ミス・レプリゼンテーション
ドキュメンタリー映画『ミス・レプリゼンテーション 女性差別とメディアの責任』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Miss Representation
製作国:アメリカ(2011年)
日本公開日:2018年にNetflixで配信
監督:ジェニファー・シーベル・ニューサム

ミス・レプリゼンテーション

あらすじ

私たちが絶えず接するマスメディア。テレビ、映画、雑誌、広告、インターネット…。時代が変化して媒体も変わっているが、メディアのパワーは強大さを保っている。いつの時代もそこに溢れる女性のイメージが、若い世代の女性たちの生きづらさにつながり、さらには各界で女性のリーダーが増えないことの一因となっている現状を分析する。

『ミス・レプリゼンテーション』感想(ネタバレなし)

国際女性デーで考えるメディア問題

3月8日は何の日でしょうか。「国際女性デー」です。これは1904年3月8日にアメリカのニューヨークで、女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こしたことに由来しています。

2020年。今年もこの日に合わせて世界中でイベントやキャンペーン、大小さまざまな運動が行われました。もちろん日本も例外ではありません。

ところが日本のメディア各社が集まって国際女性デーに合わせて連携を訴えた“とある企画”が思わぬかたちで炎上しました。その企画の説明となる文章があまりにも「女性」を押し出さない、ふんわりすぎる表現だったこと。さらにその企画を掲げるメディア関係者のひとりがブログにて既存のフェミニストを「なりたくなかったあれ」呼ばわりしたこと。結果的に変に男性に気を遣って、あげくに女性活動家を愚弄したように受け取れる内容に。

しかも、その企画に関して批判をしたフェミニストら女性たちを一部のメディア関係者が「連帯を妨げている」と非難する事態に発展し、火に油を注ぎます。反発は増し、「#国際女性デーはみんなの日じゃなくて女性の日」「#なりたくなかったあれは私だ」というハッシュタグも生まれました。国際女性デー間際に認識の違いが浮き彫りになり、あらためて女性が平等を得ることの難しさを痛感する出来事になりました。

「そんな些細な言葉を揚げ足取りしなくても…」と言う人もいるかもしれません。もちろんこのメディアの企画自体悪いことではありませんし、批判したフェミニストだってそこは歓迎しています。

でも問題はある。その問題については各専門家や活動家の人たちが的確な視座で声をあげており、各々の論点があるので目を通してほしいのですが…。

ただ私が今回取り上げるのはメディアの加害者責任についてです。そもそもフェミニスト活動家が「男女平等」を訴えるのと、既存メディアが「男女平等」を訴えるのは同じことに見えて全く違うことです。なぜならメディアは「加害者」だから。少なくとも今は加害者でなくとも「加害者だった」歴史を背負っている。その罪は善行で簡単には払拭できません。だからメディアは連帯を語る前にまず加害者としての自覚意識を持つことが大前提にあるべきだと思います。職業倫理として。もしその自覚があるなら自分たちの企画を批判した女性たちを「連帯の妨げだ」と否定したりしないはずです。批判を真摯に受け止め、次の改善に生かせばいいだけですから。

そう、メディアは女性差別を扇動してきた歴史があります。企画の批判を受けて「今回の一部のバッシングがフェミニズムやジェンダーについて語ろう、学ぼうとしている男性や若者を萎縮させる」と反論したメディア関係者もいましたが、いえいえ、何よりも女性を萎縮させる行為をしてきた張本人が他ならぬメディアです

そのメディアと女性差別に関する負の歴史を解説した、入門編ともいえるドキュメンタリーが本作『ミス・レプリゼンテーション 女性差別とメディアの責任』です。

原題の「Miss Representation」。“誤って伝えること”を意味する「misrepresentation」と、女性に冠する「miss」を合わせたダブルミーニングなタイトル。その名が示すとおり、メディアが犯してきた罪を衆目に晒す作品です。

2011年の作品なので若干古い内容(2010年代より前の話題)なのですが、それでもそこで語られているメディアの問題点は今に繋がるものですし、歴史として無視できません。アメリカの話ですけど、日本も同様の問題構造があります。この問題意識を持ってこなかった人にとっては、強烈な自覚を促すものになるでしょう。本作が題材とする問題意識を認識しているかどうかで、世のネット上におけるメディア&広告関連の“女性差別”案件の炎上事件への受け取り方はまるで変わってきますからね。

監督は“ジェニファー・シーベル・ニューサム”。ドキュメンタリー作家兼女優として精力的に活動しており、とくにドキュメンタリー界隈ではこの本作で高評価を獲得。その後も2015年に『男らしさという名の仮面(The Mask You Live In)』というドキュメンタリーを製作し、こちらでは男性のジェンダー問題を掘り下げ、性のテーマを世の中に提示し続けてきました。ちなみに彼女の夫はカリフォルニア州知事のギャビン・ニューサムであり、それもあってか2020年時点では政治の場での活動が目立つ感じですね。2020年アメリカ大統領選挙ではエリザベス・ウォーレン支持だった様子。

とても見やすいドキュメンタリーで、そこまで小難しくないですし、何よりもこれ以上ないほどに身近なテーマ。老若男女問わず視聴するのをオススメできます。無論、メディア関係で仕事をしている人は当然のごとく必見です。

オススメ度のチェック
ひとり◎(ジェンダーやメディアに関心を)
友人◎(議論をし合うのも良し)
恋人◎(問題意識を確認し合う)
キッズ◎(子どもと考えるきっかけに)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ミス・レプリゼンテーション』感想(ネタバレあり)

女は容姿がすべて

「メディアはメッセンジャーであり、その力は強大です」
「現代社会を理解するにはメディアを理解するしかない」
「メディアが発信する内容が社会を作っているのです」

メディアのパワーというのは目に見えないのでわかりにくいですが、専門家たちが口々に警告するように、それは侮れないもの。

冒頭、アメリカの若者たちがどれだけメディアと接しているかが示されます。ちなみに日本はというと、総務省の情報通信白書によれば平日はテレビを159分、ネットを100分、休日はテレビを214分、ネットを123分視聴しているとのこと(2017年のデータ)。当然、若者はネットの時間が多い傾向で、高齢者はテレビが多くなります。

確かに“これだけメディアに費やしている”とあらためて示されると、思考に影響を受けるのは当然だろうなと実感できます。毎日2~3時間、特定の情報を流し込まれていたらマインドコントロールくらいできるものです。それが偏向していたらなおさら…。

では、私たちはメディアによって「女性」というものをどう意識“させられて”きたのか。

その答えは極めてシンプルで「ルックス」でした。メディアに日々触れる女子は最も大事なのはルックスだと学び、自分の価値はルックスで決まると思い込みます。胸やお尻は大きく、体のラインを出して、細い体つきになって、肌は綺麗に、髪はサラサラに…。

なぜこんなルックス至上主義を推し進めるのか。それはメディアの利益になるから。理想の体を追及させ、美容製品を売る。ブランド価値を高める。

忘れそうになりますけど、メディアというのは昔から大衆をコントロールする道具でした。世界を揺るがした大戦中は女性は男が出兵して消えた労働環境を支える要でした。その戦争中もメディアは戦意高揚のために女性をプロパガンダに使いました(ドキュメンタリー『戦時下 女性たちは動いた』を参照)。

しかし、終戦後、男たちが帰還し、働いていた女性たちは用済みとばかりに解雇。女性を家に戻すキャンペーンとして最も効果的だったのがテレビだったと本作は主張します。政府はテレビ広告を通して資本主義を浸透。普段から家にいてテレビを見る女性たちはメディアの言うがままに商品を買っていきます。家電などはあらかた普及したので、次の商品が必要。そしてその白羽の矢が立ったのが「美容」。今度は美しくなれとひたすらにメディアで女性たちを誘導するのでした。

そんなメディアは規制されないのか。されません。テレビはただの家電だから規制する必要はないという主張がまかり通り、巨大なコングロマリットとしてあらゆるメディア媒体を支配下におさめ、広告主の意向に沿うことしか考えないので、広告規制がどんどん緩和されてしまいます。

そこで視聴者層として少なかった若い男性にテレビを見てもらうために、「女性の体」で広告をアピールするように。まあ、要するに「エロ」ですね。こうしてどんどんと女性は男性を釣る餌に使われていくようにもなったのでした。

番組や映画の中の“作られた女性”

メディアの広告だけの話では済みません。それは広告の枠を超えて、メディアが製作する番組や映画などの創作物にすらも「女性」のステレオタイプが拡散されていきます。

リアリティ番組では、ひたすらに終わりなき美しさを競い合う女たちが流され続け、ニュース番組では、セクシャルばかりを強調された女性たちがアナウンサーとして情報を伝えます。単独女性アンカーとして注目されたこともある「ケイティ・クーリック」は、胸元を出し、脚を見せるミニスカを履き、ニュースキャスターではなくバーのホステスに見えるのが当然になった業界を批判。同時にその傾向を作ったのは自分かもと自嘲気味に嘆きます。

ではフィクション性の強い映画やドラマの世界では?

そこで描かれる女性もたいして変わらず。そもそも女性が主人公の映画は16%のみで、恋人をゲットする話ばかり。何かにつけてロマンスを求め、いつも白馬に乗った王子や騎士を夢見るようなキャラクター。一方、キャリアのある女性は嫌な奴として描かれます。

『コールガール』(1971年)や『帰郷』(1978年)でおなじみの名女優「ジェーン・フォンダ」は胸にパッドを入れろと言われた経験を語ります。アジア系女優「マーガレット・チョー」は太りすぎだと言われ、ドラマは打ち切りになり、後釜の主役になったのは「ドリュー・ケリー」(“彼”の方が豊満な体型)だったというなんだそれなオチも。

いや、女性が勇ましく戦うキャラもいました。でも女性が戦う役でも「戦うお人形」で男性のための存在に過ぎず。

『クラッシュ』の監督「ポール・ハギス」いわく、「男は男以外の登場人物を理解できない。そのうえ女性を怖がっている」。また、『テルマ&ルイーズ』(1991年)で高く評価された「ジーナ・デイヴィス」「ハリウッドが前提としているのは 女は男の物語を見るけど男は女の物語を見ない」と痛烈に批判。

こうなってくると芸術というか、映画もただの広告コンテンツですね。

ミス・レプリゼンテーション

メディアがもたらす悪影響

「でも容姿が美しくなることは悪いことじゃないし、それでいいのでは?」…という傍観の気持ちでいる人もいるかもしれませんが、そうはいきませんよとこの『ミス・レプリゼンテーション』は伝えます。

このメディアが推進するルックス至上主義…別の言い方をするならば「オブジェクティフィケーション」は、女性、さらには社会全体にとって有害な影響をもたらします。

それはリアルなデータで示されます。13歳の女性の53%は自分の体に不満、17歳で78%まで増加。女性の65%は摂食障害に苦しむ。10代の17%は自傷行為を行っている。女性がになる割合は2000年から2010年の間に2倍に増加。いわゆる「身体醜形障害」は若者たちを自己嫌悪と劣等感に沈めていき…。

体と心の健康被害だけではありません。女性はルックスで評価されるので、雇用にも影響を与えます。肝心のメディア業界では主要な地位にいる女性は3%のみ。映画スタッフの女性の割合は16%、監督は7%、脚本家は10%。どうりでメディアは男性視点の情報に偏るわけです。『トワイライト〜初恋〜』で監督を務めた「キャサリン・ハードウィック」は続編は男性監督になったことに憤り、女性じゃダメだと言われた経験を語ります。男性は『セックス・アンド・ザ・シティ』を監督できるのになぜ、と。

さらに政治家さえもルックスで評され、ヒラリー・クリントンはビッチだババアだと散々こきおろされ、サラ・ペイリンは女性イメージを前面に出したことで性的対象でネタにされる始末。政策論議などゼロ。当然、政治の世界に女性の意見は反映されず、女性国民のための政治は行われません。女性はすぐに感情的になると思われ、それはネガティブだと評価される一方で、男性は感情を見せると評価されます(涙を見せれば情が深い男)。不平等の中で女性がリーダーになれるわけもなく…。

最悪の問題は「性暴力」です。あんなメディアを見れば当然のように男性は女性をモノとして無意識的にみなすようになります。結果、起こる最悪の被害はレイプ。これに関してはドキュメンタリー『フリーセックス 真の自由とは?』で生々しく激論されているので参考に。


学会や研究者がメディアの悪影響を指摘しているのにその暴走は止まらない。

よく「嫌なら見なければいい」と言う人がいますが、そういう次元ではないことは本作を観たら嫌でもわかるのではないでしょうか。

2020年版『ミス・レプリゼンテーション』、そして日本は…

この『ミス・レプリゼンテーション』、前述したとおり2011年の作品なので情報が若干古いです。

この作品公開後の2010年代はメディアにおける女性の描かれ方はかなり変化しました。やはりMeToo運動に端を発する女性の反撃と、SNSという新興メディアが住処となるハッシュタグ・ジェネレーションを巻き込んだ新しいフェミニズムの到来が影響しているのでしょうか。

例えば映画では女性を主体に女性の葛藤を描く作品が大ヒットしたりしましたし、女性を製作に増やす動きも活発化。一方で、2019年のアカデミー賞では素晴らしい作品として批評家から高評価を受けた女性監督がいたにも関わらず、監督賞ノミネートには女性はおらず、批判を受けました。相変わらず男性キャラの方が多いですし、まだまだ道半ば、いやスタートラインを出発したばかりか…。

対する日本はと言えばハッキリ言って周回遅れ状態です。

この『ミス・レプリゼンテーション』で描かれた2000~2010年のアメリカにおけるメディアと同じレベルかもしれません。

日本のテレビは酷いものです。ある番組では、痴漢を防ぐための女性専用車両を利用する女性をバッシングするような内容を放映(痴漢をする性犯罪者ではなく)。メディア関係者がセクハラや性犯罪で問題になっているのに…。アナウンサーや芸能人など女性の扱いは火を見るよりも明らか。

女性芸能人に関する大手メディアのネット記事のタイトルを抜粋すれば、「美脚」「ビキニでスマイル!」「かわいすぎる」などの容姿にばかりフォーカスする言葉が並びます。最近はSNSなどの一般のコメントをピックアップして紹介する「まとめサイト」的なやり方の流用で記事を作成したものが大手企業ですら目立っています。そのため非常に気軽に女性の容姿を形容するコメントを拾いまくり、大手メディアがそれを発信し、その記事を一般ユーザーがまた拡散し…のコンボです。若い女性は容姿に言及するのが当然の状態、能力や実績に言及するのは稀、むしろ容姿が能力であり実績であると言わんばかりです。

「うちのメディアはそのへんの配慮はあるから大丈夫」と思っていても、広告はどうでしょうか。広告に使われるタイトルや画像は問題性のあるものが多いです。このブログも他人事ではないです。弱小の弱小ですが一応このブログもメディア。問題性ある広告には頭を悩ませていますが…。

広告はステレオタイプな女性だらけで、最近はアニメキャラを起用した広告のいくつかが批判を受け、セクシャル・オブジェクティフィケーションの無理解さを露呈しました。

スマホで使う撮影アプリは、当然のように加工を加え、女性の目を大きくしたり、肌をきれいにしたり、昔以上に無意識に「モノ化」させています。

加えてフェミニストへの誹謗中傷。『ミス・レプリゼンテーション』で言及されていたような、1980年代のアメリカで起きたメディアによるフェミニスト非難。それは今、日本で起きている…SNSでもメディアでも。そう考えたくなる一件だったのではないでしょうか、あの冒頭で紹介した国際女性デーのメディア企画は。

『ミス・レプリゼンテーション』の作中で高校生のひとりがこう言います。

「メディアを批判的に見てください」

まだまだメディアには批判が必要です。

そして今の時代は誰しもがメディアになりうることを肝に銘じながら、自己批判と一緒に…。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer --% Audience 79%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

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作品ポスター・画像 (C)Girls' Club Entertainment ミスレプリゼンテーション