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『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』感想(ネタバレ)…鹿を探せ

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

鹿を探せ…映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Killing of a Sacred Deer
製作国:イギリス・アイルランド(2017年)
日本公開日:2018年3月3日
監督:ヨルゴス・ランティモス

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』あらすじ

郊外の豪邸で暮らす心臓外科医スティーブンは、美しい妻や可愛い子どもたちに囲まれ順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。しかし、謎の少年マーティンを自宅に招き入れたことをきっかけに、子どもたちに次々と異変が起こる。そして、容赦ない選択に迫られる。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』感想(ネタバレなし)

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観客をドン引きさせる天才

日本では奈良公園にうじゃうじゃいることで一般でもおなじみの「鹿」。その野生の鹿にとって一番の天敵はなんでしょうか。オオカミ? クマ? いえ、人間です。正確にはハンターです。奈良公園にいる鹿たちは完全に人間が天敵だということを忘れていますが、本来の森に暮らす“常識のある”鹿は、人間を恐れます。ハンターが狩猟できない夜間に活動したり、鳥獣保護区に逃げ込んだりと、非常に賢く人間を避ける知恵を身につけている鹿もいます。羊や牛の放牧地で悠々と草を食べながら「どうせここなら撃てないだろ?」と余裕の表情を見せる鹿たちを見ていると、こいつら、やるなと思います。

そんな鹿ですが、日本のみならず欧米でもはるか昔から狩猟の対象として見られており、それは神話にすら描かれています。この人間と鹿の関係は、とてつもない歴史があるんですね。

それだけ身近な動物ですから「鹿」の名をタイトルに冠した映画もたくさんあるのですが、その中でも、おそらく本作は一番、奇怪なのではないでしょうか。

そのタイトルは『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』。原題をそのまま直訳して、後ろにカタカナ読みをつけただけの邦題ですが、たぶん他に良い邦題案が思いつかなかったのでしょう。それくらい元の原題がインパクト強すぎます。

ただ、別に鹿を描いた動物映画ではないのです。じゃあ、なぜ…という疑問の答えは見てのお楽しみ。

本作を生み出したのは、“ヨルゴス・ランティモス”監督。マニアックな映画好きなら知っている、今もっとも勢いに乗っている奇抜ムービーを生み出す男です。評価を上げた初期作『籠の中の乙女』では、珍妙なルールで外界から隔絶された家族を描き、次の『ロブスター』では、恋愛して結婚しなければ動物に変えられてしまうという恐怖の独身地獄を描く…とにかく奇想天外な映画を作る人。たいていは観終わった後に、非常に気まずい気持ちになります。それがこの監督の作家性。

しかし、その奇抜なシナリオ・センスは批評家から好評を博し、『ロブスター』はカンヌ国際映画祭にて審査員賞を受賞し、本作『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』は同じくカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。もはやカンヌの常連です。

“ヨルゴス・ランティモス”監督の作家性を体験している身からすれば、きっと本作も相当にヘンテコな映画なのだろうとかなり構えて観たわけですが、相変わらず観客をドン引きさせる天才でした。こちらの想定を軽々超えてきます。

本作はとにかく謎が多く、観る前に事前に世界観のルールが明かされていた『ロブスター』とはわけが違います。観客は「一体何が起こっているんだ?」と困惑を背中に背負いながら鑑賞することになります。それが今までにない空気感です。そして、本作のラストで、やはり観客は“ヨルゴス・ランティモス”監督による強烈な放置プレイを食らうのです。

とまあ、ネタバレしづらい映画ですので、とにかく観ないと始まらない。観終わった後は色々語りたくなる作品です。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』感想(ネタバレあり)

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え、この家族、おかしくない…?

最初、暗い画面が続くので誰しも「あれ、故障かな?」と思ったところで、いきなり“心臓”バーン!と画面全体に表示。初っ端からやってくれるな、“ヨルゴス・ランティモス”監督。一昔前に流行った、クリックしたらグロ画像みたいな嫌がらせを思い出しました。ちなみにこの手術シーン、本物の手術中に撮影した映像らしいです。

主人公はスティーブンという心臓外科医の男。眼科医の妻アナを持ち、娘キムと息子ボブがいて、医者家庭らしく非常に裕福な家で暮らしています。監督は過去作で不思議なルールに縛られた家族を描くことがありましたが、少なくともこの時点ではこの家族にそこまでの珍妙さはありません。

ただ、まるでロボット同士の会話のような、全く人間的な情を感じさせない家族関係が映し出されます。仲が悪いわけではないけど、何かがオカシイような…。例えば、やたらと互いに褒め合うシーンが多く、逆に貶すことはないのですが、でも全然温かい家庭には見えない。また、スティーブンとアナのベッドシーンも印象的。「全身麻酔」と確認し合い、ベッドに脱力したように横たわる妻を愛撫していく夫。全身麻酔プレイですよ。でました、監督の十八番、「無味乾燥なセックス」。過去作でも定番で登場するんですよね。他にも、犬を飼っているのですが、この家族は散歩させはしているけど、可愛がっている描写がないのがジワジワ怖いです。

そんな何かがオカシイ家族に入り込むのが、マーティンという少年。これがまたこの家族以上に不気味。本作がSFだったら絶対にこいつはアンドロイドだと断言できるのですけど…。このマーティンも最初は一体何者なのかさっぱり不明ですが、段々と明かされていきます。

本作は全体的にとにかく不吉な空気を感じさせる演出がねっとり漂います。まとわりつくカメラワーク。キーンと耳障りなBGM。それ以外にも、会話にしている人物の場面でサイレンが鳴っていたり、一瞬チラっと人影が映ったり、観客の不安を心理的に増大させてきます。個人的には患者が全然映らないあの夫の職場の病院も不気味です。

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この家族、終わっている(人間的に)

その不吉さが頂点に達した時に家族に起こる異変。立てなくなるボブ。食事もとらなくなり、その症状はキムにも発生。

そしてマーティンの口から明かされる衝撃の情報。「今に最悪の瞬間が来るよ。ついに始まったんだ。先生は僕の家族を一人殺したから、自分の家族もひとり殺さないとバランスにならない。誰を殺すかは先生が数日以内に決めないとダメだ。もし決めなかったら先生以外の全員が死ぬ。1つ目は手足のマヒ 2つ目は食事を拒否、3つ目は目から出血、4つ目はその数時間以内に死ぬ」…実はマーティンはスティーブンの手術中に死亡した男の息子で、どうやら復讐を考えていたようなのでした。

私は『淵に立つ』的な平穏な家族に異分子が混ざったことで崩壊する話かと鑑賞前は予想していたのですが、呪いをかけてやる系ストーリーだったんですね。『スペル』みたいな。

あの不気味な家族も、不都合な死を隠蔽して成り立っているからと考えれば納得いきます。スティーブンはパーティでのスピーチで「手術が成功すると執刀医は早死にする」と冗談を飛ばすシーンがありましたが、裏を返せば「死なない執刀医は手術の失敗を経験している」ともとれ、非常に陰湿な医療業界の闇をもうこの時点で垣間見せていました。

対するマーティンは最初から復讐全開だったのかと言われれば、そうでもない気がします。少なくとも心から反省してくれればと思っていたのではと匂わす場面もありました。それがスティーブンをマーティンの家に招くシーン。ここでマーティンの好きな映画を観るわけですが、それが『恋はデジャ・ブ』なんですね。この作品はタイムリープものではとても有名な一作で、自己中な男が何度も時間の巻き戻しを経験して自分を改め直すという話です。

しかし、スティーブンに反省の言葉はなし。というか、この家族全員が揃いも揃ってクズであり、一致団結して家族の危機を乗り越えるとかは皆無。命がヤバいと実感するにつれ、家族たちはスティーブンに媚びていきます。アナは全身麻酔プレイで誘ってくるし、キムは私が犠牲になると訴えつつマーティンに裏で助けを求め、ボブは髪を切ってパパと同じ仕事がしたいと“良い子”宣言。一方のスティーブンは俺が代わりに犠牲になるみたいな家族を支える理想の父のお手本みたいなセリフはひとつもなく、それどころかマーティンを拉致監禁する始末。

最終的に、頭に袋をかぶせて口と動きを封じられた息子、娘、妻の3人を部屋に座らせ、その中心で自分の頭に帽子を深くかぶって前を見えないようにし、銃を持ってぐるぐる回り、発砲するという、超原始的なロシアンルーレットを実行。この姿が本当に無様。監督らしい醜い人間描写でした。

結果、弾が当たったのはボブ。家族はまた平穏を取り戻し、マーティンと別れたのでした。めでたし、めでたし…?

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元ネタの神話と家族のその後

で、忘れていなければ、気になる要素がありますね。「鹿」です。鹿、本当に出てこなかった。というか、出る気配さえなかった。でも、ちゃんと関係あるんですね。

実は『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』はエウリピデスの「アウリスのイピゲネイア」というギリシャ神話の物語のひとつを基にしています。

簡単にその内容を超簡単に説明するとこんな感じ。

狩猟の女神とされるアルテミスの大切な鹿を殺してしまったことで逆鱗に触れた英雄のアガメムノーンは、怒りを鎮めるために生贄として娘のイピゲネイアを選び、そのままイピゲネイアは死を迎える。

このギリシャ神話がベースになっていることを考えれば、あの家族の非人間っぽさもさらに納得が増すのではないでしょうか。普通、私は初潮が来たとか宣言しないし、他人の腋毛を見たがることもしないですからね。どうりで犬なんて興味ないわけですよ。患者もただの下等生物です。

ただ、ひとつ気になるのは「なぜ息子のボブが死ぬことになったのか」という点。情けないロシアンルーレットで不運にも死んだように思いますが、監禁状態にあるマーティンは「これからはボブのために尽くしてあげて」と言ったり、まるでボブの死を予期しているようでしたし、実際症状の進行が早いのはボブでした。

よく見ると、最終的な運命は最初の異変から暗示されていたのがわかると思います。

ボブが「立てない」と言い、脚が動かないと発覚するシーン。よ~く注視すると、ボブが座っているベッドの壁、ちょうどボブの頭の上に「鹿」の絵が飾ってあるんですね。まるでタイトルどおり殺されるのはこの子だよと宣言するかのように。

一方、キムが最初に異変を起こすシーン。ここでは「Carol of the Bells」というクリスマス・キャロルの定番曲を歌っている最中に倒れるわけですが、この場面の最初にカメラワークでズームしていく際、ガラスに十字架が映っています。ご存知、キリストは苦難からの再生の象徴。そのとおり、キムはラスト、歩けるようになって復活します。また、キムはイピゲネイアの論文を書いて優れた成績をあげていると学校で知ることになるので、その観点からもこの神話の犠牲者とは思えません。

では、これで惨劇は終わりか…というとそうでもないのが怖い部分。この元ネタの神話でも、この後、残った家族同士で殺し合いをするという、ドロドロの展開が待っているのです(ギリシャ神話はたいていそうなのだけど)。

キムはラストでまるで勝ち誇った生存者のような顔をしていましたが、ポテトフライに真っ赤なケチャップをかけて食べていました。思い出してほしいのですが、映画の序盤でマーティンは「ポテトが好き」で「好きなものは最後に食べたいから残す」と言っているんですね。ということはキムの存在も、残してあげただけにも思えてきます。キムは死の運命から回避できたわけではないかもしれません。

そもそも、あのスティーブンが手術で死を隠蔽した回数はマーティンの父の1回だけなのでしょうか。いや、もっとやっていそうです。つまり、これからもこの呪いは別のところから続くのです。なによりボブという鹿を殺したこともまた、誰かの怒りを買うわけですから。

聖なる鹿殺しは始まったばかり…。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 63%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited 聖なる鹿殺し キリングオブアセイクリッドディア

以上、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』の感想でした。

The Killing of a Sacred Deer (2017) [Japanese Review] 『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』考察・評価レビュー