今しかないかもしれないから…映画『君と私』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2022年)
日本公開日:2025年11月14日
監督:チョ・ヒョンチョル
恋愛描写
きみとわたし

『君と私』物語 簡単紹介
『君と私』感想(ネタバレなし)
旅の前にこそ大切な思い出を
私はとくに修学旅行に思い入れはないのですが、世間的には青春の大切なイベント。みんなここで思い出を作るんでしょ?(他人事)
日本の中学・高校の主な修学旅行の行き先は、今も京都や奈良といった関西方面もしくは東京や沖縄が多いそうで、あまり昔と変わってないようです。
対するお隣の韓国では、済州島が修学旅行の定番スポットだそうで…。やはり韓国の観光地と言えば…という不動の存在なのでしょうか。ただ、近年は済州島でもオーバーツーリズムが問題視され、さらにはそれにこじつけて外国人観光客を踏み台に外国人憎悪を煽るのが韓国極右界隈では流行っているらしく…。う~ん、日本と同じすぎてなんか嫌になってきますね…。
今回紹介する韓国映画は、そんな済州島への修学旅行を主題にしている…わけではなく、その修学旅行の前日だけに絞って切り取った、とてもピンポイントな青春作品です。
それが本作『君と私』。
本作は韓国本国では2022年に映画祭で公開され、2023年に一般で劇場公開された映画なのですが、第45回青龍映画賞で最優秀脚本賞と新人監督賞に輝き、ここ最近で存在感を放ったインディペンデント映画となりました。
先ほども書いたように、修学旅行の前日に焦点を絞って、2人の女子高校生の関係を描いているのですが、みずみずしく切ないセンチメンタルな映し方をしているのが特徴。その繊細な感情描写は、『はちどり』を彷彿とさせ、それと同系統の作品と思ってもらっていいでしょう。あれが好きならきっとこの映画も好きなはず。
しかも、今作『君と私』に至っては監督が「恋愛」を描いていると言い切っているとおり、直球でサフィックな作品になっているんですね。
そのせいか、“岩井俊二”監督っぽさが増した気もする…。
ともあれ、LGBTQの平等な権利は足踏み状態な韓国ですけど、こうやって創作の世界で誠実な表象が地盤を固めてくれているのは嬉しいことだと思います。
さらに本作は作品を決定づけるもうひとつ重大な要素があるのですが、そこは今は伏せておこうかな、と。日本の宣伝では全然隠していないですけどね。
この韓国映画界の新時代を感じさせる稀有な『君と私』を監督したのは、俳優としてドラマ『D.P.脱走兵追跡官』などで活躍してきた“チョ・ヒョンチョル”。もともと映画製作に興味があったそうで、今回で監督&脚本家として真価を発揮しました。“チョ・ヒョンチョル”監督、今後も追っていきたい韓国フィルムメーカーになりましたね。
『君と私』を彩る主演陣は、『スウィング・キッズ』で新人として高く評価され、『サムジンカンパニー1995』での活躍も記憶に新しい“パク・ヘス”。そして『あしたの少女』で主演し、ドラマ『イカゲーム』シーズン2でも存在感を際立たせた“キム・シウン”。この2人です。
“パク・ヘス”と“キム・シウン”、このフレッシュな若手の煌めく化学反応を眺められるだけでもこの映画、じゅうぶん見ごたえがあります。
日本でも2025年に劇場公開された『君と私』。気になる人は要チェックで観るリストに加えておいてください。
『君と私』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 低年齢の子どもにはわかりにくい背景もあります。 |
『君と私』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
高校生のセミは他の生徒たちでにぎやかな教室でひとり突っ伏して寝てしまっており、顔をあげて目を覚まします。胸騒ぎを覚えるような夢をみた感じ…。そのざわざわした感覚を独りで抱えるしかできません。
済州島への修学旅行を明日に控え、みんな浮足立っていました。楽しい思い出がいっぱい作れるはず。けれども、セミにとっては今はそれどころではありません。無理やり理由をつけて早退することにします。
家に帰って、荷造りをしながらペットのオウムと戯れた後、自分の頭の中にある人物のもとに向かいます。それは足を骨折して地元の病院で入院中の同級生のハウンでした。
病室にはハウンはおらず、食べかけのリンゴなど、いろいろなものが散らばっていました。彼女の小さなメモ帳を見つけ、なんとなく開いてみると、そこにある名前を見つけます。一言だけ書かれていたのは、「フンババにキスしたい」という文章。一体誰のことなのかわかりません。
ハウンは外のベンチで寝そべっていました。セミは無邪気に近づき、スマホで写真を撮ります。ハウンはもう歩けますし、健康的には元気です。足を引きづる程度の状態にまで回復しています。
どうしても一緒に修学旅行に行きたいとセミはねだるのですが、ハウンは怪我以外にも行けない事情がある様子。明るい態度ですが、その内情はあまりみえません。どうやらおカネがないようです。
セミはそれでも「私はそんなに友達いないし…」としつこく誘います。
他愛のない会話の中で、ハウンはオンラインで出会った男性と付き合っていることを知ります。セミは何気なくそれを聞きながら、そんな関係を知らなかったので、「そんな気軽に付き合うなんて…」と軽い口調で嗜めます。でもそれ以上は言えません。
2人は寄り添ってふざけあいながら、家に戻り、そこでもくだらないことでじゃれ合います。修学旅行のおカネがない問題については、ハウンは中古のビデオカメラを売る案を思いつきます。これで解決になるでしょうか。
セミとハウンは公園に移動して、セミはそのビデオカメラを向けながら気ままに撮っていきますが…。

ここから『君と私』のネタバレありの感想本文です。
死のカウントダウンと夢
まずは『君と私』という映画を深く理解するうえで欠かせない重要な要素の話から。それが「セウォル号沈没事故」です。
2014年4月16日、午前8時58分頃、韓国の仁川港から済州島へ向かっていた大型旅客船「セウォル」が道中の海上で転覆し、沈没。乗員・乗客の299人が死亡し、5人が行方不明になるという大惨事となりました。韓国で発生した海難事故としては史上最悪の犠牲者でした。
このセウォル号には済州島への修学旅行の生徒がたくさん乗っており、多くの若い命が失われることに…。
2025年に海洋審判院が発表した報告では、過剰積載と船体の故障が原因と結論づけられました。ただ、韓国社会を震撼させたこの出来事はただの「事故」以上の…言ってみれば韓国の当時の政治社会の問題点を凝縮させた悲劇として象徴化され、語られ続けるものになります。
『君と私』は終盤にメディアからセウォル号沈没事故について直接的言及があるとおり、あのセミたちの学校は修学旅行で済州島に向かう際、セウォル号に乗ってそれが沈没し、多くが帰らぬ人となってしまうことが示唆されます。
もちろん本作はセウォル号沈没事故自体を主題にしてはいないので(主題にしたものを見たい場合はドキュメンタリー映画がいくつかあります)、セウォル号が沈没する被害そのものを描いてはいません。あくまでその前日の被害者、それも2人の女子高校生の関係に焦点を絞るという、かなり思い切ったフィクションです。
しかし、明日以降はもうこの世にいない人間となるという決して変えられない運命が、この映画に非常に暗い空気をもたらし、その史実を知っている観客の印象も変えてしまいます。センチメンタルで眩しい映像も多い中、そこには死のカウントダウンがあるわけですから。
作中ではやけに死や時間を暗示する演出(動物の死骸、葬儀、時計など)が散りばめられています。水の演出も印象的でしたね。水の入ったコップが机の淵ぎりぎりで落ちそうになっているのをわざとそのまま放置して映すなど、すぐそこの未来の結末を極めて身近なアイテムで示してみたり…。
また、本作はいわゆる「夢」から覚めるところから始まるのですが、この映画自体が一種のなおも夢の世界にいるような、そういう錯覚にもさせる構図もありました。
とくに鏡ですね、わかりやすいのは。主人公のセミがときおり鏡越しに映るシーンが意味深に挿入され、まるでセミ自体がどこか現実とは違う空間に閉じ込められているかのようです。
それ以外にも白い犬の演出も夢っぽいところ。一般的に「何かを追いかける」というのは夢の定番なので、セミが白い犬に妙に気を取られるのも、物語が逸れているわけではなく、夢の作用と捉えると納得できます。そしてその白い犬に追いついてしまったそのときこそ、本当に夢が覚める瞬間なわけで…。
鳥「私に言わないで…(泣)」
そして『君と私』の大切な軸となるのはセミとハウンの2人の女子同士のサフィックな関係性です。
女子高校生同士の恋愛を描いた韓国の映画だと最近は『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』がありました。あちらは、わりとしっかり異性愛規範の重圧や加害行為が刻まれており、そこに佇む儚い愛が浮き上がる構成でした。
一方のこの『君と私』はあまりそこまでの異性愛規範は目立たず、先ほどから書いているとおり、セウォル号沈没事故という惨劇で引き裂かれることになる宿命が、その小さな愛を引き立たせます。
しかし、2人にとってはそんなことは知る由もありません。まだ10代。いくらでも未来があると思っています。2人にとっての間近の問題は修学旅行です。
本作は基本的にセミの視点で進行しますが、このセミは冒頭から常に焦りと不安を抱えて、常にそわそわしています。ちょっとしたパニック状態の精神です。
その開幕の不安はある種の予知夢的なものですが、病院に行った際にハウンが男と付き合っているらしいことが判明し、すぐにそっちに気を取られ、もっぱらそれに頭を埋め尽くされてしまいます。
自分の好きな人があろうことかわけわからん男と接近しているとなれば、それは、まあ、「どういうこと!?」となるのも当然か…。
本作はセミは自己中心的と評されてしまうくらいでやや孤立気味になってしまいますが、セミの本心を知る者はあの中にはいません。好きな人と修学旅行に行けなくて、その好きな人が他の人にとられるかもしれない…。この1日でなんとかしないといけないのです。
しかも、ハウンもまた飄々としていてセミをヤキモキさせてきます。実はハウンはすでに悲しみを経験していて、それを独りで抱えているのですが、セミはまだ未熟なのでそこまで包容できる余裕もありません。いかにも高校生の関係性って感じです。
それでもセミの心のあるのは純粋な気持ち。何をするにもあなたと一緒にいたい。この気持ちを共有したい。それなのに、なんで届かないんだ?という混乱…。
その混乱が最大にシーンに迸るのが、あのカラオケの場面。カラオケ機器に映るのが、こうだったらいいなというセミとハウンの済州島での理想的なひとときで、渋々歌っていたはずなのにだんだんと感情が乗ってきて熱唱になる…“パク・ヘス”の見事な名演でした。
ハウンは脚を引きずっているので歩調が合わないというのも、さりげない2人のすれ違いを表していて、2人がやっと真正面で穏やかに対話できるのはラスト。あそこでハウンはセミのおでこと口に軽くキスしてくれるのですが、正直、ハウンがどれほどセミの真意を理解してくれたのかはわからないですよ。でもセミはもう好きな人にそんな愛情表現されてしまったら、メロメロなんですよね。それだけで今日の苦労は吹き飛び、ニヤニヤが止まりません。
その後の手を振って別れる2人。ここはもう「可愛い」が詰まりに詰まっているのですが、未来の惨劇が観客の頭の中にはちらつくので…もうね…「神様はこの愛らしい2人をみてもまだ未来を変えようとは思わないんですか!鬼畜ですよ!」と叫びたくなる…。
そのうえ、この映画、ここがラストでもいいのに、エンディングで追い打ちみらいに切なく可愛いシーンをおまけしてきます。あの独りの「愛している」の連呼。私があの鳥だったら、「お願いだから、今すぐ本人の前で言ってあげて…」と泣き頼みしているでしょう…。
『君と私』は、同性愛と悲劇の組み合わせとしてはベタなのですけれども、シナリオと演出で頭ひとつ飛びぬけた一作になったのではないかなと思います。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
以上、『君と私』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2021 Film Young.inc ALL RIGHTS RESERVED ドリーム・ソングス
The Dream Songs (2022) [Japanese Review] 『君と私』考察・評価レビュー
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