今回の記事は「ペドフィリア(小児性愛)」について整理しています。
何かとタブー視され、語ることすら避けられがちな題材です。その触れるべからずな状況を悪用して、ペドフィリア(小児性愛)という言葉は一部の人に都合よく“武器化”されてもきました。今回はその意味と歴史、そしてLGBTQ権利運動につきまとってくることが多い「ペドフィリア・レトリック」を本題にしてまとめています。
「小児性愛(ペドフィリア)」とは?
現在の意味(そして最も厄介な合意の非共有)
まず「ペドフィリア(日本語では“小児性愛”ともいう)」という言葉が示すものは何かという意味から理解しないと始まらないのですが、これがとんでもなく厄介で最大の難題です。
「こういう意味です」とサラっと説明して次に移れません。
なぜならこの言葉に対する大衆の認識があまりにバラバラであり、合意どころか、見解の共有すらろくにできていないからです。それゆえにこの言葉を使って何かを議論しようと思っても前提認識の段階で足踏み揃わず噛み合いません。極めて議論に不向きな言葉です。
「ペドフィリア(小児性愛)」の大衆に認識されやすい意味は、以下の2つに大別できると思います。
①子どもに性的に惹かれるという精神疾患(精神障害)orその人=つまり“病気”
②子どもに性的に惹かれて犯罪をした人=つまり“犯罪者”
また「子ども」として連想する範囲も人によってさまざまで、とくに年齢の低い子どもを指すと考える人から、未成年全般を指すと考えている人までいます。
実際、専門的には何が正しいのでしょうか。
実は専門的には現在の見識では上記の①も②も「ペドフィリア(小児性愛)」の意味としては完全に正解ではなく、誤解の起きやすい不確かな説明です。
確かに①の意味で理解している人も大勢います。加えて巷の報道などでは児童に対する性犯罪者に対して「ペドフィリア(小児性愛)」の言葉が頻繁に付随して使用されており、②の意味が漫然と広まってもいます。
一般的に「ペドフィリア(小児性愛)」とは、思春期前の子どもに性的に惹かれることを指します。「思春期は何歳から?」という疑問が生じますが、個人で差はありますが、一般的にだいたい10歳から12歳のあたりと言われます。単純に考えるとペドフィリア(小児性愛)はそれよりも年齢が下の子どもを対象に性的に惹かれる場合に該当します。なので高校生に性的に惹かれても該当はしません。ただし、思春期前の子どもに惹かれること(ペドフィリア) と思春期初期(11歳~14歳頃)の子どもに惹かれること(この場合は「ヘベフィリア;hebephilia」と呼ぶ)は区別できるのか、実情では重なっているのか、議論が分かれています(Michael C. Seto et al.)。年齢はあくまで便宜上のものです。
世間的には「ペドフィリア(小児性愛)」は年齢ありきで語られがちですが、医学的にはいわゆる「タナー段階」(第一次性徴および第二次性徴の発育指標)を目安にしていて、まずそこで認識がズレています(厳密には「ペドフィリア」は年齢への性的な好みではなく、発育への性的な好み)。
そして現在の医学的診断ではこの「思春期前の子どもに性的に惹かれる」というだけではただちに精神疾患(精神障害)としては扱われません。
2025年時点で最新の広く使われている医学的診断はWHOが定めている精神疾患に関する分類『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』(ICD-11)です。こちらでは「パラフィリア症群」という分類の中に「小児性愛症(Pedophilic Disorder)」が定義されています(太田敏男)。
この「小児性愛症」は「小児性愛」とは別物で、区別されています。ICD-11の「小児性愛症」は「思春期前の児童が関与する持続的で集中的で強烈な性的興奮のパターン」を特徴とし、さらに「個人がこれらの思考、空想、または衝動に基づいて行動したか、またはそれらによって著しく苦しんでいる必要がある」という基準があります。この「行動」というのは、子どもへの性行為だけでなく、性的に見る・追う・触れるなども含まれます(APA)。
一方で「個人的な機能障害を伴わない社会的逸脱または葛藤だけのものは精神疾患に含めない」ということになっており、単に「思春期前の子どもに性的に惹かれる」というだけでは「小児性愛症」という精神疾患とは扱われません。「小児性愛」という性的な好みというだけです。
「ということはペドフィリア(小児性愛)は正常なの?」という反応が予想されますが、そういうことを医学が断言しているわけではありません。「学会は小児性愛を容認しており、子どもに性的魅力を感じるのは正常であると述べている」というデマも流れたりするのですが、そんな事実はありません(Snopes)。そもそも現在の医学的診断は「正常か異常か」を区別するためのものではありません。あくまで「医療ケアを必要とする患者かどうか」を臨床的に判断しているだけです。
医療ケアといっても、子どもに性的に惹かれるという好み自体を根本的に「矯正」するようなものではなく、他人や自分が苦しむ状態を改善するためのサポートとなります。
これらの現在の医学的診断基準は完璧ではなく、さらなる改善を求める医療専門家からの指摘もあり(Ricarda Münch et al.)、今後も見直されていくと思われます。
ではペドフィリアは子どもに性的に惹かれて犯罪をした人、つまり性犯罪者なのでしょうか。
ペドフィリアと児童性的虐待者(児童への性犯罪者)は同義ではありません(Shelby D. Leverett)。ペドフィリアの人は必ず児童に性犯罪をするとは限らず、また、児童に性的に惹かれていなくても児童に性犯罪を行う者もいます(Seto)。
一方で、児童性的虐待者の中でペドフィリアである人はどれくらいいるのか、その重複については諸説あります。従来的な障害としてのペドフィリアと医学的に診断される人は性犯罪者と一致しやすいという研究(Michael C. Seto et al.)もあれば、それほど一致しないという研究もあります。研究事例が極めて乏しいので、一定の見解がでていません。
性加害行為をしていないペドフィリアの当事者にとってはこれはスティグマになってしまいますし、サポートへのアクセスを遠ざける原因にもなりかねません。
「ペドフィリア」という言葉の起源と歴史
性的な好み? 性的逸脱? 性的異常? 精神疾患? 犯罪者? …「ペドフィリア(小児性愛)」という概念はなぜこうもややこしくなってしまったのでしょうか。
歴史的な経緯を整理すると紐解くことができます。
「Pedophilia(ペドフィリア)」という用語が初めて専門的に体系化されたのは、ドイツの精神医学者である“リヒャルト・フォン・クラフト=エビング”が1886年から出版した『Psychopathia Sexualis』という研究書でした。この専門書では“リヒャルト・フォン・クラフト=エビング”が考える性的倒錯を整理しており、増補を重ねてその掲載内容は増えていきました。
“リヒャルト・フォン・クラフト=エビング”は「生殖に繋がらない性行動はすべて“性的倒錯”である」という極端な考え方をしていました。そのため、生殖能力のない子どもに性的に惹かれるペドフィリアも性的倒錯であり、他だと同性愛も性的倒錯とみなしました。
あらためて強調しておきますが、現在の「性的倒錯(パラフィリア)」は“リヒャルト・フォン・クラフト=エビング”の提唱した概念に基づいていません。「パラフィリア」という用語は医学の時代の変化の中で再定義が繰り返され、現在は上記で紹介したような「持続的で強烈な非定型的な性的興奮パターン」を指すようになりました。
1800年代の性科学は、科学者のコンセンサスを重視する土台はあまりなく、人権をベースにもしていません。ひとりの科学者の提唱する(ときに粗雑な)概念がそのまま広く採用されてしまうことも珍しくありませんでした。
“リヒャルト・フォン・クラフト=エビング”は性的倒錯を犯罪と結び付けて考えていませんでしたが、『Psychopathia Sexualis』という研究書は、法医学のひとつで19世紀に定着し始めた「司法精神医学」で参照されるようになりました。犯罪行動を精神医学の観点から説明を試みる学問です。
この司法精神医学の発達によって、ペドフィリアを含む一部の性的倒錯は特定の犯罪を説明する格好の素材となり、ペドフィリアは児童性犯罪の有力な背景として認識の定着を強めました。
以降も「パラフィリア(性的倒錯)」は医学的診断の中でも特異な扱いとなり続け、法医学的な観点を考慮するのが常態化しました(Michael B. First)。2000年代になってもペドフィリアはことさら法医学的に児童性犯罪と関連付けられたままとなっています。
これがペドフィリアの解釈と認知が妙にゴチャゴチャしている理由です。19世紀的な旧態依然の見地を引きずったままなのです。
現在のICD-11では従来の性的倒錯とみなされたもの(フェティシズムなど)のほとんどは診断から外され、精神疾患とみなさなくなりましたが、ペドフィリアは「小児性愛症」として条件つきで残存しており、それは法医学が引っかかっているからです。
ペドフィリア・レトリック(ペドフィリアの武器化)
ここからが本題です。「ペドフィリア(小児性愛)」は、LGBTQの権利運動に対する攻撃手段としてしばしば悪用されてきた歴史があります。これらは修辞的な技法(レトリック)を利用したものが大半で、反LGBTQレトリックの一種です。つまり、「ペドフィリアの武器化(weaponized)」です。この記事ではペドフィリアを用いた反LGBTQレトリックを「ペドフィリア・レトリック」と総称することにします。
以下に世間に流布している「ペドフィリア・レトリック」を大きく2つに分けて整理します。
LGBTQはペドフィリアだ / LGBTQにペドフィリアが含まれる
最も代表的な反LGBTQのペドフィリア・レトリックが「同性愛者はペドフィリアだ」というものです。文字どおり「同性愛者はペドフィリアと同質である」と主張しています。
このレトリックは1960年代から1970年代にかけて盛んに出現しました。保守的なキリスト教の活動がその発信源であり、同性愛を不道徳である敵視し、ペドフィリアと同一視することで世間に訴えかけようと狙っていました。“アニタ・ブライアント”の「Save Our Children」キャンペーンは悪名高い一例です。
反LGBTQ勢力は「同性愛者はペドフィリアだ」というレトリックの理由として、「ペドフィリアの多くは同性愛者だ」と主張しています。しかし、これに科学的根拠はなく、実際、同性愛者を含む性的マイノリティの人々から児童が性的被害を受けるリスクは有意に高くはないと統計的にも明らかになっています(Southern Poverty Law Center)。著名な男性が男の子に対して性的加害行為をして大きなニュースになることはたびたびありますが、それはその少数の事例がセンセーショナルに報じられているだけで(それもその加害者が同性愛者とは限りません。異性愛者でも同性に性的加害行為をすることは珍しくありません)、大部分の児童性犯罪の加害者は非“性的マイノリティ”です。
時代が進み、保守的なキリスト教の活動は宗教右派へと発展し、同性愛だけでなくLGBTQを構成するあらゆる性的マイノリティをペドフィリアと同一視し、印象を歪めて攻撃するのが常套手段となりました。
例えば、ポーランドでは「小児性愛犯罪者に対するより厳しい措置の実施および児童の保護に関する特定法の改正に関する法律」というタイトルの法律を2021年に制定しましたが、これは実質は反LGBTQ法です。ロシアには「Occupy Pedophilia」という名のLGBTQを迫害する自警団組織も現れました。ネット上でもトランスジェンダーを「ペドフィリア」と表現して誹謗中傷することがよくあります(LGBTQ Nation)。アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は「ジェンダーイデオロギーは児童虐待である。小児性愛者である」と演説で宣言したりもしました(LGBTQ Nation)。「同性婚の実現の次は小児性愛の正当化になる」と恐怖を煽って主張する政治家もいます(The Advocate)。
このレトリックをさらに派生させたのが「LGBTQにペドフィリアが含まれる」というレトリックです。
以下の記事でも詳細に説明していますが、「LGBTQ」は社会的規範に適合しないと歴史的にみなされてきた「性的指向」「性同一性」「ジェンダー表現」「性的特徴」の人たちのための用語です。この「性的指向」「性同一性」「ジェンダー表現」「性的特徴」の4つが取り上げられるのは、相互に関連があり、権利運動における政治的連帯を示す合意(コンセンサス)が歴史的に培われているからです。
「性的指向」は、性別に対する性的魅力のパターンを指しているので、年齢や体型などに関する好みは含まれません。当然、ペドフィリアも性的指向のひとつとみなす合意はありません。これはペドフィリアをタブー視して排除しているわけではなく、そもそも範囲外だからです。
「LGBTQにペドフィリアが含まれる」というレトリックは、そうした歴史や合意を一切無視して「LGBTはどんどん文字が追加されて今ではペドフィリアも含まれているんだぞ」と誤解を植え付けようとするものです。
「LGBTQにペドフィリアが含まれる」という主張は、「LGBT」の派生用語が目立ち始めた2000年代からたびたび出現し、しつこく出回っています(USA TODAY;LGBTQ Nation)。
さらにSNS全盛期の時代になると、LGBTQにペドフィリアが含まれるかのような偽情報が氾濫するようになりました。
そして、単に「LGBTQにペドフィリアが含まれる!」とデマを主張するだけでなく、一見するとその根拠になりそうな活動実態の痕跡まで偽装して拡散するケースもたびたび起き、いわゆる「アストロターフィング(astroturfing)」と呼ばれる偽の草の根運動が観察されています。
例えば、有名な話だと、毎年4月25日は「Alice Day」として知られる小児性愛者のプライドデーである…という俗説がネット上にありました(Snopes)。また、「ペドフィリアは自然な性的指向である」や「ペドフィリアに対する否定的な感情を振り返り、克服するのは私たちの責任である」という宣伝をする広告のような画像が拡散したこともあり、これは実在しない無許可広告だと判明しています(Snopes)。さらに「ペドフィリアを法的に保護されたマイノリティとして扱う」という条約が存在するかのような虚偽情報も流れました(Politifact)。「LGBTP」という言葉も飛び出すことがあり、これは「LGBT」に「P」を追加したもので、「P」は「pedosexual」の頭文字で「ペドフィリアは性的指向で、LGBTに追加された」と誤認させるための用語です(GLAAD)。
ネット上に散見される実在が疑われる“小児性愛権利運動”に見えるかのような活動の情報を流布しているのは実際に誰の仕業なのかはわかりませんが(少なくとも適切に主体者を提示したものはほぼない)、反応を楽しみたいだけの悪戯の可能性もあれば、背後に反LGBTQ勢力がいるかもしれません。
“ドナルド・トランプ”大統領の時代になると「Qアノン」などに象徴される陰謀論が活発化し、「ペドフィリア」という言葉はLGBTQに限らず、右派が気に入らない人物や組織を攻撃する道具として乱用されることが加速しました。LGBTQに対しても「グルーマー(グルーミン)」というペドフィリアに代わる新しい誹謗中傷のレトリックが出現したりもしました(The Advocate)。
このように、このレトリックを好む人は、もともとは歴史的に宗教右派の勢力に多く、また近年は悪戯にデマを作って弄んで楽しみたいネット上の反LGBTQ集団に常用されています。
LGBTQはペドフィリアを排除している / 小児性愛差別だ
上記の「LGBTQはペドフィリアだ / LGBTQにペドフィリアが含まれる」が先行して出現したペドフィリア絡みの反LGBTQレトリックでしたが、その悪意に満ちたレトリックにLGBTQ権利運動や活動家が反論していく中、次の印象操作を狙ったペドフィリア・レトリックが現れました。
それがこの「LGBTQ権利運動はペドフィリアを排除している / LGBTQ活動家は小児性愛差別している」という主張です。
要するに「LGBTQにペドフィリアは含まれませんよ」と説明したLGBTQ活動家や専門家に対し、「あいつら、反差別を掲げているくせに、ペドフィリアを差別しているぞ! 小児性愛だって性的マイノリティなのに!」「自分たちに都合のいい多様性だけを礼賛している!」と反論する手口です。
最初に前提として説明しておかないといけないのは、確かにペドフィリア(=性犯罪をしていない人)の当事者も偏見を経験しており、上記の歴史で解説したようにスティグマを抱えています。
一方で、ペドフィリアに対してLGBTQ権利運動がその偏見を率先して助長したような歴史的な社会構造はありません。LGBTQ権利運動にペドフィリアが含まれないのは歴史的にも概念としても別物だからであり、LGBTQという言葉は何でも含められる“箱”ではないです。
例えるなら、果物を売っている人に、「なんでお菓子を売らないんだ! お菓子を排除しているのか!」と怒るようなもので、実際は果物は果物で、お菓子はお菓子で売ればいいだけで、とくに片方の不利益にはなっていません。
「LGBTQ権利運動がペドフィリアを排除した」事例のひとつとして一部の反LGBTQ論者がよく取り上げるのは「NAMbLA」というアメリカの「大人が少年と性的関係を持つことを良しとする」構成員からなる団体です(現在は活動していないものの、偽の活動情報がばらまかれているので注意)。しかし、「NAMbLA」は厳密には(児童に性的に惹かれるだけで有害な行動はとらない)ペドフィリアではなく、同意年齢廃止を訴える組織であり(同様の組織は「Paedophile Information Exchange」など他にもあった)、児童性犯罪という人権の観点から同調されることはありませんでした。そのため、LGBTQ権利運動がペドフィリアを排除したのではなく、ペドフィリアを隠れ蓑に児童性犯罪を正当化する一部の組織を排除したのが実態として正確です。
では実際の歴史上で、ペドフィリアに対して偏見を率先して助長してきたのは何かと言えば、それは何でも病理化を強引に推し進めた医療権威主義であり、属性で犯罪者を判定する保守的な犯罪者論でしょう。なので批判すべきは、そうした社会構造であるべきです。
実際のところ「LGBTQ権利運動はペドフィリアを排除している / LGBTQ活動家は小児性愛差別している」というレトリックは、ペドフィリア当事者の人権を憂慮しているわけではなく、LGBTQを攻撃することを最優先にしている場合が多いです。いわゆる「ホワットアバウティズム(Whataboutism)」というレトリックに頼った手口です(「お前こそどうなんだ!」というやつ)。
また、ペドフィリア当事者の人権を憂慮している姿勢をみせつつも、医療権威主義の病理化を譲らない人物もいます。例えば、”ジェームズ・カンター”という性科学者はペドフィリアの研究で有名で、ペドフィリア擁護団体「Prostasia」に関わり、ペドフィリアを「LGBT」に加えるように主張しています。トランスジェンダーの病理化を推し進めてきた性科学者“レイ・ブランチャード”の下でキャリアを積んだ研究者でもあり、現在は“レイ・ブランチャード”とともに反トランスジェンダー活動に関与しています(LGBTQ Nation)。
なお、ごくわずかな一部の勢力(上記の「NAMbLA」など)には、「子どもとの性行為は同意関係なく認められるべきだ」という極端な主張を展開する者もいますが(個人の極端な自由を最重要とみなす「リバタリアン」にみられることが多い考え方)、当然、それを人権の観点から許容する合意はありません。現在、いかなる年齢であっても全ての人に対して性的同意は最も重視されています。
このように、このレトリックを好む人は、LGBTQ権利運動や活動家をとくに敵視する反LGBTQの論者、医療権威主義者、性的同意や対人権力勾配に対する人権侵害を軽視する組織に多く、こうした集団はときに「Pro-Pedophilia」と呼称されています。
注意すべきは、「ペドフィリア当事者 = Pro-Pedophilia」というわけではなく、「Pro-Pedophilia」はもっぱら「ペドフィリアの人権を守る」という体裁をとりながら「LGBTQなど他の特定の人/組織を攻撃したい」か「性犯罪を正当化したい」かのどちらかで、ペドフィリア当事者ですらない人が主導していることが多いと考えられることです。「Pro-Pedophilia」の活動はむしろ「ペドフィリア=性犯罪者」というスティグマを悪化させています。
「LGBTQはペドフィリアだ / LGBTQにペドフィリアが含まれる」と「LGBTQはペドフィリアを排除している / 小児性愛差別だ」という2大レトリックは一見すれば真逆の主張ですが、本質的にはペドフィリアをLGBTQを攻撃する武器として利用しているという点で同じものです。
まずはペドフィリアの武器化は止めよう
この手の「ペドフィリア・レトリック」は基本的に無視するのが最良にして唯一の選択肢だと思います。相手は合意形成に興味はなく、ポジショントークで論破したいだけなことがほとんどです。
LGBTQ権利運動は特定のマイノリティのみならず広く誰しもに関わる偏見解消に繋がるゴールを共有し、実績をだしてきました。1980年代のエイズ危機(HIV/AIDS)などに例を挙げられるように、医療権威主義の解体に声をあげました。保守的な犯罪者論にも異を唱えてきました。その成果はLGBTQ以外の人権にも寄与しています。
それが達成できるのは、権利運動はLGBTQ以外にも反植民主義運動、公民権運動、障害者運動などいくつもあり、それらは分離しても連帯しているからです。まだまだ連帯は道半ばですが、ともに「人権」という基礎の上に立っています。
なおも、「女性などマイノリティの性と生殖の権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ;SRHR)」を軽視するような家父長的な体質が支配する医療権威主義は蔓延っていますし、「移民は犯罪者だ」などのような属性で犯罪者のレッテルを張る犯罪者論も流行っています。いずれも保守的な社会がその土壌になっています。人権のためには立ち向かわないといけない社会構造です。
「すべての人が差別や偏見に妨げられることなく医療サービスを受けられる」というのは基本的人権原則の主要なひとつであり(WHO)、当然、他の人たちと同じように鬱病など精神疾患に苦しむこともあるであろうペドフィリアの当事者も安心して医療ケアを受けられる社会を構築しないといけません。
何よりもペドフィリアの現在進行形の偏見に直結しているのは「ペドフィリアの武器化」という現象です。ペドフィリアの武器化は誰にとっても有益な結果を生みません。