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映画『落下音』感想(ネタバレ)…断片化された女たちの残滓

落下音

見えなくてもまだそこにある…映画『落下音』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:In die Sonne schauen(Sound of Falling)
製作国:ドイツ(2025年)
日本公開日:2026年4月3日
監督:マーシャ・シリンスキ
性暴力描写 自死・自傷描写 児童虐待描写 性描写
落下音

らっかおん
『落下音』のポスター

『落下音』物語 簡単紹介

ドイツの田舎に建つ一軒の農場の家。この家には100年以上にわたって家族が住んでいた。1910年代、1940年代、1980年代、2020年代、それぞれの時代で若い少女たちは自身の身近で起きているさまざまな出来事を目撃し、また体験していく。いつの時代でも得体の知れない不安と孤独が静かに覆い尽くしていたが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『落下音』の感想です。

『落下音』感想(ネタバレなし)

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断片的なアルバムを覗くような映画

私の住んでいる家にはそれほど歴史はないのですが、この前、ふとアルバムにあった昔の写真を見ていたとき、その家の過去の姿が映っているものがありました。その写真を眺めているとなんだか不思議な気持ちになりました。

「そう言えば、この外壁、今と色が違うけど、なんでだっけ?」

「あれ、ここにこんなものがあったのか」

もちろん当時を知る者ならば説明できるはず。でも写真1枚からだけだと記録はされていても断片化されています。過去と今、どういうふうに繋がっているのかを詳細に明かしてはくれません。

アルバムの写真1枚1枚が断片的な情報であり、それが時間という横軸の接続はあっても、スムーズに連なりとして可視化はされない。結果、その断片から覗き見るように窺うしかできない。そんな不思議な心境…。

今回紹介する映画もまさにそういう感覚にさせてくれる作品です。

それが本作『落下音』

本作は2025年のドイツの映画で、原題は「In die Sonne schauen」「太陽を見つめる」という感じの意味だそうです。邦題は英題の「Sound of Falling」をそのまま直訳したのだと思いますが、おそらく英題は多義的なニュアンスを持たせているので、日本語のタイトルはちょっと単純すぎる気もします。

というのも本作『落下音』はとても掴みづらい映画で…。雰囲気からして、ミステリーやホラーのような匂いがしますが、決してそういうシンプルなジャンルではありません。これは変に期待させたくないのでハッキリ書いておきます。

ひとつの家が舞台で、物語は100年以上の4つの時代にまたがり、非線形で進行します。その家にその時代ごとに住んでいる人がいるわけですが、その人たちが何を経験し、生きていたか…。その姿が淡々と、でもどこか不穏に映し出されます。

何度も繰り返してしまいますが、ミステリーではないので、4つの時代の物語を繋ぎ合わせることで何か真相がわかったりもしません。そもそも明白な謎があるわけでもないです。代々この家に蔓延る呪いや悪魔がいて、それと対峙していく…そんな展開もありません。

じゃあ、何が見どころなんだよ!と文句を言われそうですけど、事前に言えることがあるとすれば、本作はドイツの田舎の、一見すると牧歌的な世界の「暗部」を垣間見せてくる…。そしてこれは「女性」の物語だということ。この2点でしょうか。

別に特異な禍々しい因習があるわけでもないんですよ。普通の家です。普通の家族です。でもその「普通」の中にあるものこそ、言語化もできない恐ろしさがあったりするのでは? そういう問いかけ。それを約150分にわたってじっくり描く長丁場な映画なのです。

このかなり曖昧な題材を独自に映してみせた『落下音』を監督したのが、ドイツ出身の“マーシャ・シリンスキ”。2017年に『Dark Blue Girl』で長編映画監督デビューを果たし、この『落下音』で監督2作目。それが第78回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で審査員賞を受賞と、一気にキャリアが飛躍。これは国際映画祭常連になりそうですが、あとはどれくらいの頻度で映画を作るかですかね。

登場人物の数はその設定ゆえにわりと多く、非線形なので最初は整理が大変ですが、焦らずとりあえず眺めてください。別にあるシーンを見逃すと謎が解けないとか、そういうことはないので…。

『落下音』はじっくり腰を据えて集中しないと味わえないので、映画館での鑑賞向きな一作です。

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『落下音』を観る前のQ&A

✔『落下音』の見どころ
★ひっそりと滲んでくるこの家の過去に連なるジェンダー抑圧。
✔『落下音』の欠点
☆非線形でかつ非説明的な語り口なので全体の整理がやや難しい。

鑑賞の案内チェック

基本 性暴力、虐待、自死を示唆するシーンが一部にあります。
キッズ 1.5
直接的な性行為の描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『落下音』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

双方の松葉杖に支えられて廊下を歩くひとりの片足の女性。外から男の声で「エリカ!」と呼ばれるも無視します。ふと立ち止まり、実は折り畳んで隠すようにしていただけの片足に巻き付けた紐をほどき、エリカは普通に歩いて、ある部屋に足を踏み入れます。

そこにはこちらは本当に片足の男が無防備に寝ていました。エリカはその男のへそに指で触れ、その指を自分の口につけます。そこでまたも名前を呼ばれ、部屋から出ていきます。

その片足の男は目覚め、窓からエリカを眺めます。彼女は男にビンタされていました。しかし、そのエリカはこちらの視線に気づいているようにゆっくり顔を向けてきて、何をするでもなくただ薄っすらと笑うような口の動かし方をし…。

それよりも数十年前の時代。同じ家。イタズラではしゃぐ子どもたちが室内をかけまわっていました。そのうちのひとりで最も幼いアルマは、鍵穴から黒服の女性を覗きます。その女の人は荷物から写真を取り出してロウソクの棚に並べており、何やら苦しそうな感情を抑えています。

その次に階段をそろそろと上がり、介抱される片足の男を覗きます。でも見ているのがバレて、ドアを閉じられてしまいます。

その後、黒い服を着て、葬儀に参加。先ほどのロウソクと写真の前で大人たちは順番に喪に沈んでいました。自分の番になり、アルマは写真を間近で見つめます。そこには自分と同じ年頃の少女が映っており、今着ている黒い服は同じものだと気づきます。その子は椅子でぐったりした様子で、背後に何かが手を伸ばしており、その顔はブレていました。

それが終わると、食卓の前でみんな立って沈黙。片足の男が最後に現れ、みんなで祈り、席につきます。それぞれが食事を口に運ぶものの、口は重いです。

夜には明るい空気になり、みんなが踊ったり、お喋りに興じています。解散すると、あらためてあの写真を見つめるアルマ。こうして家は寝静まります。

それから100年以上の時代。クリスタは夫のハンネス、そして娘のレンカネリーと共にこの家に引っ越してきて、リフォームをしている最中でした。机を搬入し、必要のないものをハンマーで壊します。そこで何があったかは知らずに…。

また、それより数十年前の時代。イルムは、夫のアルバートと10代の娘のアンゲリカ、そして弟のウーヴェとその10代の息子ライナーと共にこの家で暮らしていました。

4つの時代、同じ家。そこに住む者たちはそれぞれの存在を何かに残していきますが…。

この『落下音』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/04/04に更新されています。

ここから『落下音』のネタバレありの感想本文です。

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女性の抵抗と諦めと…

『落下音』の主要な舞台となるあの家。その撮りかたは非常に暗く重々しく圧迫的です。サウンドデザインも凝っており、家での生活の日常音、でもどこかこれは何の音か判別できない不気味な違和感…そうしたものが常に耳にまとわりついてきます。カメラワークもそうです。これは何かの視点のようでもある…でもそれって何?という疑念。

考えすぎるなと言われても考えてしまう。嫌な感じが約150分も充満していると、良くも悪くも退屈しませんよ。

まるでこの家が幽霊屋敷で、そこに超自然的な幽霊でもいて、これは怪談のように展開するのかと思ってしまいます。確かに幽霊はいるのかもしれません。でも本作はそんな幽霊の存在が何か衝撃を与えるホラーではないです。あくまで物語は「生者」を中心に織りなされ、「死者」はもうただの傍観者にすぎません。そういう意味では私たち観客は死者に近い側にいます。

“マーシャ・シリンスキ”監督いわく、本作の絵作りは、1900年代後半に活動していたアメリカの写真家の“フランチェスカ・ウッドマン”の作品に影響を受けているそうです。彼女は22歳で自殺しているのですが、その写真での女性の写しかたは確かに『落下音』に活かされています(「Francesca Woodman」で画像検索すれば写真がでてくるのでよければ確認してみてください)。

『落下音』は、“ミヒャエル・ハネケ”監督の『白いリボン』のようなドイツの田舎で静かに起こっている暗部を映し出すような作品です。しかし、『落下音』の場合は、それが1910年代、1940年代、1980年代、2020年代と4つの時代にまたがっており、時間的なスケールがその暗い部分をどう覆い隠し、また滲ませているのかを見つめていくことになります。

そして『落下音』は基本的に女性の物語であり、この当然のように家父長的な前提があり、女性は有無を言わせず「女性の役割」に徹しなければいけない小さな世界における、そこに存在した若い女性たちの声なき肉体と魂の面影をみることができます。

最初に登場するのは、1940年代と思われる時代にてこの家で暮らすエリカです。冒頭から意表を突く行動をみせてきます。片足を失った障害者のふりをしているのです。ふりと言っても別に誰かを騙そうとかそういうのではなく、これがどういうものなのかを自己納得のために体験しているような…。しかし、そこに思いやりとかはありそうにありません。

そしてエリカの前にいるのは本当に片足がない中年の叔父のフリッツ。まだ若いエリカはどうやらこの叔父に性的な欲望を抱いているようです。女性の押し込められた性欲が、自分より弱くなった男に向けられる…という構図。初っ端から歪な男女関係です。

また、1980年代と思われる時代にてこの家で暮らすイルムの娘のアンゲリカは、叔父ウーヴェから性的虐待を受けていると示唆する描かれかたになっています。おそらくウーヴェのほうがアンゲリカをガスライティングするように仕掛けているのですが、アンゲリカも自分の性的さを自覚し、それを自分では使いこなしているつもりでいます。いとこのライナーを性的に挑発するのもその思考の片鱗がみえます。

でもアンゲリカはどこかで抗いつつも諦めも感じているようで、あの子鹿の横で自分も丸まって大型農機に轢かれるようなイメージは、彼女の希死念慮を浮かび上がらせます。

また、アンゲリカが川の向こうに泳いでみせる行為も、この逃避と危険行動の狭間の心理を象徴します。本作の舞台はドイツのアルトマルク地方であり、戦後はソ連の領地となりました。あの川の向こうは西ドイツです。本作では政治という巨大な圧がこの小さな家族にも圧し掛かっていることもさりげなく示されます。あの川に住むウナギを怖い演出に使っている映画でもありました。

最終的にアンゲリカは家族写真撮影中にどこかへ行ってしまう…その写真には残像だけが映る。この演出も非常に暗示的でしたね。

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集合的記憶の一部に取り込まれる

『落下音』の最も古い時代である1910年代を生きるアルマのパートは、よりこの家の暗部が直球で目に入り込んできます。ただ、視点となるアルマは最も幼い子のひとりなので、本人はその意味を完全に把握できていません。それが余計に恐ろしさを増すのですが…。

アルマは家庭も死も概念として理解できぬまま、あるがままの風景に目に焼き付けます。両親はなぜアルマの兄のフリッツを納屋で突き落として足を怪我させたのか(理由は兵役不適格を狙ったから)。姉のリアはなぜ死に、その死体のまま平然と生きているかのように写真を撮らされたのか(理由は…)。

わけもわからぬままアルマもあの自分に似た写真の子のモノマネをします。不吉な予兆ですが、アルマには実感が湧きません。けれども、いずれは…。

最後は2020年代の時代で、ここだけこの家とは直接的な家系ではない一家が引っ越してくるので部外者です。家が一新される過程はあたかもあの家の歴史の因果を断ち切るような前向きさもあります。

でも本当にそう簡単にいくものでしょうか?とこの映画は嫌な空気をこの時代ですらも漂わせます。

レンカが知り合う村のカヤ。ネリーが感じる孤立の予感。どれも川がそれを繋げる装置になっているのが印象的です。家は風貌を変えても川の流れは途絶えません。断片化した他人の家族の歴史であろうとも、巻き込まれていくのは避けられない。

この他者のはずなのに否応なしに集合的記憶の一部になってしまうというのは、日本でもありますし、それはときにノスタルジーとして「良き感覚」を与えることもあれば、今作のように嫌悪感をともなうものへと傾くこともあります。『落下音』は世代間トラウマというよりはここまで長いスケールとなると「呪い」と表現したくもなりますね。

劇的な緊張感を廃し、独特の視覚言語で、観客さえも集合的記憶の中に封じ込めてしまう『落下音』。唯一無二の体験だったかもしれません。

『落下音』
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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関連作品紹介

第78回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。

・『センチメンタル・バリュー』(グランプリ)

以上、『落下音』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)Fabian Gamper – Studio Zentral サウンド・オブ・フォーリング

Sound of Falling (2025) [Japanese Review] 『落下音』考察・評価レビュー
#ドイツ映画 #マーシャシリンスキ #家族 #カンヌ国際映画祭