才能ではなく努力に拍手を!…映画『マダム・フローレンス!夢見るふたり』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:イギリス(2016年)
日本公開日:2016年12月1日
監督:スティーブン・フリアーズ
まだむふろーれんす ゆめみるふたり
『マダム・フローレンス!夢見るふたり』物語 簡単紹介
『マダム・フローレンス!夢見るふたり』感想(ネタバレなし)
ジャイアンが紅白に出たら…
2016年ももうすぐ終わり、そろそろいろいろな分野で今年を代表するモノが選ばれ、賞などが与えられる時期になりました。でも、自分の評価と世間の評価が合わないときってありますよね。「これ、そんなに良いか?」「え、知らないんだけど」みたいな反応も恒例です。こういう時になると、どれだけの金が裏で動いているのか…なんて邪推する人もでてくるものです。気持ちはわかりますが…。
本作『マダム・フローレンス!夢見るふたり』は、そんな「評価」というものに対する淀んだ心を浄化するかのような清々しい映画です。
時代は1900年代前半のアメリカ・ニューヨーク。主人公は“フローレンス・フォスター・ジェンキンス”という実在する女性です。彼女は莫大な資産を活かしてクラブを設立するほどの音楽好きで歌手を目指しますが、自身には歌の才能は全くといっていいほどありませんでした。ひどすぎる音痴だったのです。ところが、彼女の夫は、金で人を買収するなどしてフローレンスを絶賛させ、フローレンスは才能があると有頂天になってしまいます。そして、音楽家なら誰もが憧れるカーネギー・ホールで歌えることになってしまう…というとんでもない実話です。
日本人にわかりやすく説明するなら、要するに「ドラえもん」のジャイアンと同じ。音痴で有名なジャイアンが紅白歌合戦に出場してしまうようなものです。
これだけ聞くと、騙しているなんて最低だ!と、怒りと飽きれの感情が沸き立つのも無理ないですが、映画自体は意外なほどポジティブにフローレンスの半生を描きます。決して馬鹿にしたり、批判するような作品ではありません。
好きだけど、才能はない…そんな人は世の中にたくさんいると思います。というかそういう人のほうが数は圧倒的に多いはずです。本作はそんな平凡な私たちにこそ元気を与えてくれるのではないでしょうか。
本作の監督は、すでに何回か米アカデミー監督賞にノミネートされているスティーヴン・フリアーズ。最近の代表作は『疑惑のチャンピオン』や『あなたを抱きしめる日まで』など。『疑惑のチャンピオン』の評価はイマイチでしたが、『あなたを抱きしめる日まで』は数多くの賞を獲りました。
この監督の評価はやらせではないことは間違いないので、安心して観てください。
『マダム・フローレンス!夢見るふたり』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):私も歌いたい
1944年、ニューヨーク。シンクレア・ベイフィールドは大勢の前で「ハムレット」の演技を堂々と披露。そして次の登場する人物の紹介に移ります。
「ニューヨークで音楽に身を捧げる女性です。エウテルペ・クラブを支援。ブルックリン・オーケストラや困窮する上流夫人や当クラブも支援しています。では時代を旅して1850年代に遡りましょう。目指すはアラバマ州です」
スランプの作曲家フォスターに舞い降りたのは、天使…。そして名曲が完成したのです。
「天使はフローレンス・フォスター・ジェンキンス!」
楽屋裏ではフローレンスは自分の演技に後悔が残る様子。次のワルキューレの衣装に着替えます。
そしてまたステージの幕が開き、フローレンスは勇ましくポーズを決めます。ヴェルディ・クラブはこうして今日も大熱狂。
演目が終わり、フローレンスは「ヴェルディ・クラブを創設したとき、こうなるとは想像しませんでした。この25年間、愛する夫が寄り添ってくれたお陰です。音楽は私の人生そのものです。音楽は偉大です。ご支援をよろしくお願いします」と涙ぐんで語ります。
シンクレアはベッドに眠るフローレンスに「バニー」と優しく囁きかけ、彼女が眠りについたとき、そのカツラをそっととります。フローレンスは梅毒に苦しんでいました。
シンクレアは帰宅します。彼は愛人のキャサリンとこのアパートで暮らしており、「公演を成功させたよ」と朗らかに口にします。「愛してるわ、シンクレア」「僕もさ」
翌朝。フローレンスはベッドの上で上機嫌。新聞の論評が昨夜の公演を褒めているのが嬉しいようです。
次は昼食会を開くと張り切るフローレンス。誰を誰の隣にするかで揉めていると、マエストロ・トスカニーニが訪問してきます。リリー・ポンスのコンサートの資金援助が欲しいと頼まれます。
そのリリー・ポンスの美しい歌声に惚れ込んだフローレンス。「あんな美声を聴くのはカルーソ以来よ」と帰りの車内でも大興奮。「私も歌のレッスンを受けてみたい」と言い出します。もちろんフローレンスを溺愛するシンクレアはOKです。
ぴったりなピアニストを探すことから開始。コズメ・マクムーンという男の奏でる音色を気に入ったフローレンス。
さっそく歌の教師であるカルロ・エドワーズも交えてレッスンが始まります。練習するのは「鐘の歌」。カルロは「実力があるから大丈夫だ」と太鼓判。
うきうきしながらフローレンスは歌い始めます。
「あぁ~おあぁああ~~ぁぁああ~ああああ~!」
コズメは目が点になり、ピアノを弾くのさえ忘れます。音痴です。とんでもなく。でもカルロが何も気にせずに熱心に指導。「今までで一番いい」「逸材です」と称賛。
コズメはエレベーターの中で笑いがこみ上げます。あまりにも酷かった…。
こうしてレッスンは続きますが…。
才能は非難できる。でも努力は否定できない
本作『マダム・フローレンス!夢見るふたり』を観る前は、フローレンスの逸話を知ったときの第一印象は、自分勝手な自惚れ屋か、ただの痛々しい人…そんなものでした。
しかし、本作を観た後は、意外なほどフローレンスをポジティブに受け止められます。この理由は、本作におけるフローレンスの生い立ちの見せ方の巧みさが大きいのではないでしょうか。
彼女は子どものころから音楽が好きです。そして、実は音楽の才能はありました。劇中で語られるとおり、8歳のときにホワイトハウスでピアノを披露しています。しかし、その才能と想いとは裏腹にフローレンスの人生には次々と試練が襲います。詳しくは公式サイトに年表がのっているので参照してほしいのですが、まず音楽家を目指すも父に猛反対されて家を出ます。次に17才で駆け落ちして結婚するも梅毒にかかってしまいます。さらに34歳でピアニストを諦め、離婚してしまいます。この後は貧困状態に突入、音楽嫌いな父に頼らざるを得なくなります。
しかし、映画ではこのフローレンスの過酷な人生を描くのをあえて避けています。あくまで最初はコメディで物語が進行するからこそ、親しみやすい導入になります。ところが、調子に乗った金持ち貴婦人なのかと思って観ていると、想像以上に辛い人生をフローレンスが送ってきたことが徐々に語られ、観客も心動かされます。ただの「難病モノ」になるのを防ぎつつ、物語をコメディからシリアスに上手くシフトさせ、彼女にヘイトが集まらないようにする…上手いストーリーテリングでした。
役者陣の嫌みのない名演も本作のポジティブさを後押ししていて良かったです。主演のメリル・ストリープの熱演は語るまでもなく素晴らしかったし、夫のシンクレアを演じたヒュー・グラントも見事にマッチしてました。ただ、個人的に一番はピアニストのコズメ・マクムーンを演じたサイモン・ヘルバーク。フローレンスの音痴が披露される序盤のシーンから、彼の繊細な表情芝居に一気に引き込まれます。
本作の伝えるメッセージはフローレンスの最期の言葉に集約されています。私なりの解釈で表現し直すなら、「才能」を評価するのと「努力」を評価するのは違って、どちらも大切だということだと思いました。劇中でもシンクレアが行っているとおり、確かに評価は金で買えます。彼のやっている誤魔化しは「才能」の評価に対するものでした。だからこそ裸の王様に対する嘲笑のようになってしまう。でも、フローレンスへの「努力」の評価は、先述した彼女の人生を知ればわかるとおり誤魔化す必要ないくらい実は高いものなんです。カーネギーホールでの拍手喝采のなかには「才能」の評価(嘘)に基づく嘲笑もあったでしょうが(というかほとんどそれだと思いますが)、「努力」の評価に基づく純粋な称賛もあったと思うのです。彼女の行為に激怒してカーネギーホールから出ていく人もいましたが、あれは「才能」の評価を仕事にする人ですから当然です。それはそれ。でも、「努力」の評価をしてはいけない決まりはないですよね。
私はフローレンスを素直に尊敬したい。自分だったらこんな状態で夢を追い続ける自信がないですから。そして、このブログでも「才能」の評価と「努力」の評価をきっちり分けて映画の感想を書いていきたいと思うのでした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 87% Audience 68%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2016 Pathe Productions Limited. All Rights Reserved マダムフローレンス!夢見るふたり
以上、『マダム・フローレンス!夢見るふたり』の感想でした。
Florence Foster Jenkins (2016) [Japanese Review] 『マダム・フローレンス!夢見るふたり』考察・評価レビュー