通り過ぎた過去を振り返るだけ…映画『KILL 超覚醒』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:インド(2023年)
日本公開日:2025年11月14日
監督:ニキル・ナゲシュ・バート
恋愛描写
きる ちょうかくせい

『KILL 超覚醒』物語 簡単紹介
『KILL 超覚醒』感想(ネタバレなし)
変わりゆくインドの列車を前に
インドの鉄道網は世界最大級かつ最も混雑するなんて評されますが、最近は急速に最新化が進んでいるそうです。例えば、ヴァンデ・バーラト急行やナモ・バーラト・ラピッド・レールといった鉄道車両はもう日本のものと遜色ありません。
どうしても私なんかはインド映画の影響もあって、昔ながらの列車に大勢がひしめき合っているイメージがインドの印象になってしまっているのですが、その認識はアップデートしないといけないな…。
ということで今回紹介するインド映画もやや古いタイプのインドの列車を映していると考えながら観ておこうかな。
それが本作『KILL 超覚醒』です。
本作は2023年にトロント国際映画祭で公開され、インド本国では2024年に劇場で一般公開。日本では2025年に公開されました。
インド映画というと日本でもド派手な大作を真っ先に思い浮かべてしまいますが、本作『KILL 超覚醒』は比較的コンパクトなジャンル映画です。ハリウッドなら、定番のアクション俳優に主演させるようなやつですね。
『KILL 超覚醒』の物語もざっくり言えばとてもシンプルで、「列車に強盗が乗り込んできた!⇒でも強者の男(主人公)が乗っていた!⇒よし、ぶちのめすぞ!」というよくある流れ。でも少しプロットに捻りがあるのですが、そこは観てのお楽しみ。
「超覚醒」とやけに盛大な副題が日本語タイトルではついてしまっているせいで、変な期待を煽りかねないですけども、いきなり主人公が火を吹くとか高速移動するとか、そんな特殊能力に目覚めたりはしませんからね…。
スタイリッシュでバイオレンスなアクション・サスペンスのエンターテインメント作なのは確かにそうですが、とりあえずそんなに軽快で気楽なノリではないとだけ言っておきます。
『KILL 超覚醒』を監督するのは、2009年の『Salunn』で長編映画監督デビューを果たした“ニキル・ナゲシュ・バート”。今作ではついにハリウッドにも見いだされたようで、本作はハリウッド・リメイクも企画進行中とのこと。
主演は、2017年のドラマ『ポロス~古代インド英雄伝~』で活躍した“ラクシャ”で、映画デビューを『KILL 超覚醒』で飾ることになりました。今回のブレイクスルーで、次はどんな仕事をするのだろうか…。
共演は、ドラマ『Loot Kaand』の“ターニャ・マニクタラ”、『Yudhra』の“ラガブ・ジュヤル”、『Iraivan』の“アシーシュ・ヴィディヤルティ”、『Mast Mein Rehne Ka』の“アブヒシェク・チョウハン”など。
インドの列車の車窓からのんびりと眺めている場合でもなければ、ゆっくり寝台でぐっすり寝ている場合でもない、あっという間の乗車体験を『KILL 超覚醒』でぜひどうぞ。
『KILL 超覚醒』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 残酷な暴力描写が多いです。 |
『KILL 超覚醒』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
即応型の対テロに特化したインド特殊部隊(NSG)に所属するアムリトという男は、仲間からも慕われている正義感の強い人間でした。今日もやっと任務を終え、久しぶりに自由な時間が手に入ります。
アムリトにはトゥリカという長年交際している女性がいて、2人は愛し合い、結婚を考えていました。しかし、そのトゥリカの父である実業家バルデフ・シン・タークルは娘の婚約相手を勝手に自分の都合で決めてしまいます。トゥリカ本人の気持ちは気にも留めません。
自身の愛を誠実に持ち続けているアムリトはこの状況を黙認はできません。自分と彼女の運命が懸かっています。そこでヒマーチャル・プラデーシュ州パラムプルに戻ったばかりでしたが、ジャールカンド州のラーンチーに同僚ヴィレシュと急遽駆けつけることにします。駆け落ちする覚悟でいました。
ところが、トゥリカは圧倒的な権力を持つ父の存在を恐れて、そのアムリトの愛の申し出を素直に受け入れることはできません。
翌日、トゥリカとその家族はラーンチーからニューデリー行きの超特急列車に乗り込みます。トゥリカの両親や、妹のアハナも同行しています。こっそり追跡していたアムリトらも乗り込み、なるべく他にはバレないようにトゥリカにプロポーズします。
2人はあらためて愛の深さに心を通わせます。けれども、この列車の旅は平穏というわけにはいきません。
約1200kmのルートを走る寝台列車は大勢が乗っていて、インドではよくある光景に過ぎません。
しかし、列車がダルトンガンジ駅に到着すると、ファニ・ブーシャン率いる武装した強盗の一団がぞろぞろと列車に乗り込んできました。これは用意周到に計画された犯行でした。ファニの父ベニとそのギャング団もそこに関わっていて、強盗乗っ取りの隠蔽工作は練られていました。乗客は混乱に包まれます。邪魔者は平気で殺害する容赦なさです。
強盗の最中、ファニはバルデフ・シン・タークルも列車に乗っていることを知り、これをさらなるチャンスと考えます。
そして、この緊迫の事態をアムリトが見過ごすわけはなく…。

ここから『KILL 超覚醒』のネタバレありの感想本文です。
インドのダコイト映画として
列車を舞台とするアクション・サスペンス映画はあれこれとありますが、例えば、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のように突拍子もない異常事態が起きるもの、『暴走特急』のようにハイジャックされるもの、『アンストッパブル』のように列車が止まらなくなってしまうもの、『新幹線大爆破』のようにテロで停車できなくなるもの、『トレイン・ミッション』や『ブレット・トレイン』のように列車内でいざこざが起きるものと、その内容はさまざまです。
『KILL 超覚醒』はそんなこれまでの映画のどれかと同じだろうと思っていましたが、ちょっと意表を突かれました。
非常に速いテンポで物語は展開し、序盤であっという間に寝台列車に危険な集団が乗り込んできます。でもハイジャックはしていないんですよ。列車のコントロールを奪ってはいません。あれだけ刃物で武装しまくった奴らが乗り込んできても、これはハイジャックではないというのがすでに「え?」って感じになります。
でもそれは私がインドの列車事情をよく知らないからそう思うのでしょうね。というのも、この映画『KILL 超覚醒』、監督の“ニキル・ナゲシュ・バート”の体験を基にしているからで…。
いや、もちろん“ニキル・ナゲシュ・バート”監督自身が凄い勢いで強盗団をバッタバタと倒していったわけでもないですし、そういう乗客が実際にいたわけでもありません。
“ニキル・ナゲシュ・バート”監督は昔にある列車で寝ていて、その間に強盗団が乗り込み、犯行をしていったそうです。
列車内でしれっと犯罪が行われるというのは日本でもあります。スリなどの窃盗、痴漢などの性暴力…。犯行する加害者は通報されないように画策します。
インドではこのタイプの列車内犯罪がかなり大胆に行われることがあるんですね。だからこそ列車内に武装警備員(日本の鉄道保安とは全然違う)が配置されているのですが、今作ではその対策もバッチリで犯行にでています。
作中のような武装した強盗団をインドでは「ダコイト」と呼ぶそうです。これは単に盗賊を指すものですが、インドではこの盗賊は歴史的に有名になることもあり、映画では犯罪ジャンルの定番のひとつとなっています。
例を挙げれば、1975年の『炎』はダコイト映画の名作のひとつであり、1994年の『女盗賊プーラン』は国際的にも知られました。ダコイトが敵になる場合もあれば、主人公になる場合もあります。
『KILL 超覚醒』はこのダコイト映画の系譜なのだと踏まえたうえで鑑賞すると、映画の立ち位置みたいなのがわかります。
本作が勧善懲悪ともいかない、エンターテインメントでありながら、主人公と強盗団が独特なバランスで描写されているのも、ダコイト映画ならではなんですね。
そのため、これはインドを舞台にしたインド映画でしか作れないような作品だなと思います。ただのよくあるアクションだと類型的に眺めているだけだと痛い目に遭います。
実はこの『KILL 超覚醒』、例によって例のごとくハリウッドでリメイクの企画が動いているようで…。手がけるのは『ジョン・ウィック』でおなじみの「87North Productions」だそうです。
いや…別にリメイクするのは勝手なのですが、インドの映画史に根を張る伝統的なダコイト映画を、安易にハリウッド化してもアイデンティティを見失うだけじゃないかと、私は始まる前から心配になる…。アメリカの電車を舞台にインド系の俳優にやらせても、それはなんか違うだろうし…。
犯罪と暴力は虚しさしか生まない
そんなダコイト映画の『KILL 超覚醒』、いろいろ書いちゃいましたけど、確かにハリウッド化したくなるのもわかる気もします。
ハリウッドでも使われている汎用的な映画技法で撮られている部分もとても多いからです。
主な舞台となる列車は、本作の撮影では列車の実物大セットをスタジオ内にゼロから作り込んでおり、側面は分離できる仕様になっているのがメイキングでもわかります。これによって撮影の幅を広げつつ、思う存分にアクションが撮れるようにもなっています。
寝台列車特有の通路の狭さや脇のカーテンなど、その中にある空間を最大限に活かしたアクションも当然ながら見どころ。今回の主人公の体技は総合格闘技的なあらゆるシチュエーションに対応できるコンバットスタイルでしたが、決して向かうところ敵なしということはない、リアルさがありました。
アムリトが駆使するのは、イスラエルの「クラヴマガ」とフィリピンの「ペキティ・ティルシア・カリ」に基づく近接格闘術だとのことらしいので、おそらく俳優の人は練習して鍛えたのでしょうね。
また、部分的にはバディものにもなっており、ヴィレシュもなかなかに良い相棒です。まあ、ちょっと主人公のアムリトが散々敵に切りつけられているわりにはへっちゃらで、ヴィレシュはやられてしまうので、この2人の生命力の差はご都合的ではあるのですけども…。
しかし、本作はアムリトが敵を圧倒する物語ではありません。前半はアムリトの敗北パートです。「大切な人を守れなかった」という彼の絶望が描かれます。無敵の主人公が颯爽と現れて事態を解決してくれるわけではないです。
そしてタイトルがここで登場し、ここからはアムリトが復讐と怒りに憑りつかれた殺人マシーンとして列車を突き進みます。
ヴィレシュもドン引きする殺戮っぷりで、敵の遺体を吊るすなど、もう完全にサイコパスになっていくのですが、こうやって観客の期待する正義からどんどん遠ざかっていくアムリトという主人公の姿が物語の悲壮感をさらに深めていました。
おまけに吊るされた遺体を懸命に下ろして嘆き悲しむ人間味溢れる強盗団まで映すので、どういう気持ちで観れば…とこっちは困惑するし…。
あの強盗団も貧困に苦しみ、社会格差の中で生じてしまった存在ではあるので、なんだか気楽に倒せる相手でもなくなってくる…。これもダコイト映画の哀愁。
こうなってくると気持ちのいい幕引きはあり得ないことは紛れもない決定事項です。あとはこの引っ込みがつかなくなってしまった列車の惨劇がなんとか収束することを願うばかり…。
そして一番の強敵であったあの大男と再び対峙するのですけども、そこでもアムリトはまた負けそうになる…というか負けるのですが、そこで大男に死をもたらす一撃を加えるのが、背後から大男を撲殺する名もなき中高年女性たちというのがなんとも…。
ここまで主人公のヒーロー性を排して、復讐の暴力が連鎖していく虚しい後味を噛みしめさせてくるとは…正直、私も想定せずに観ていましたよ。
結局のところ、犯罪は悲しい結果しか生まないという真理をただただ突き付ける映画ではあるのですが、それ以上に語るべきこともないですからね。インドのダコイト映画の中でもアンチ・カタルシスな空気がとくにまとわりつく一作でした。
私ももう少しインドのダコイト映画をいくつか観て、このサブジャンルの理解を深めておこうと思いました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『KILL 超覚醒』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2024 BY DHARMA PRODUCTIONS PVT. LTD. & SIKHYA ENTERTAINMENT PVT. LTD キル超覚醒
Kill (2023) [Japanese Review] 『KILL 超覚醒』考察・評価レビュー
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