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『インスペクション ここで生きる』感想(ネタバレ)…ゲイは軍国主義に埋没する

インスペクション ここで生きる

ゲイは軍国主義に埋没する…映画『インスペクション ここで生きる』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Inspection
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年8月4日
監督:エレガンス・ブラットン
LGBTQ差別描写 人種差別描写

インスペクション ここで生きる

いんすぺくしょん ここでいきる
インスペクション ここで生きる

『インスペクション ここで生きる』物語 簡単紹介

イラク戦争が長期化していた2000年代初めのアメリカ。エリス・フレンチはゲイゆえに母に見捨てられ、16歳から10年間にわたって孤独にホームレスとして生きてきた。自身の存在意義を求めて海兵隊に志願入隊したものの、教官から強烈なしごきを受け、さらに同性愛者であることが周囲に知れ渡ると激しい差別に晒されてしまう。何度も心が折れそうになりながらも、暴力と憎悪に毅然と立ち向かうが…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『インスペクション ここで生きる』の感想です。

『インスペクション ここで生きる』感想(ネタバレなし)

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「Don’t Ask, Don’t Tell」の功罪

「Don’t Ask, Don’t Tell(尋ねるな、言うな)」

そんな言葉をぶつけられたら凹みそうですが、これはLGBTQの差別に関する用語です。

どういう意味かというと、アメリカの軍隊では以前から同性愛者は兵士になれませんでした。同性愛者だとわかると除隊です。そんな現状は当事者から批判されていましたが、“ビル・クリントン”大統領は性的指向に関係なく全ての国民の兵役を認めるという公約を掲げ、議論を開始します。これは軍関係者の強烈な反発を招きつつ、妥協的に生まれたのが1993年に発行されたこの施策。

具体的には「軍志願者には性的指向について質問してはならない」ということ。

一見すると差別を防いでくれそうですが、これは実際は軍隊内でのタブー意識を温存し、当事者が受ける差別を黙殺するようなものでした

結局、この「Don’t Ask, Don’t Tell」(DADT)は2011年に廃止されるのですが、その間も除隊処分となった当事者は大勢いたことが判明しています。

こうして「Don’t Ask, Don’t Tell」はLGBTQ差別の象徴的な施策となったこともあり、2022年にフロリダ州が学校で性的指向や性同一性に言及することを禁じた州法を可決した際も、これは「Don’t Say Gay」と呼ばれて非難されたりしていました。

その「Don’t Ask, Don’t Tell」時代(もしくはその間際)の米軍を描いた映画はいくつかあります。例えば、『アーミー・エンジェル』(1995年)や『Soldier’s Girl』(2003年)などです。

今回紹介する映画は「Don’t Ask, Don’t Tell」時代の米軍を経験した人が作った真新しい作品となります。

それが本作『インスペクション ここで生きる』です。

本作はゲイであるために親に見放されてホームレスになった青年が軍への入隊を目指す中で、苛烈な同性愛嫌悪を経験していく…という物語です。そして前述したとおり、この映画は監督の実体験を基にしています

その監督とは『インスペクション ここで生きる』で長編劇映画デビューを飾った“エレガンス・ブラットン”。2016年に『Walk for Me』というボール・カルチャーにおけるトランスジェンダーの人々を映した短編ドキュメンタリーを制作したことを皮切りに、2018年にはこれまたボール・カルチャーを題材にした『My House』というリアリティ・ドキュメンタリーシリーズを作り、2019年には有色人種のクィアの人たちの生活の実情に焦点をあてた短編ドキュメンタリー『Pier Kids』を手がけてきました。

“エレガンス・ブラットン”監督はこの『インスペクション ここで生きる』で華々しいキャリアのスタートを遂げ、インディペンデント系の映画賞でも高評価を獲得。今後のクィアなクリエイターとして最注目の人物と言えます。

主演するのは、ドラマ『ハリウッド』でも注目を浴びた“ジェレミー・ポープ”。本人もゲイ当事者です。

共演は、『スリープレス・ナイト』“ガブリエル・ユニオン”『オーヴァーロード』“ボキーム・ウッドバイン”『アーミー・オブ・ザ・デッド』“ラウル・カスティーヨ”『パティ・ケイク$』“マコール・ロンバルディ”など。さらにドラマ『アソーカ』で重要なキャラを演じて今後も話題となるであろう“エマン・エスファンディ”も出演しています。

『インスペクション ここで生きる』は軍隊モノと言っても、派手なドンパチの戦闘はない、実戦が一切描かれない作品ですが、ひとりの人間の葛藤に向き合った一作です。

なお、苛烈な同性愛差別描写は作中で何度も描かれるので、その点は留意してください。

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『インスペクション ここで生きる』を観る前のQ&A

✔『インスペクション ここで生きる』の見どころ
★淡々と描かれる葛藤と苦悩。
✔『インスペクション ここで生きる』の欠点
☆オチも含めて現実社会との齟齬は目立つ。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:じっくり見つめて
友人 3.5:楽しい気分ではない
恋人 3.5:やや辛い内容だけど
キッズ 3.0:差別描写が多め
↓ここからネタバレが含まれます↓

『インスペクション ここで生きる』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):ホームレスから軍へ

2000代初めのアメリカ。エリス・フレンチは16歳から10年間にわたってホームレスとして生きてきました。今は施設でなんとか雨風をしのいで暮らしていけています。

そんなフレンチは施設を朝早くからでることにします。電車に乗り、辿り着いたのは、とある家。静かにドアをノック。

ドアを開けたのは母親です。しかし、母はドアチェーンをしたままで、花束を渡すも表情は険しいです。フレンチはこの母に捨てられてホームレスになったのでした。

それでも今回やって来たのは、海兵隊に入るために出生証明書をもらいに戻ったからです。その目的を打ち明けると、しばらくしてドアを開けて中に入れてくれます。

ごちゃごちゃした室内は宗教関係のもので溢れており、フレンチのことを汚らわしいもののように扱ってきます。母がフレンチを捨てたのはフレンチが同性愛者だからでした。母は今も信仰深く、敬虔なクリスチャンとして同性愛を嫌悪していました。

母は奥から取り出した出生証明書を渡して、フレンチを追い出します。母にとってはこの息子と自分を結び付ける出生証明書すらも憎んでいるようでした。フレンチからキスするように近づき、もちろん何の愛情も返されないまま、フレンチはそっと立ち去ります。

こうして準備は整ったので、意を決して施設からでていきます。

海兵隊の訓練施設に向かうバスでは、他にも入隊希望者が乗っています。

罵声を浴びながら駆け足でバスから降ろされ、海兵隊に入るためにブートキャンプと呼ばれる新兵訓練所に到着。みんな直立し、軍隊の洗礼を受けることになります。

教官は「共産主義者か?」「重犯罪を犯したことはあるか?」「同性愛者(ホモセクシュアル)か?」と立て続けにひとりずつ罵倒し、威嚇してきます。目の前でひとりひとり問いただされ、少しでも気に入らないと思われればその場で腕立て伏せです。大声で怒鳴って返事するしかできません。

フレンチも聞かれますが大声で「いいえ!」と返答します。

それぞれが貴重な電話の機会を与えられ、その後は持ち物の没収管理。髪を剃り上げられ、厳しいトレーニングが有無を言わせず開始です。

粗末な二段ベッドが並んだ部屋での共同生活は、まるでホームレス時代の施設と変わらないので、フレンチは適応してみせます。

身体能力ではかなり自信をみせるフレンチは体力をがむしゃらに発揮し、なんとかこの世界で実力を証明しようと躍起になっていました。

ところが、ある日のこと。集団で利用するシャワー室でフレンチはうっかり勃起しているところを仲間に見られ、自分がゲイであるという疑惑を直球で向けられることになってしまいます。

追い出されはしないですが、3人に囲まれ暴力を受けるハメになるフレンチ。

以降はフレンチはこのキャンプでは孤立します。あからさまに嫌われ、何をするにしても嫌がらせのターゲットにされてしまいます。

それでもフレンチは挫けることなく、この過酷な訓練にも耐えていきますが…。

この『インスペクション ここで生きる』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2023/12/01に更新されています。
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存在しない息子、存在しないゲイ

ここから『インスペクション ここで生きる』のネタバレありの感想本文です。

『インスペクション ここで生きる』の主人公フレンチは、同性愛の存在を微塵も認めない宗教家庭で生まれたこともあり、あの家庭自体が「Don’t Ask, Don’t Tell」の空気で縛られた世界でした。

そこからフレンチは軍隊へと引っ越しするわけですが、ふっちゃけてしまえば、フレンチにとっては家庭も軍隊も同じです。同性愛者を存在否定し、いないものとして扱ってくる圧力で充満しており、当事者にしてみれば通常のトレーニングの過酷さにプラスして二重で苦しいです。

ただ、ひとつ違う点があるとすれば、それはこの軍隊のルールでは、実力さえ証明すれば認めてくれるという、強固なホモソーシャルな規律がさらに上にあるということです。

そこに一点の望みをかけてフレンチは突き進むことになります。

『フルメタル・ジャケット』のような厳しい訓練の中、己の限界を試されていくフレンチ。これはある種の自分へのサディズムな映画と言えるかもしれません。

また、作中でも示唆されますが、フレンチのように隠れゲイである人はたぶんあの軍隊には結構たくさんいるはずです。実際、今の米軍も、トランスジェンダーの人々にとっての最大の雇用の場になっています。これはなぜかと言うと、クィアな人たちは一般的に生活が苦しいことが多く、ゆえに軍隊に志願する傾向がアメリカでは強いからなんですね。つまり、軍隊というのはセクシュアル・マイノリティが比較的多いコミュニティなのです。

それを教官レベルの人間なら薄々勘づいているでしょう。そう考えると、軍隊におけるホモフォビアというのはものすごく自己矛盾しており、この映画はそういう歪さも映し出しています。

加えて本作ではイスマエルという別の入隊希望者も描かれており、彼はイスラム教徒ゆえに敵視されてイジメられるのですけど、彼だって実際に軍隊に入れば相当に有能なはずです。ムスリムであることだって実際にムスリムが主流の戦地に向かう以上は有利でしょう。にもかかわらず排除意識が働くという現実。

軍隊というのは、常にこういった表面上の建前(いかにも愛国主義に好かれそうな看板)と内面の実情(愛国主義者の理想とは真逆の中身)を同時に抱え込んで存在しているのだということがよくわかります。

『インスペクション ここで生きる』のラストは、母と仲直りできたのかと思いきや、実は母は同性愛が矯正されたと思い込んでいるだけで、そうじゃないと知ると即座に嫌悪を向けてきます。しかし、軍隊の仲間がフレンチの味方につき、母は渋々追い出されていく…というオチです。

この結末は「Don’t Ask, Don’t Tell」の軍隊規律が逆転してフレンチの有利に働くという皮肉なものにも見えます。これをもってこの映画は「Don’t Ask, Don’t Tell」を肯定していると解釈する人もいるでしょうが、一方で作中で教官が「私の仕事はモンスターを作ること」と言っており、それを踏まえればフレンチは「モンスター」の仲間になっただけで、これ自体を映画は健全であると受け止めていないとも言えます。

ともあれ「Don’t Ask, Don’t Tell」が生じさせる力場の功罪を非常に捻って表現している映画だなと思いました。

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現実社会の時事問題と重ねると…

とまあ、ここで『インスペクション ここで生きる』の感想を終わりにしてもいいのですけど、この映画が2023年に日本で劇場公開されたことで、ある現実の時事問題と強く接着してしまい、本作の評価をモヤっとさせる感じにもなったなということも書いておこうと思います。

それはイスラエルによるガザ攻撃です。

2023年10月、イスラエルはパレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスとの戦闘を激化させ、民間人に多大な犠牲が生じています。イスラエルによる空爆と封鎖が続くガザ地区では人道危機が深刻で、11月後半になってやっと戦闘休止が承認されましたがBBC、依然として危険に変わりはありません。

これと『インスペクション ここで生きる』にどう関係があるのかと言うと、イスラエルは前からLGBTQに対してフレンドリーな姿勢をみせており、軍隊でもたくさんのセクシュアル・マイノリティを受け入れ、それを好意的にアピールしてきました

しかし、そのLGBTQフレンドリーな姿勢は、イスラエル軍が現実で行っている非人道的な大量虐殺の実態をうやむやにさせているとも批判されており、これは「ピンクウォッシング」と呼ばれていますXtra Magazine

『インスペクション ここで生きる』も結末としては「LGBTQを受け入れる軍」の強さを誇示する展開になっており、そういう意味ではとても典型的なイスラエル寄りな着地とも言えます。

一応言っておきますけど、現在、イスラエルによるガザ攻撃の非人道性が露呈しまくっている中、世界中の多くのLGBTQコミュニティにおいて、イスラエルのピンクウォッシングを非難する声がまた日に日に増していますTruthout

Truthout」にて、大学に進学する余裕がなく軍隊に16年間所属したトランスジェンダーの退役軍人の”サラ・ジェーン・マーヘル”氏はこう語っています。

「私は軍産複合体を人々の抑圧と経済的奴隷化のシステムとして見るようになりました。まったく特権を持たない社会経済的背景を持つ人々を利用するものです」

当初は軍隊に属することにそんなに考えが及んでいなかったものの、除隊後に見つめ直し、軍国主義の問題点に気づき、今は反戦団体に参加しているとのことです。

おそらく今後はクィアと軍隊を描くうえでも、こうしたピンクウォッシングに利用されてしまった当事者の苦悩などがテーマになっていくことも増えるのではないかと思います。それは当然と言えば当然の流れであり、何と言ってもセクシュアル・マイノリティというのは常に権力によって虐げられてきた存在です。自分が権力側になることで救われる…なんてものは、救われたのではなく、現実としては取り込まれただけです。

反警察・反軍国主義はセクシュアル・マイノリティの権利運動における欠かせないトピックとなるのは不可避で、そうやって考えるとこの『インスペクション ここで生きる』が今後の時代変化と共にどう評価を更新していくのか、そしてクィアと軍隊を描く新しい映画はどんな内容になるのか…それらが気になるところです。

『インスペクション ここで生きる』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 91%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0

作品ポスター・画像 (C)2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

以上、『インスペクション ここで生きる』の感想でした。

The Inspection (2022) [Japanese Review] 『インスペクション ここで生きる』考察・評価レビュー