ジュディ 虹の彼方に
映画『ジュディ 虹の彼方に』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Judy
製作国:イギリス(2019年)
日本公開日:2020年3月6日
監督:ルパート・グールド

ジュディ 虹の彼方に

あらすじ

1968年。かつてミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨したジュディは、度重なる問題行動によって信頼を失っていき、今や映画出演のオファーが途絶え、巡業ショーで生計を立てる日々を送っていた。住む家もなく借金も膨らむばかりの彼女は、幼い娘や息子との幸せな生活のため、起死回生をかけてロンドン公演へと旅立つ。

『ジュディ 虹の彼方に』感想(ネタバレなし)

ジュディ・ガーランドの葛藤に寄り添って

日本でも普通に見かける機会が増え始めた気がする「レインボーフラッグ」。6色の虹色模様がはためく旗はLGBTQのアイコンであり、その平等の権利を訴える社会運動では必ずと言っていいほど掲げられています。ゲイ・プライドのシンボルですが、きっとこれからはもっと一般化して使われていくのでしょう。絵文字もあります → 🏳️‍🌈

でもなぜ虹色なのでしょうか。実はその理由は映画界と関係のある話なのでした。

レインボーフラッグの原点になったものは、ギルバート・ベイカーという人がデザインしたのですが、そのアイディアのもととされるのが、1940〜50年代のハリウッドを代表する大スターにして名女優である「ジュディ・ガーランド」が主演作『オズの魔法使』で歌った「虹の彼方に(Over the Rainbow)」という曲なのです(あくまで世間に流布する通説ですが)。ジュディ・ガーランドはとくにゲイ・コミュニティから支持されてきた歴史があり、「friend of Dorothy(FOD)」という言い回しが“ゲイが仲間を暗に示すスラング”となってきたほどです。ジュディ・ガーランドの父も同性愛者だったそうで、彼女自身も同性愛者と親しくしていたことが多かったのだとか。 

そんな側面もあるジュディ・ガーランドの名は往年の映画ファンなら知っていて当然の知名度ですが、一方で彼女の本当の人生はあまり知られていません。1939年にミュージカル映画『オズの魔法使』で主役のドロシーに大抜擢されて一気にスターの階段を駆け上がったものの、すぐに精神的な病気や薬物中毒で不安定な状況になり、自殺未遂まで…。1954年の主演作『スタア誕生』で久しぶりに映画界でスポットライトを浴びるも、やはり問題行動によって業界から無視されていき…。そして1969年6月22日、47歳の若さで亡くなりました(検死では偶発的な事故となっています)。

私たちはジュディ・ガーランドの出演する映画でのキラキラした姿だけを見知っているだけ。それこそ映画会社が売っている商品としての「ジュディ・ガーランド」です。では、商品ではない、人間としての彼女の本当の姿は何だったのか。本人亡き今、それを知る術はほぼないですが、寄り添うことができる映画が誕生しました。

それが本作『ジュディ 虹の彼方に』です。

本作はジュディ・ガーランドが映画界で活躍していた若かりし頃を挟みつつ、彼女が亡くなる1年前の1968年のロンドン公演の様子を描いています。当然ながらそこには私たち観客が見ていた輝かしい彼女ではなく、苦悩を抱えながらひたすらにもがき苦しむ、痛々しいほどのジュディ・ガーランドのリアルがあって…。正直、本作を観ると『オズの魔法使』や『スタア誕生』をエンターテインメントとして従来どおり鑑賞することができなくなるくらいなのですが…(実際、私はその二作が少し嫌いになった気もしないでもない…)。とにかくあのスクリーンに映る無邪気な愛らしい子役女優を愛していた人ほど、心がグシャグシャにかき乱されると思います。

一応、『ジュディ 虹の彼方に』は2005年に初演された「End of the Rainbow」という舞台劇が原作になっているそうです。ジュディ・ガーランドの伝記本もありますし(「Get Happy: The Life of Judy Garland」とか)、彼女の子どもの証言もあったり、情報源は少なくないのですが、あくまで本作はこの舞台劇ベースだということ。なので完全な真実を保障するものではないですが、それでも相当に寄り添った作品になっているのは間違いないのではないでしょうか。

本作は40代のジュディ・ガーランドを熱演した“レネー・ゼルウィガー”が、アカデミー賞主演女優賞を始めとする2019年の主演女優賞を総なめしたことでも話題になりました。“レネー・ゼルウィガー”自身が作中の名曲を実際に歌い上げており、そこも高評価を押し上げています。“レネー・ゼルウィガー”と言えば、『ブリジット・ジョーンズ』シリーズで人気を不動のものにした女優でしたし、それ以前には『ザ・エージェント』でトム・クルーズの相手役でブレイクしたり、それ以降でも『シカゴ』や『コールド マウンテン』で賞ステージにあがりまくる、いわば名実ともにトップ女優。けれども2010年からお仕事を休業し、2016年の『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』で復帰してから、どんな活躍をするのかなと見ていたら、まさかいきなり主演女優賞とは…。やっぱり本当に凄い役者なんだな…。

『ブリジット・ジョーンズ』1作目公開時は、口パクでヤケクソ熱唱するイタイ女を熱演していたあの“レネー・ゼルウィガー”が…。たぶんこの当時に「この人、将来ジュディ・ガーランドを演じるんだよ」と未来人から教えられても、私は信じないと思う…。

他の俳優陣は、“マイケル・ガンボン”、“ルーファス・シーウェル”、“フィン・ウィットロック”、“リチャード・コーデリー”など。あと、“ジェシー・バックリー”という女優も出ており、彼女は『Wild Rose』という主演映画でこれまた素晴らしく高評価を受けており、今後も注目の人なので覚えておいてください。

監督は、舞台でのキャリアの蓄積がある“ルパート・グールド”。原作が舞台なので結構そのまま演出ノウハウが通用している感じでしょうか。

昔から映画を愛してきた人ほどこの作品は観た方がいいと思います。押し付けるものではありませんが、映画を観るくらいは簡単ではないですか。ジュディ・ガーランドの葛藤と比べたら。それは商品としての彼女を支持してきた私たち映画ファンができる、せめてもの償いのような気も…。

オススメ度のチェック
ひとり◎(往年の映画ファン必見)
友人◯(俳優愛を語り合う場に)
恋人◯(少し映画知識がいるかも)
キッズ△(基本は大人のドラマです)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ジュディ 虹の彼方に』感想(ネタバレあり)

私は昔は大スターだった…

ジュディ・ガーランド、15歳。硬い表情の中、そのまだ人生を15年しか送っていないティーンは、自分よりもはるかに圧倒的な存在である男の話を聞いていました。

その男の名はルイス・B・メイヤー

彼はハリウッドを代表する企業「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)」の共同創始者であり、ハリウッド黄金期を支えた絶大な力を持つ権力者です。無論、ジュディ・ガーランドをスターへ押し上げたのも彼であり、今、このMGMが総力を持って打ち出す『オズの魔法使』の主演を飾る大事な役目に起用するのも相当な覚悟のこと。ちなみに当初、ドロシー役がライバル社である「20世紀フォックス」の人気子役だったシャーリー・テンプルに演じさせようとしていて、それが頓挫したので、急遽の代役がジュディだったのだとか。要するに社をあげての投資であり、失敗できません。

メイヤーと映画のセットの中を歩きつつ、まだその映画界の現実をろくに知らないジュディでしたが、すぐに身を持って知ることになります。

時は流れ、40代をとうに過ぎていたジュディ。彼女は2人の子どもと一緒にステージに上がってパフォーマンスをしていました。それは子役時代の世界とはまるで違う、小さな小さな世界。荷物をいっぱい抱え、ホテルにチェックインしようとしますが、過去の不払いのためにあっけなく断られ、文句を言い、帰ります。帰ると言っても実は帰る場所がありません。そこでかつての婚約者であった(3人目の夫)シドニー・ラフトの家に戻ることを余儀なくされ、険悪な関係性を再燃させてしまいます。

疲れ切って車内に座る彼女は当たり前のように薬を口に入れます。そう、順調だったキャリアが崩壊したのも、思えばずっとこの薬とともにありました。

夜。パーティーでジュディはナイトクラブのオーナーであるミッキー・ディーンズと出会い、楽しい時間を過ごせます。そこではかつての夫(2人目)ヴィンセント・ミネリとの間にできた娘ライザ・ミネリとも遭遇し、昔のことがフラッシュバックします。

もう一度キャリアを輝かせたいという熱意が沸き上がったジュディは、名残惜しく2人の子をラフトに残して、イギリスに向けて出発することにします。そこで公演の計画を立て、いよいよスタートというときに、なかなか部屋から出れないジュディ。しびれを切らしたアシスタントが遅れているジュディを部屋まで迎えに行き、化粧を直し、なんとかステージに到着。しかし、この土壇場でも「できない」と言いだすジュディでした。呼吸も荒く、落ち着きがない彼女を、背中を押して無理に出させます。

観衆の前に立ってジュディは見るからに不安定で、探り探り歌い出すことに。しかし、次第に情熱を取り戻し、声はパワフルになっていき、最終的には素晴らしいパフォーマンスで観客は熱狂。総立ちの拍手を浴びました。楽屋に引っ込み、やりきったジュディの目には涙が…。

勢いに乗ったジュディは歌唱を続けますが、やはり薬は手放せません。歌えば歌うほど薬の服用だって増えていきます。それは悪影響となってパフォーマンスにも響いてきました。それはまるで以前の映画俳優キャリアを失った状況を再現しているかのように…。

そんな中、偶然夜の街の片隅で自分を見つけてくれたのは、一組のゲイカップル。照らす力もない、小さな小さな虹がジュディに何をもたらすのか…。

闇の魔法の国ハリウッド

『オズの魔法使』のドロシーはカンザスの農場から、竜巻に巻き込まれて魔法の国オズに迷い込んできました。

しかし、そのドロシーを演じたジュディ・ガーランドはミネソタ州から魔法の国ハリウッドにやってきたのでした。そこはルイス・B・メイヤーという男が支配する、権力と商業主義で成り立つ世界です。

『ジュディ 虹の彼方に』で描かれる子役時代のジュディの境遇は、大袈裟でなく“おぞましい”ものでした。まず冒頭でメイヤーと話をするジュディが描かれるわけですが、葉巻をスパスパ吸いながらそれを持った太い指の手でジュディの顔に触れ、顔を手で掴んで自分の顔も近づけて話すメイヤーの姿は、ハッキリ言って気持ち悪いにもほどがあります。明らかに自分の所有物としてしかジュディを見ていません。

とりわけ今の私たちはつい最近有罪判決を受けたハーヴェイ・ワインスタインの事件の記憶が新しいのであって、余計にこの何気ない冒頭場面の裏にあるであろう背景を想像してしまいます。

実際、メイヤーは当時からかなり強引というか、倫理も法も軽視する、自己中心的な横暴さが目立ち、間違いなく今の認識では擁護不可能なアウトな人物です。

その一部として本作でも語られるジュディの受けた、過剰な食事コントロールと薬漬けの日々。当時はアンフェタミンが普通に使えたとはいえ、これではただの実験動物とたいして変わらない。それでも無力なティーンは大人たちの言うことをただただ聞いて受け入れるしかない。

まさに「商品」として大人に作られていくジュディの姿はかなり強烈にショッキングです。そもそもジュディ・ガーランドという名前も本名ではないですからね(本名は「フランシス・エセル・ガム」)。

大人に言われるがままに黄色のレンガ道をたどったジュディは、エメラルド・シティにたどり着いたのか。

その答えは本作で示されるとおり。10代のジュディと40代のジュディがカットバックで映し出され、どちらも薬を手放せない生活を送っている。ハリウッドに殺された…という彼女の急逝を評する言葉は全然嘘ではないなと思わせます。

そのハリウッドの暴力的なまでの“おぞましさ”をここまで真正面から描き切ることができるのも凄いなと思わせるところ。本作がイギリス製作というのもあるでしょうが、やはり映画界への批判を忖度なしでやっていいという、現在の風潮あってこその時代に生まれた映画だなと感じさせますね。

それと同時にこのジュディの苦悩を知らずに好き勝手に鑑賞していた私たち映画ファンにも罪悪感を与えるものですし…。ポテトやハンバーガーを彼女の人生から奪ったのは私なのかと思うと、何も言えなくなる…。

ジュディ 虹の彼方に

ラストステージの魔法

無垢な少女相手でも容赦なく“モノ”化する闇の魔法の国ハリウッド。その業界の暗黒を容赦なく浮かび上がらせる『ジュディ 虹の彼方に』ですが、一方で映画の犠牲者ともいえるジュディ・ガーランドに対して、本作は映画のフィクションの力で一筋の救いを与えてもいます

40代になったジュディの扱われ方も酷いもので、作中にあった観客からの激しいブーイングも実際に起きたことのようです(新聞が記事にしている)。結局のところ、ハリウッドだけが悪いのではなく、どこの国にいっても、エンターテイナーに人権などないかのように“モノ”扱いする世間というのは存在するということですね。このへんは『ハスラーズ』にも通じるものがあります。


そんなあまりにも非情な世の中に対して、本作でジュディに光を与える大きな役割を担うのが、作中で登場するゲイカップル。彼らは架空の存在ではありますが、前述したとおりジュディはゲイ・コミュニティとのリンクがあり、そこを意識した物語構成です。

ラスト・ステージのシーンは、その彼女の人生(終わりのとき)を知っている身である以上、リアルタイムな観衆よりもはるかに私含む映画観客には尊いものとして映し出されるわけです。ましてやキャリアの評価が低迷した者による、最後の絞りだすような奇跡のパフォーマンスなんて感動するに決まっているじゃないですか。最近観た作品で言えば『僕たちのラストステージ』と同じですが、その舞台は切なく輝きます。私はこういうのに滅法弱いです。


しかし、『ジュディ 虹の彼方に』の場合は、主役のパフォーマンスをただ圧巻に見せつけるだけではないオチを用意しています。あのゲイカップルを始め、観衆たち大勢が立ち上がって彼女と一緒に歌ってくれる。その歌を共にしてくれた人たちこそ、『オズの魔法使』で言うところの案山子であり、ブリキ男であり、ライオンであり…。知恵がない、心がない、勇気がない…そんなどこかに“欠けたモノ”を抱えて、人生を彷徨っている者たちが集い合う。あの瞬間にこそ魔法が宿る。対等な尊厳がそっと花咲く魔法の国がそこにある。

本作は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と同じように、悲しい死のせいで悲劇の印象を後世もずっと背負っている者を、創作という物語の力で塗り替えるようなお話です。


せめてフィナーレだけは商品としてのジュディ・ガーランドではなく、彼女自身のなりたかったジュディ・ガーランドでいさせてあげたい。そういう確かな願いを感じ取れる、静かな、でも真摯なエンディングでした。

ジュディ・ガーランドにあらためて拍手喝采を送りたいですし、そんな難役を見事にやりきった“レネー・ゼルウィガー”も素晴らしいですし、製作陣もお見事で…。

映画界はこの優しさをずっと大事にして、これから発展していってほしいなと強く願います。やっぱり俳優を理不尽に犠牲にして生まれる映画なんて見たくないですからね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 82% Audience 85%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019