独りよりも…映画『プレデター バッドランド』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年11月7日
監督:ダン・トラクテンバーグ
ぷれでたー ばっどらんど

『プレデター バッドランド』物語 簡単紹介
『プレデター バッドランド』感想(ネタバレなし)
プレデター文化は宇宙へ
2025年の日本は相次ぐ熊の出没と襲撃の被害で、もはやパニック状態になりました。熊と言えば「捕食者(predator)」というイメージが強いですが、こういう人間との軋轢が生じる理由は、人を捕食するためではなく、たいていは偶発的な遭遇やゴミ漁り・農作物被害の結果に付随するものです。
「捕食者」って言葉はセンセーショナルさが先行するばかりでインパクトが強すぎて、ちょっと使い方には注意が必要だなとたびたび思います。
そうそう、この映画のキャラクターも「捕食者」の言葉のせいで若干誤解されている奴でした。
誰って「プレデター」です。1987年の映画『プレデター』に始まり、シリーズ化が続いているこの作品の中心キャラはその名のとおり「プレデター」と呼ばれる殺戮を巻き起こす地球外生命体。
しかし、「プレデター」という呼び名のわりには、実際のところ、食べるために狩るわけじゃないんですよね。この地球外生命体は戦闘民族であり、あくまで狩るのも儀式的なトロフィーハンティングの意味合いが常に濃いです。衣食住の概念はあるものの、物質への執着がない…根っからの戦闘一筋の文化宇宙人です。もう「プレデター」って名前、風評被害かもしれない…。
そのプレデター(捕食はしないよ)が2025年はかつてない大暴れをみせてくれました。
それが本作『プレデター バッドランド』。
2022年に『プレデター ザ・プレイ』という映画でシリーズを別次元に格上げしてきた“ダン・トラクテンバーグ”。そのクリエイターが再びプレデターを映画で斬新に描いてくれたのが本作です。
前回は1700年代のアメリカを舞台に先住民の若い女性が突如として出現したプレデターと激闘することになる姿を描いていましたが、今作『プレデター バッドランド』はその続編とかではなく、完全な新規作。最大の特徴はプレデター視点になっていること。主人公がプレデターです。1作目から約38年、やっと主人公になれました…。
“ダン・トラクテンバーグ”は同じ2025年には『プレデター:最凶頂上決戦』というアニメ・アンソロジーも展開させており、こちらはいろいろな時代の地球の各地にプレデターが現れて激闘するという内容でした。
たぶん地球はもうやり尽くしたのでしょうか、今作『プレデター バッドランド』は完全な地球外の星を舞台しており、より世界観が拡張しています。
ジャンル的には大味になった感じもありますが、プレデター好きのツボを押さえるマニアックさとスマートな演出は健在です。何よりもプレデターそのものをかつてないほどに堪能できますし。それに、奇想天外な怪物がいっぱいでてくるので、モンスター映画好きは必見ですよ。
『プレデター バッドランド』で主人公のプレデターを演じるのは、『Red, White & Brass』などに出演したサモア・トンガ系のニュージーランド人の“ディミトリアス・シュスター=コローマタンギ”。
プレデターと共演するのは、『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』の“エル・ファニング”で、今作ではアンドロイド役。とても“エル・ファニング”っぽい役柄です。
それにしても2025年は「プレデター」の新作映画である『プレデター バッドランド』と並んで、「エイリアン」の新作ドラマである『エイリアン アース』もあったので、別に戦いはしませんけど二大「宇宙のヤバい奴」の揃い踏みでした。とくにこの2作は世界観が完全に繋がっているわけではないですが、せっかくだし、ぜひ一緒に観ておきたいところです。
『プレデター バッドランド』を観る前のQ&A
A:とくにありません。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | やや暴力描写があります。 |
『プレデター バッドランド』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ヤウージャ・プライムという惑星。この荒れ果てた地には戦闘こそが全てだと信じる種族が生息し、来る日も来る日も闘いに飢えていました。その種族の若者であるデクは、強くなろうと焦っていましたが、父であるニョールはまだその力を認めていませんでした。
一刻も早く父のようになりたいデクは「バッドランド」と呼ばれる危険な惑星で不死身の怪物と語り継がれるカリスクを狩ることを目指すことにします。失敗すれば死が待っていますが、躊躇する気はありません。
ところが容赦のない父はデクにはやり遂げられないとみなし、デクの兄のクウェイに、弱いままでは存在価値が無いのでデクを殺すように命じます。それでもクウェイはデクを殺せません。共に戦い合い腕を磨いてきた兄弟です。クウェイは父の目の前で刃をデクに向けず、命令に背き、デクの出発を助けます。
デクは強制的に星を発つ船で、圧倒的な強さを示す父に首を切断されて処刑される兄を見つめるしかできません。父は弱さを許しません。情けは弱さとみなされます。他者への同情も弱さです。デクは独りで強くなるしかないのです。
バッドランドと呼ばれる惑星ジェンナに不時着したデク。緊急脱出装置は衝撃で破壊され、何もかもを失い、無様に地面に膝をつくのみ。怒りをぶつけようにも、父はいない。カリスクを狩ってみせることだけしか、今の自分にはありません。
装備を確認し、さっそく狩りの準備をします。鬱蒼と茂る森では得体の知れない気配を察知し、臨戦態勢に入ります。現れたのは、動物ではなく、植物の枝根のようなもので触手のように伸ばしてきて四方八方から襲ってきます。どうやらこの星では動物だけでなく植物さえも捕食してくるようです。
あてもなく彷徨っていると、ウェイランド・ユタニ社のアンドロイドを1体見つけます。ティアと名乗るその高度な知能を有するアンドロイドはこの星の探索に派遣されたようですが、チームは壊滅した様子。ティアも下半身を失っており、もう自身ではどうしようもないようです。
デクは最初は無視しようとしますが、ティアはこの星について詳しく、情報を持っています。協力してあげると誘われ、渋々デクはそのティアを連れていくことにしました。
そして2人の探索は続きますが…。

ここから『プレデター バッドランド』のネタバレありの感想本文です。
他者の文化に触れ、強さを学び直す
これまでのシリーズはどうしても「プレデターを人間がどう倒すか」ということに主眼が置かれ、「プレデターを倒せる強者の人間」の出現に物語のカタルシスのピークが設定されていました。しかし、そのアプローチだとどうしたってネタ切れを起こしますし、何よりもプレデターが倒されてしまえばしまうほど、プレデターの最強さが薄れ、ただのやられ役になってしまいます。
たぶん2018年の『ザ・プレデター』あたりがもう限界だったのだと思います。あちらの映画はもう最後らへんは人間のほうが「プレデター」の肩書にふさわしくなっちゃっていたし…。
“ダン・トラクテンバーグ”は『プレデター ザ・プレイ』でシリーズに少し新機軸を加えました。残忍な殺戮の要素はそのままに、「文化」と「文化」の衝突というレイヤーを追加したのです。ただの脅威の侵略ではなく、その文化的な側面を深掘りすることで世界観に深みを与えました。
『プレデター ザ・プレイ』では、プレデターの文化、ネイティブアメリカンの文化、植民地主義の白人文化…この3つ巴がぶつかり合い、その中で命を尊ぶ価値観が浮き出る構成でした。
『プレデター バッドランド』もその流れを継承しています。まずプレデターとしてヤウージャ族の文化。次にデクが辿り着く星の原住生物たちの文化。さらにウェイランド・ユタニ社という人間の企業文化。ウェイランド・ユタニ社のやっていることは事実上の植民地主義と変わらないので(『エイリアン アース』でも散々描かれていたけど)、実はこの『プレデター バッドランド』も『プレデター ザ・プレイ』と3つ巴の構図は一緒です。
ただ、プレデターが主人公になったことで、プレデター側の文化が詳細に活写され、よりその文化的アイデンティティに敬意がもたらされました。独自の教義があるような描写がグっと増えたことで、なんだか『マンダロリアン』っぽくなりましたけど。
一方でそのプレデターの文化をただ良きものとしてエキゾチックに描くだけに終わらず、その文化内の自己批判にも踏み込んでいます。つまり、かなり加虐的な支配関係があり、「力こそ全て」というルールが徹底されているわけですが、本当にそれでいいのか、と。まだ若いデクは自身の種族の教え(それは父の教えでもある)を幼い頃から内面化し、疑ってこなかったようです。しかし、兄を失い、そこに迷いが生じます。
今作は男らしさの見つめ直しの映画でもあります。マッチョイズムへの批判は過去のシリーズ作の中では一番突っ込んでいます。繊細さ、同情心、仲間意識…そういうものは弱さなのだろうか…。
独りで戦うことこそ「強さ」の証だと信じてきたあのデクが、最終的には他者の文化に触れ、とくにあのジェンナの星の生態系という自然ながらの連帯のネットワークの強靭さを実感し、仲間との共闘に「強さ」の居場所を見つける。
単に強いものを狩るだけでなく、その先住の自然や生命から「強さ」を学ぶというスタンスはプレデターの文化の解釈を大きく高めてくれます。やっぱりプレデターはただの野蛮な種族ではないですよね。
最後はやっぱり暴力で解決
『プレデター バッドランド』では「狩られる側」になってしまうデクですが、この前半パートは学びの場。身をもって勉強します。
ちなみに今作ではレーティングがR指定ではないのですが、まあ、人間がほぼ一切出てこないからそうなっているだけであり、原住生物やアンドロイドは容赦なく八つ裂きにしていきます。暴力描写が薄いわけではないです。
プレデター基準の「危険」とされているだけあって、この降り立った惑星は規格外の化け物だらけ。私の大好きな捕食植物もいたし、三本足の巨大生物もなかなかのインパクト(「ルーナ・バグ」という名らしい)。あいつのほうがカリスクよりも強そうに思えるけど…。カリスクは再生能力があるから最強なんだろうか…。この星の頂点捕食者の座は大変そうです。
その奇想天外なモンスターとの連戦の最中、今作では単純にプレデターが『ターミネーター2』のような味方側に転身するわけではなく、学ぶ側として己を顧みます。
その人生の再考の相棒となるのが、うざったくよく喋るアンドロイドのティアと、この地に住む小さな生物のバド(正体はカリスクの子ども)。デクが兄弟の絆と親子の支配関係に悩んでいる身とすれば、ティアはテッサとの姉妹の支配関係にあり、バドはカリスクとの親子関係の絆にあるので、対極的です。
関係性というのは自分を強くすることもあれば、脅かすこともある。バラバラな3者が互いを補完し合う姿は微笑ましいものでした。
そして最終決戦は、ついにこの星の自然から学んで学習したデクの「狩る側」としての真価の発揮。現地のものを利用して強敵に挑むのは、まさに1作目の『プレデター』で人間側がやっていたこと。気持ちのいい反転です。ちゃっかりあの陸生のウナギみたいな生き物(「インブレ・アングィス」という名らしい)も肩に乗せているのが可愛い…。
そして乗り込むはウェイランド・ユタニ社の探索基地。ここのシーンは1作目の『プレデター』からの伝統である「稚拙で粗暴」というバカさに踏み切った「筋肉! 暴力! 残酷! 以上!みたいなノリ」がカムバックしており、とても愉快で楽しいです。毒針植物にやられるよりも、下半身に負けるほうが屈辱そうではある…。
立ちはだかるテッサも、まさかのパワーローダーに乗り込んでくるというマッチョな戦い方をしてくるし(カリスクとの戦いはさながら怪獣プロレス)、おなじみのあの3点レーザーも使ってくるし、大盤振る舞い。バトルの大味っぷりではシリーズの中でもトップクラスだったと思いますが、エンターテインメントとしては最高でした。
この『プレデター バッドランド』の方向でシリーズを拡大させ続けるなら『スター・ウォーズ』風になっていってしまいますが、どうなるのだろうか…。でもこの時代ではもう地球の人間はろくでもないカスしかいないからな…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『プレデター バッドランド』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 20th Century Studios. All Rights Reserved. プレデターバッドランズ
Predator: Badlands (2025) [Japanese Review] 『プレデター バッドランド』考察・評価レビュー
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