声を上げ続ける…映画『ティル』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年12月15日
監督:シノニエ・チュクウ
児童虐待描写 人種差別描写
ティル
てぃる
『ティル』あらすじ
『ティル』感想(ネタバレなし)
私的制裁は惨劇を生む
2023年11月、日本でネットを騒がせていた「私人逮捕系YouTuber」が逮捕されました(朝日新聞)。
私人逮捕などと当人は主張していますが、実際にやっていることは一方的な暴行やストーキングのような行為で、注目を集めて自己中心的な私利私欲を満たすことしか考えておらず、極めて悪質です。無論、そこには公正さも倫理観も欠片もありません。
こういう「私人逮捕だ!」と図に乗る人は基本的に「自分よりも弱い相手」を選別してターゲットにします。暴力団事務所に乗り込んだりはしません。何が弱者かを理解したうえで、どうせろくに反撃もできないだろうと余裕でいられる相手を狙った意図的な攻撃です。用意周到に練られた加害行為です。
こんな事件をお騒がせニュースのネタとして消費しているだけな日本社会ですが、これは些細な話では済みません。なぜなら歴史的に私的制裁というものは差別や迫害と密接に関わる行為だからです。そしてそれらは常に恐ろしい惨劇を招いてきました。
今回紹介する映画は、身勝手な私的制裁が最悪の結果へと繋がった実話を基にした作品です。
それが本作『ティル』。
本作が主題としている事件は、黒人…つまりアフリカ系アメリカ人への差別の歴史を語るうえで絶対に外せない出来事であり、とても有名です。顛末も含めてアメリカ社会には認知されています。
ただ、日本ではどうしても知名度が低いので、今回こうやって映画になってそれが公開されるというのは良い機会だと思います。
『ティル』は、1955年にエメット・ティルという14歳の黒人少年がミシシッピ州で白人に集団リンチに遭って殺害された事件を描いています。非常に惨い事件であり、当時のアメリカ社会に衝撃を与え、後の大規模な公民権運動へと波及する「正義」を求める感情に火をつけました。
本作は事件を描く実録犯罪モノのように序盤はなっているのですが、主な語り口としてはこの殺される少年の母であるメイミー・ティルに焦点があたっています。大切な我が子を暴力で奪われた母親がいかにしてその悲劇と向き合い、この社会の中で立ち上がったのか…その姿が力強く描かれる物語です。
当然、題材が題材なだけに極めて暴力的です。一応、直接的な殺害シーンは描かれないのですが、それでも遺体は映りますし、かなり観客の心は動揺すると思います。でも昨今ありがちなトラウマ描写で観客を惹きつけるような見え透いたわざとらしさはなく、この事件の被害者に寄り添い、一緒に怒りと悲しみを共有し、社会に突きつけるという姿勢がこの映画にはあります。
なので辛いのは百も承知ですけど、やっぱり観てほしいですね。とくに人種差別に無自覚なことが多い日本人には。
嬉しいことに本作『ティル』は日本でも劇場公開されることとなりました。実は当初は劇場公開されず、日本では「Amazonプライムビデオ」で配信されるのみの予定だったのですが、急遽の変更だったのか、配信日になっても扱われず、劇場公開決定の報が後から知らされることに。まあ、日本では何かと黒人主題の映画は配信スルーになるケースが多かったので、今回は本当に良かったです。
ただ、一方で別の方面では悲しいこともあって…。本作『ティル』は非常に評価も高くて、アメリカ公開時はこれは主演女優賞含めてアカデミー賞ノミネートはあるだろうと思われていたら、蓋を開ければ何一つノミネートされなかったのです。同じくノミネートが期待されていた別の黒人女性主体の映画『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』も無視されたので、「2022年のアカデミー賞は黒人女性をあまりに冷遇している」と厳しい指摘も相次ぎました。
たぶん製作の「Orion Pictures」が「MGM」のスタジオだったのですけど、MGM自体がAmazonに買収されたので、そのゴタゴタで賞レースのロビー活動が全然されなかったんじゃないかな…とも思いますが…。
『ティル』で主演を務めたのは、『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』やドラマ『ステーション・イレブン』の“ダニエル・デッドワイラー”。観れば納得、魂を揺さぶる素晴らしい演技です。
『ティル』を監督するのは、2019年に『クレメンシー』を手がけたナイジェリア系アメリカ人の“シノニエ・チュクウ”。初の長編映画は2012年の『alaskaLand』ですが、着実に存在感を高めており、今後も目が離せません。
なお、本作を企画したのは“ウーピー・ゴールドバーグ”だそうで、出演もしています。
2023年も12月になって終わり間近ですが、『ティル』を観てから今年のベスト10を決めましょう。
『ティル』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :今年の必見作 |
友人 | :真摯に語り合って |
恋人 | :題材が重いけど |
キッズ | :残酷ではあるが |
『ティル』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):口笛を吹いたら
1955年8月、イリノイ州シカゴ。夫を亡くしたメイミー・ティルは、14歳の息子エメットと平穏に暮らしていました。メイミーはエメットとめかしこんで、都会へ。車を運転するメイミーの隣にエメットがおり、仲良く歌います。
家に帰ってからも饒舌に「Bosco」のCMの曲をテレビに合わせて歌うエメット。祖母も微笑ましく見守り、エメットは眠りにつくために部屋に戻ります。メイミーのボーイフレンドであるジーンも帰り、今日はここまでです。
翌朝、やはり部屋で陽気に歌っているエメット。実はエメットはミシシッピ州マネーの親戚を訪ねるためにこの日に出発するのです。メイミーは同行しません。
エメットは調子に乗っていますが、メイミーはとにかく心配です。エメットはこの街から出るのは初めてで、まだ世間を知りません。「白人には気を付けて」と注意を促しますが、どこまで理解したのか…。おどけてみせるエメットでした。
駅まで2人で行くと、メイミーの叔父であるモーズ・“プリーチャー”・ライトとエメットのいとこであるウィーラー・パーカーが待っていました。
ついにお別れの時間です。メイミーは何度も気を付けてと繰り返して送り出します。エメットは元気な笑顔で列車に乗り、列車は行ってしまいました。
ミシシッピ州のマネーはシカゴと違って田舎でした。到着したエメットは広々とした小作農場で綿花を摘む作業を手伝います。ここでも急に倒れてみたりと愛嬌をふりまくエメット。
帽子を被って少しオシャレ気分で、いとこたちと小さな飲食雑貨店に行きます。そこでエメットは店内を気楽に見て回り、店番をしていた若い白人女性キャロリンを目にして、思わず「映画スターみたいですね」と口にだしてしまいます。言われた白人女性は憮然とした顔です。
全く事情をわかっていないエメットは店の外に出ますが、そこでその白人女性に囃し立てるような口笛を吹きます。たった1回の口笛…。
その瞬間、その白人女性の顔は引きつり、周囲でたむろしていた黒人たちはその光景に一瞬固まり、すぐさま一同は車に乗り込んで、エメットも引っ張ってその場を退散します。エメットだけが事情をわかっていません。
8月28日の真っ暗な早朝、エメットが泊まっていた親戚の家のドアを「開けろ」とノックをする声が急に響きます。「少年を探している!」とその声は苛立ちに満ちており、強引に入って来たのはキャロリンの夫ロイ・ブライアントと異母兄弟ジョン・ウィリアム・“JW”・ミラムでした。
そして何の話し合いもする暇もなく、エメットは連れ去られてしまいます。エメットの親戚が必死に止めようとしても全く聞き入れる態度は無し。車の中でキャロリンが顔を確認し、そのまま車で誘拐されてしまいました。
その頃、心配で自分もミシシッピ州へ追いかけていこうかと思っていたくらいだったメイミーのもとに、一本の電話がかかってきます。その電話にでて、激しく取り乱すメイミー。
エメットが誘拐されてしまったことを知らせる一報でした。
さらに警察が川沿いでエメットの遺体を発見したという知らせが…。
体感しないとわからない
ここから『ティル』のネタバレありの感想本文です。
映画『ティル』は実在の事件を題材にしているのは既に述べたとおり。裁判中も裁判後もさまざま情報が錯綜したこの事件ですが、映画製作における情報源としては2005年に『The Untold Story of Emmett Louis Till』というドキュメンタリーを制作した“キース・ビーチャム”のまとめた資料を基にしているそうです。
日本であれば「Disney+(ディズニープラス)」で『世に問う、息子の死』(2022年)というドキュメンタリーシリーズが見られるので、そちらも参考にするといいと思います。
映画のほうに話を戻すと『ティル』においても基本的に観客はこれからどんな悲惨な結果が待っているのかを知っています。なので序盤から一見すると平凡な親子のシーンに思えつつ、母メイミーの表情が曇って、BGMが不吉に歪むなどの演出が付随し、最初から嫌な感じがします。
当然、メイミーは未来予知ができるわけではありません。冒頭からメイミーの懸念というのは、子を思う親心という普遍的なものだけでなく、人種差別が無視できないからです。
シカゴにも黒人差別はありますが、比較的人種が表面上は温厚に入り交ざっているとこの都会と違って、南部のミシシッピ州は黒人差別が色濃いです。でもエメットはそれを知りません。やはりこれは体感しないとわからないもので、メイミーはそれが心配でなりません。
で、列車に乗って(永遠の別れとなる)、そこからタイトルなのですが、そこで黒人乗客がぞろぞろと車内を移動させられているシーンを挟むことで、決定的に世界が変わっているというのが視覚的に突きつけられる。このあたりの演出もさりげなく上手いですね。
そしていよいよミシシッピ州。ここでは黒人と白人の人種的緊張感は当たり前のもので、アフリカ系の人はみんなそれを身に沁み込ませているのですが、よそ者であるエメットは把握できていない。そこで起きるあの口笛。
あの口笛からの場が凍り付く瞬間といい、本作は突発的にみせるレイシャル・サスペンスの鋭利さが凄まじいです。あれは演出的には西部劇とかで急に緊迫するシーンに似ていますね。
たったひとつの口笛。確かに失礼な口笛だったかもしれないけど、それならちょっと注意すればいいだけの話。けれどもあの世界ではこんな口笛ひとつで何かが起きてしまう。
差別がグワっと牙を剥き出して形になった瞬間をとらえる、ほんと、怖い映画です。
見たのならそれで終わりにできない
映画『ティル』は、エメットの死から先は、ほぼ法廷劇となっていきますが、視点は母であるメイミーに移ります。
このメイミー、「強いお母さんだったんですね」なんて声をかけるのも違う気がする…それくらいに理不尽で屈辱的な状況に必死に耐える姿が描かれ、痛々しいです。“ダニエル・デッドワイラー”の自分の感情を殺してどうにか理性を保つような演技でこちらも目を逸らせません。
一般的に犠牲者の母ともなれば、世間からは同情の目で見られるものですが、今回は人種差別が絡むゆえに、事件後ですらも差別が降りかかります。とくにミシシッピ州での扱いは酷いもので、冒涜的なのですが、少なくともその場でが耐えるしかできない。愛する息子を失い、次に追い打ちで心までズタズタにされる…。
だからこそメイミーは最後に公民権運動の場に立つわけです。
本作を観ていると、なぜ権利運動が大切なのかわかります。そもそもが不平等な既存のシステム(作中で言えば警察や司法など)の中では改善の欠片もないからこそ、その枠外から声をあげるしかないんですね。
ちなみにメイミーは全米有色人種地位向上協議会(NAACP)と連携していましたが、作中でメドガー・エヴァースという実在の活動家も登場していました。彼は『ラスティン: ワシントンの「あの日」を作った男』でもサイド・キャラクターとして描かれ、その彼にも悲劇が襲うのですが、そのあたりはそっちの映画を観てください。
結局、あの白人男性2人は無罪になりましたが、とくに罪にも問われていなかったキャロリンに関してはあらためて起訴しようという動きが2000年代に起きました。でも起訴には至りませんでした。そしてあのキャロリンはとくに反省の色は見せることもなく、2023年4月25日に88歳でこの世を去りました。
良い変化を挙げるなら、2022年に「Emmett Till Antilynching Act」と呼ばれるリンチをヘイトクライムとする法律が成立したことでしょうか。これでリンチは重罪となりました。逆に言うと今まで重罪でも何でもなかったのです。14歳の子を原型をとどめないほどに痛めつけ殺しても、私的制裁として正当化されてしまっていた…白人が女や子を守るためという名目なら黒人を八つ裂きにしていい…そんな異常な世界。
『ティル』はちょうどその変化の年に公開されたのは偶然ですが、暴力が無くなったわけでは全くありません。それどころか、「白人が黒人を差別してきた歴史」は学校で教えない方がいいと主張する人たちが政治を悪用して、こうした痛ましい事件すらも抹消しようとしています。
あの遺体を見た人と同じく、この映画を見た人も、もう観ただけでは終われません。社会から差別による暴力を無くすために何ができるかを考えないといけません。
「白人のスペースを守る」「(白人の)女性や子どもを守る」という名目での正当化…今もかたちを変えてこの社会にさまざまな差別の土台として存在するレトリックです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 97%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
黒人差別を主題にした映画の感想記事です。
・『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』
・『友情にSOS』
・『PASSING 白い黒人』
作品ポスター・画像 (C)2022 Orion Releasing LLC. All rights reserved.
以上、『ティル』の感想でした。
Till (2022) [Japanese Review] 『ティル』考察・評価レビュー