これがあの権力者の実態…ドキュメンタリー映画『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年11月8日
監督:アレクシス・ブルーム
ねたにやふちょうしょ おしょくとせんそう

『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』簡単紹介
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』感想(ネタバレなし)
煙に巻く政治権力者に惑わされないで
良い政治家はどんな特徴があるでしょうか。支持率が高いこと? 好印象な語りが上手いこと? 他国のトップと仲睦まじく並べること?
確かにそれらを政治家の「良さ」だと大衆は認識しやすいですが、実際、それらは政治家の権力の常套手段でしかありません。
そうやって世間的な「良さ」を身にまといながら、裏で虎視眈々と自身の権力を強め、政治を支配できます。そして弱い立場の者を踏みにじり、レトリックを操り、支持者にだけ利益をばらまく…。
だからこそ政治家が駆使する「良さ」に惑わされず、政治家が隠そうとしている不正を追及しないといけません。
今回紹介するドキュメンタリーもまさに政治権力者への追及です。
それが本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』。
英題は「The Bibi Files」で、「Bibi(ビビ)」というのは現在(2025年時点)のイスラエル首相の「ベンヤミン・ネタニヤフ」の愛称です。
このドキュメンタリーは匿名メッセージアプリ「Signal」で、著名なドキュメンタリー製作者の“アレックス・ギブニー”に正体不明の人物が「興味深い資料があります。見てもらえませんか?」と2023年春頃にコンタクトしてきたことから始まるそうです。
“アレックス・ギブニー”と言えば、『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』(2005年)や『「闇」へ』(2007年)、『米国拷問プログラムの闇 / THE FOREVER PRISONER』(2021年)などを監督し、他にも『市民K』(2019年)など製作にも関わり、多くのドキュメンタリーを世に送り出しているアメリカで最も有名なドキュメンタリー・クリエイターです。
その“アレックス・ギブニー”に匿名の人物から送られてきたのは、1000時間以上に及ぶ裁判の尋問映像であり、それはベンヤミン・ネタニヤフの汚職事件に関わるものでした。
映像は確かに流出したものでしたが、ベンヤミン・ネタニヤフの汚職疑惑はイスラエル国内では当然既に大きく報道されていました。なので本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』も大まかに言って新規の事実開示はありません。暴露というほどのものではないかもしれません。どちらかと言えば、「ネタニヤフについてよく知らないイスラエル国外の人に、この汚れた政治権力者の実態を知らしめる」というのがこのドキュメンタリーの使命と言えるでしょう。
“アレックス・ギブニー”から監督に抜擢されたのは、南アフリカ出身でユダヤ系の家庭で育った“アレクシス・ブルーム”。『Bright Lights: Starring Carrie Fisher and Debbie Reynolds』(2016年)や『Divide and Conquer: The Story of Roger Ailes』(2018年)、『Catching Fire: The Story of Anita Pallenberg』(2023年)などを手がけ、エミー賞にノミネートされてきた実績があります。
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』はもうひとつのイスラエルの実態を映すドキュメンタリー『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』とセットでぜひ観てほしい一作です。
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
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『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』のネタバレありの感想本文です。
ベンヤミン・ネタニヤフとは?
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』の本題に入る前に、そもそも「Bibi(ビビ)」こと「ベンヤミン・ネタニヤフ」とは何者なのでしょうか。
1949年にテルアビブで生まれたベンヤミン・ネタニヤフ。その父は、歴史学の教授で、修正主義シオニズム運動の活動家でもあるベンツィオン・ネタニヤフであり、その出自どおりの人生を歩むことになります。
10代の頃はアメリカに住んでおり(なので英語は堪能)、高校卒業後はイスラエル国防軍に入隊し、その後はマサチューセッツ工科大学とハーバード大学へ。
そして政界へと進出し始めます。イスラエルの国連大使を務めた後、1988年に国会議員に初当選。そこからあれよあれよという間に1996年にイスラエルの首相の座につき、国のトップに立ちました。政治キャリアとしては異例の速度での大出世です。
第1次政権(1996年6月18日~1999年7月6日)、第2次政権(2009年3月31日~2013年3月18日)、第3次政権(2013年3月18日~2015年5月14日)、第4次政権(2015年5月14日~2020年5月17日)、第5次政権(2020年5月17日~2021年6月13日)、第6次政権(2022年12月29日~;戦時内閣を挟む)と続き、現在に至ります。イスラエルにおいて行政権を握る首相は無期限に更新可能であり、似たような政治体制をとる他国と比べてかなり権力が集中しています。
ということでここ最近のイスラエルはほぼネタニヤフ政権と言っても過言ではありません。
ネタニヤフがここまで絶大な支持で国のトップへと上り詰め、牛耳れているのは「国を守る」というナショナリズムを一番に掲げてきたからであり、対テロ専門家として「ミスター・セキュリティ」という呼び名までありました。
要するにネタニヤフの政治家生命は「対テロ」ありきであり、これ抜きでは政治家の評価は成り立たないんですね。ゆえにネタニヤフ本人も「国が対外勢力に脅かされている」というシチュエーションに依存しています。
それはイスラエルが西アジア、とくに中東のアラブ諸国と敵対関係にあるという地政学的な背景が根深く関わっており、まさにこの地政学の力場によって出現した権力者と言えるかもしれません。無論、最大の関心対象の外国はパレスチナです。
イスラエルとパレスチナの歴史的な関係についてはドキュメンタリー『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』で説明したのでそちらを参考にしてください。
ネタニヤフ汚職ネットワーク
そんなベンヤミン・ネタニヤフでも国内の何もかもを独裁できているわけではありません。2016年12月から贈収賄、詐欺、背任の容疑でネタニヤフとその関係者が捜査を受けることになります。
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』は、流出したイスラエル警察での尋問映像が映し出されますが、「尋問」とは言え、そこに映っているネタニヤフはいたって悠々自適に平然としており、ときに政治会見のようにまくしたてている姿があります。警察を前にここまでびびりもせずに佇んでいる…それもこの男が「権力」を持っていることの証左でしょう。
取り上げられるのは、ネタニヤフとその妻サラの他に、アーノン・ミルチャン、シェルドン・アデルソン、ミリアム・アデルソンといった裕福な実業家たちです。
まずネタニヤフの妻であるサラですが、彼女は家庭は根っからの信仰深さでありつつ、教育心理学の専門家だったそうで、イスラエル国防軍で行動科学の技術評価官を務めていた経歴があり、この時点でベンヤミン・ネタニヤフと通じています。
作中ではあまり詳細は語られていませんが、このサラも夫以上に以前から世間を騒がせる問題人物で、2000年代から外交中に資金を贅沢三昧で使いまくっているとか、家政婦に酷い扱いをしているとか、とにかくカネと人の扱い方に難のある存在だったようで…。わりとイスラエル国内では「嫌な女」の代名詞みたいな存在感なんですね。
本作では1993年のセックステープスキャンダル(ベンヤミン・ネタニヤフが他の女性と不倫にあった関係を示す証拠で脅迫された事件)の結果、サラは夫よりも優位に立ちやすくなったと推測する意見も紹介されていますが、この夫妻の関係だけでももはや一本のドキュメンタリーを作れそうです。
ネタニヤフ・ファミリーとしては、次男のヤイール・ネタニヤフも無視できない存在として映されます。まだ34歳の若さのヤイールは、まあ、日本的な俗語で言ってしまえば典型的なネトウヨであり、右翼ポッドキャストでの活動の他、イスラエルの大手ネットメディア「Walla!NEWS」で世論操作を画策したりと、古株の両親はやらないだろう今っぽいネット工作をあれこれやっているわけです。
また、大きくピックアップされる外部の人物として、アーノン・ミルチャンの名が挙がります。彼はハリウッドで大きな影響力のあるプロデューサーで、80年代から「リージェンシー・エンタープライズ」というスタジオを設立し、多くの名作を世に送り出してきました。イスラエルとハリウッドの根深い関係性があらためて浮き彫りになりますね。
アーノン・ミルチャン自身は、イギリス委任統治領パレスチナのレホヴォト出身のユダヤ系家庭育ちであり、父から受け継いだ肥料会社を拡大させ、財を成し、イスラエルの秘密諜報機関ともビジネス関係がある実業家です。やっぱりこっちも軍事関係の接点があるんですね。
もうひとり、ミリアム・アデルソンはドナルド・トランプへの最大の政治献金者として有名な人物で(2024年の大統領選挙の際は約162億円も寄付したそうです)、現在のトランプ政権の親イスラエル政策も、このカネの力がデカいのでしょう。
というわけで、ひとつの汚職事件とは言え、そこからイスラエルのネタニヤフ政権の極右化と宗教右派のネットワークだけでなく、アメリカなど対外的な協力勢力との癒着も浮かんできて、ほんと、何と言えばいいのか…ただただ汚い世界ですよ…。
責任逃れのために戦争がしたい人
そのネタニヤフ汚職ネットワークも、ベンヤミン・ネタニヤフ含めてちゃんと起訴されます。全然政治家が起訴されない日本に住んでいる身としては「首相が起訴されるなんて凄い!」と羨ましい気持ちになりますけども…。
しかし、そう易々と正義が果たされることはありません。
『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』では、ジャーナリストのラヴィヴ・ドラッカーら専門家が指摘するとおり、この汚職事件で裁判に突入した2020年からネタニヤフは責任追及を逃れるべくあらゆる手に出ます。その結果のひとつがあの2023年10月7日から始まるガザ紛争だと本作は指摘します。
あの2023年からのガザの危機は、歴史的な視点ではこの地をめぐるイスラエルの占領政策の流れとみなせますが、本作は政治腐敗の視点で全く異なる背景を提示します。それがあのネタニヤフ本人の口から、よりにもよって『ゴッドファーザー PART II』でもおなじみの「友を近くに置け、敵はもっと近くに置け」で表されるのは出来すぎな気もしますが、本人も言っているし…。
本作はあの10月7日の攻撃の映像も流れ、一瞬の沈黙を挟みます。けれどもその映像を駆使したうえでカウンターをぶつけるのが上手かったですね。ここで「イスラエルも被害者だから」みたいな論調で喧嘩両成敗にはしません。それこそネタニヤフの策略だから…。
その映像の直後に映されるのは。ハマス戦闘員に襲撃されたキブツ育ちのギリという若者のインタビューで、それでもその人はここまで事態が悪化したのはネタニヤフに原因があると、自身の考えを述べます。
『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』の感想でも書きましたけど、「イスラエルvsパレスチナ」の二項対立ではない、こういう当事者の複雑な心情がみえてくるのがドキュメンタリーの良さだなと思います。
でもネタニヤフは当事者なんて尊重しません。彼にとって大事なのは政治キャリアの保身と植民地主義。己の邪魔とみなせばそれは「敵」であり、アラブ人であろうがイスラエル人であろうがねじ伏せる気でいます。
資料をその場でシュレッダーにかけ、去っていくネタニヤフの映像で閉幕するこのドキュメンタリーのラストの切れ味も象徴的でした。
2024年11月21日、国際刑事裁判所(ICC)は戦争犯罪と人道に対する罪で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相に対して逮捕状を発行し、責任を主張しました。汚職の裁判もまだ続いています。
権力者は無敵ではありません。もう責任逃れの戯言に世界が付き合う必要はないです。
不正を隠しながら権力の座についている世界中の政治家にそう言ってこの2025年は終わりにしましょう。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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イスラエルに関するドキュメンタリーの感想記事です。
・『The Lobby』
以上、『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2024 BNU PRODUCTIONS LLC ALL RIGHTS RESERVED. ビビファイルズ
The Bibi Files (2024) [Japanese Review] 『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』考察・評価レビュー
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