

この『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/11/14に更新されています。
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アンチ“ジョーカー”だけども…

ここから『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』のネタバレありの感想本文です。

“トッド・フィリップス”監督がどういう意図で『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を作ったかは本人のみぞ知るですけど、1作目で劇中のようなジョーカーの信奉者を生んでしまった影響を踏まえ、今作ではそれに対するカウンターをぶつけることを狙っているように感じました

前作がアンチヒーロー映画だったら、今作はアンチジョーカー映画ですね。

なので1作目がカタルシス全開だったのに対し、本作はアンチカタルシスで一貫しています。1作目を好きだったファンを絶対に満足させまいと、安易な期待を裏切りたいという大前提でプロットも演出も構成しているような…。

明らかに主人公のアーサーにその本作の企画趣旨を暗示するメタなセリフを言わせているので、確信犯なのでしょう。わざとつまらない映画を作ろうとしています。

冒頭からアーサーは退屈の極みのような佇まいでいます。わざわざ前作のラストを無かったことにしてまで、このアーサーの状態で始めているのですから…。

1作目を観ている人はあの狂気を発露したジョーカーを知っているので、今回はいつまたあのジョーカーを発揮するのかと、そわそわするのですけども、全然起きません。そのわりには妄想が何度も展開されるので、もうなんだかどうでもよくなってきます。

そして本作は大部分が法廷劇に突入します。法廷劇というのはかなりプロットの力が問われるのですが、本作はサスペンスが皆無です。私たち観客には法的論点が整理されて提示されるわけでもないですし…何が何だかよくわからないまま、淡々と法廷ドラマを見せられます。

しかし、そうこうしているうちにアーサーはジョーカーのスタイルで自身が弁護でこの法廷をショーにするみたいなことを始めかけます。ある意味、ジョーカーの信奉者が待ち望んだショータイムです。

ところが、ここでアーサーはジョーカーへの決別を涙ながらに語り、反省しているような振る舞いをみせ、ジョーカーの信奉者を失望させます。さらにここでおそらくジョーカーの信奉者による爆弾テロが起き、法廷ごとアーサーもボロボロに…(ほんと、巻き添えでしかないデントが一番可哀想だけども…)。

本作の冒頭でカートゥーンアニメで描かれるとおり、アーサーにとってジョーカーは敵であり、ジョーカーの信奉者も敵なのでした

このようにジョーカーの信奉者と決別する展開というのは、まあ、必要だったとは私も思います。この決別のしかたが面白いかどうかは別にして…。

ただ、問題は本作はアンチジョーカー映画ですけど、アンチアーサー映画ではないんですね。アーサーに対しては1作目から変わらず同情的です。精神疾患っぽい要素で同情性を強化するのも依然として危ういし…。結果、インセル的なナルシシズム(「どうせ自分は誰にも理解されないんだ…」という劣等感)を前作以上に色濃くしてしまっており、余計に問題性が跳ね上がったのではと思わなくもない…。

そもそも全方向に嫌われるつもりでわざと狙っていくアプローチというのは、言ってみればさらなる尖った信奉者(私は世間的には酷評の『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』も愛せる人間だぞ!みたいな考え)を選別しかねない構造になってしまいますし(映画に”信奉者”なんて言葉は個人的に使いたくもないのに)、こういう映画のアプローチ自体が扇動でしかない気もしますが…(私はひとつの映画に“支持する”or”支持しない”みたいな争点化をむやみに生じること自体が変な誘導になっているとも思う)。ましてや『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』が不当に攻撃されている!」みたいな陰謀論的な言論まで飛び出しかねないし…。

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史上最もつまらないハーレイ・クイン

上記だけだと「1作目をあれこれ踏まえすぎて失敗した続編」って感じなのですが、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』がここに追加で新作料理に挑戦したみたいになっており、それが味を大暴落させてしまっていました。

元凶は、リーというキャラクターとのミュージカル展開です。

リーは、もうこれは丸わかりですが、ハーリーン・クインゼルであり、後のハーレイ・クインを基にしています。それを今作では“レディー・ガガ”に熱演させ、ミュージカル調にしているのです(宣伝ではミュージカル映画ではないと言い張ってますけど、最近のハリウッドはミュージカルを宣伝で押し出さないのが定番なので…)。このコンセプトを公開前に聞いたときは「本当にそんなことやるの?!」とびっくりしましたが、これは異色作になる雰囲気がありました。

しかし、蓋を開けてみると…あれ? わざとつまらない映画を作るというアプローチがこのミュージカル・パートにも採用されるの?…と。1作目はあれだけ旧作の誠意あるオマージュを下地にしていたのに、往年のミュージカル映画にはこの扱いなのか?…と。こんなつまらない『バンド・ワゴン』「That’s Entertainment!」を聴かせるのか?…と。

ミュージカルって好き嫌いがでやすくて、苦手な人もいると思うのですが、本作はミュージカルが苦手な人は当然受け付けないですし、ミュージカル好きさえも嫌味に切り捨ててくる…本当に誰も得をしないミュージカルでした。

しかも、リーというキャラクター自体も薄っぺらさが尋常じゃないです。現在は主体的なハーレイ・クインを描いた作品がいくつも登場していてめでたいことなのに、今作のリーは完全にアーサーのプロットのための装置でしかありません。傷つきやすいファンガールなのか、無情なファム・ファタールなのか、それは曖昧なままですが、とにかく言えるのは魅力はゼロで…。

アーサーを一層不憫にさせるための仕掛けにすぎないリーというキャラクター…登場させる意味はあったのかな…。

このリーの登場のたびに虚無感に襲われる中、リーがやっと退場して(もうでてこないで…)、これで落ち着くなと思ったら、そうはさせてくれないのがこの映画です。

ラストのあれは…うん…。これを単なるショッキングなシーンで片付ければいいのですけど、フランチャイズはここで終わりだ!という終了宣告のように思えて、誰かに継承されていつまでも続くぞ!という地獄宣告にもなっているから、ものすごくどっちつかずなダサいクリエイティブな態度になっているのではないだろうか…。マルチバースの設定を使わずにしてマルチバースの疲労感だけを体験させてしまった感じさえありました。

この『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の続編は作られないそうですけども、大丈夫ですかね? 『ジョーカー』もどきな映画が今後も量産されないのかな。私、世の中を全然信用できないですよ。

アーサーみたいな奴に必要なのは『ハングオーバー!』の連中のような気軽さで有害ではない関係性を築いてくれるパートナーですね。ああ、またもや『レゴバットマン ザ・ムービー』の良さを再確認してしまった…。

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』
シネマンドレイクの個人的評価
3.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
×(悪い)
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関連作品紹介

ジョーカーやハーレイ・クインを描く作品の感想記事です。

・『バットマン マントの戦士』

・『Harley Quinn』

・『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

作品ポスター・画像 (C)2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved ジョーカー フォリアドゥ

以上、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の感想でした。

Joker: Folie à Deux (2024) [Japanese Review] 『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』考察・評価レビュー
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