もう終わりにしよう
Netflix映画『もう終わりにしよう。』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:I'm Thinking of Ending Things
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:チャーリー・カウフマン

もう終わりにしよう。

『もう終わりにしよう。』あらすじ

付き合っているジェイクと内心では別れを考えているものの、相手の両親に会うため、長距離ドライブで彼の実家の農場までやってきた女性。吹雪がどんどんと悪化していく中で、彼女は彼の母親と父親と不思議で不愉快で奇妙な時間を過ごすうち、彼のこと、自分自身のこと、果てはこの世界のすべてに対する確信が揺らいでいく...。

『もう終わりにしよう。』感想(ネタバレなし)

チャーリー・カウフマンの穴

“チャーリー・カウフマン”はヘンテコな人です。

いきなり何をぶしつけなことを言っているんだという話ですが、でも事実、この映画人は珍妙です。絶対に他人とかぶらない個性を持っており、それが作品の中に隠しようもなく反映されています。

“チャーリー・カウフマン”の名前が映画業界で最初に有名になったのが、1999年のスパイク・ジョーンズ監督の『マルコヴィッチの穴』。この映画で脚本を手がけたのが“チャーリー・カウフマン”でしたが、そのストーリーは奇想天外すぎました。ざっくり概要を言うと、実在するあの俳優のジョン・マルコヴィッチの頭の中に通じる穴を見つけた人間の物語なのです。いや、意味不明だと思いますが、本当にそういうお話なんです。私は最初にこの映画を鑑賞したとき、物語の起承転結とか以前に「どうしてこんなアイディアを思いついたんだ?」とその発想力に脱帽というか、ただただ理解不能で「?」マークが渦巻いていました。映画自体よりも脚本を考えた“チャーリー・カウフマン”を知りたい。その人の頭の中が見たいですよ。

続く脚本2作目の『ヒューマンネイチュア』(2001年)は、なぜか自分を猿だと思い込んでいる男と、宇宙一(ということになっている)毛深い女、そしてネズミにテーブルマナーを教えようと奮闘する博士を描くブラックコメディ。2002年の『アダプテーション』は、まさに脚本家のチャーリー・カウフマンをメタ的に題材にしたかのような自虐的とも言えるストーリー。そして2004年の『エターナル・サンシャイン』はロマンス映画でありながら、記憶を主軸にした何ともファンタスティックで掴みどころのない物語がフワフワと展開されます。

とにかくどれも強烈に「ヘンテコ」。しかし、この奇抜さが批評家には受け、多くの賞に輝きました。

けれども映画館と映画会社には好かれなかったようです。まあ、そりゃあそうです。奇抜すぎて一般観客は置いてけぼりですから。客は入りません。

しだいに“チャーリー・カウフマン”は映画業界から遠のいてしまいました。変人は嫌われるんですかね…。

そんな“チャーリー・カウフマン”がまさかのストップモーション・アニメでカムバックしたのが2015年の『アノマリサ』。こちらの作品では監督も務め、素材がアニメであろうと「なんじゃこりゃ」と観客を困惑させる才能をフルに発揮していました。

そして2020年、“チャーリー・カウフマン”にとって都合のいい時代が到来した…かもしれません。それがVODの存在。動画配信サービスなら興行収入を気にする必要なし。もううるさい映画館や映画会社なんて無視だ無視! そう言っていたのかは知りませんが、ともあれ“チャーリー・カウフマン”はNetflixというパートナーを得て、これまた好き放題に新作を作ってくれちゃいました。

それが本作『もう終わりにしよう。』です。す、すごいタイトルだ…。もう題名だけで“チャーリー・カウフマン”っぽい…。

本作はイアン・リードが2016年に発表した小説を原作としていて、とあるカップルの物語です。でもそこは“チャーリー・カウフマン”。普通のロマンスで終わるわけもなく…。

俳優陣は、主演が『ワイルド・ローズ』で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた“ジェシー・バックリー”。そして、『母が教えてくれたこと』で心を揺れ動かしてくれた“ジェシー・プレモンス”。2人ともガラッと変わってすっごいローテンションな役柄で登場。


さらに、でました、“トニ・コレット”が『ヘレディタリー 継承』を思わせる怪しげなキャラで出現。『ハリー・ポッター』シリーズのリーマス・ルーピン役でも活躍した“デヴィッド・シューリス”も負けじと珍妙さを全開にしています。

基本的にこの4人しか登場しないのですけど、全員が濃いのでじゅうぶん印象に残ります(頭にこびりつくくらいに)。

『もう終わりにしよう。』は批評家泣かせであり、もっと言えば一般観客など相手にしていない作品です。ハッキリ言えば、会話劇だらけで退屈になります、眠くもなるでしょうし、何より意味がわからないという声が大多数のはず。でもそういうものなのです、この“チャーリー・カウフマン”は。

“考えるな、感じろ!”系の映画ですので考察も宙を空振りします。以下の後半の感想は、私が“チャーリー・カウフマン”相手に必死にパンチをかますもすり抜けられてしまう滑稽な姿が拝めるだけです。

『もう終わりにしよう。』はNetflixオリジナル映画として2020年9月4日から配信されました。

オススメ度のチェック
ひとり◯(監督ファンは心して)
友人△(気軽には観れない)
恋人△(クセが強すぎる)
キッズ△(大人でも難解)

『もう終わりにしよう。』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『もう終わりにしよう。』感想(ネタバレあり)

終わり…にしたいけど

「もう終わりにしよう。そう考え始めたら頭から離れず私を支配する。もう自分ではどうしようもない。食べてる時も寝る時も消えない。寝てる間も起きる時も常につきまとう。今まで考えたこともなかったのになぜか覚えがある。いつ始まった? 私の思いつきではなく心に既にあったのか、既に形成されていたのか。きっと私は知っていた。終わりは決まっていたのだ」

「ジェイクは言った。考えることは行動より真実や現実に近いと…言動とは違って考えることにウソはない」

ひとりの女性が恋人であるジェイクを街角で待っていました。雪が舞う中、ジェイクの運転する車に乗る女。その女は「終わりにしよう」と心で唱えています。何を? 関係を。

2人は交際中でしたが、女の方は別れるつもりでいました。しかし、ジェイクの方は「両親は楽しみにしているよ」と知らぬが仏で機嫌良さそうです。これからまさにジェイクの両親に紹介がてら会いに行く計画でした。

考え事をする女。けれども、しきりに話しかけてくるジェイクのせいで思考は中断します。女の電話が鳴り、それは友達のルーシーからでしたが、放置します。突然、窓から見えたブランコが気になる女。「なんであんなとこに…」と疑問を持ちますが、ジェイクは全然気にしていません。

雪は強まります。明日は用事が多いので夜に帰らないといけないと女は心配しますが、「チェーンがあるから大丈夫」とジェイクは余裕で答えます。

ドライブはまだ長いので、ジェイクはラジオをかけて音楽を聴きます。ミュージカルが好きらしく、あれこれと作品名を挙げて博識です。

あるとき、詩を思いついた女は「朗読して」とジェイクにせがまれ、ぽつりぽつりと独り言のように語りだします。「すごく気に入った」とジェイクは感想を述べますが、「まるで僕のことみたい」とも気にします。

ついにジェイクの実家に到着。そこは農場です。ジェイクはまずは天候が悪いにもかかわらず家ではなく家畜小屋を案内しだします。羊がいますが、数頭は死体として無造作に転がっていました。また、豚を安楽死させた話をしだしたジェイクは、生きたままウジに食われていたと得意げに語ります。

やっと家に玄関から入ります。ジェイクは「ハロー!」と呼びかけるも誰も出迎えません。自分のスリッパを女に貸すジェイク。誰も2階から降りてこないので、しょうがなくソファに女は座り、ジェイクは階段下で待ちます。暖炉に火をつけながら、本当に招待されているのかと不安になる女。

すると地下室の扉を気にします。無理に入ろうとしてみてからかう女。爪痕がドアについていることを指摘すると、ジェイクは「犬だよ」と答えます。すると間髪入れずに犬が来て、なぜかずっと体をブルブルと震わせているのに不信感を持つ女。

そこへ2階からジェイクの両親が降りてきました。そういう性格なのか母のテンションはやや高めで、父はあまり喋らずに会話が変です。

こうしてカレシの家で食事が始まりますが、それは思っていたものではなく、ぎこちなさを通りこして摩訶不思議な体験へと誘われていきます。これは現実なのか、それとも…。

この2人、気まずい

『もう終わりにしよう。』はタイトルからして結末がわかりきっているような作品です。もうこのカップルは破綻寸前なのです。終わりにしたいと女が思っているのですから。

それでもズルズルとカタチだけの関係が続くさまが序盤から映し出されます。本作を私は恋愛映画にカテゴリできるのかなと初見時は思いましたけど、他の映画データベースサイトを見ると「心理ホラー」にジャンルされているんですね。確かに精神を削ってくるのでそっちの方が適切かもしれません。

まず序盤20分くらいは行きの車中での2人での会話シーン。これがもうその場から逃げだしたくなるくらいに息苦しい。“いたたまれない”というのはまさにこういう状態。お手本です(悪いお手本だけど)。

その2人の関係性とシンクロするように天気も激しく悪化。これ、目的地にたどり着くのか?と思えるくらいの猛吹雪になります。

しかし、ここは序の口。まだこの先にもっと地獄がありました。

ジェイクの実家に到着すると、不愉快さを増幅させる出来事の乱れうちをお見舞いされます。まず両親が変。いや、他人の親にそんなことを言うのは失礼ですけど、でも何かオカシイわけです。

ここの両親を演じた役者の演技が見事としか言いようがない不気味さ。母親はなぜかニタニタと笑みが止まらないらしく、よくわからない会話の節々で急にテンションが上がります。一方の父親は大人しそうに見えますが、こちらもよくわからないノリで会話を繋いできて、ナチュラルに無礼だったり、さっぱり読めません。それに対してなぜか両親の前では黙り込んであからさまに不機嫌そうなジェイク。車ではあんなに饒舌だったのに…。

その最悪な空気の食事にて、ジェイクのカノジョは精一杯盛り上げようとしているのか、ややギアを間違えた感じで明るく笑って振る舞います。それがまた痛々しい…。

ここまでの展開だと破局間際の終了しかけたカップルの姿をブラックに描いた作品だとも読み取れます。

「女」の正体は?

ところがそこは“チャーリー・カウフマン”、そうは問屋がおろさない。観客の誰もが絶対にそんな単純な映画ではないと気づくはずです。

そもそもこの主人公とおぼしき「女」。さっきから女、女と雑に書いていますが、名前が不明です。いや、作中でたびたび言及されるのですが、そのたびに名前が変わっています。それだけでなく服装も、行きは赤いコートで、帰りは青いコートに変わるなど、変化しています。

存在感自体が謎で、友人からたびたび電話がかかってきて無視するのですが、その電話の相手の名前もコロコロ変わっています。何を専門に学んでいるのかも、話すたびに違ってきます。

そしてあげくに自分が描いたはずの絵がなぜかジェイクの実家にあり、自分が車中で考えたはずの詩がジェイクの子ども部屋の本に書いてあります。部屋に飾ってある写真も自分のものです。

つまり、この女性、言ってしまえば全てジェイクが考えた空想の産物に過ぎないんですね。別の言い方をすれば、女はジェイク自身でもあるのです。だから毎回設定が変わります。それでもおおむねジェイクの趣味に合うようになっています。「私の考えた彼女」なのですから。

そうやって考えるとあの車中でのぎこちない会話も違った意味を持ってきます。あれは自分同士の対話でもある。脳内で議論しているようなものです。

作中でジェイクが同性愛の話題に妙に反応するシーンがあります。もしかしたら同性愛者だったのかもしれません。異性愛の関係を妄想してみたことがあるのかもしれません。

ジェイクは物書きで何かのストーリーを思い描くのが趣味だった…そう考えるのが“チャーリー・カウフマン”っぽい読みに思えます。映画のラスト、高齢の姿で賞を受賞して「君がいるから僕がある」とスピーチし、拍手喝采を受けるのはジェイクの思い描いた最高の自分のゴールだったのか。

ジェイクの末路

では実際のジェイクは?

その鍵になるのは作中で何度も挿入されるように描かれる学校の清掃員風な中年の男。彼はその後の女とのやりとりからもジェイクだとわかります。おそらく彼がジェイクの最期の姿なのでしょう。学校に捨てられた大量の紙コップ。そこからわかるのは退屈なルーチンワークを過ごしたことだけ。

ジェイクは独り身で、老いてボケていく両親の介護に付きっきりになり、地元でも若干バカにされ、最後は死を選ぶ。終盤の唐突なダンスシーンでの殺される演出や、アニメーションの豚に全裸でついていく姿など、死を連想させるものが次々と登場。エンディングでは翌日の晴天の中、雪に埋もれた車(つまり持ち主はもういない)。

『もう終わりにしよう。』というタイトルは、恋の関係性を終わりにするという意味ではない、文字どおり人生を終わりにしようという意味でした。

まあ、この前衛的でありながら、物語の主軸にあるものは末期的な終焉を迎えようとしている感じは、いつもの“チャーリー・カウフマン”節なのですけど。それでいてそのエンディングをそこまでバッドに見せない軽やかさがまた…。作中で言及されたブロードウェイミュージカル『オクラホマ!』のようにジェイクの人生はミュージカル調で語り継がれる。どんな人生も劇にすれば楽しい…そんな心意気さえ感じます。

それにしたって本作で一番のびっくり演出は、突然の「Directed by Robert Zemeckis」ですよ。ちゃんと本人に許可をとったらしいのですが、それでも自分が全然関係ない作品でいきなり監督クレジットが出たという人物なんてそうそういないんじゃないでしょうか。本当の監督で本来のクレジットである“チャーリー・カウフマン”の文字よりも目立ってる…。

ということでまたしても“チャーリー・カウフマン”の手のひらで踊らされた気分ですが、こういうのがとくに嫌ではない私は、きっと“チャーリー・カウフマン”の運転する車に長時間乗っていても退屈しないのかも。いや、飛び降りるかな…?

『もう終わりにしよう。』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience --%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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以上、『もう終わりにしよう。』の感想でした。