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『チャイコフスキーの妻』感想(ネタバレ)…恋愛伴侶&異性愛規範の不協和音

チャイコフスキーの妻

恋愛伴侶&異性愛規範の不協和音…映画『チャイコフスキーの妻』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Tchaikovsky’s Wife
製作国:ロシア・フランス・スイス(2022年)
日本公開日:2024年9月6日
監督:キリル・セレブレンニコフ
性描写 恋愛描写
チャイコフスキーの妻

ちゃいこふすきーのつま
『チャイコフスキーの妻』のポスター。

『チャイコフスキーの妻』物語 簡単紹介

19世紀後半の帝政ロシア。地方貴族の娘アントニーナは作曲家のチャイコフスキーと出会い、夢中になっていく。婚姻を求めて何度もアプローチするが、チャイコフスキーはなかなか同意しない。実はかねて同性愛者だという噂が絶えなかったチャイコフスキーだったが、アントニーナの頭にはそんなことを気にする懸念はない。そして2人は結婚するも、その夫婦生活は当初から破綻していき…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『チャイコフスキーの妻』の感想です。

『チャイコフスキーの妻』感想(ネタバレなし)

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キリル・セレブレンニコフはロシアを直視する

現在のロシアはLGBTQを「欧米のプロパガンダ」と言いきり、2023年には「国際的なLGBT運動」を「過激組織」とみなし、最高裁判所にて違法としました。2024年には「LGBTのシンボルを掲げた」として一部の人に有罪判決を下し始め、弾圧が悪化しています。

そんなロシアですが、ロシアにも昔から性的マイノリティの当事者は存在していました

最も有名なロシアの同性愛者を挙げるとすれば、「ピョートル・チャイコフスキー」の名は真っ先にでてくるでしょう。

チャイコフスキーはまだロシア帝国だった時代、作曲家として名をはせ、『白鳥の湖』『くるみ割り人形』といった今なら誰しも1度は耳にしたことがあるクラシックの名曲を作り上げました。学校の音楽の授業でも定番ですね。

そのチャイコフスキーはゲイであったと考えられており、多くの歴史家の間で一定の見解の合意があります。しかし、現在進行形で同性愛への迫害を押し進めるロシア政府は「チャイコフスキーはゲイである」などという認識を政府一丸で否定しており、それを示唆する資料を検閲して、”無かったこと”にしています

今も屈辱的扱いとなっているチャイコフスキーがただただ可哀想ですが(もちろん現在を生きるロシア国内の当事者が一番辛い目に遭っているのは言うまでもない)、そんなチャイコフスキーには婚約した女性がいました。

その名は「アントニーナ・ミリューコヴァ」

今回紹介する映画はそんなアントニーナがどのようにチャイコフスキーに近づき、夫婦生活をおくったのかを描いた作品です。

それが本作『チャイコフスキーの妻』

言うなればアントニーナを主題にした伝記映画でもありますが、テイストはかなり独特です。なにせ監督があの“キリル・セレブレンニコフ”ですから。

“キリル・セレブレンニコフ”監督は、ユダヤ人の父とウクライナ人の母を持ち、1969年にロシアのロストフ・ナ・ドヌで生まれました。1998年から映画製作を本格化させ始めましたが、政権批判的なクリエイティブを貫いており、それゆえにロシア政府から敵視されます。ついには2020年、有罪判決が下されます。2022年にはロシアから亡命し、現在はドイツなどを拠点に制作を続けるに至っています。『LETO ‒レト‒』(2018年)、『インフル病みのペトロフ家』(2021年)など最近も精力的に映画を生み出しています。

その“キリル・セレブレンニコフ”監督はLGBTQへの支持も表明しており、だからこそロシア政府もこの監督を目の敵にしてきたわけですが、2022年に初公開の今作『チャイコフスキーの妻』はロシアのLGBTQ差別の歴史を映し出すと同時に、女性差別的な社会も描き出し、ロシアの保守的な根源を一挙に突きつける濃密な一作です

そのため、チャイコフスキーの妻であったアントニーナという実在の人物を主軸にしつつも、その映画の矛先は現在にも繋がるロシアの保守的な構造を風刺する感じになっています。

表面上だけを眺めると「夫を独占しようと狂気に迫っていく危うい妻」のような短絡的な解釈で留まってしまう恐れもあるのですけど、その背景にある政治社会まで見据えて鑑賞するとさらに奥深く味わえるのではないでしょうか。

『チャイコフスキーの妻』でアントニーナを熱演したのは、”アリョーナ・ミハイロワ”。2019年から頭角を現している若手だそうで、今作の演技で私は初めて見たのですが、凄まじい存在感でしたね。1995年生まれだから公開年の2022年時点ではまだ27歳くらいなんですよね…。スゴイな…。

チャイコフスキーを演じるのは、“オーディン・ランド・ビロン”。アメリカのミネソタ州出身ですが、モスクワ芸術座付属演劇大学で演劇を学び、モスクワのサテュリコン劇場に劇団俳優として活動していた人だそうです。ロシアによるウクライナ侵攻以降、活動の場をドイツに移しました。本作で長編映画初主演とのことで“キリル・セレブレンニコフ”監督の常連になっていきそうですね。

これだけロシアの政治情勢が緊迫し、「虹」すら消すほどに国内での表現への弾圧が年々深刻化していると、ロシアのクリエイターがどんな作品を作りだすかということ自体がひとつの歴史を映すのは避けられないです。2020年代のロシア映画史に刻まれる一作となるであろう『チャイコフスキーの妻』をぜひどうぞ。

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『チャイコフスキーの妻』を観る前のQ&A

✔『チャイコフスキーの妻』の見どころ
★終始眺められる俳優の名演。
★背景にあるロシアの保守的社会の風刺。
✔『チャイコフスキーの妻』の欠点
☆暗いトーンの作品なので空気はひたすらに重い。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:クィア史に興味ある人も
友人 3.5:題材に関心ある同士で
恋人 3.0:デート向けではない
キッズ 2.5:大人のドラマです
↓ここからネタバレが含まれます↓

『チャイコフスキーの妻』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

1893年、ひとりの喪服の女性がゆっくりと大勢が参列する建物に足を踏み入れます。そこに横たわるのは男の遺体。しかし、おもむろに支えられてその男が起き上がり、「私はあなたが嫌いだ」と女性を責め立てていきます。また横たわる中、女性は立ち尽くし、感情を飲み込めないように放心していました。

1872年、ピアノを軽快に弾く男の周りをたくさんの優雅な人たちが囲んでいます。弾いているのはピョートル・チャイコフスキー。音楽の才能に溢れ、華やかな場の中心にいました。演奏に合わせて踊る女性が現れると、各自が男女のペアで立ち上がって踊りだします。

それを少し離れて見ている若い女性。アントニーナです。貴族の娘であった彼女はこの社交の場を初々しく味わっていました。

夜は厳かな雰囲気の中でディナーパーティーがあり、アントニーナの目はチャイコフスキーの姿に釘付けです。自分も音楽を学びたいと思いましたが、モスクワ音楽院に通い始めるにせよ、女性がひとりで生きていけるわけはありません。男性の妻になってこそ女性は一人前として扱われました。

アントニーナにとって、その理想の相手はチャイコフスキーです。ドアの陰に隠れながらチャイコフスキーの指導する音に聴き入ります。

手紙で交流を探り、やっと対面できるようになると、「生涯の伴侶になりたい」とアントニーナは強く迫ります。しかし、チャイコフスキーは「私は女性を一度も愛したことはない」と拒否します。

暗く沈むアントニーナ。このままでは結婚できないまま人生が終わってしまいます。それはこのロシアの社会では女性として失格も同然。錯乱して路上で寝転がる女性の姿が将来への恐怖を煽ります。

その後も手紙を続け、また会います。チャイコフスキーもおカネの面で苦労しており、結婚である程度の資産が舞い込んでくれるのは助かります。それにチャイコフスキーには「同性愛者ではないか」という噂が立ち込めており、それを追い払う必要もありました。

アントニーナとチャイコフスキーの2人の利害の一致がありました。

こうして1877年、ついにアントニーナとチャイコフスキーは結婚式をあげます。花嫁衣装でアントニーナはやっと手にしたその妻という居場所に満足感を感じます。チャイコフスキーとの口づけをすまし、周囲の祝福を受けながら、2人の新しい生活は始まりました。

しかし、すぐにその新婚生活は暗礁に乗り上げます。アントニーナの考えていたかたちとは程遠いもので…。

この『チャイコフスキーの妻』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/09/08に更新されています。
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悪妻の裏にある苦悩

ここから『チャイコフスキーの妻』のネタバレありの感想本文です。

チャイコフスキーと結婚したアントニーナは現在においては「悪妻」というかなり不名誉な評判で語り継がれています。それはチャイコフスキーの身近な周囲にいた人間(モデストなど)による悪評であり、今でいうところの「嫁いじめ」的な部分も否めないので、あまり真に受けていいことではないかもしれませんが、とにかくこういう悪い印象はしぶとく残るものです。

『チャイコフスキーの妻』はそんな悪評をただ強化するだけで終わる映画ではありません。アントニーナの主観的な視点で集中して描くことで、世間からは見えないアントニーナの複雑な内面に迫っていく物語となっていました。

作中では少し時間軸が編集されているのですが、実際にアントニーナがチャイコフスキーに出会ったのは1865年だそうで、16歳でした。結婚したのは1877年で彼女が28歳のときです。12年近くも片想い&求婚を続けていたわけです。

当時の社会において、28歳は完全に適齢とされる結婚の年齢ではなく、相当に焦っていたと思われます。アントニーナの家族に関する詳細はあまり資料に残っておらず、不明な点が多いそうですが、貴族ながらかなり家族がグチャグチャでアントニーナは自分独りでなんとかするしかない状況にあったようです。

そんなアントニーナにとって身分がそれなりに良く、評判もあり、かつ「良い関係の女性がいない」というチャイコフスキーは絶好の狙い目に思えた…のかもしれません。

もちろん本当に好意で愛していた可能性もありますが、当時は今でいう「自由恋愛」の概念は容易に存在せず、当時にとっての女性の恋とは「社会的に居場所を獲得するための男性を見つけること」に他なりません。

だから執着と解釈されやすいですが、執着するように仕向けている社会の構造があるんですよね。当時の女性の抑圧を考えると本当に人生が切羽詰まっているとも言えるでしょう。ちなみに作中でも「結ばれないなら自殺する」みたいな脅迫じみた発言をしていますが、これは当時には珍しくない愛を表現するフレーズという話もあります。

本作の序盤はそんなアントニーナの不安を投影するかのように映像が暗いです。そして念願の結婚式の後、風呂のシーンでは何とも幸せそうで光溢れる演出になっています。多くの使用人の女性たちが自分のためにドレスを合わせてくれ、アントニーナはついに”恵まれた女性”に到達しました。

ただそれもぬか喜びで終わり、史実では結婚から6週間で別居状態になるという、最速の破局へまっしぐら(でも離婚には至らない)。当然、アントニーナに非があるわけではないのですが…。

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恋愛伴侶規範は救ってくれない

『チャイコフスキーの妻』の後半は、全く理想どおりにいかない結婚生活に追い詰められるアントニーナの悲痛な姿が映り続けます。この映画、キツイな…。

恋愛伴侶規範というものにしかすがりつくことができない女性の苦しみ。そこから逸脱してしまえばたちまち精神異常者として扱われることになる恐怖。自分が悪いのかと自己嫌悪に陥り、焦りがさらに亀裂を生んでしまうという悪循環。

一方のチャイコフスキーですが、本作はあくまでアントニーナの視点なので、チャイコフスキーの本心は見えてきません。アントニーナの見え方だと、結構冷たい男です。別にゲイでも女性に優しい人はいるのですが、作中のチャイコフスキーは同性愛者である以前に女性嫌いなところを感じさせますね。

チャイコフスキーもまた異性愛規範というものに苦しめられています。現在のロシアはLGBTQを「欧米のプロパガンダ」と公然と主張していますが、本作を観てもわかるようにあからさまに西欧の貴族スタイルの階級社会を模倣していたロシア帝国時代にさえも普通にLGBTQ差別があるのですから、むしろLGBTQ差別こそ欧米由来とも言えなくもないのだけど…。

このアントニーナとチャイコフスキーのすれ違いは作中では「列車」を上手く使って演出されていました。ともに同じ方向に進む乗り物のはずなのに、何かが噛み合っていない。

それは性的指向が噛み合わなかったからではなく、やはり社会規範がその溝を作っている。そこは留めておきたい部分です。現実では、異性愛者と同性愛者の男女カップルでもその後に離婚したとしても性愛に依存しない良好な関係を維持している人たちもいますからね。

本作はところどころで現実離れした演出が飛び出すのですが、冒頭に遺体に罵倒されるシーンと対応するかのように、エンディングでは糸の切れた操り人形のように踊り狂うアントニーナの姿。裸のいかにもゲイな感じの男たちがバックダンサーみたいに連なるのですが、あらゆる規範にもみくちゃにされたアントニーナの人生そのものを体現するようなシーンでした。

アントニーナは過去の人物ですけど、たぶんこういう立場に孤立する人は今のロシアにだっているはずで…。ロシア帝国時代よりも検閲の縛りが強まり、規範の徹底がなされているのですから…。

そんな『チャイコフスキーの妻』はロシアでは公開されていません。ロシアで映画が自由に公開できる日はいつ来るのかな…。

『チャイコフスキーの妻』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
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関連作品紹介

第75回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。

・『逆転のトライアングル』(パルム・ドール)

・『CLOSE/クロース』(グランプリ)

・『別れる決心』(監督賞)

作品ポスター・画像 (C)HYPE FILM – KINOPRIME – LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA チャイコフスキーズ・ワイフ

以上、『チャイコフスキーの妻』の感想でした。

Tchaikovsky’s Wife (2022) [Japanese Review] 『チャイコフスキーの妻』考察・評価レビュー
#伝記 #ロシア映画 #夫婦