プレコンセプション?…映画『IMMACULATE 聖なる胎動』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年7月18日
監督:マイケル・モーハン
自死・自傷描写
いまきゅれいと せいなるたいどう
『IMMACULATE 聖なる胎動』物語 簡単紹介
『IMMACULATE 聖なる胎動』感想(ネタバレなし)
プレコンセプション・ホラー
最近の日本の自治体の一部は「プレコンセプションケア」なる言葉を掲げた活動を行っているところが散見されます。
「pre(前)+ conception(受胎)」の言葉どおり、妊娠経験前の人を対象にしていて、これは表向きは「性や妊娠に関する正しい知識を身に付けて健康管理を行うよう促すこと」と標榜しています。「プレコン」と略して気軽さをだして、若者に訴求するアピールが多くの自治体で観察できます。
しかし、この日本のプレコンセプションケアは、一方で厳しい批判の声も集めており、というのも、実態としては「若者に子どもを産ませる」という出産奨励施策と化しているところも少なくないからです。これは単なる少子化対策におけるキャンペーンに過ぎない…と。もっと容赦なく批判するならば、女性はあくまで子を産む母体としてしか価値を見いだされていない…とも。
性に関する適切な知識を教えたいなら、学校で「包括的性教育」を充実させればいいだけですからね。政府に都合がいい妊娠だけを賛美するなら、それはもう繁殖統治です。「女子高生は就職せず子どもを産むべき」なんて主張する政治家が支持を集める現在進行形の日本社会ですから、生殖管理の恐怖は大袈裟でもないでしょう。
今回紹介する映画も、プレコンセプションケア映画(アンチ・プレコン?)と言って過言ではないのではないかな…。そういうことにしよう…。
それが本作『IMMACULATE 聖なる胎動』。
タイトルの「immaculate」は「純潔な」とか「無垢の」という意味の単語ですが、皮肉な意味合いで響く題名です。
舞台はとある修道院で、若い修道女が主人公の王道なナンスプロイテーション。そこで恐怖を味わうことになる戦慄のホラーであり、もっと言えば出産ボディホラーです。
偶然なのですが、本国で同時期に劇場公開だった『オーメン ザ・ファースト』とかなり作品性は一致していて話題にもなりました。
違いがあるとすれば、『IMMACULATE 聖なる胎動』はフランチャイズではなく、完全に単独のオリジナル作なので、シンプルに楽しみやすいという感じでしょうか。
『IMMACULATE 聖なる胎動』で主演するのが、今やハリウッドで最も絶好調の若手女優である“シドニー・スウィーニー”。セックス・シンボル的にメディアでもてはやされることもありますが、『恋するプリテンダー』のようなラブコメから、『エコー・バレー』のようなサスペンス、『リアリティ』のような史実社会派映画まで、幅広く演技の才能を発揮しています。
今作では製作にもクレジットされていて、自身の設立したスタジオ「Fifty Fifty Films」で制作しています。なんでも“シドニー・スウィーニー”がまだそれほど有名ではなかった2014年頃から企画があって彼女がキャスティングされる予定だったらしいのですけど、頓挫し、“シドニー・スウィーニー”がドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』でブレイクしてから、今度は自分が脚本を買い取り、製作を中心で引っ張って進めたとか。
“シドニー・スウィーニー”、結構しっかりしていますよね。この真面目さは過小評価されていると思う…。
『IMMACULATE 聖なる胎動』を監督したのは、『観察者』で“シドニー・スウィーニー”とタッグを組んだ“マイケル・モーハン”で、こちらも“シドニー・スウィーニー”が声をかけたそうで…。
“シドニー・スウィーニー”と共演するのは、ドラマ『ペーパー・ハウス』シリーズの“アルバロ・モルテ”、『トスカーナの幸せレシピ』の“ベネデッタ・ポルカローリ”、本作で本格デビューの“ジュリア・ヒースフィールド・ディ・レンツィ”、『オーメン ザ・ファースト』にもでていた“ドーラ・ロマーノ”など。
プレコンセプション・ホラーの『IMMACULATE 聖なる胎動』は、ぜひ妊娠経験前の若い人たちに観てほしいですね(官製的推奨文)。
『IMMACULATE 聖なる胎動』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | ショッキングな自死の描写、さらに拷問の描写があります。また、直接的ではないですが、性暴力を暗示するシーンもあります。 |
キッズ | 殺人の描写があります。 |
『IMMACULATE 聖なる胎動』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
とあるカトリック修道院。ひとりの若いシスターが真夜中に部屋で祈りを捧げ、意を決して修道院長の寝室に忍び込みます。ベッドで寝静まっている修道院長の横までゆっくりと近づき、棚の引き出しを恐る恐る開け、鍵の束を取り出します。
そして急いで外へ走り、門の錠前を開けようと焦るシスター。しかし、背後から4人の人物が近づき、足首を引っ張り、骨が折れて彼女は絶叫。
気が付くと狭い密閉空間で横たわって閉じ込められていました。そこは棺。泣き叫んで助けを呼ぶもその声には誰も答えません…。
視点は変わって、幼い頃にキリスト教に改宗したセシリアはイタリアにやってきました。修道女として修道院に身を捧げるためです。
慣れない新天地にそわそわしていると迎えが来て、車で案内されたのは田園風景が広がるのどかな地。随分とのんびりしています。
修道院に到着後、シスター・イザベルに中を説明されます。かなり広く、敬虔な修道女たちが大勢います。自分も仲間入りとなるという実感が湧いてきます。
自室となる部屋で休んでいると、シスター・グウェンがやってきます。彼女はタバコを吸ったりとかなり自由奔放ですが、気にかけてくれる優しそうな人でした。
誓願の儀を終え、正式にここに身を置くこととなります。迷いはありません。純真な瞳で、誓いの口づけを神の代わりの猊下の指輪にします。
その儀式の後、セシリアはサル・テデスキ神父に身の上を話す機会がありました。幼い頃に凍った湖に落ちて溺死し、7分間の死亡宣告を受けた後、奇跡的に助かった経験…。セシリアはそれは神が何らかの目的を持って自分を救ってくれたと確信し、それ以来、神への献身を決めたのです。
そんな来て間もない頃、セシリアは夢を見ます。フードをかぶった人物に自由を奪われて身体を襲われるような不快で生々しい夢…。
目を覚ますと真っ暗な自室です。でも誰かいたような気がして…。
妊娠や出産に対するコミュニティの二面性

ここから『IMMACULATE 聖なる胎動』のネタバレありの感想本文です。
『IMMACULATE 聖なる胎動』の冒頭は、シスター・メアリーが経験した壮絶な恐怖が描かれますが、この導入からホラーとしての準備運動は万全。同時に、「棺に生き埋めにされる」という惨状が、閉じ込められた空間から命が外へ生まれる出産の概念と対になっており、これから起きることの二面性を暗示しています。
本作は受胎前と受胎後に大きくパートは分かれますが、受胎前(まさにプレコンセプション)のあの修道院の二面性をどこまで感じ取れるかで恐怖の質が変わってきますね。
あの修道院は(多くの修道院がそうですけど)、女性が多く占めるコミュニティであり、そこで暮らす女性たちは禁欲的な…つまり、性から遠ざけられる生活を送ります。性こそ世俗的なまやかしであり、信仰における阻害要素でしかないので、この空間は若い女性たちをそれらから守っているのだ、と。
しかし、後半で明かされるとおり、この修道院には裏があります。
サル・テデスキ神父が主導して、聖釘(イエス・キリストが磔にされた際に手足に打ちつけられた釘とされる代物)から採取したDNAを使って所属する修道女たちを密かに妊娠させ、社会を導く新たな救世主を誕生させようと画策していたことが…。
要するに、この修道院は「若い女性に子どもを産ませる施設」という裏の顔があったということです。表向きは、若い女性を世俗的な性から守るといかにも高尚な態度をとり、裏側では身体の自己決定権なぞお構いなしに「産む」役割だけを搾取している…。
こういう二面性はジャンルの味つけで映し出す本作を観ていると、とてもオカルトに感じるかもですが、それこそ日本の社会でも平然とまかり通っているものです。
学校では包括的性教育をふしだらだとレッテルを貼って否定し、一方でひとたび学校をでればプレコンだなんだと産ませることに前のめりになる…。それと同じ。二面性を堂々と駆使する社会。
なのであの修道院は人によっては既視感があります。これと同質なことを日々痛感して生きている人が現実にいます。その人にしてみれば生々しい恐怖でしょう。
『IMMACULATE 聖なる胎動』の場合、サル・テデスキ神父の正体が元「遺伝学者」と明かされることで、より歴史的に紐づいた現実とも直結します。優生学です。
優生学は19世紀後半からヨーロッパを中心に急拡大した思想に基づく学問で、知ってのとおり、ナチスの台頭にも寄与しただけでなく、あらゆる差別を助長し、その差別を正当化させました。
そして、優生学は「プレナタルケア(Prenatal care)」(あれ、どっかで聞いたことがある響き…)の実践を始め、当時は進歩的な社会運動の一環として振る舞っており、その排外主義的なおぞましさは軽視されていました。
サル・テデスキ神父がコントロールする作中の修道院も、単純に子どもの数さえ増やせればいいだけでなく、ある特定の人が「より良い」とみなす性質の子どもを選りすぐって産みだそうとしている…この優生思想の醜悪さが土台にあります。
『IMMACULATE 聖なる胎動』は、「ナンスプロイテーション×出産ボディホラー×優生学」と3点セットがきっちり揃っており、その点は極めて王道な作りですが、現代においてこういう映画のリアリティが増しているのがある意味で嫌な時代になったと実感させますね…(昔からだけど)。
へその緒を噛みちぎる反抗心
『IMMACULATE 聖なる胎動』の主人公セシリアは、性行為など一切していないのに妊娠が発覚します。無論、サル・テデスキ神父のせいです。
セシリアが妊娠する過程は直接は描かれていませんが、身体を蹂躙されるような悪夢として性暴力を暗示する不気味さで表現されます。事実として起きているのは人体実験に近いですが…。
で、その発覚後が別のニュアンスでもっと不気味です。
というのも、修道院の人たちはセシリアが通常ではあり得ない妊娠をしたとわかると、彼女を次の「聖母マリア」として扱い始め、祝福し、態度が一変するからです。もちろんそれは妊婦の健康を気遣いましょうみたいな優しい感情ではありません。コミュニティの象徴的なアイコンになる存在だからです。
でもそんな器に収まらないのがこのセシリア。本作のセシリアのキャラクター性は非常に反抗的でサバイバル精神に溢れており、観ていてハラハラドキドキさせてくれます。やられっぱなしでなるものかと闘ってくれるのがいいですね。聖母マリアとか糞くらえです。
探偵のごとく探索で真相を突き止めるのも(わりとあっさりわかる)、ニワトリの血で流産を装って外部の病院へ連れ出させる戦略といい(ニワトリの死体はもっと隠しておくべきだった)、アグレッシブさがどんどん増していきます。
終盤はもう強引な力業です。サル・テデスキ神父もなかなかにしぶとい悪役っぷりで立ちはだかってくれるのですが、修道院の地下墓地であの方法で倒される姿はもはやモンスターの最期でしたね。
そうやってモンスター映画へとジャンルをシフトさせた後、ラストを締めくくるのはあの行為。結構に遠慮のない一撃で片づけるエンディングですけど、ジャンル作品ならこれくらいの荒っぽさでじゅうぶんだと思います。あらゆる怒りが全部あの「ズシン!」に込められている…。
へその緒を噛みちぎる姿が最も似合う“シドニー・スウィーニー”。この映画をあえて作りたいと考えて身を捧げたそのプロデュースの姿勢も合わせ、“シドニー・スウィーニー”に対する尊敬度がググっと上がった一作でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024, BBP Immaculate, LLC. All rights reserved. イマキュレイト
以上、『IMMACULATE 聖なる胎動』の感想でした。
Immaculate (2024) [Japanese Review] 『IMMACULATE 聖なる胎動』考察・評価レビュー
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