もう負ける役は嫌だ…映画『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年にAmazonで配信
監督:ロジャー・ロス・ウィリアムズ
LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
カサンドロ リング上のドラァグクイーン
かさんどろ りんぐじょうのどらあぐくいーん
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』あらすじ
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』感想(ネタバレなし)
ドラァグ版『ロッキー』
「ドラァグクイーン」…「ドラァグ」とも呼ばれますが、これは異性装を職能的に駆使してパフォーマンスをする人たちの総称です。大半は異性愛者ですが、中には同性愛者やトランスジェンダーの人も含まれており、クィア・コミュニティとも密接な関わりがあります。
最近はそんなドラァグに対して「ドラァグは子どもに有害だ」という陰謀論的なモラルパニックが一部で拡散しています。このいわゆる「ドラァグ・パニック」と呼ばれる現象は、基本的に保守・右派の支持層で観察されますが、反LGBTQ運動とも連動しているバックラッシュのいち形態です。
「ドラァグ・パニック」で騒ぐ人たちは、まるでドラァグの人々が吸血鬼か悪魔であるかのように、ドラァグの人が子どもに本の読み聞かせをしているだけでも危険視してきます。ドラァグがなんなのか根本的に理解する気は欠片もありません。
そんな救いようのない差別的な人たちはさておき、そもそもドラァグという存在を一般の人はどれくらい知っているのか。テレビで当事者の一部を見たことがあるだけの人がほとんどでしょうけれども、実は世界各地に多種多様なドラァグが存在し、固有の文化を持っています。私も結構知らなかったことが多く、学べば学ぶほど世界が広がって面白いです。
ドラマ『POSE ポーズ』など地域固有のドラァグ的文化を見せてくれる作品が近年はちらほらありますが、今回紹介する映画もそのひとつです。
それが本作『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』。
本作を語るうえでまず説明しないといけないのは「エクソティコ(Exótico)」という存在。
メキシコではプロレスが大人気で、「ルチャ・リブレ」と呼ばれ、『アレックスとチュパ』でも描かれたように、子どもから大人にまで愛される国民的娯楽になっています。
そのルチャ・リブレの中でも、ドラァグのスタイルで戦うレスラー(ルチャドール)のことを「エクソティコ」と言います。
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』は、実在のエクソティコで大きな話題となった「カサンドロ」という人物を描く伝記映画です。
このカサンドロはゲイであり、本作も、クィアなアイデンティティを見い出し、それがどんなふうに大衆や身近な人に作用していくのか、そんな物語を主軸にしています。エクソティコの文化にも触れられるので、全然知らなかった人にもぴったりな映画でしょう。例えるならドラァグ版『ロッキー』とも言えるようなエモーショナルなストーリーです。
その『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を監督するのは、本作で長編劇映画監督デビューとなった“ロジャー・ロス・ウィリアムズ”。この人はドキュメンタリー界隈で既に非常に評価を得ており、2010年には『Music by Prudence』でアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞しています。
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』で主人公を演じるのは、『WASP ネットワーク』『ウェアウルフ・バイ・ナイト』のメキシコ出身の“ガエル・ガルシア・ベルナル”。
共演は、ドラマ『プリティ・リーグ』の“ロバータ・コリンドレス”、『ランボー ラスト・ブラッド』の“ホアキン・コシオ”など。
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』は、日本では劇場未公開で「Amazonプライムビデオ」で独占配信されているだけですが、見逃すには惜しいクィア映画なので関心ある人は要チェックです。
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を観る前のQ&A
A:Amazonプライムビデオでオリジナル映画として2023年9月22日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :クィア映画好きなら |
友人 | :興味ある者同士で |
恋人 | :同性ロマンスややあり |
キッズ | :少し性描写あり |
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』予告動画
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):今度は勝つ
「エルパソとフアレスの皆さん、今夜、ライのガレージでヒガンティコ対エル・トポ戦が行われます。エクソティコのビッグ・ベルトランも登場!」
1980年代、メキシコではルチャ・リブレが大人気。有名な試合もあれば、町で密かにやっている小さな試合もあります。メキシコと隣接し、多くのヒスパニック系が住むテキサス州のエルパソでも、ルチャ・リブレが盛り上がっていました。
そこにひとりの男が物憂げな雰囲気をまといながらリングの準備が進む会場に足を踏み入れます。その男の名はサウル。レスラーたちが各々でスタンバイして、談笑している部屋に入り、サウルも準備をします。彼もレスラーです。
「エル・トポ(モグラ男)」の名が響き渡り、リングに立つサウル。相手は巨人の異名を持つ黄色いマスクの大男。「オカマ野郎、なよなよするな」と挑発されます。
エル・トポは圧倒され、相手のヒガンティコは「モグラは掘られてろ!」と観衆に声を荒げて場を煽ります。エル・トポは飛び掛かるも床に叩きつけられ、試合はあっけなく終わりました。
サウルはマスクをとり、待機室でぼやくしかできません。「また来週もヒガンティコと戦え」とピートに指示されます。
帰り際、リングにはドレス風な衣装をまとって化粧したビッグ・ベルトランが立っていましたが、そんなビッグ・ベルトランも負け役です。しかし、観衆に罵倒されてもビッグ・ベルトランは堂々としていました。
サウルは家に帰り、無言のままベッドに仰向けに寝て今日の出来事を消化していきます。
翌朝、裁縫をして修繕していると「あなたはいいお嫁さんになる。相手だけは選んでね」と母が気さくに話しかけてきます。
ふと思い立ち、とあるリングを見物。そこではレディ・アナルキーアのリングネームを持つサブリナが指導していました。サウルは2年前からやっているだけの人間だと謙遜しつつ、次の試合で勝ちたいと熱意を見せます。こうしてリングの上でサブリナと組んでもらい、そして気に入られ、本格的にレッスンしてもらえることになります。
厳しいトレーニングが続きます。サブリナから「エクソティコになれば?」と提案されますが、「エクソティコは負け役だから嫌だ」とサウルは消極的です。
ある日、外で食事しているとテレビで『カサンドラ 愛と運命の果てに』という人気テレノベラが流れます。
母と煙草をふかしてその場を去り、のんびりと時間を過ごします。母は出ていった夫を思い出し、そのときは息子に冷たい言葉を投げつけます。「父が去ったのはあなたのせいよ」
クローゼットから衣装を取り出し、ひとつひとつ確認していくサウル。サブリナに思い切って提案します。絵を見せ、それはエクソティコとしての自分の新しい姿でした。でもこのエクソティコは勝つ存在だ…と。
いよいよ試合です。「エクソティコとして勝たせてもらう、お約束をひっくり返す」と試合前に言うも「それは無理だ、エル・トポとしてでろ」と言われてしまいます。
未知のルチャドールとして紹介されたサウルの新しいリングネームは「カサンドロ」。
大ブーイングの中、ヒガンティコを捻り倒し、勢いに乗ります。「カサンドロ!」と観衆も盛り上がり始め、おどけてみせながら、これまでにない空気の中、場を熱狂させます。でもヒガンティコに軽々と持ち上げられ、場外に叩きつけられ、負けました。
ところが興行主のロレンソに気に入られ、思わぬチャンスを獲得することに…。
既存のマッチョイズムに反抗する
ここから『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』のネタバレありの感想本文です。
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』は伝記映画ですが、実際のカサンドロの人生をそのまま描いてはおらず、だいぶ脚色しています。『Cassandro, Queen of the Ring』のようなドキュメンタリーを観れば、史実も理解できると思いますが、日本では観る機会はほぼない様子…。
本作ではカサンドロ(サウル・アルメンダリス)のクィアなアイデンティティに何よりも焦点をあてており、それを「家父長制や男性規範との対峙」と「女性からの支えと影響」の2点で補強して物語を構築している感じでした。
まず本作におけるカサンドロは父親と複雑な因縁があります。幼い頃の自分にレスリングの魅力を教えてくれたのは間違いなく父でしたが、その一方でエクソティコを気持ち悪い存在として侮辱し、15歳でカミングアウトして以降、父は離れていきました。
カサンドロにとってエクソティコは単なるキャリアの道ではなく、ある意味ではそんな父に対する反抗です。それは同時に世間における「男性とはマッチョでなければならない」というイメージへのカウンターでもあります。ただでさえプロレスはそういうマッチョイズムと無縁ではなく、それを促進するようなものでもありました。エクソティコはあえて女っぽい格好をしてプロレスに参戦することで、ここはマッチョだけの世界ではないことを証明してみせる…そんな存在なんでしょうね。
ルチャ・リブレもプロレスなので、たいていは台本があります。真剣勝負で勝ち負けを決めているとは限りません。しかし、それもまたこの物語では意味深いものになっています。
つまり、「エクソティコは負ける役である」という台本をカサンドロが覆してみせるというのは、社会におけるクィアのマイナスの印象をひっくり返すのと同じことで、プライドを獲得する展開と非常に重なります。どんなに差別的な言葉で罵倒されようともリングで奮闘する姿は確かに誇りを全開にしています。
「エル・イホ・デル・サントの部屋」に出演した際、「どんなときも自分を偽らないこと」と語ってみせる中、観覧者のひとりの若者が「父にカミングアウトして認めてくれました。あなたのおかげです」と嬉しい報告をしてくれたシーン。たぶんカサンドロは完全に自分のためにエクソティコとして活動していたので、社会の他の同じような人たちに勇気を与えるとは想定はしていなかったかもしれませんが、それが思わぬ結果となり、そして新しい人生の意義となる…。
だから「お前の変わりようを見たくない」といまだに言い放つような肝心の父と全然和解できなくても今のカサンドロは吹っ切れたかのようにみえます。彼の居場所はリングにあるのですから。
支えてくれた女性たち
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』でもうひとつ目立つのは、カサンドロの周囲にいる女性たち。
そのひとりは母親です。カサンドロと母は基本は仲良く、家でも打ち解け合っています。カサンドロがクィアであることもわかってくれています。でもふと母の中に夫との関係性がよぎり、しかも母は夫がでていったのはカサンドロのセクシュアリティのせいだと考えているようです。
しかし、カサンドロは父が母をそんなに愛していなかったことを小さい頃が薄々勘づいていて、でもそれを母に突きつけるのは可哀想なのであえて黙っています。複雑な心情です。
そんな母が亡くなってしまい、ここまでずっとやってきたプロレスの目標を見失い、狼狽する姿は切ないです。なお、このメキシコシティでの試合の直前は、実際のカサンドロは自殺未遂もしているようで、映画以上に現実ではもっと苦しかったのだろうと思われます。
もうひとりの女性はコーチになってくれるサブリナです。架空のキャラクターなのですが、おそらくこのサブリナはクィア当事者であり、カサンドロをクィアな側面で引っ張ってくれる役割として配置したのでしょう。
こうして女性の力をどんどん吸収してアイデンティティに変えていくクィアな男性という図式も本作の欠かせない要素ですね。
なお、女性ではないですが、エル・イホ・デル・サントもなかなかに重要な存在として際立ってはいましたね。この人は実在のレスラーで超有名な人物。しかも、本作では本人が演じているのです(マスクつけているから全然わからないけども)。実際のカサンドロもエル・イホ・デル・サントとの試合で世間が自分を受け入れてくれたと感じたと話していますが、こうやってエル・イホ・デル・サント本人がこの映画にでてくれるあたり、人柄が伝わってきますね。
テキサスとメキシコにまたがって活動したカサンドロ。今ではこの2つの地域はLGBTQ権利においてかけ離れてしまっています。テキサス州はかなり消極的ですが、メキシコは様変わりしました。2023年時点で同性結婚は多くの州で法制化し、トランスジェンダーには欠かせない出生証明書の性別と名前の変更も診断無しで可能となり、ノンバイナリーのジェンダーマーカーも利用できるようになりました。
カサンドロが果敢に戦ったことによる成果だと誇ってもいいんじゃないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 84%
IMDb
6.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
実在のクィアな人物を扱った作品の感想記事です。
・『ジェーンと家族の物語』
・『私の名はパウリ・マレー』
作品ポスター・画像 (C)Amazon
以上、『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』の感想でした。
Cassandro (2023) [Japanese Review] 『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』考察・評価レビュー