それはいつあなたの身に起きるかもわからない…ドキュメンタリー映画『成功したオタク』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2021年)
日本公開日:2024年3月30日
監督:オ・セヨン
性暴力描写
せいこうしたおたく

『成功したオタク』簡単紹介
『成功したオタク』感想(ネタバレなし)
全オタクの必見ドキュメンタリー
日本では2025年も何人もの芸能人について性的加害行為をしていたことが告発されたり、発覚したりしましたが、たいていは有罪や逮捕はおろか、起訴・立件すらされず、曖昧な活動自粛でほとぼりが冷めるのを待つのが常態化しています(そして平然と活動再開する)。メディアも「コンプライアンス違反」などとボカした表現にとどめ、性暴力という言葉は使われません。被害者のプライバシーに配慮するためなどと綺麗ごとを述べるときもありますが、結局、被害者は蹂躙され、加害が不可視化されているだけです。
一般的な性的加害事件はそれだけでじゅうぶんに深刻な犯罪ですが、芸能界の性的加害事件は特有の構造的問題を抱えています。それは巨大な利益ありきの業界が関わってくること、そして芸能人というのはファンダムとともに成り立っていること…この2点は非常に厄介です。ゆえに性的加害事件の利害関係者は極めてややこしく絡み合います。
もしあなたが好きな芸能人が「性犯罪者」だという情報が報道で飛び込んできたら…ファンとしてあなたはどう反応するでしょうか。
その情報を信じない人もいます。その芸能人を擁護する人もいます。被害者をバッシングする人さえもいます。これらは明らかに加害者側に加担する行為であり、場合によってはそのファンの反応こそ犯罪になりうるでしょう。
いや、たとえそこまでしなくても「ファンだった」という事実はどうなのでしょうか。アイドルやエンターテイナーを推しているつもりが、性犯罪者を推していたのです。これも加害でしょうか。
それともファンも被害者なのでしょうか。その芸能人のクリーンなイメージに騙されて、たくさんのグッズを買ってしまった…これは一種の詐欺なのか。
そんな答えのない自問自答で頭がぐるぐると混乱する率直な感情をそのままドキュメンタリーにまとめた人がいます。
そうして生まれたのが本作『成功したオタク』です。
このドキュメンタリーはほぼ個人製作のプライベートな一作で、“オ・セヨン“という韓国人女性が監督&製作を務め、自身の体験を主軸にしています。“オ・セヨン“はあるひとりのK-POPスターの男性(具体的に誰かは作中で明言される)に中学生の頃から夢中になり、熱狂的なファンだったのですが、ところがある日、その人生を捧げてきたアイドルが性犯罪の加害者として逮捕されてしまい、自身の「推し」ありきの全てが一変してしまいます。
その経験を土台にし、同じような経験をしてきた芸能人ファンたちと交流し、率直な心情を映像にまとめたのがこのドキュメンタリーです。
オタク語りの延長のような一作ですが、同時に非常に自己批判的あり、また業界批評性を有している…結構しっかりしたドキュメンタリーになっています。プロのジャーナリストでは作れない、当事者のオタクだからこその内容と言えるでしょう。
ちなみに『成功したオタク』という一風変わったタイトルは、韓国では充実したオタ活ができているオタクをそう呼ぶらしく、現地では「성덕(ソンドク)」と表記するのだとか。これは、日本語の「オタク」という言葉がほぼそのまま韓国でも定着して「오덕후(オドック)」と表現し、やがて「オ」の部分だけが省略され、「덕후(トック)」と呼ばれるようになったのこと。そして「成功した(성공한)」「オタク(덕후)」ということで「성공한 덕후(ソンゴンハン ドック)」となり、省略して「성덕(ソンドク)」となった…というのが言葉の成り立ちだそうです。
あくまで韓国の芸能人オタク界隈を映した『成功したオタク』ですけども、日本も全く他人事ではない…というか、ほとんど同じような現状が起きているので、全オタク必見のドキュメンタリーではないでしょうか。
とくに推しが「犯罪者」だったと知ったときに観ると、乱れた心を落ち着かせることができる…かもしれません。
『成功したオタク』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 詳細な性暴力事件の言及はないですが、トラウマを刺激するリスクはあります。 |
| キッズ | 性暴力事件を扱っているので、保護者のサポートが必要かもしれません。 |
『成功したオタク』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『成功したオタク』のネタバレありの感想本文です。
推すという行為の負の側面
ドキュメンタリー『成功したオタク』ではまず韓国における芸能アイドルのオタク女性たちのファンダムの世界が少しばかり覗けます。
“オ・セヨン“は典型的な熱心なファンで、骨の髄まで夢中になったその相手は「チョン・ジュニョン」というアイドル歌手でした。“オ・セヨン“は中学生の頃にその「彼」に夢中になり(韓国の女性たちは年上の推しを「お兄さん」を意味する「オッパ」と呼んで慕う)、韓服でサイン会に行くという目立つ行為にでたことをきっかけに“オ・セヨン“は認知され、ちょっとした有名オタクにもなれました。
「チョン・ジュニョン」以外にも本作では「V.I」や「カンイン」など推しの対象がでてきます。
幸せだったでしょうね。本作にはその「推しのいる人生」の楽しさがありありと伝わってきます。
でもそれは2019年の推しの逮捕でひっくり返るのですが…。
私は本作を観ていて「推す」という行為の負の側面をあらためて確認できるなと思いました。
本作は基本的に若い女性たちにスポットライトがあたっており、彼女たちはそれこそ10代の頃から男性芸能人を推しています。この「若い女性たち」というところがかなり重要だと思います。別にファンには男性もいるでしょうけど、ひとまずここでは「若い女性たち」だとどうなるかということを考えます。
つまり、その男性芸能人(実態は性犯罪者)が若い女性たちのファンを大勢惹きつける…という構図は、それ自体が加害の仕掛けなのです。性暴力の被害者がファンの女性だった…という事案も珍しくありません。熱心なファンでなくとも「この人はあれだけ有名人で、ステキな人柄としてテレビとかにでているし…」と一定の信頼を置く人は普通にいるでしょう。そうやって加害をしやすくする…。
今作にでているファンたちはたまたま性暴力の直接的な被害者ではなかった人であり、あまりその境界線はないでしょう。
もっと言えばこの場合の「推させる」という引力はマインドコントロールです。「推す」という実態は「操作されている」こととほぼ変わらないのかもしれません。
作中では“オ・セヨン“はいろいろな同じ境遇の元ファンと出会い、あれこれと語り合います。まるで痛い失恋の過去を振り返る女子トークのように。クスっと笑えてしまうようなシーンもあります。
けども彼女たちに必要なもっと本格的なセラピーなのだろうなとも感じました。それくらい結構深い傷を負っているでしょう。
グッズの葬式(処分)をしようとこれまで集めたアイテムを振り返っている場面なんかは、その苦しさが交錯する非常に複雑な光景でした。思い出話が止まらず、どこか捨てる勇気がでない自分を自覚する…。
「推す」という言葉は本当に気軽に広まり、今や「推しがいて当然」というくらいの大衆の空気があり、その程度の差はあれ、多くの人が安易に「推し」を実践してしまっています。
しかし、そのリスクをちゃんと社会は考えているのか。結局、そのリスクを背負ってしまうのは弱い立場の者たち(今回の場合は若い女性)ではないか。
作中では、アイドルは「清純さ」を売りにしており、思い出を汚されるという点で罪の大きさがあると論じ、ファンも二次的な被害者であると繋げています。
私はそれはスケールを広げて「推し文化」全般に言えると思います。「推す」行為が世間では「純真さ=熱い感情」として短絡的に取り扱われすぎているような…。
もっと「推す」ことの負の側面を考えたっていいですよね。それをファン個人の自業自得で片づけたりせずに…。
トキシックなファンダムにならないために
そうやって「被害者」の側面を浮き彫りにしつつ、ドキュメンタリー『成功したオタク』は同時にファンが「加害者」になってしまう怖さも逃げずに直視します。これがファンダム特有の問題ですね。ファンダムという結集力のあるコミュニティだからこそ、それがひとたび悪い方向に向かうと恐ろしいことになる…。
いわゆる「トキシック・ファンダム」と呼ばれる問題ですが、ここまで自己反省的に描かれるのは珍しい部類だと思います。
“オ・セヨン“が推していた「チョン・ジュニョン」は逮捕される2019年よりも前の2016年9月にスポーツソウルの記者のパク・ヒョシルという人がスクープでその問題を報じていたのですが、当時は検察が嫌疑なしの処分を下したため、「無実なのに冤罪で犯罪者扱いにした」としてパク記者はファンたちによって激しい批判に晒されました。
もちろんただでさえ性的加害事件は証拠を集めるのが至難の業で、偏見も根深く、立件さえ難しいことが多々あります。「不起訴=冤罪」という認識は早計です。実際には性暴力をしたのに裁判で有罪にならなかった加害者なんていくらでもいますから。
なので当時のそのファンたちの言動はあからさまにトキシック・ファンダムの典型例です。
本作では“オ・セヨン“はそのパク記者に対面し、当時の自分の行為を謝罪し、自身の日記の1ページを読み上げます。そこに書き記されていたのは、まあ、要するに「私は理性あるファンであり、行き過ぎた記者の正義を嗜めてやってあげましょう」という独り善がりのいかにもよくありがちなオタクの振る舞いを正当化する心情そのもので…。
このあたりはどんなオタクであれ、内省的に受け止めないといけないことだと思います。被害者になるのはまだしも加害者になったら絶対にダメだ…という。ファンが加害者になったらそれを根本の芸能人のせいにはできないですからね。
どうやら“オ・セヨン“が推していたあの芸能人にもまだ熱烈なファンがいるようで、「彼は被害者だ」「友達が悪い」「真人間になって戻ってきて」といった定番の擁護レトリックが宙を舞っています。ここまでくるとこれは「推し」ではなく「犯罪の正当化」に他なりません。
本作はその残存するファンをあえて取材などはせず、それはそれで“オ・セヨン“の選択なので全然いいと思いますが、ここでもやはり「推す」という行為の最悪の負の側面が滲んできますね。
オタクもカルトも政治もそう変わらない
ドキュメンタリー『成功したオタク』は「推し文化」をできるだけ冷静に俯瞰しようと、パク記者の指摘をもとに、朴正煕元大統領の指示者集会にまで入り込み、その光景を映し出します。
そこに広がっていたのは、熱狂的な応援と歓声、支持布教活動、メッセージ、そして大量のグッズ販売…。もう完全にアイドル界隈と変わりありません。
オタ活は政治活動と大差ないという現実。そして作中では言及はありませんけど、この韓国の政治は世界平和統一家庭連合(統一教会)と切っても切れない縁があります。ちょうど2025年は世界平和統一家庭連合の実質的なトップである“韓鶴子”が政治資金法違反・証拠隠滅教唆罪・業務上横領罪で起訴され、韓国の政界に激震が走りました。その中で政治との癒着があらためて明らかにもなりました。
だからあの政治は宗教的なカルトととも深く重複しています。オタクの活動はそれらと何が違うのか…。
こうやって「推す」ことの負の側面ばかりみていると、現在進行形で生きている人を推すことの不安に否が応にも対峙します。
本作は当然「推す」ことそのものを否定はしません。
最後にダメ押しで出演するのは、“オ・セヨン“の母で、母は性的加害が指摘され多2018年に自殺した俳優の「チョ・ミンギ」のファンだったことがあり、その人物に対して「罪を償う前に死ぬのは許されない。卑怯だ。彼の死は悲しむに値しない」と辛辣です。でも娘の「推す」姿を肯定してくれます。
本作は最終的にオチは、オタクの願望が投影されたものです。「ただファンに恥ずかしくない言動をしていてほしい。大人しく静かにしていてほしい」という願い、または「推し活は幸せなものであってほしい」という絵空事かもしれない理想。
これは良心に訴える、善を信じる…そんな神頼みであり、かなり心もとないです。
本作は性的加害事件の被害者のクローズアップはないので、視点に偏りはあります。アイドルによる性的加害事件の被害者の立場でのアプローチのドキュメンタリーなら『ネバーランドにさよならを』などがありますけども。
『成功したオタク』はそのタイトルの意味をアップデートするようなかたちで、オタクの「(いろいろな意味で)良いオタクでありたい」という立ち振る舞いの表明に終始しています。
それでもこれしかできないあたりがオタクの限界であり、オタクの問題であり、オタクの課題。このドキュメンタリーで感傷に浸って終わるのではなく、いかに業界の変化に繋げるかが大事なのだろうと思います。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『成功したオタク』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)AUD 成功したおたく ファナティック
Fanatic (2021) [Japanese Review] 『成功したオタク』考察・評価レビュー
#韓国映画 #アイドル #KPOP #ファンダム

