あのフランス児童文学の名作がまたも映像化…映画『家なき子 希望の歌声』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2018年)
日本公開日:2020年11月20日
監督:アントワーヌ・ブロシエ
家なき子 希望の歌声
いえなきこ きぼうのうたごえ
『家なき子 希望の歌声』あらすじ
南フランスの農村で暮らす11歳の少年・レミは、貧しいながらも優しい母とともに静かな自然の中で幸せな毎日を送っていた。そんなある日、長い間パリへ出稼ぎに出ていた義父がカネに困窮したことにより、レミは旅芸人の親方・ヴィタリスに売り飛ばされてしまう。しかし、情の深い親方に歌の才能を見いだされたレミは、犬や猿と親交を深めながら、ひたむきに旅を続けていく。
『家なき子 希望の歌声』感想(ネタバレなし)
フランスの児童文学の代表作
フランスの児童文学の始まりと言えば1600年代に活躍した「シャルル・ペロー」が挙げられるのかもしれません。しかし、今回は1800年代に存在感を発揮したフランスの児童文学小説家の話です。
それは誰かと言えば、この人、「エクトール・アンリ・マロ」です。
1830年に生まれたエクトール・アンリ・マロはパリでなんとか小説家として成功し、かなりの数の作品を発表します。その中でもとくに代表作として一番に挙げられるのが「家なき子」です。
「家なき子」は1878年に発表された児童文学作品で、今でも語り継がれる有名作。孤児の少年を主人公にしており、その不幸な出自を背負った少年がいろいろな旅の中で人生の居場所を見いだす物語です。ちょっとチャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」っぽいですね。今ではそんな孤児のストーリーはありふれていますが、当時としてはどうだったのかな?
とにかくこの「家なき子」は話の重さからわかるように子ども向けを想定していたわけではないようでしたが、すっかり子どもが楽しむ人生物語として定着しました。
これだけの有名作ですから当然のように映像化もされています。1934年にはフランスで映画化され、1946年にはイタリアで映画化。それ以降も映画化は続きます。
けれども面白いのはこの「家なき子」の映像作品で最も有名なものはアニメだということです。1977年に『家なき子』というタイトルで東京ムービー新社の製作でアニメシリーズ化。さらに1996年には『家なき子レミ』という日本アニメーション制作のアニメシリーズも登場(こちらは主人公が少年ではなく少女になっている)。これらの日本のアニメは海外でも認知されているそうで、「家なき子」の映像作品と言えばコレ!という状態なようです。まあ、児童文学ですから客層的にもアニメと相性がいいのは当然ですね。
ちなみに日本では1974年と1994年に『家なき子』というドラマシリーズが放送されましたが、あちらはこの本家「家なき子」にオマージュを捧げつつ、舞台を現代日本社会にした別モノです。
そんな「家なき子」ですが2018年に本場フランスでもう何度目になるやらまたも実写映画化されました。それが本作『家なき子 希望の歌声』です。
そうは言いつつも、私は「家なき子」の実写映像作品をこれまで1作も鑑賞したことがなかったので、この『家なき子 希望の歌声』が初の実写でのオリジナルを堪能する機会になりました。たぶんそういう境遇の人は私以外にも日本では多いのではないかなと思います。なので結構楽しみにしながら映画を観ることができました。そのぶん過去作との比較などは全然できませんけどね。
監督は“アントワーヌ・ブロシエ”という人でフランス映画界隈に疎い私はこちらも知らなかったのですが、2014年にバカロレア(大学入試資格試験)に挑む高校生たちを描いた青春コメディ『A toute épreuve』を手がけるなど、割と幅広く活躍する人気監督のようです。
俳優陣は、まず主役の少年を演じるのはオーディションで映画初主演を射止めた“マロム・パキン”。作中では大事な要素である歌も本人が披露しているとのこと。そしてその主人公を導くおじいさんを演じるのは、『愛を弾く女』『隠された記憶』『八日目』『橋の上の娘』など数々の映画で絶賛を受け、フランスを代表する名優として君臨している“ダニエル・オートゥイエ”。今作でも圧倒的な安定感で、物語を観る私たちにも安心を与えてくれます。
他にも『ロシュフォールの恋人たち』『ニュー・シネマ・パラダイス』でおなじみの名優である“ジャック・ペラン”、『冷たい水』『ザ・ビーチ』の“ヴィルジニー・ルドワイヤン”、是枝裕和監督の『真実』にも出ていた“リュディヴィーヌ・サニエ”、『正しい恋愛小説の作り方』『遙かな町へ』の“ジョナサン・ザッカイ”など。さすがフランスを代表する児童文学を映像化するだけあって、キャスティングも本気モードが窺えます。
日本では吹き替え版も公開されていますし、これは子どもだけでなく大人にとっても見やすさに繋がる、良い仕上がりです。丁寧で心を温めてくれる映画ですので、何かと不安の多い情勢にこそ本作を観てほしいものです。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(児童文学が好きなら必見) |
友人 | ◯(趣味の合う者同士で) |
恋人 | ◯(感動作を観たいなら) |
キッズ | ◯(子どもでも心が揺れる) |
『家なき子 希望の歌声』感想(ネタバレあり)
本当の家はどこにある?
雷に怯えながらベッドに横たわるひとりの少年。その子は夜中に部屋の外へ出て、屋敷の中をこそこそと歩き回り、冷蔵庫の大きなケーキをつまみぐいします。
すると背後から老人が接近し、それに気づいた少年は絶叫してびっくり。
落ち着いた後、その屋敷の主である老人と椅子でまどろみます。老人は「ウイスキーはいるかい?」とやけに気さくで、「いいえ、おじさま」と少年は律儀に断るも「レミと呼んでくれ」とやっぱり軽く対応してきます。「歌は好きか?」「子守歌さ」「いつのまにか覚えていた歌さ」とそのレミと名乗る老人は昔話を語りだしました。それを聴いていたのは少年ひとりでしたが、すぐにあちこちから他の子どもたちもやってきて、一緒に耳を傾けます。
故郷のシャヴァノン村から始まる物語。レミという少年がそこで暮らしていました。バルブラン母さんのもとで育てられ、貧しい生活ですが、決して不幸に沈んではいません。父は出稼ぎに行っており、会っていないのでよく知りません。
ところが仕事場で事故に遭ったと父から手紙が来たことで生活に不穏な空気が漂います。もう石切の仕事を続けられないとのことで、裁判のために400フランのカネがいるとか。家にそんな余裕はありませんでした。母はレミにとって大切で唯一の友達だった牛のルーセットを売ってしまい、レミはショックを隠せません。
牛に夜中に会いに行くレミ。そのたびに牛を痛めつける鞭を盗んで、歌ってあげます。しかし、暗がりの背後に大きな白髭の男が立っているのに気づき、驚いて逃げ帰ります。
家には父であるジェロームがいました。レミをひとめ見るなり、「まだいたのか」とぞんざいな態度です。「ママと呼ぶな!お前のママじゃない」「実の親が今さら現れるわけがない」と父は言い放ちます。「うちで育てる」という母を怒鳴る父。それを怯えて盗み聞きするレミ。この会話により、レミは薄々気づきました。自分はこの家の実の子ではないということに。
10年前の真冬のパリ。ジェロームは赤ん坊を偶然に拾ったのでした。高そうな産着を身に着けていたので裕福な両親が来ると思ったという魂胆があっただけ。しかし、ジェロームの妻はその赤ん坊を可愛がり、死んだ子の名前をとってレミと名付けました。
これからどうなるのかと心配しているとレミのもとにバルブラン母さんがやってきて「あなたを育てたから役場がきっと手当をくれる」と父と話し合ったと言ってくれます。
さっそく父と一緒に2人で役場に向かいますが、なぜかそこをスルーして孤児院へ連れていこうとする父。「あんなの嘘に決まっているだろう」と吐き捨てられ、手を振りほどき逃げだすレミ。
しかし、逃げ込んだ建物で、あの例の白髭の老人とばったり遭遇。しかもその老人は「あの子をカネに変えてみるのはどうだ?」「俺に貸してくれ。試しに1年」「30フランだ」と父に持ちかけるのです。その老人はヴィタリスという名で、犬カピと猿ジョリクールと一緒に一座として旅芸人をしているのだとか。
カネに目がくらんだ父はレミを売り払い、村人の視線を感じながら連れていかれるしか、レミにできることはありません。道すがら遠くに母が見え、「ママ」と叫ぶがその距離は遠く、母は父に押さえられて悲しみに耐えていました。
レミは最初はこのヴィタリスに警戒心を全開にしていましたが、新しい服を買ってくれたりと、有り金のほとんどをつぎ込んでくれて、なぜそこまでしてくれるのか不思議に思います。
素直に聞いてみると「あの歌声は美しい」「仕事は投げ銭を集めることじゃない。歌ってほしいんだ」とレミに言ってきます。
ヴィタリスはいつもの仕事を見せてくれます。楽器を背負い、動物に衣装を着せ、メロディを奏で、歩き出す。「紳士淑女の皆さん、そして子どもたち!」と始まりを告げ、動物と小芝居し、集まった聴衆を楽しませていきます。レミもすっかり夢中になれました。
しかし、「天使の歌声です。天才少年の初舞台です」と自分が歌うように急かされ、固まるレミ。思わず逃げだし、転んでしまいます。
「もう歌わない!」とネガティブになるレミに対し、ヴィタリスは自分が元ヴァイオリニストで、音楽の才能を見いだすことができると熱弁。レミに未来への可能性を見せてくれるのでした。
こうしてレミの旅は始まります。
「大丈夫」気配りが行き届いている
『ハイジ アルプスの物語』(2015年)、『赤毛のアン』(2016年)など、ここ最近も児童文学の実写映画化が相次いでいる中で、本作『家なき子 希望の歌声』にも言えることですが、安定した丁寧な作りが特徴です。とくに奇をてらったことをするわけでもなく、しっかり原作をリスペクトして、ファンの期待に応えてくれる良作を提供してくれます。もちろんNetflixのドラマ『アンという名の少女』のように現代的なアップデートで再構築して再誕生したものも人気ですけどね。
『家なき子 希望の歌声』も児童文学映像化作としての抜群の安心感をまずは保持することを最優先にしてくれています。
例えば、冒頭。高齢となったレミの語りで始まる本作。作中で何度かレミは命の危機に陥ることがありますが、「大丈夫。絶対にハッピーエンドですから」という製作陣の安心保障が冒頭で観客に示されるわけです。予定調和になってしまう欠点はあれど、それでもこうやって「レミは不幸に死にません」という前提を作ってくれることで、この映画を観る子どもたちはとくに安心できます。どうしても実写は子どもも不安感を抱くことがありますからね。こういうサポートはありがたいものです。
本作は全体的にシリアスでヘビーな物語ですが、とにかく子どもを安心させるべく随所に「大丈夫」アピールの補助が入るのです。
序盤、レミが売られた牛の前で歌うシーンで、ヴィタリスが初登場します。ここは冒頭の高齢レミがケーキを食べる少年の背後に立つシーンと重ねる構成で、いわばちょっとした(観客にだけわかる)ギャグっぽくなっているのですが、絶妙に怖いのか怖くないのかわからないバランスにおさえているのが上手いですね(それにしても高齢者になると気配を消して背後に立てるスキルが身につくのだろうか)。
そしてレミがヴィタリスに売られてしまい、いきなりの絶望展開になるも、すぐにまたここで「大丈夫」アピールの補助が。犬です。犬のペロペロで、「はい、ここは安心空間で~す」と子どもへの気配りが発動。さすが犬。仕事ができる。
さらにヴィタリスの芸がお披露目で、一気に物語に安堵が広がっていきます。あそこの温かさが充満していく過程は本当に幸せな瞬間ですね。ここでも犬の良い仕事っぷり。さすが犬。ちなみにこのカピを演じた犬は本当に芸で仕事する犬だそうです。プロフェッショナルでした。
また、旅の途中で出会う車椅子の少女・リーズも、本作における揺るぎない善を象徴する存在。あの子が悪に落ちることはないなという安心感です。童話のプラトニックさを映し出すかのような佇まいを見せてくれるリーズを演じたのは“アルバン・マソン”という俳優だそうです。
個人的には終盤の産着をヒントにやっと実家を発見し、たどり着いたロンドンのドリスコル家のファースト・コンタクトが印象的。あれ、可哀想というか、一周回ってシュールですらあるんですよね。レミもヴィタリスも良い人だから、あえてハッキリ言わないけど、絶対にレミの裕福とされる親がこんなみすぼらしい奴らなはずがないだろうという…。失礼だから言いづらいけど、でも確実にオカシイだろうという…。この子どもでもわかるあからさまな違和感。あそこはリアリティラインとして本作のギリギリを攻めている感じだったかな。
この不届きななりすましを倒すのにも犬が活躍。さすが犬。やっぱり犬だよ、犬さえいれば子どもは幸せになれる!(強引)
名優ダニエル・オートゥイエに震える
一方で『家なき子 希望の歌声』は怖いシーンはしっかり恐怖と感じさせてくれます。
オオカミに襲われる場面なんかはガチの恐怖です。最近は『ウルフウォーカー』とか、すっかり善玉で描かれることが増えたオオカミですが、もはや児童文学の中でしか怖いオオカミがいないんじゃないかっていうくらいですね。
その中で、単純な怖さだけなく、積み重ねてきた人生の苦汁を見せつけてくれるヴィタリスの存在は大人もグッとくるシーンがいっぱい。ここに関してはさすが“ダニエル・オートゥイエ”!と称賛するしかない名演の連発で、ずっと心を震わされます。
まずあの怖そうに見えて優しさがこぼれ出る風貌がいいものです。帽子をトレードマークにしたあのファッションも最高ですね。めちゃくちゃオシャレじゃないですか。レミに服を選んであげるときも服装センスが発揮されていて、あそこでも「この人は貧乏ではなく裕福な家柄の出身だな」とわかるわけです。カッコいい素敵老人が好きな自分としてはドンピシャであの序盤のヴィタリスにはメロメロにされますね。
旅を始めた序盤は映像の雄大さ(ヨーロッパ映画の武器ですね)にも後押しされて、観ている私たちの心を一気に引き込みます。
そこからの逮捕された際の過去の経歴を世間に言わず、レミにだけエンゾとアンジェリーナという大切な人の死の後悔をくぼす顔の苦しさ。誰にだって人生には影があるものですが、ヴィタリスの暗闇の濃さは想像を超えています。そこから彼には死がつきまとい、やがて命の終わりが見えてくるように。
結核と診断され、なおもレミのためだけにヴァイオリンを取り出して宿の聴衆の前で弾くシーン。あそこは人生の最後のステージであり、彼の物語のエンディング曲です。そして吹雪の中で、全身全霊を捧げた音楽の申し子であるレミを守って、その歌に包まれて命を終える。
本作はレミの物語なのですが、やっぱりヴィタリスの堂々たる人生終幕物語として私は感動します。
それは高齢のレミに受け継がれており、そしてまた次世代の子どもたちに受け継がれる。このあたりは本作の児童文学としての語り継ぎともシンクロする構成です。
たぶんこの原作「家なき子」の映像化は本作『家なき子 希望の歌声』で終わりにはならないでしょう。また10年後、いや30年後、50年後かもしれないですけど、いつかは映画化とかされるはずです。もしかしたら今度は違う物語に脚色されているかもしれません。主人公の性別が違ったり、人種が違ったり、背負っている事情も変わるかもしれません。でも描かれる芯の部分は変わらないと断言できます。
子どもの居場所を作ってあげるのは大人の役目であり、大人は子どもの存在によって生きる意味を与えられるのだということ。子どもを産むかどうかとかは関係ありませんし、血筋も重要ではないです。大事なのはそういう信頼を育むコミュニティがあるのかということです。そのコミュニティこそが「家」なのですから。
そのことを忘れずにいれば、きっと家なき子はこの世界からいなくなるはず。『家なき子 希望の歌声』を観終えてそんな気持ちを強くしました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience 50%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 JERICO – TF1 DROITS AUDIOVISUELS – TF1 FILMS PRODUCTION – NEXUS FACTORY – UMEDIA
以上、『家なき子 希望の歌声』の感想でした。
Remi sans famille (2018) [Japanese Review] 『家なき子 希望の歌声』考察・評価レビュー