気持ちよくなれるのは監督だけ?…映画『嵐が丘』(2026年)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2026年)
日本公開日:2026年2月27日
監督:エメラルド・フェネル
児童虐待描写 性描写 恋愛描写
あらしがおか

『嵐が丘』物語 簡単紹介
『嵐が丘』感想(ネタバレなし)
嵐のような賛否両論でも
古典的な名作を映画化すれば、たいていは「原作と比較してどうか(忠実か)」ということが議論になります。別に原作の物語を脚色してもいいし、テーマを変えてもいいと思いますが、原作を正典とする原作史上主義者でなくとも、この論点がどうしても気になってしまうものです。
2026年の始まりはその論争がこの映画で勃発しました。
それが本作『嵐が丘』。
言わずもがな、英文学の古典である“エミリー・ブロンテ”の1847年の小説を映画化したものです。
この小説は作家も含めて本当にファンが多く、今も愛されているのですが、当然のようにたくさん映画化されてきました。「Vulture」が歴代『嵐が丘』翻案映画作品ランキングの記事を2026年に作っていましたが、あらためて整理すると多い、多い…。
今回の2026年の『嵐が丘』は公開されるや否や(というか公開される前から)物議を醸しているのですが、それもこの監督なら「まあ、そうだよね」という感じでしょうか。
2026年の映画『嵐が丘』を監督したのは、俳優業から2020年の長編映画監督デビュー作の『プロミシング・ヤング・ウーマン』で一気に新進気鋭のフィルムメーカーになった“エメラルド・フェネル”。2023年の『Saltburn』もそうでしたが、“エメラルド・フェネル”はとにかく意図的にジャンルを自己流に作り直して挑発的な映画をぶち上げるのが得意です。


“エメラルド・フェネル”監督版の『嵐が丘』も一切ブレることなく、作家性を全開に。なんでも自分が10代の頃にこの本を初めて読んだ体験を基に映画化にしたらしく、そりゃあ「エメラルド・フェネルの“嵐が丘”」になるし、「こんなの“私の嵐が丘”じゃない!」という反応も返ってきますよ。
でも原作も出版当時は苛烈に賛否両論だったんですよね。そう考えると皮肉なことに一番原作と同じ現象を引き起こしているとも言えるのかも。この“エメラルド・フェネル”監督版の『嵐が丘』も100年後に再評価とかされてるのかな…。
ちなみに今作の英題は「”Wuthering Heights”」と引用符がさりげなくついており、これは独自の解釈ですよという強調のためだとか。なんかわりと予防線を張ってるな…。
ヒロインのキャシーを熱演するのは、『バービー』の“マーゴット・ロビー”で、“マーゴット・ロビー”らしく豪快に暴れてます。
そしてお相手のヒースクリフを演じるのは、『Saltburn』でも目立っていた“ジェイコブ・エロルディ”。最近は『フランケンシュタイン』といい、セクシーな若手男優のトップランナーになってます。
なお、そのヒースクリフの子ども時代の姿を演じているのは、ドラマ『アドレセンス』で2025年最大の新人となった“オーウェン・クーパー”です。
私は原作小説を読んだことはありますけど、正直、初見時の感想とか全然覚えてない…。そんな思い入れも何も薄っぺらい人間の感想でよければ、以下の後半に続きます。
『嵐が丘』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 児童を虐待する描写があります。 |
| キッズ | 性行為の描写があります。 |
『嵐が丘』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1771年、イギリスのとある街。ある場所に集った大衆は固唾を飲んで上を見上げていました。その視線の先にあるのは、今まさに絞首刑となっているひとりの男。袋を被せられた男は呻き、じたばたするのみ。やがて動かなくなり、死が宣言されると、大衆は熱狂的に歓声をあげます。老若男女問わず大騒ぎです。少年たちはペニスを勃起させたまま苦しんでいた絞首刑男を嘲笑っていました。
そんな中、少女のキャサリン(キャシー)・アーンショウと、付き人のネリー・ディーンもその光景を眺めていました。とくにキャシーは誰よりもその絞首刑に絶叫し、狂乱に溶け込んで混ざっていました。
2人は、荒涼とした「嵐が丘」と呼ばれる高台に佇むアーンショウ家の屋敷に戻ります。霧のかかる殺風景なところです。
キャシーの父親はたいていは辛辣で怒鳴ってばかり。そのうえアルコール依存症で、賭博癖もあります。
ある日、キャシーの父親は街の路上で見つけた孤児の少年を自分の独断で屋敷に連れてきました。キャシーはこの真新しいオモチャになる少年を目を輝かせて気に入ります。そして、ヒースクリフと名づけます。父もそれに満足し、ペットのように扱えと同調。
それからというもの、キャシーはヒースクリフに文字の読みかたを高飛車に教えます。ヒースクリフも感情を爆発させ、閉じこもることもあります。キャシーはとりあえず謝りますが、ヒースクリフの「出ていけ」という大声には絶対に従いません。
2人はぎこちなくも、しだいに関係は深まっていきます。いつも一緒にこの丘を駆け回り、羽目を外していました。
しかし、父の誕生日に大雨で間に合わず、帰宅が遅れる出来事がありました。これに父は激怒。食事も台無しにします。咄嗟にヒースクリフは自分のせいであると罪を被り、キャシーの父から鞭打ちを受けます。こうして背中に一生消えない生々しい傷跡ができます。
キャシーはその犠牲にショックを受け、深く謝罪。ヒースクリフは古臭いベッドに気丈にも耐えて横たわっていました。そんな彼の横で眠ってあげるキャシー。
数年後、2人は成長。キャシーはますます快活な女性となり、一方のヒースクリフは髭モジャで粗暴さは変わらずです。
屋敷はなおも頼りない父が原因で荒廃し、存続が危ぶまれていました。
このままここで骨を埋める気はなかったキャシーは、近くに住む裕福なエドガー・リントンと結婚できれば人生を変えられると画策。
しかし、ヒースクリフに対してもどこか性的な関心を抱く自分に気づき、人知れず動揺します。
本音は何を望んでいるのか…。

ここから『嵐が丘』のネタバレありの感想本文です。
みんな狂っている世界で
“エメラルド・フェネル”監督版の『嵐が丘』でこの物語に初めて触れる人がどれくらいいるのかはわかりませんけど、かなり衝撃の体験にはなるでしょう。
そもそも映像化自体、2011年の“アンドレア・アーノルド”監督版『ワザリング・ハイツ 嵐が丘』が日本では2025年に劇場公開されていた事情もあり、やや変則的な国内状況ではありますが、ここまで大作としてアクセスしやすい公開規模で公開されたのは本当に久々なんじゃないかな?
“エメラルド・フェネル”監督版の『嵐が丘』の特徴は、まず第一に女性の視線でその性欲を直球で描いていることです。近世・近代の階級社会を舞台に女性の性欲を主体的に描くかたちで往年のジャンルを再構築するのは今のトレンドで、それこそドラマ『ブリジャートン家』などが話題です。わざと時代考証を無視して現代的な演出やデザインを取り入れるのも定番どおり。
なので本作『嵐が丘』が特別に斬新ということはありません。ただ、そこは“エメラルド・フェネル”監督でもあるので、良くも悪くも壊し屋的なアグレッシブさが際立っています。
冒頭から宣言のように映し出されるのは、死とエクスタシーが重なり合うという、あまりに背徳的で倒錯的な人間の本質です。処刑という行事に大衆は興奮し、あまつさえ卑猥に嘲り、欲情を刺激されて性行為に励む男女さえいる…。
要は“エメラルド・フェネル”監督の『嵐が丘』の世界は、みんながみんな性的にも倫理的にも狂っています。死で性的興奮を得る…そういう奴らが当たり前の世界なのだという前提で鑑賞しないといけません。少なくとも私はそういう感じで観ろってことだと冒頭で受け取りました。
子どもも例外ではなく、冒頭の少女キャシーは「この子、サイコパスなの?」ってくらいに歪んでます。このままいくと確実にヨークシャーのハーレイ・クインになりそう…。
そのキャシーが出会うのがヒースクリフで、2人でこの狂った世界で愛を模索します。今作の“ジェイコブ・エロルディ”のヒースクリフは当然セクシーなのですが、当初は、貧民というか、野蛮人的な風貌です。なんか『フランケンシュタイン』の怪物の演技の方向性をそのまま持ってきたような感じも…(あちらの映画も男と怪物のすれ違う愛憎の「嵐が丘」みたいな物語だと言えなくもないかもだけど)。
大人になった序盤からキャシーはこのヒースクリフに性的欲情を感じているのが示唆され、納屋での使用人同士のBDSMの覗き見…からの半裸ヒースクリフがキャシーの目と口を覆うというシチュエーションで、一気に絶頂に達する。このなんだかわからんがエロティックな勢い任せがすごく“エメラルド・フェネル”。
2人が再会してからの激しい情事も、常にコントロールの主導権奪い合いを映していて、“エメラルド・フェネル”監督はセクスプロイテーションを作るにせよ、絶対にこの要素は外せないんだなと再確認できますね。ヒースクリフがキャシーにやたら何度も「いいのか?」と聞いてくるのも、あれは健全な性的同意を描いているというよりは、そういう概念を意地悪に利用した「性的同意いじりプレイ」みたいなもんですよ(性的同意をするシチュエーションに興奮する…的なね)。
今作のヒースクリフは原作と比べると非道さは薄めかもしれませんが、それはあの世界観が全体的に狂いすぎていて相対的に温和にみえるだけで、ヒースクリフ単体を抜き出せばじゅうぶんサイテーな奴ではあると思います。イザベラの扱いも、わかりやすく同情しやすい性暴力ではなく、サディスティックな方向でみせてくるし…。
個人的にはヒースクリフよりも、リントン家のいかれっぷりのほうに驚きました。なんだ皮膚を模した壁紙って…。あの家、絶対まだまだヤバい秘密を隠し持ってるだろ…。
完成度は高いわけではないが…
やりたいこととしては結構ハッキリしていた“エメラルド・フェネル”監督版の『嵐が丘』ですが、完成度が高いわけではないとも思いますし、やっぱり原作が好きな人が怒るのもよくわかります。
ヒースクリフに“ジェイコブ・エロルディ”を起用したことは公開前からかなり批判されていました。もちろんいろいろ言い訳はいくらでも思いつけるでしょう。“エメラルド・フェネル”監督の脳内バージョンだからとか、原作でもヒースクリフの人種の明確な指定はないとか、マイノリティなルーツの白人と解釈もできるとか…。
それでも、ヒースクリフ以外の主要人物…例えば、パキスタン系の“シャザド・ラティフ”演じるエドガーとか、ベトナム系の“ホン・チャウ”演じるネリーとか、有色人種起用をしているわりには、その人間模様における人種的緊張感はほぼほぼ存在せず、それが余計に人種に無頓着な印象を強めます。
実際、“エメラルド・フェネル”監督はそんなに人種の交差をテーマにするのは得意じゃないでしょうしね…。
また、ネリーとイザベラという2人の女性キャラは、キャシーに恋心を抱いていることを暗示させるようなクィア・コーディングも読み取れなくもないですが、そこまで明白にそのテーマに向き合う感じもないです。それを前提に巧みに組み込めば、後半は異性愛と同性愛の複雑に入り混じる愛憎劇になるのですが、“エメラルド・フェネル”監督はそこもそんなに大得意でもないし…。
これは本作だけの問題ではないですけども、近世・近代の階級社会を舞台に現代的な演出を取り入れて描くジャンル再構築作品は、当時の時代を描きたいのか、現代的観点を映したいのか、その狭間で注力したい最大の点が見えづらくもなりやすく、綺麗な完成形が想像しづらいのかな。
今回の『嵐が丘』はもうこういうものだと私は開き直ってますけど、“エメラルド・フェネル”監督は今後もこのままやりたい放題にやってくれればいいかなと思います。きっと次作も物議を醸してくれますよ…たぶん。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ/一瞬)
以上、『嵐が丘』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. 嵐ヶ丘
Wuthering Heights (2026) [Japanese Review] 『嵐が丘』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2026年 #エメラルドフェネル #マーゴットロビー #ジェイコブエロルディ #ホンチャウ #シャザトラティフ #エミリーブロンテ


