白票運動に惑わされる前に…ドキュメンタリー映画『すべてをかけて 民主主義を守る戦い』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にAmazonで配信
監督:リズ・ガルバス、リサ・コルテス
人種差別描写
すべてをかけて みんしゅしゅぎをまもるたたかい
『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』簡単紹介
『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』感想(ネタバレなし)
白票運動はなぜ要注意なのか
「選挙です」と言われたとき、「私、投票って全然したことがなくて…どうすれば…」と困ってしまっている人がいるかもしれません。それは当然です。知らないことがあっても恥じることはないです。
日本での投票のしかたを簡単におさらいしておきましょう。
選挙が始まると、投票できる人にはその人の住所に「投票所入場券」が郵送で送られてきます。そこに投票所の場所が書かれています。そこで投票することになります。投票は基本的に投票日が1日ありますが、その前でも一定期間は投票できる場所が設けられています。
自分の行きやすい投票所を判断し、投票所へ向かいましょう。「投票所入場券」を持参するとスムーズですが、それがなくても本人確認書類があると手短に投票できます。
まず受付で名簿と照合し、その人が投票できるかを確認します。とくに複雑な記入書類などがあるわけでもなく、受付に行けばいいだけです。
あとは流れ作業です。別の机に案内され、投票用紙をもらい、その場で候補者名などを鉛筆で書き(書く道具はその場にあり、候補者名の一覧も張り出されているので覚える必要はないです)、投票箱に入れます(自分が何を書いたかはその場で他人に見られることはありません)。これで終わり。他には何もすることなく、帰るだけです。子どもでも簡単にできるほどに作業はラク。混んでいなければ2~3分で完了です。
少しややこしいのは、衆議院議員総選挙では小選挙区選挙と比例代表選挙の2つ、参議院議員通常選挙では選挙区選挙と比例代表選挙の2つからなり、候補者名を書くのか、政党名を書くのか、それぞれ違うこと。事前に確認するといいでしょう。でも書く内容はシンプルなので、わかっていればやっぱり簡単です。
私は知らない場で他人と喋るのが大の苦手なのですが、そんな私でも投票はわりと簡単にできます。正直、コンビニで買い物するよりラクかもしれません。投票所ではほとんど他人と喋ることもありませんから。サっと行って、サっと帰れます。
そんな投票ですが、選挙が始まると日本ではこんな声が飛び交うことがあります。
「誰も投票したい人がいなくても、政治に参加することに意味があるから、政治への不満を表明するなら白票を入れましょう」と…。
白票というのは投票用紙に何も書かずに投票することを言います。そういうことも可能です。でもこの白票の呼びかけは問題視されることも多いです。なぜでしょうか。
別に、投票用紙に何を書こうが書かまいが、白票であろうとも本人の自由です。「白票」自体に問題があるわけではありません。「私は白票にしよう」と決めて実行しても責められる理由はないでしょう。
問題は白票を呼びかける「運動」にあります。白票は実質的には現在の政治情勢で優位な候補者を支持する結果に繋がるので、表向きは「誰にも投票しなかった」としても実際の効果としては「特定の候補を当選させる」ことに力を貸したことになります。
つまり、白票を呼びかける「運動」は、現在の政治情勢で優位な候補者を当選させる政治活動のカモフラージュになっているわけです。
このように投票について、その行動と結果の作用を誤魔化したり、巧妙に操作したり、行動しづらくさせたり、行動する気を失わせたり、それらのアクションを「投票抑圧(Voter suppression)」と呼びます。あからさまな不正行為ではなく、法に抵触しない範囲で、不誠実に投票に干渉する行為のことです。
投票抑圧は選挙運動(「この人に投票してください」と呼びかけるもの)と違います。この投票抑圧は、特定の有権者の事実上の投票率を下げることで優位に立とうとするものであり、反民主的な戦術とされています。いわゆる白票運動もその一種です。
実は世界中にはさまざまな投票抑圧の手口があります。今回紹介するドキュメンタリーはアメリカの歴史を基にその投票抑圧を解説した選挙入門的な作品です。
それが本作『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』です。
原題は「All In: The Fight for Democracy」。『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』を監督するのは、『ニーナ・シモン 魂の歌』や『ラスト・コール / 性的マイノリティを狙う殺人鬼』など多彩なドキュメンタリーを手がけてきた”リズ・ガルバス”と、『リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング』の”リサ・コルテス”です。
アメリカの話ですが、日本も全く無縁ではありません。日本でも投票抑圧は起きていますから。
投票に行く…それは投票抑圧に屈しないことでもあります。
このドキュメンタリーを観れば、自分の手にする投票用紙の重みがまた変わるでしょう。
『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』を観る前のQ&A
A:Amazonプライムビデオでオリジナル映画として2020年9月18日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :投票のやる気がない人でも |
友人 | :投票に誘って |
恋人 | :一緒に投票を考える |
キッズ | :子どもの社会勉強に |
『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』感想/考察(ネタバレあり)
「6%」からの闘い
ここから『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』のネタバレありの感想本文です。
アメリカの南部にあるジョージア州。その歴史はアフリカ系アメリカ人(黒人)の歴史と切っても切れないです。南部ということで1800年代は奴隷制によって多くの黒人が過酷な労働に従事。しかし、このジョージア州出身の“マーティン・ルーサー・キング・ジュニア”が公民権運動を拡大させるなど、黒人の平等を目指す反抗の最前線でもありました。
そんな歴史を持つジョージア州で、2018年11月6日にジョージア州知事選が行われました。民主党候補のステイシー・エイブラムスと共和党候補のブライアン・ケンプの争いです。白人男性のブライアン・ケンプに対し、ステイシー・エイブラムスは黒人女性。もしステイシー・エイブラムスが勝てば、初のアフリカ系女性知事となり、それもこのジョージア州で誕生となれば、アメリカ政治史に刻まれる大きな出来事です。
でもそれは起きませんでした。ブライアン・ケンプが1,978,408票(50.2%)を獲得し、ステイシー・エイブラムスは1,923,685票(48.8%)。結果を受け、ブライアン・ケンプがジョージア州知事となりました。
しかし、ステイシー・エイブラムスは「投票抑圧」の問題を指摘し、投票権活動家として運動を展開し続けました。
この『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』はその告発でもあります。
そもそも「投票権」(日本では「選挙権」と呼ぶ)。今の時代、「あなたは投票する権利があるんです」と言われても「え、面倒くさいのだけど…」と投票が余計な雑務のように感じてしまいがち。本作はまずその投票権の歴史から解説してくれます。
アメリカの建国時、投票できるのはエリートの白人男性のみでした。憲法に書かれている「国民(people)」の定義は、たったの6%しか要件を満たさない一部のエリート層だけを指していた…。全てはここから始まります。
しかし、奴隷制の廃止と共に憲法も変わりました。
修正第14条「いかなる州も合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない」
修正第15条「合衆国市民の投票権は、人種、肌の色あるいは以前の隷属状態を理由に、アメリカ合衆国あるいはいかなる州によっても否定または制限されてはならない」
黒人男性が投票する権利を獲得します。
続いて女性です。女性参政権運動(フェミニズム)により、また革新が起きます。
修正第19条「合衆国市民の投票権は、性別を理由として、合衆国またはいかなる州によっても、これを拒否または制限されてはならない」
あらためてこう振り返ると、投票権は勝ち取ってきた歴史があるのだと痛感しますね。
法を変えずに投票権を骨抜きにして奪う
上記の歴史の経緯だけで「良かった、これでみんなに投票権が手に入ったね」と終わればいいのですけど、往生際が悪いというか、そうなりません。残念ながら最初から投票権を独占していたエリートの白人男性層の一部は「ぐぬぬ、他の奴らが投票できるのは許せんな…なんとかして潰せないだろうか…」と画策しだします。
といっても憲法に違反することはできません。そこで「そうだ!投票権は直接奪えないけど、さりげなく投票を抑圧して、投票権が意味ないようにしてしまえばいいんだ!」という姑息な手を打ってきます。
『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』はそうして生まれたあれやこれやの投票抑圧の手口を映し出します。なんで人間は悪いこととなるとこんなに悪知恵を働かせられるんだろうと呆れるものばかり…。
例えば、人頭税の導入。問答無用で存在するだけで発生する税金で、支払っていないと投票権は消失。貧困にあるマイノリティ人種に不利です。
続いて、識字テスト。アメリカの選挙は選挙人登録しないと投票できないのですが、そこでテストを受けさせて合格しないと認めないというものです。でもこれは読み書きの基本とかではなく、ロースクールの学生でも合格できない難易度で、恣意的に排除する障害に…。
さらに、人種隔離による移動の制限で、何でも罪になってしまい、罪人になれば投票できない…。
極めつけとして、メイシオ・スナイプスの事例が紹介されます。第二次世界大戦でファシストと戦った兵士だった黒人男性ですが、ジョージア州のテイラー郡投票所には「最初に投票したニグロはそれが最後になる」との張り紙。それを無視して1946年に投票した唯一の黒人になるも、数日後に白人たちが家に来て撃ち殺された…。
諸々の投票抑圧の結果、南部で選挙登録できた黒人はわずか3%。そこから投票できた人は何人なのか…。
しかし、闘いを諦めず、1960年代から1970年代に、投票権法を作り、人種差別も禁止し、投票権は揺るぎないものとなります。
トラウマを乗り越えてここまで闘った人たちの勇気と覚悟は本当に凄いと思います。
2010年代、もっと陰湿になる投票抑圧
2009年、アメリカ合衆国第44代大統領に初の黒人大統領である“バラク・オバマ”が選ばれたことで、投票抑圧に終止符が打たれた…そんな達成感がありました。どんなに姑息なことをしても、黒人が大統領になれるわけですから。
けれども…諦めない奴らがいた…。
投票抑圧はさらに陰湿になってカムバックします。
不利な選挙区割り(ゲリマンダー)に始まり、2013年に投票権法の一部が無効になるという最高裁判決。これによって「有権者ID法」など新たな選挙法が続々と登場し、抑圧だらけになります。政府発行のIDは、出生証明書の無い人、正式な住所がない先住民、若者を排除。通知書に返信がないと無効になるので、貧しくて住所を転々としている人も排除。投票所の閉鎖で、行けない人も続出。完全一致制度で、安定しないサインのぴったり一致を求める無理難題が障害に…。
しかも、「不正投票を防ぐためです」という名目でこの投票抑圧は正当化されています。存在の根拠もない大量不正投票蔓延の危機を煽るという陰謀論のセットで…。
時代が悪化していないだろうか…。この社会はこんなにも愚かなのか…。
ちなみに本作は2020年の作品ですが、その後に起きたことも少し補足しておきましょう。ステイシー・エイブラムスは2022年のジョージア州知事選挙でブライアン・ケンプに再度挑みましたが、破れました。知事を続投したブライアン・ケンプは2024年も新しい選挙法をいくつも試行し、自分に有利な投票抑圧を強化しています。
よく投票権(選挙権)がない人はクローズアップされます。それも問題です。しかし、投票権があってもそれが形骸化することがある。その原因となる投票抑圧は軽視されやすいからこそ重大な問題なんですね。
日本でも形式の異なる投票抑圧がいろいろあります。前述した「白票運動」もそうですし、おふざけな出馬で選挙を陳腐に台無しにする「選挙荒らし」、または「在外投票のしづらさ」、「選挙争点をぼやかしたり、追及しなかったり、政治家の広報に成り下がるメディア」、「国民に蔓延するアパシー(政治無関心)」…。もっと問題視されるべき事象だと、本作を観てあらためて思いますね。
「投票したい人がいない」と口にする有権者はいます。その気持ちはもっともです。ではもう少し考えてみるといいでしょう。「あなたはどんな人になら投票したいだろうか」と。「どんな社会に変えてほしいだろうか」と。
いきなり投票したい人が魔法のように現れるわけではありません。政治家に自分の代表がいると感じないのは理由があります。そういう社会だからです。そういう社会になってしまった歴史があるからです。そういう社会にさせてしまった人たちがいるからです。
選挙は一歩一歩変えていくしかないです。その一歩一歩が一票です。今回の選挙で当選者を決めるだけではない、大きな歴史の積み上げとなるのが一票です。
投票抑圧の思いどおりに操られるのが嫌なら、その手にある投票用紙を有効に使いましょう。投票箱に投票用紙を入れたら、それは投票抑圧を画策する連中に中指を突き立てたも同じです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Amazon オール・イン ザ・ファイト・フォー・デモクラシー
以上、『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』の感想でした。
All In: The Fight for Democracy (2020) [Japanese Review] 『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』考察・評価レビュー
#政治 #選挙