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映画『ヘッダ』感想(ネタバレ)…2025年にクィアな翻案で生まれ変わる

ヘッダ

より複雑で、より濃密に…映画『ヘッダ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Hedda
製作国:イギリス(2025年)
日本では劇場未公開:2025年にAmazonで配信
監督:ニア・ダコスタ
自死・自傷描写 性描写 恋愛描写
ヘッダ

へっだ
『ヘッダ』のポスター

『ヘッダ』物語 簡単紹介

新婚のヘッダは改装して豪華になった屋敷に移り住み、そこで夫とお披露目パーティーを開催する。夫は教授の座が手に入る機会を前にして緊張していた。一方で、この夜のパーティーには、ヘッダと昔に因縁があるアイリーン・ラヴボルグ、そしてそのアイリーンを今まさに支えるシア・クリフトンも参加していた。それぞれの思惑が交錯し合う中、ヘッダは動き出す…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ヘッダ』の感想です。

『ヘッダ』感想(ネタバレなし)

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イプセンの戯曲をクィアに翻案

「近代演劇の父」と称されるノルウェーの劇作家…それが「ヘンリック・イプセン」です。1800年代にその才能を発揮し、今も世界で最も有名な劇作家の偉人として語り継がれています。1906年に亡くなったので、もう没後125年になるんですね。

そんな“ヘンリック・イプセン”の代表的な戯曲のひとつが、1891年に初演が行われた『ヘッダ・ガーブレル(Hedda Gabler)』です。19世紀の演劇の傑作と称賛されているリアリズム劇で、『ハムレット』の女性版と評されることもあります。

主人公はそのタイトルどおりのヘッダという女性で、結婚して腰を落ち着けたのですが、「妻」や「母」という役割に大人しく収まるのはどうにも性に合わず、その言動が周囲の人々の人生をときに劇的に揺さぶっていく…というのがだいたいの物語。

かなり癖の強い容易く同情させない女性主人公で、その解釈はフェミニズム批評の格好の題材ともなってきました。

その『ヘッダ・ガーブレル(Hedda Gabler)』は当然ながら戯曲なので、演劇として頻繁に表現されてきたのですが、映画などの映像作品にもなってきました。なんでもすでに20作以上の映像作があるようです。直接的な映像化ではないですが、最近も『ベイビーガール』で言及がありましたね。

そして2025年、新たな映画化が生まれました。

それが本作『ヘッダ』

ただ、この『ヘッダ』は原作を結構大胆に翻案しており、そこが最大の見どころになっています。とくにクィアなアレンジが特徴で、具体的には女性同士のロマンスも深く関与してきます。クィア作品に関心ある人はぜひ要チェックです。

これ以上は楽しみは減るので深く語らないでおきましょう。もとの戯曲は有名なので展開を知っている人もいるでしょうが、単純には原典をなぞらないので翻案を満喫できると思います。

本作『ヘッダ』を監督するのは、2021年に『キャンディマン』を新たに蘇らせて見事な才能をみせ、2023年には『マーベルズ』で大作フランチャイズも経験した“ニア・ダコスタ”

やっぱり“ニア・ダコスタ”はこういう自分でしっかりクリエイティブ・コントロールできる作品でこそ本領を発揮してくれますね。今作では監督のほかに、脚本・製作とがっつり関わり、“ヘンリック・イプセン”を自己流に再構築する万全の体制が整っています。

主演は、“ニア・ダコスタ”監督とは監督デビュー作の『ヘヴィ・ドライヴ』(2018年)で関わりのある“テッサ・トンプソン”。今作では素晴らしい名演をみせており、主演女優賞にノミネートされても全然おかしくないです。

共演は、『オール・オブ・ユー』“イモージェン・プーツ”『TAR/ター』“ニーナ・ホス”『13人の命』“トム・ベイトマン”、ドラマ『ロング・ブライト・リバー』“ニコラス・ピノック”、ドラマ『ザ・レジーム/壊れゆく政権』“フィンバー・リンチ”など。

とくに“ニーナ・ホス”はこちらも助演女優賞にノミネートできる級の名演です。

『ヘッダ』は日本では劇場公開されず、「Amazonプライムビデオ」での独占配信になってしまいましたが、先ほども書いたように、クィア作品やフェミニズム作品に興味があれば、“ヘンリック・イプセン”の戯曲を知っている人も知らない人もぜひオススメです。

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『ヘッダ』を観る前のQ&A

登場キャラクターの整理

  • ヘッダ・ガブラー(Hedda Gabler)
    …主人公。
  • ジョージ・テスマン(George Tesman)
    …ヘッダの夫。
  • アイリーン・ラヴボルグ(Eileen Lovborg)
    …ヘッダと昔に因縁がある女性。
  • シア・クリフトン(Thea Clifton)
    …ヘッダとアイリーンと関係のある女性。
  • ローランド・ブラック(Roland Brack)
    …ヘッダと親交のある判事。
✔『ヘッダ』の見どころ
★より複雑で濃密になったクィア&フェミニズムな翻案。
★俳優陣の名演のアンサンブル。
✔『ヘッダ』の欠点
☆—

鑑賞の案内チェック

基本 自殺を示唆するシーンがあります。
キッズ 2.0
性行為の描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ヘッダ』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

落ち着いて席につくヘッダ・テスマン「事件の夜に発砲に至るまで何があったのですか?」と警察に事情聴取されていました。「覚えていません。よくあるパーティーでしたよ」と平静で応えるヘッダですが、相手は「初め」から話すように要求します。

それは昨日の話。ヘッダはアイリーン・ラヴボルグからの電話にでます。「ヘッダ・ガブラー」と電話の向こうのアイリーンは何か意味ありげに呼びかけ、今夜のパーティーの件を切り出されます。新婚の夫のジョージ・テスマンとのお披露目会を開く予定でした。新婚旅行から帰ってきたばかりなのです。それを確認して、アイリーンは一方的に電話を切ってしまいます。

屋敷では大慌てで準備が進んでいました。古い屋敷を改装し、見違えるほどに豪華になっています。ヘッダはあちこちに顔をだしては、やり直しなどを命じます。

赤い服を身にまとったヘッダはやや苛立ちつつ、鏡の前で自分を落ち着かせ、屋上の外で空に向かってを放ちます。将軍の娘であり、この銃も家族に由来する品です。

そのとき、親交のあるブラック判事がやってきたのが下に見え、ヘッダはふざけながら下に向かって銃をぶっ放します。ブラック判事は経済的に支援してくれた仲です。

ヘッダとは対照的にジョージ・テスマンは「今夜は失敗できない」とかなりピリピリしていました。招待客にも気を使っています。とくにグリーンウッド教授は重要です。ジョージはこの教授に認められれば自身も教授になれるかもしれないのです。

そんな中、アイリーンを招いたことにジョージは言及します。続いてジョージは「君は幸せなのか?」と唐突に問いかけます。ヘッダは気楽な返事で愛想よく笑うだけです。

グリーンウッド教授は若い妻のタビサを引き連れて現れました。随分と社交に慣れてなさそうな軽薄な女性です。

広間で団欒を楽しんでいると、どう考えてもパーティーに似つかわしくない恰好の女性がひとりでふらっとやってきます。ヘッダはいち早く気づき、エリソン夫人と呼びかけますが、夫の話題を避け、「シア・クリフトン」と呼ぶようにその人は言います。2人は学生時代の仲です。シアはアイリーンが来ているかを気にします。

シアはアイリーンと本を書いており、今やアイリーンをまともに支えているのは自分だと言い切ります。しかし、やや落ち着きがありません。「アイリーンは来るんでしょ?」としきりに気にし続けます。

シアをドレスに着替えさせ、ディナーが始まります。そんな中、アイリーンも教授の座と資金援助を狙っていると判明。ジョージに伝えると露骨に焦ります。確かにアイリーンは優秀で、注目度は相当に高いです。

もし夫のジョージが教授になれなければ、ヘッダのこの生活も傾きかねません。借金はいくらでもあります。

そしてヘッダはアイリーンを妨害しようと行動に出始め…。

この『ヘッダ』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2025/10/31に更新されています。

ここから『ヘッダ』のネタバレありの感想本文です。

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錯綜する複数の三角関数と緊張感

原作の“ヘンリック・イプセン”の戯曲は、特定の規範の下における男女のジェンダーの緊張感が終始ヒリヒリと持続する作品だったと思いますが、2025年の“ニア・ダコスタ”監督版の『ヘッダ』は緊張感がより多層かつ複雑化し、濃密になっていました。

まず三角関係があるわけなのですけども、原作では「エイレルト」という男性だったキャラクターが今作では「アイリーン」という女性に変わり、ここが物語の体感を劇的に変えています。

最初にハッキリと提示される三角関係は、ヘッダと夫のジョージ、そしてブラック判事です。ヘッダとブラックは浮気関係にあり、ブラックは金銭的な支援をしているので、実質的にあのテスマン家をコントロールできる優位な立場にあります。ジョージも妻のブラックとの関係を序盤の時点で察していました。

そこにヘッダがアイリーンとも交際していた過去があることが示唆され、ジョージも遅れながらそれを察します。今作におけるこの3人の三角関係は、異性愛と同性愛が入り乱れる緊張感が追加されています。

さらにヘッダはアイリーンをめぐってシアとも三角関係が生じており、こちらはまだ誰にも知られていない女性同士の駆け引きです。

このように複数の三角関係が同時並行で展開するので、本作は非常にややこしく、それでいて何が起こるかわからないサスペンスをもたらします。

しかも、ジェンダーやセクシュアリティの緊張感だけでなく、ヘッダは黒人のルーツがあることもあり、人種の緊張感までプラスされます。例えば、ヘッダとアイリーンは同じ女性でも、黒人と白人の明らかな差があり、その構造は社会における「何ができて何ができないのか」というハードルの高さの違いそのものに繋がります。

一方で、同じ人種だったら平等かというとそうでもなく、例えば、アイリーンとシアの関係は一見すると相思相愛ですが、ある種の教師と教え子の関係のように極めて不均衡な上下が存在し、シアは半ばアイリーンにコントロールされてしまっているとも言えます。作中では共同執筆したはずの本にシアの名前が載らないというあたりで、その不平等が露呈していました。

そういう意味では、本作のシアは不憫さが原作以上に増してますね。家父長的な世界から逃げるべく決意し、夫のもとを離れたのに、逃げ込んだ女性の下でも完全な自立は得られない…。女性だけの世界なら平等になれるという考えは幻想だったと実感しないといけなくなる瞬間。第3幕のラストで、アイリーンに「付き合っていられない」と絶縁を突きつけるシアの苦しみを思うと…。

ではアイリーンは鼻持ちならない女かというと、彼女には彼女の苦悩があります。作中では男たちのコミュニティで安易に見下され、それに耐えながら必死にキャリアを手にしようとしている姿は切ないです。第4幕での「あの本の正しさが私を嘲笑から守ってくれるはずだった」というアイリーンの告白は全てを物語っていました。

そして本作はアイリーンのラストの展開を変えています。単純な自殺ではなく、男に絡まれるという嫌がらせの咄嗟に起きてしまった「事故」のように描いています。これは命を絶つ女性は「精神的におかしくなった」と本人の欠陥のように片づけられがちな現実に対し、明白に「そうではない。加害者がいますよね?」と暗示する演出になっていて良かったです。

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ヘッダは何をしたかったのか

そんな中、あの主人公であるヘッダは何をしようとし、また何をして、何ができなかったのか。2025年の“ニア・ダコスタ”監督版の『ヘッダ』は、前述したより複雑化した背景も合わさって、ヘッダというキャラクターのアンチヒロインっぷりがさらに濃くなりました。

ヘッダ自身はかなり優秀で野心があるのがわかります。規範に落ち着くような人間ではありません。序盤のパーティーを準備する屋敷での振る舞い、そしてパーティー中のヘッダの振る舞いもみていると、能力を持て余しているのがわかります。あの華やかなパーティーですらヘッダには退屈です。

あのアイリーンですらもヘッダを「あなたといたら自殺していたか、あなたに殺されていた」と評するほどであり、相当な強者なのでしょう。

しかし、アイリーンのように独立してキャリアを求めるような一歩を踏み出すことまではしません。アイリーンは作中で「未来の性(セックス)」についての本を書く展望を語り、スティグマを背負ったセクシュアリティの将来の解放を見据えています(無論、それはLGBTQの平等な権利をも意味しているわけですが)。その姿はとても直球なフェミニストの姿です。

ヘッダがそこに連帯をしないのは、黒人女性としての壁を痛感しているからか、はたまた本当にその気がない冷笑的な仕草なのか、それとも快楽的な個人主義か、もしくはもっとその先を目指しているのか…それはわかりません。

ともかく、ヘッダにとってジョージはアイリーンに痛いところを指摘されるとおり、自分を安売りするような結婚相手です。ジョージも努力家なのでしょうけど、アイリーンほど才があるわけではなく、典型的な「男性である」という下駄をはくことで社会で地位を得ている男ですからね。

第4幕で、原稿を燃やすヘッダを一旦は止めたジョージが結局はヘッダにコントロールされるくだりは、この男女の関係を強く浮きだたせます。ヘッダにしてみれば、自分が這い上がるための駒…ということでしょうか。それにしてもその駒は貧弱です。

でも最終的にブラックが一枚上手の優位性を獲得し、ヘッダは駆け引きに負けます。ジョージすらもシアと協力し始めます。

ここで原作ではヘッダは銃で自殺をするのですが、本作はこの最後の最後で最大の改変を行います。2人の生存、そしてヘッダのあの笑み

もちろんこれもどう解釈するかは観客しだい。まだまだあの終わりのない三角関係の駆け引きの続きを楽しめるという満足感からなのか、それとも「Bury Your Gays」のトロープを乗り越えたことに安堵するクィアな観客の心情を反映したのか…。

どちらにせよ今作のヘッダは、より手綱で思い通りに動かすことは到底できない女性として、刺激的で危なっかしい目の離せない存在に磨きがかかっており、とても楽しかったです。

『ヘッダ』
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
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関連作品紹介

テッサ・トンプソン主演の映画の感想記事です。

・『PASSING 白い黒人』

・『シルヴィ 恋のメロディ』

以上、『ヘッダ』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)Amazon MGM Studios ヘッタ

Hedda (2025) [Japanese Review] 『ヘッダ』考察・評価レビュー
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