そしてブラジルに知れ渡る…Netflix映画『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ブラジル(2025年)
日本では劇場未公開:2025年にNetflixで配信
監督:エズミール・フィーリョ
児童虐待描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
らてんぶらっど ざばらっどおぶねいまとぐろっそ
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』物語 簡単紹介
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』感想(ネタバレなし)
ネイ・マトグロッソを知る
今回はまずブラジルのLGBTQの権利運動の歴史から触れていきましょう。
とくに1960年代の焦点をあてると、この時代、ブラジルは大きく揺れ動きました。あるときは共産主義寄りの政権になり、あるときは保守派の軍事寄りの政権になり、政治体制が激変したからです。
ただ、いずれにおいてもブラジルの性的マイノリティ当事者にとっては生きづらい社会でした。共産主義においては、同性愛はブルジョア階級の退廃の産物とみなされ、資本主義が打倒されれば消滅すると考えられていました。一方の保守的な勢力は、同性愛や性別の規範に従わない振る舞いは男らしさに反する軟弱なものとして嫌悪していました。
しかし、性的マイノリティ当事者もただ黙って屈辱に耐えていたわけではありません。この1960年代後半から1970年代初頭にかけて、カウンターカルチャーの潮流がブラジルの都市部の中流階級の若者にも多大な影響を与え、音楽や芸術などさまざまな分野で活発となりました。
そのまさに1970年代からあるひとりのゲイの若者が性別規範を吹き飛ばすパフォーマンスでミュージシャンとして花開き、絶大な支持を得ました。
その人物が「ネイ・マトグロッソ」であり、その伝記映画が本作『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』です。
ネイ・マトグロッソは、ブラジル…というよりはラテンアメリカを代表する今や伝説的な歌手であり、ラテン地域ではとても有名です。とは言え、日本では全然知られていないので、ネイ・マトグロッソを知るには最適の映画だと思います。
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』は、ネイ・マトグロッソの幼少期の1940年代から、音楽活動が実を結んだ1970年代、そして名が知れ渡った1980年代と、その激動の人生を総括するような伝記映画です。
映画を観てもらえば一目瞭然なのですが、ネイ・マトグロッソは高音を活かした女性的な歌い方と、露出度の高い過激な服装と仕草による扇情的なステージ・パフォーマンスで唯一無二の注目を集めた人です。当時のブラジルの保守的社会は当然ながらこういう性別規範からの逸脱を許さず、厳しい検閲もあったのですが、それに一切動じることなく、ネイ・マトグロッソは活動を続けました。
その伝説を解きほぐしながら、ネイ・マトグロッソの内面の苦悩にも迫っていく内容となっています。
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』は本場のブラジルの映画ですが、ブラジルでは劇場公開され、かなりヒットしたそうで、やはりその人気の高さを窺えますね。
日本では「Netflix」での独占配信ですが、『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』でブラジルからパワーをもらってください。プライド月間ですしね。
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2025年6月17日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
基本 | 同性愛への差別的な発言の描写があります。 |
キッズ | 直接的な性行為の描写があるほか、大人による児童への虐待が少し描かれます。 |
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1949年、ブラジルの田舎の村であるヴィーラ・ミリタル。「泣け」と父アントニオが威圧感たっぷりの表情で自分の子どもの頭を掴み、ときおり容赦なく殴っていき、振り回します。それでも暴力を受けるネイ・マトグロッソは涙を見せません。ただひたすら耐えるだけです。「男になることを学べ」と服をはぎ取り、父は去っていくのでした。
母は放置されたネイを抱きかかえ、野次馬の目から引き離します。家ではいつもこんな調子で、ネイは父に虐げられていました。
ある日、母はネイをステージのイベントに連れていきます。そこではエルヴィラ・パガンがマイクの前で歌い、観客は盛り上がっていました。ネイはその女性らしい姿に見惚れます。自分もあんな風になれたら…。
しかし、軍人出身の父はそうしたパフォーマンスは芸術であろうが何だろうが娼婦とゲイの戯言だと全否定します。
父に労働を命じられ、嫌々従うだけの日々が続き、ネイは青年になりました。筋肉質な体つきになったものの、父は相変わらず暴力をふるいます。
耐えきれなくなったネイは家を出ていくことに決めます。
「この家にゲイの息子はいらん!」と父に怒鳴られるも、「僕はゲイじゃない。でももしゲイになったらブラジル中が知ることになる」と言い放ち…。
1959年、空軍基地。ネイは他の男たちと訓練に励んでいました。そこへ様子を見に軍隊のコネのある父が現れます。しかし、ネイは父に心を許すつもりはありません。
その基地で、ネイは男性への衝動的な欲求を抑えていました。自分の性的指向を否定するように…。そんな中、仲良くしていた同僚が去ることになり、名残惜しく別れます。
1961年、ブラジリア。軍隊を辞めたネイは合唱団に所属し、歌唱を専門的に学んでいました。そこで女性顔負けのかなり高音もだせ、講師に注目されます。「カストラートのような声だ」と才能を認められ、少しうれしくなります。
エウジェニオという男性と肉体関係を持ちますが、いまいち満たされないままでした。
1967年、サンパウロで、ネイはスクラップからアクセサリやファッション・アイテムを作るアーティストになっていました。
父がまた訪れ、「もうすぐ30歳なのに職を転々とするなんて、いい加減に帰ってこい」と忠告してきますが、ネイはその父の言葉を受け取るだけで従いません。
1972年、そのネイに転機が訪れます…。
政治と父子の関係

ここから『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』のネタバレありの感想本文です。
「自分らしく」なんて誰でも軽々しく言えてしまいますけど、実際にそれを実現するのは並大抵のことではありません。いくつもの壁が立ちはだかるからです。『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』において、ネイ・マトグロッソに立ちはだかる壁も強大です。
そのひとつとして冒頭から終わりまで一貫して焦点があたるのは、父子の関係です。
ブラジルは1930年代は“ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス”という軍人家系の男が大統領の座につき、ナショナリズムの称揚など国家主義を強固にしていきました。
そうしたイデオロギーの影響をもろに受けていたのか、同じく軍人であったネイの父親はとにかく苛烈にネイに「男らしさ」を押し付けます。この有害な男らしさの抑圧を幼少期から浴びせまくられ、それでも対抗しようと足掻く姿は後の活動の不屈の精神に繋がるのでしょうか。
本作はこの冒頭からハッキリ容赦なく描くので、伝記映画としてはかなり躊躇ないアプローチだなと思います。
それで最初はネイも軍隊に入っており、優れた軍人になることで父を見返せると考えていたんですね。まあ、でもその軍隊という男たちが親密に押し込められる空間がまたゲイネスが充満しており、すでにこの時点で矛盾が浮き上がってくるのですが…。「ゲイになるな! 男になるために軍に行け!」と言うけれど、軍が一番ゲイっぽいんだよ?…ということ。
結局、ネイは軍が性に合わず、1960年代は転々とする日々です。
そのネイの流されがちな取り留めのない不安定さというのは、当時のブラジルの社会情勢とシンクロします。とくにネイがサンパウロで細々と芸術家をしていた1967年は、「ブラジル連邦共和国」が成立した年であり、軍事政権の強化に反発する民衆との対立も激化しました。
おそらくあの時期のネイはもっぱらヒッピー的な軍事政権に慣れあわない自由主義な人たちを主な顧客として自身もそのコミュニティに浸かっていたのでしょう。そこに軍国主義に染まる父が現れるわけですから、国の対立構図がこの父子の関係にも表出しています。でもどこかその父は今の激化する政権の在り方にはついていけないかのような発言を匂わせるので、すでにこの時点であの父はネイ側に軟化をチラつかせているとも読み取れます。
こうやってだんだんと父子の力関係がひっくり返っていくさまも本作は丁寧に描いていましたね。
そして1975年のソロ活動期。両親が公演を見に来ているわけですが、冒頭から挿入されるこのシーンでのあの父の表情は何とも読み取りづらいものでしたが、後に母からあれ以来、父はネイを認めてレコードを聴いていると言われ、父本人からも謝罪の言葉をもらい、和解に到ります。
ネイにとっては父こそが世界の中枢だったわけで、その父がついに折れる…上から目線で容認するのではなく、申し訳なかったと反省する…。このゴールに辿り着けただけで、ネイにとっては報われたのかもしれません。
何よりも横暴な力で圧倒するのではなく、芸術で心を通わせることができたというのが、ネイらしい自己実現でしたね。
あの父を演じた“ロムロ・ブラガ”という俳優も本当に繊細な良い演技をしていました。
セクシュアリティあってこその伝説
『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』で、もうひとつ大きく立ちはだかるのは当時のブラジルの政治社会による芸術への規制…無論、それは反LGBTQに強く結びついています。
1970年代に本格的に音楽活動を始めたネイ・マトグロッソは、グラムロック・グループ「セコス&モリャードス」として最初は花開きます。ちなみにそこで歌われている「ヒロシマのバラ(Rosa de Hiroshima)」はお察しのとおり、原爆投下された広島に由来しており、平和を訴えた反体制的な歌です。
で、その歌唱時の見た目が、独特の白塗り顔の半裸というスタイルで、アンドロジナスな中性的なパフォーマンスでした。フェミニンな仕草を加えることもあれば、どんどんと性的に過激に振る舞っていくこともある…。
それは当時の軍事政権下のブラジルでは検閲の対象になるのですが、それに全く物怖じしない態度がまた一周回ってユーモラスで面白いです。
「女性っぽい振る舞いはやめろ」「女性はこんな格好しないですよ」…のやりとりに始まり、極めつけは「腰は何回振っているんだ?」「6回くらいですかね」「なら半分の3回にしろ」「あ、はい…」…という、なんだこれな会話。
もちろんホモフォビアな観客がいようとも逆に挑発していき、ネイがついに自分らしさを全面にだす居場所を獲得した瞬間はカタルシスがあります。
ネイを演じた“ジェズイータ・バルボサ”(バイセクシュアル当事者です)の見事ななりきりも素晴らしかったです。
しかし、プライベートな恋愛面ではあまり上手くいかないことも並行して描かれ、そこはネイの別の苦悩となります。軍時代の同期は異性愛規範に従って家庭を持ってしまっているし、カズーザみたいなエンタメの業界でより快楽的に振る舞う存在との距離感に悩んだり、はたまた自身の身近にもエイズ/HIV危機の牙が襲ってきたり…。
それにしても本作はちゃんとゲイ・セックスを逃げずに描き切っていて良かったですね。これを観てしまうと、『ボヘミアン・ラプソディ』がいかに逃げ腰だったかよくわかる…。
そしてラスト。この映画、このエンディングを用意してくるのがちょっとズルいですよね。私はこういう展開になると知らずに観ていたから、ジャングルを歩いているネイがふとある人物に出会い…その瞬間が鳥肌が立ちましたよ(でもネイ・マトグロッソ本人の顔を知らないと「誰?」ってなっちゃうけど…)。
伝記映画を捨てて実在の生きる伝説が私たちの前で堂々とパフォーマンスしている。それを見せられてしまうと、証明不要の圧倒的すぎるエンパワーメントなので完全に参りました。
セクシュアリティにこれほど真正面から向き合い、実在の人物の存在感を何よりも讃える…ハリウッド大作でもほとんどできていないことをこのブラジル映画は誠実にこなしてみせていてお見事でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)Netflix ラテンブラッド ザバラッドオブネイマトグロッソ
以上、『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』の感想でした。
Homem com H (2025) [Japanese Review] 『ラテン・ブラッド: ザ・バラッド・オブ・ネイ・マトグロッソ』考察・評価レビュー
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