世界が滅んでも困らないと思っているあなたへ…アニメシリーズ『キャロルの終末』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・カナダ(2023年)
シーズン1:2023年にNetflixで配信
原案:ダン・ガターマン
性描写 恋愛描写
きゃろるのしゅうまつ
『キャロルの終末』物語 簡単紹介
『キャロルの終末』感想(ネタバレなし)
世界が滅んでも困らないと思っているあなたへ
2023年~2024年の冬は暖冬だと聞いたのだけど、わりと寒い日も多いし、積雪も平年を超えているし、あれ、おかしいな…。
まあ、冬の天気はわかりにくいし、天気予報の予測も難しいよね…。ただでさえ気候変動でおかしくなっているから…。
天気予報はさておき、では、この地球があと7カ月で滅ぶと推測され、それが確実だとしたら…。あなたはどうしますか?
この「もし世界が滅ぶとしたら…」の仮定の質問は定番ですが、各自の答えにはかなりその人の個性がでます。自分ひとりの余命宣告なら家族に未来を残すなどの選択肢がベタに思いつきますが、全員が滅んでしまうならもう未来を考える意味もなくなります。「生きる」とは未来があることを前提に計画されるものとも言え、だとするなら世界壊滅の運命が待ち受けるとわかったとき、何をしたらいいのか…。
遊びまくる? 大切な人と過ごす? 夢を叶える?
どっちにせよ、急に行動のモチベーションが上がることが多い気もします。最後ですからね。悩んでも意味ありません。
しかし、世界が滅ぶとわかる前からすでに世界に意味を見い出せず、何をすればいいのかわからずに彷徨っていた人にとって、そのシチュエーションは何をもたらすのでしょうか。遊ぶ相手も、大切な人も、夢もない人は、何をすれば…?
そんなピンポイントな人に届ける、テンション低めなアニメシリーズが本作『キャロルの終末』です。
本作は、地球に巨大惑星が接近しているという世界。小さい隕石のレベルではなく、衝突は不可避で地球は滅んでしまうと予測され、全人類は終わりです。その衝突までの残り期間は7カ月ちょっとです。そんな世界で生きているひとりの中年女性を主人公にした物語となっています。
ポストアポカリプス…終末モノなわけですが、凡百の同ジャンル作品とはだいぶ雰囲気が違います。
『ドント・ルック・アップ』のように終末の科学予測を信用しない大衆を風刺したコメディでもないし、『終わらない週末』のように少しずつ起きる終末を実感していく過程を静かに描くものでもないし、『グリーンランド 地球最後の2日間』のように避難と大混乱を描くパニックスリラーでもないし、『フィンチ』のように終末後を健気に生き残る人々を描くものでもないです。
『エンド・オブ・ザ・ワールド』(2012年)のような、迫る終末の中で自分なりの日常を過ごし、自己の在り方を再考する…自分探求型のストーリーと言えます。
ただし、『キャロルの終末』はその中でもひときわ個性的。まず中年女性を主軸にするのは珍しいです。社会で居場所のない中年女性が静かなドラマの中で手探りしていく姿を描くあたりは、ドラマ『サムバディ・サムウェア』にも似た肌触りで、それを終末モノにした感じでしょうか。
起承転結のドラマがあるわけではなく、ときに詩的な語り口で綴られるスタイルは癖がありますが、刺さる人には「これは私の作品だ…!」とハっとする出会いになると思います。
『キャロルの終末』を生み出したのは、『リック・アンド・モーティ』のプロデューサー兼ライターを手がけた“ダン・ガターマン”。
『キャロルの終末』はNetflixで独占配信中。全10話のミニシリーズで、1話あたり約30分と見やすいです。
何気ないこの日々の中で「私、何をやっているんだろうな…」と存在意義を見失ったら、ふとこのアニメーションを覗いてみてください。世界が滅んでも困らないと思っているあなたの心に届ける一作です。
なお、性描写もハッキリある大人向けのアダルト・アニメーション作品ですので、子どもには不向きです。
『キャロルの終末』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :刺さる人に届けたい |
友人 | :雰囲気が好きなら |
恋人 | :信頼できる相手と |
キッズ | :大人向けのドラマです |
『キャロルの終末』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):ひとりだと思っていた
列車に乗っているのは自分ひとり。窓から見える別の列車には大勢の人たちがなんだか楽しそうに賑やかに過ごしています。自分の車両は寂しいです。ドアが開いたので、降りようとすると別の自分がいます。表情は読めません。降りないのだろうか、降りられないのだろうか…。煙が充満し、わけもわからずに困惑すると…。
目覚めます。また夢です。40代のキャロル・コールは自分の部屋で寝ていました。起きてからは普段どおりの生活を送ります。ひとり暮らしです。必要な家事をして、休んで、また体を動かして…。
テレビのニュースでは地球に接近しているアレの話で持ち切りです。「ケプラー」と呼ばれる巨大な惑星が地球に接近しており、科学者の予測ではこのままの進路だと地球に直撃する確率は100%。この星の生命は人間も含めて滅ぶということです。あと7か月と13日でこの世界は終わってしまいます。
それが判明してからというもの、この世は一変しました。残された時間をどう生きるか、みんなが考えるようになったのです。祈る人、仕事を辞めた人、遊ぶ人…。エベレストには長蛇ができ、株もカネも意味を失いました。かつてないほどに自由を感じている人もいます。
そんな中、キャロルは溜息をつきます。車で実家へ向かうと、高齢の父バナードと母ポーリーンは全裸でやけにアクティブでした。看護師のマイケルと情熱的な関係を手にした2人は、この世界で元気に最後の人生を過ごすつもりのようです。
帰る途中、キャロルは気に入っていたレストランのアップルビーズの残り香を味わいます。もう店内はめちゃくちゃで営業はしていません。
軍隊管轄のスーパーマーケットで買い物をした後、駐車場でジャネットに声をかけられます。彼女はチベットに行ったらしく、人生観が変わったと激推ししてきます。
パーティに顔を出すも全く馴染めません。会場から離れてベンチに座っていると、エリックという中年男性と出会います。彼も人混みにうんざりしたようで互いに共感します。2人はキスし、エリックの家で体を交えます。
翌朝、壁の写真でエリックには妻と子がいたことを知り、気まずくなったキャロルはその場を去ります。
コインランドリーの帰り、道路の真ん中でまたエリックに会います。廃墟になったオシャレなレストランに案内され、その後、夜空の下でプロポーズされます。しかし、キャロルは「ごめん」と言って離れます。エリックはなおも諦めず、「僕を愛さなくてもいい」と追いかけてきます。「ひとりで死ぬのは嫌なんだ」
彼から逃げるために実家に避難したキャロル。両親はクルーズで世界を回るらしく、計画を意気揚々と話します。そして以前にキャロルはサーフィンをしていると嘘をついてしまい、両親はそれを信じているのでサーフボードをくれました。
キャロルは行き場もなく、駅で佇むしかできません。するとビジネススーツをきっちり身に着けた女性が反対ホームにいることに気づきます。この世界でまともに仕事をしている人がいるはずはない…。ではあの人は一体?
急いでその電車に乗ると、廃墟に近い街で降ります。尾行し、辿り着いたのは立派なオフィスビル。中へ入ると、経理部があり、信じられないことにそこは従業員で溢れかえっていました。
みんな真面目に働いており、まるで地球が滅ぶなど気にしていないかのようです。
茫然と驚きの声をあげるキャロル。
これはどういうことなのか…。
今を楽しめ…ない人たちの終末
ここから『キャロルの終末』のネタバレありの感想本文です。
『キャロルの終末』の世界は崩壊に向けて突き進んでいます。迫りくるケプラーという星を回避したり、破壊するみたいな『アルマゲドン』的試みはないようで、すでに諦めの境地。
だからこそ大勢の人類は開き直って好き勝手に残りの人生を生きることにしたようです。国はまだ存在していますし、軍も機能していて、最低限のインフラも保持できているようですけど、それも少しずつ消失しているのは間違いありません。多くの人はそれはもうサービス終了が告げられたオンラインゲームで最後を仲間とはしゃぎまくるかのように、世界の残りを絞り尽くすかのごとく享楽的に過ごしています。
アニメーションですが、このあたりの終末描写は結構リアルだなと思います。実際こうなりそうですよね。コロナ禍を経験したばかりなので余計に現実味があります。
そうした世界において、キャロルはその空気に乗れていません。そもそもキャロルは子ども時代から学校でも孤立していたことはアルバムでもわかるので、別にこの終末状態になって気分が落ち込んでいるわけではないというのがわかります。もともとそういう性質の人間だということ。コミュニティの輪に入るのが苦手で、他人と協調しづらかったのでしょう。
元中学校の事務員で、今は42歳。結婚もしておらず、子どももいない。そんなキャロルにとって世界をどう楽しめばいいのかわからない。その心情は冒頭の夢で抽象的に映し出されていました。ポリアモリックな関係を満喫する高齢両親や、世界中の旅で友人を作りまくる姉妹のエレナとは対照的です。キャロルは旅をして人生を見つめ直すのにも惹かれないし、ステキな恋人を見つけて幸福を手にすることにも関心はないです(第9話の妄想語りのサーフィン旅がまた印象的)。
キャロルだけではありません。他の主要キャラクターもそうです。
ドナは今は成人した5人の子を持つ母だった過去があり、ネイルサロンもやっていたようです。しかし、今はそんな自身の子たちの家族とも関係が薄くなり、孤立しています。
ルイスは同性愛者ですが今はパートナーもいません。ラテン系で、両親は母国にいる様子。第6話にてひとりで誕生日ケーキを用意する悲しげなシーンといい、こちらの孤独も深いです。
第1話でキャロルと関係を結ぼうとするエリックは、妻がどこかに行ってしまい、今は年頃の息子のスティーブンと2人っきり。典型的な家族を作りたくてそれが使命であるかのように焦っている姿が痛々しいです。
こういう人たちにとって「今を楽しもう」なんてノリは一番辛いです。元から楽しくないんですから。ただでさえ、ケプラーの急接近によって地球の自転速度が低下しているそうで1日が長くなっているらしいので、退屈な1日が余計に長引いてキツさが増しています。
世界が終わる前に自分が終わってしまった人はどうすればいいの?という問いが全話にわたって続く作品でした。
生きるとは、すなわち死ぬこと
『キャロルの終末』はそんなキャロルがあるオフィスビルに巡り合うことで転機となります。そしてここが居場所になり、黙々と働くことになります。
これは別に資本主義や勤労精神を称賛しているわけではありません。第一、この世界は金融システムもろくに成り立たなくなっているでしょうし、カネを稼ぐ将来的な意義もないです。それなのに「経理部」なんて最も必要とされない仕事でしょう。働く意味がありません。
ではこの物語におけるあの職場はどういう存在意義があるのか。
それは「行き場のない者には居場所が必要である」というひとつの答えです。居場所ならもっと専門的なケアやサポートのコミュニティを描けばいいのに、本作はあえてこのありふれていて無機質な職務内容の現場をチョイスしているのがまた味わいがあります。
つまるところ、どんなに無意味なルーチンワークでも「ただそれをやっているだけ」という行為がわずかな居場所の生命線になったりするということ。
あのオフィスフロアがどういういきさつでああなったのかは第7話で始まりが描かれますが、自然発生的に「そこにいていいんだ」という拠り所になって引き寄せられる。そういうのって現実でもあると思います。ただなんとなくSNSを眺めてしまうとか、それもその類の行為でしょうし…。
“黒澤明”監督の名作『生きる』(1952年)の逆転的なアプローチな感じです。
加えて、キャロルが各同僚の名前を覚えて、それぞれに名前を呼んであげるという行為があのオフィスフロアの空気を少しずつ変えていきます。キャロルは愛情とかの動機でああやったわけでもなく、単にそうしたくなったからそうしたという無自覚な行動の癖だと思うのですけど、その些細な行動が他者に大きな変化を与えます。人事部のキャスリーンも最後はその変化を感じるほどに…。
これは「他人から認識されるというのは嬉しい」というある種の人間の心理的な根源みたいなものですね。今回は名前ですけど、そうやって自己のアイデンティティが認識されて、やっと「ああ、自分は自分だった」と気づかされる。
ハッチャけた非日常ではなく、どうでもいい日常がほしい人たちがそれを手にして、次に自己の在り方を思い出していく。抽象的な物語ですが、描かれているのはリハビリテーションの過程そのものだったと思います。
本作はすごく皮肉的で、それでいて味わい深いのは、そうやってやっと「生きる」ということの在り方を見い出した人たちに待っているのは、やっぱり「死」だということ。運命は変わりません。でも終わりは同じでも違うでしょ?という話で…。
終盤で職場の人たちは急に感情を取り戻したように泣き出しますが、「生きる」意味を再発見して初めて「死」が怖くなるという…。「死」が怖いのは全然変なことではなく、それは生きている証なんですよね。
結果、生きることを考え、それは同時に死というものに厳かに向き合うことに繋がるという、ものすごく哲学的な着地で終わっていくストーリーになっていました。
商業性とかファンダムとかそんなの一切無しで、こういう語り口をただただ与えてくれるアニメーション。こんな作品も大切にしていきたいです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 87%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix キャロル・アンド・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド
以上、『キャロルの終末』の感想でした。
Carol & the End of the World (2023) [Japanese Review] 『キャロルの終末』考察・評価レビュー
#アダルトアニメ #ポストアポカリプス