そこまで言わなくてもいいけど…「Apple TV+」ドラマシリーズ『ザ・スタジオ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
シーズン1:2025年にApple TV+で配信
原案:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ ほか
性描写
ざすたじお
『ザ・スタジオ』物語 簡単紹介
『ザ・スタジオ』感想(ネタバレなし)
あなたの観たくないハリウッド
私は映画は好きですが、映画業界で働いたことはありません。まあ、こうやって映画の感想の文章を書いているのも労働の一種だと言われるとそれまでですが、少なくとも制作の現場で働いた経験はないです。
その点においては利害関係はないです。映画好きの人の中には映画作品自体の好き好みの話題に終始し、映画産業に批判の眼差しを向けようとはしない人もいますが、私はなるべく「産業」であることを忘れずにしておきたいと思っています。安易に理想化しないためにも…。
というか私は映画は好きだけど、映画産業はそんなに好きじゃない…むしろ嫌いなところのほうが多いくらいですし…。
そんな中、このドラマシリーズは、ハリウッドの映画産業を徹頭徹尾で批判…いや、笑い者にしまくり、その笑いが観てる映画ファンにまでグサグサ刺さる痛々しいほどの自虐の満ちている…痛快な作品でした。
それが本作『ザ・スタジオ』。
本作はハリウッドの架空の映画スタジオ大企業を舞台にした業界裏側モノのコメディです。最近だと『ザ・フランチャイズ』という似たようなドラマシリーズがありましたが、あちらはアメコミ系の大手スタジオの下でスーパーヒーロー映画が撮影されている現場の人間模様を描いたもので、主な舞台は助監督が必死にまとめる撮影現場の群像劇でした。

対するこの『ザ・スタジオ』は、スタジオの重役であるプロデューサー/エグゼクティブプロデューサー級の人物が主役であり、撮影現場もエピソードによって描かれますが、ひとつの作品に絞らず、企画、広報、授賞式などなど、仕事内容も多彩で、よりスケールが広く、あちこちの舞台がみられます。
この本作『ザ・スタジオ』のショーランナー兼監督&脚本が、“セス・ローゲン”と“エヴァン・ゴールドバーグ”のおなじみの名コンビ。最近だと製作総指揮を務めたドラマ『ザ・ボーイズ』でも映画業界を過激に皮肉ったエピソードを披露していましたが、この『ザ・スタジオ』も手加減なしです。
“セス・ローゲン”&“エヴァン・ゴールドバーグ”らしい、あまりにもくだらないコメディセンスで全部突っ走っているのですが、ほとんど長回しを多用しているのもあって、息つく暇もない慌ただしさ。エピソードも1話あたり約30分程度なので観やすいです。
さらにここがとんでもないところで、なんと毎回とてつもない豪華なゲストが登場します。それも映画業界の著名人が本人役で出演し、「え? そんな設定の役で、そんなこと言っていいの!?」と観てるこっちがハラハラするギリギリの笑いを体を張って提供してくれます。このゲスト陣を揃えただけでも、「“セス・ローゲン”&“エヴァン・ゴールドバーグ”、頑張りすぎだろ…」って思いますが…。
それゆえにややハイコンテクストというか、業界内輪ネタが盛りだくさんなので、それがわかるある程度の映画通じゃないと、本作のユーモアが届かないかもしれないです。「この人、誰? 何の話してるの?」となってしまうと笑いから置いていかれます。
『ザ・スタジオ』のひたすら醜態を晒す主人公は“セス・ローゲン”が責任をもって演じていますが、共演は、『モキシー 私たちのムーブメント』の“アイク・バリンホルツ”、ドラマ『アガサ・オール・アロング』の“キャスリン・ハーン”、『ビートルジュース ビートルジュース』の“キャサリン・オハラ”、『ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』の“チェイス・スイ・ワンダーズ”、『ARGYLLE/アーガイル』の“ブライアン・クランストン”など。みんな各自で体を張っています。
『ザ・スタジオ』は「Apple TV+」での独占配信で、この「Apple」が手がけているというのが、一応の「ハリウッドの外からの目線」として機能しているので本作にはちょうどいいのかもしれませんね。
『ザ・スタジオ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 性行為の描写があります。大人向けのギャグが中心です。 |
『ザ・スタジオ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
雪降る森の小屋で撃たれて絶命する男…そして「カット!」の声とともにピーター・バーグ監督は主演のポール・ダノに「良かった」と近づいていきます。その後ろでコンチネンタル・スタジオの重役であるマット・レミックはおもむろに立っており、傍によって監督と俳優の間に入ろうとします。しかし自分のアイディアを提案するタイミングは無いです。
そのままスタジオに戻ると、友人であり同僚でもあるサル・サパースティンが話しかけてきます。なんでも専属契約の10作品が大コケしてかなり追い詰められており、CEOのパティ・リーが解雇されたというのです。もしかしたら22年ここに努めた自分が後任になるかもしれないとそわそわするマット。『MKウルトラ』シリーズをヒットさせた実績はあるし、次は自分が昇進できるのでは…。
狙いどおりマットは新CEOのグリフィン・ミルに呼ばれます。緊張して彼のもとへ足を運ぶと、単刀直入にマットに新しい重役の座をオファー。ただし、アート性を追い求めず収益性が見込めるIP娯楽を作れと命じられます。しかも、「クールエイド」の映画化権を獲得できると打ち明けられ、「ワーナーは『バービー』で10億ドル稼いだし、その2倍は稼げるよな」と軽々しく期待されます。マットはその場では全肯定するしかありません。
その後、マットはクインら部下を集めた会議でクールエイド映画の企画を発表。マーケティング部長のマヤ・メイソンとタイラーは絶賛し、マットはグレダ・ガーウィグみたいな一流監督を探すことをアシスタントのペトラに指示します。
すぐにハリウッドのエージェントのミッチ・ワイツと食事しますが、「ウェス・アンダーソンやギレルモ・デル・トロのような監督とかできないか?」と頼むも「そんなこと提案できるわけないだろ」と一蹴され、コメディ畑のニック・ストーラーがせいぜいだと言われます。
そのニック・ストーラー案を前提に企画は進みますが、内心では芸術作を撮りたいマットは自分の代表1作目がこれなのはテンション上がらず、モヤモヤしていました。
そんなとき、マーティン・スコセッシと会う機会があり、スコセッシは「ジョーンズタウンの虐殺」についての映画を作りたいと構想を語ります。スタジオ側は2億ドルという巨額の製作費ゆえに躊躇していました。
しかし、マットはその事件がクールエイドとわずかながら関連があることを思い出し、その場のノリでスコセッシの企画にゴーサインをだし、タイトルを「クールエイド」にすることだけお願いします。そして脚本を1000万ドルで勢いで買うのでした。
一石二鳥だとマットは大興奮。ところが部下たちの反応は渋いものでした。マヤはヒットさせられないと怒り、ジム・ジョーンズ役はスティーブ・ブシェミだと知ってさらに顔は曇ります。このまま企画を実現したら大赤字でスタジオは終わるかもしれないと脅され…。
でもスコセッシにはなんて説明すればいいのだろう…。
映画オタクかつ業界人って邪魔…?

ここから『ザ・スタジオ』のネタバレありの感想本文です。
ドラマ『ザ・スタジオ』の最も良いところは、覚悟を持って自虐に挑んでいる部分だと思います。自分たちはあまり快く思っていない(参加もしてない)ジャンル…それこそスーパーヒーローものとか、そういうのを他者化して冷笑するのではなく、完全に身内である自身の業界の立ち位置を全力で風刺しているのが本作です。なので観ていると「これ、本作のせいで実際の仕事の評判に差し支えがでないのかな?」と心配になるほどです。
それに本作で主に風刺されるのは、プロデューサー/エグゼクティブプロデューサー級の職の人、つまりスタジオのトップであり、ちゃんとこの業界の根源的な対象に怯むことなく焦点をあてています。
そのうえ、主人公のマットの映画産業に対するこじらせた考え方がまたいい味をだしてます。要するに、彼は映画界での成功として「商業的大ヒット」も「芸術の創出」もどちらも欲しいんですね。でも二兎を追う者は一兎をも得ずということわざのとおり、板挟みになってどんどん醜態が悪化していく…。
でもああいう価値観って多かれ少なかれ映画ファンは抱いている自惚れさだとも思うのです。「俺だったら流行に迎合しないアート作家映画企画を成功させられる(なんだったら大ヒットだって作れるし!)」と自負するシネフィルとか、ありふれているじゃないですか。私もそんな部分がないとは言えない…。
だから本作のマットは観ていると恥ずかしいくらいに痛々しいです。嫌な奴として擁護不可に描かれています。そこが面白いところで、共感も誘うところ。
第1話の「マーティン・スコセッシを葬るという良心の呵責に耐えられるか?」というなんともアホらしく切ない葛藤は、私だったら一生のトラウマになりそうですけど、こんなことを何度も体験していくことでどんな映画オタクも業界人に染まってしまう…。映画が誰よりも熱意たっぷりに好きなのに、映画クリエイターに対してこんな尊厳を傷つける酷いことをしないといけないなんてね…。
オタクと業界人の狭間にいるマットの内面性が直球でバカにされるのが第6話で、あの娯楽業界を下に見てくる医者たちの仕草は本当に虫唾が走りますけど、「劇場映画はもう芸術じゃないでしょ」という指摘は的を射ているからこそ、マットも「ぐぬぬ…」と何も言い返せなくなってしまう…。現在における映画業界人のこじらせっぷりが、恋愛というこれまた人間の素の劣等感が染み出やすい題材と重ねることで、意地悪に表現されていました。
そして極めつけは、第8話のゴールデングローブ賞授賞式の回。マットは自社作品でノミネートを果たした監督のゾーイ・クラヴィッツが受賞したらスピーチで自分の名前をだして感謝の言葉を述べてくれることを期待しすぎるあまり、本当に情けない姿を露呈していく…。アーロン・ソーキンまで場の笑いの流れに乗っかっていくしょうもない煽りとか爆笑ものですけど、まさかのNetflix最高経営責任者のテッド・サランドスまでゲスト出演して、あんな身も蓋もない発言をさせるとは…。
自分も一端のアーティストのつもりだけど、おカネ絡みの会計係としか思われていないのか? 胡散臭いカネ食いのトップだとしかみなされていないのか? 映画、めっちゃ好きなのに…! そんな心情のマットがどうも間抜けで目が離せません。
ムービー! ムービー!
ドラマ『ザ・スタジオ』は業界全体の風刺としてもなかなか手広く、それでいて各エピソードで気の利いた演出まで入れ込んでいたりして、本気でふざけまくっているけど、本作自体の作りは真面目に取り組んでいる…そのギャップも良い塩梅でした。
第2話では、マットとサルという2人の男が、サラ・ポーリー(『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の監督です)がグレタ・リー主演のレズビアン・ロマンティックドラマを監督している家を訪れ、マジックアワー中の長回し撮影の現場にお邪魔します。この回は、男社会でこれでも生き抜いている女性たちのせっかく仕事の場を男性プロデューサーがお節介で邪魔する…「女性を応援したいなら男どもはよそに行け!」というシンプルかつ痛快な皮肉エピソードで最高でした。ちゃんとこのエピソード自体が長回しで、ブックエンド方式にもなっているのが、妙に腹立つ…。
女性だけでなく、第5話に描かれるように、パーカー・フィンやオーウェン・クラインみたいな若手監督もスタジオの大人たちの駆け引きにしょっちゅう振り回されてるんだろうな、とか。
第3話のロン・ハワード監督のアンソニー・マッキー主演の新作映画に対して、ファイナル・カット版の社内試写を観たうえで、最後の45分が正直つまらないのでカットできないかと提案したいけど言えない!…という、このドタバタ劇も愉快ですよ。みんな巨匠を前にすると口は閉じるものです。
第4話の『チャイナタウン』風味の探偵モノで展開されるオリヴィア・ワイルド監督新作のフィルム紛失事件は、別方面での製作者の意地がこぼれてもいました。
また、第7話のクールエイド映画での黒人キャスティング大騒動。白人たちがこぞって人種的配慮を考えれば考えるほどに空回りし、むしろ余計にステレオタイプになっている気がする製作モラルパニック状態。クールエイドマン役の声にアイス・キューブを起用している時点でもうあれなんですが、AIのオチといい、表面ばかり気にするのでなく本質を考えろというのは重要な教訓です。実際、日本の映画配給会社もこんなレベルの「配慮してるし!」の豪語で社内議論してそうだもんな…。
第10話のシネマコンでの「ムービー! ムービー!」の意味不明大合唱は、「ハリウッドなんてこんなテキトーな狂乱で今までたいていはやってきましたよ!」という開き直りをそのまんま体現しているかのようで、私は好きな幕引きです。
ハリウッド、それは芸術と商業とアホでできている…おかしな夢の世界…。
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以上、『ザ・スタジオ』の感想でした。
The Studio (2025) [Japanese Review] 『ザ・スタジオ』考察・評価レビュー
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