オッサンから学ぶ生きがい…Netflix映画『パドルトン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:アレックス・レーマン
パドルトン
ぱどるとん
『パドルトン』あらすじ
中年男のマイケルとアンディーはいつも一緒に過ごしていた。しかし、マイケルが末期がん宣告を受け、その日常にも終わりが迫る。症状が悪化する不安を抱えながら、マイケルはアンディーにあるお願いをする。その頼みはアンディーを悩ませることになり…。
『パドルトン』感想(ネタバレなし)
アレックス・レーマンという隠れた名監督
あなたには「親友」と呼べる人はいるでしょうか。いや、そもそも「親友」の定義はなんなのでしょうか。
「一年生になったら」という有名な童謡があります。「ともだち100人できるかな♪」でおなじみのあの歌です。この曲が作詞されたのは1966年。この時代の日本はどんどん経済成長していたので、この歌詞の意味も前向きにとらえられますが、今は子どもが減りまくっている社会。学校に100人すら子どもの数が満たない場所もあり、ハードルが予想以上に高めかもしれません。でもSNSの時代でもありますから、インターネットの世界で“ともだち”をたくさん作るのは難しくないともいえます。ネットの“ともだち”なんて“ともだち”じゃないという人もいます。“ともだち”は量ではなく質だと言う人もいるでしょう。今も「一年生になったら」は子どもたちに歌われているのかな?
こうやって考えると“ともだち”をめぐる社会の環境が変われば、「親友」の定義だって変わって当然ですし、各個人の独自の答えがあるものなのでしょう。それは他人がズカズカと立ち入る話でもなく。なので「あなたの親友は誰ですか?」なんて質問は無礼にもほどがある…そう考えるのは考えすぎですかね。
でも本作『パドルトン』はまさにそういう他人には理解できない、当人たちだけが実感できる“ある種の到達した人間関係”をそのまま描き出した映画なのです。
本作は二人の中年男の交流を描くという、華やかさの欠片もないドラマがただ淡々と繰り広げられます。その華のなさと言ったら、もう巷に溢れる熱気に満ちた映画のエネルギーをほんの少しでも分けてあげたいくらいです。
情熱的なロマンスがあるわけでもありません。差別を描いた社会派なシリアスさもありません。手に汗握る映像に釘付けになるようなサスペンスもありません。オッサンとオッサンが本当に他愛もなく会話しているだけ。そんなの「オッサン好き」の稀有な趣味をお持ちの人くらいにしか需要がないのではと思うところですが、確かにそうかもしれませんけど、なぜだか観ていられる不思議。
監督は“アレックス・レーマン”というインディペンデント系の小粒な作品を撮っている人で、過去作に『ブルージェイ』があります。この『ブルージェイ』は日本劇場未公開で一部の動画配信サービスにて扱われただけのマイナー中のマイナー作品なので、鑑賞した人は少ないと思います。でも、私は『ブルージェイ』がと~っても大好きな映画で、ひと目観たときから惚れ込んでしまいました。私はこの映画を単純に恋愛映画というカテゴリで片づけたくない感じですね。
『ブルージェイ』は中年の男女の物語なのですが、“アレックス・レーマン”監督はとにかく「一見すると何の変哲もない会話だけど、実はその二人しかわからない価値観を共有し合っている」…そんな人間模様を極めて自然体に撮るのが非常に上手い人だと、唸らされるような監督。それが『ブルージェイ』を観たときの第一印象です。
そしてそんな“アレックス・レーマン”監督の最新作である『パドルトン』も期待に胸躍らせて観たのですが、やっぱりその見立ては間違っていなかったなと。なんでこんなに独特の“関係性”を描くのが上手いのか…。
世の中にはド派手な大作も劇場公開されています。賞に輝いた華々しい良質な映画もスクリーンで見られます。でもたまにはそんな光のあたることのない隅っこで健気に生きている、小さな小さな作品を鑑賞してみるのも良いのではないでしょうか。
Netflixオリジナルで配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(独立系映画好きなら) |
友人 | ◎(独立系映画好きなら) |
恋人 | ◯(恋愛ではないけれど) |
キッズ | △(子ども向けではない) |
『パドルトン』予告動画
『パドルトン』感想(ネタバレあり)
どういったご関係ですか?
『パドルトン』はまず冒頭で観客が一番気になるであろう疑問をぶつけてくれます。
医者の女性からCTスキャンの結果を神妙な顔で聞く中年男のマイケル。腹部に大きな影があって肝臓にも病変があるので専門医を勧められ、「それってガン専門医のこと?」と口にするマイケル。決定的な事実を口にしないですが、それはあるひとつの現実を示している…それを察知して茫然とするマイケルと…その隣にメガネの中年男のアンディー。なぜかここで『大統領の陰謀』を引用して「マイケルに完治の可能性はなく余命を過ごすのみ」という事実を医者に暗に認めさせようとしますが、セリフまわしが下手すぎてグダグダに…。そこで医者は尋ねます。
「あなたたちの関係は?」
「自分たちは…えーっと…あー、近所、すぐ上に住む隣人です」
せっかく『大統領の陰謀』を引用したのに逆に自分たちが聞かれたくないことをズバリと問いただされてしまったわけですが、まさに本作最大にして唯一と言っていい“謎”。マイケルとアンディーはどういう関係なのか?
実際、二人は本当に隣人同士。しかし、隣人にしては仲が良い。いや、仲が良いというか、親密すぎるくらいです。二人は一緒にいられる時間があれば外でも家でも常に同じ空間にいます。外では「パドルトン」という、ドライブインシアターの壁にサーブしたボールをぶつけてバウンドさせてドラム缶にインさせる、自分たちが考案した小学生レベルの遊びに興じる二人。家ではお気に入りのカンフー映画をまったり鑑賞し、名シーンでは息の合ったポーズでテンションを分かち合う二人。
でも二人のバックグラウンドは全く観客には見えてきません。仕事の同僚でもないし、幼馴染でもない、もちろん親戚でもない。何をどうしてここまで意気投合するにいたったのかも不明。そもそも二人には相手以外に友人が他にいる気配もない。二人とも独身のようで恋人もなし。作中の滞在先ではゲイだと勘違いされますが、それもよく思われているパターンのようで、キッパリ否定。現に恋愛や性的な関係性は皆無。でも親友にしては相手を知らなさすぎな部分も。実は当人も相手の過去をよく知らないことが終盤にわかります。
じゃあ、なんなのかと言われると…隣人?
本作はジャンルで言えば「ブロマンス」です。男同士の恋愛ではないプラトニックな関係性を描くアレ。でも何と言えばいいのか、本作のこの二人はそういうカテゴリに当てはめるのも違う気がしてきます。
形容する言葉を見つけ出す必要もない。マイケルとアンディー。ただそれだけ。
そんな隣にいる二人の物語です。
オッサン二人を眺める観客
『パドルトン』はほぼ100%、この二人の掛け合いで成り立っている映画ですが、マイケルとアンディーの飾り気のない無添加なキャラクター性がとてもナチュラルで好感が持てます。とはいってもこの二人は人に好かれるタイプではないのでしょうけど、少なくとも作中ではそこが良さ。いかにもドラマ性を作るための人工物な感じはしません。
マイケルとアンディーを演じた“マーク・デュプラス”と“レイ・ロマーノ”も見事な好演でした。
“マーク・デュプラス”は“アレックス・レーマン”監督とは『ブルージェイ』でもタッグを組んでいましたが、今作も監督と一緒に脚本にも参加。また、彼の会社である「Duplass Brothers Productions」が本作のプロダクションでもあります。この会社、インディペンデント系の映画をいくつか手がけており、『タンジェリン』や『不都合な自由』など自然体な掛け合いを軸とした人間模様を描く作品が目立ちます。こういうのが好きな人はマークしておきたい会社ですね。
一方の“レイ・ロマーノ”は最近だと『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』でヒロインの父親役で出演していました。
“レイ・ロマーノ”はもともとコメディアンなので、やはり本作でも間を上手く使ったユーモアの見せ方が光っていました。
そんな二人のやりとりは、まあ、語りようもないほど普通。ダチョウ牧場に二人が立ち寄るシーンがあって、「ダチョウを眺めるオッサン二人」という誰得な絵面が拝見できますが、実際は「オッサン二人を眺めるダチョウ」です。そう、観客はダチョウみたいなものです。
なんだこの、オッサン…そんな怪訝な表情で見つめるのも正しい鑑賞スタイルのひとつかもしれません。
あなたの想像以上に楽しい人生
しかし、マイケルとアンディーというオッサン二人の日常は、本当に唐突に幕を閉じるカウントダウンが始まってしまいます。
余命宣告を受けたマイケルは自分で人生を終わらせたいと、安楽死を決断。そのための薬は少し離れた街にしか売っていないので、アンディーと一緒に車で買いに行って、最期を見届けてほしいと頼み込みます。
アンディーは気持ちでは反対するものの、自分ではどうしようもなく渋々同行。なんかここでも良いところを見せようとしますが、ことごとく失敗。決して安くない薬代を出そうとクレジットカードを差し出すも使えず。宿代も払えず。
全然ダメな自分に自暴自棄になったのか、土壇場でマイケルの死を認められなくなったのか、ピンクの子ども用金庫を買い、それに安楽死の薬を入れて、謎の抵抗をし出すアンディー。呆れ顔のマイケル。この後の二人の、観ている側にしてみれば見苦しい光景にも見える、戦術も知恵もない“駆け引き”。でもそれは二人の関係性が確かに反映されたものでした。
滞在先のモーテルでプールに入っていると女性に迫られて何もできずに退散したアンディーの気まずい夜の後、マイケルの隣のベッドに寝ようとしたアンディーが「おやすみ」と言って消そうと思って電気を何回もつけてしまう、なんともマヌケなくだりがありますが、このキレの悪さが二人の特徴ですよね。
「親友だから。いや、通気口から練習しているの100回聞いたよ」
「君がアパートに来た時、変な人だと思って入居してほしくなかった」
「あの世で君に連絡できたら、してほしい?」
「やめろ。でも今後変なことがあったら君の仕業にする」
なんだかんだありつつも、“その時”が来てしまった二人。マイケルは結婚していたことがあるという過去を吐露し、でも「ここが僕の居場所だ」と告白。大切な人に看取られてその居場所からひとり旅立っていったのでした。
ひとりになったアンディー。けれど彼はきっと振り出しに戻ったのではなく、誰かの居場所になったという事実が残っているはず。マイケルの部屋には別の人が引っ越してきます。それは家族のようで、男の子にたどたどしくパドルトンの話をしてみるアンディー。
答えはない、でも人生は楽しい何かを見つけられる。そんなささやかな生きがいを見せてくれる映画でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 90%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Duplass Brothers Productions
以上、『パドルトン』の感想でした。
Paddleton (2019) [Japanese Review] 『パドルトン』考察・評価レビュー