アメリカの息子
Netflix映画『アメリカの息子』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:American Son
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:ケニー・レオン

アメリカの息子

あらすじ

18歳になった息子が行方不明になり、フロリダの警察で顔を合わせた別居中の白人夫と黒人妻。情報は乏しく、わかることはほとんどない。息子の身を案じる2人の前で、ただ緊迫した時間だけが過ぎていく。暗く静かな部屋に漂っているのは、アメリカという巨大な社会が抱える人種という誤魔化せない壁の存在だった。

『アメリカの息子』感想(ネタバレなし)

あなたの認識が試される

私は海外の映画を飽きることなく山ほど観ていますが、するとその海外独自の社会問題を知ることになります。定番で言えば、人種問題や歴史問題でしょうか。その社会的テーマをスルーして鑑賞することもできますが、作品を理解したければその知識が求められてくるのは不可避です。映画を観ることでその社会問題の存在を自覚し、知見を得られるのは貴重な経験だと思っています。私自身、人に映画をオススメするとき、そういう“学び”のために紹介することもよくあります。

もちろん私は社会学者でも民族学者でもないので、専門的なことはわかりませんし、実際に居住しているネイティブに肩を並べるようなことは到底無理な話です。だから「映画を観た」程度で“わかった気になる”のは危ういことだというのも留意しつつ、自分の心に釘を刺しているつもりです。

それでもやっぱり認識の齟齬が生じるものです。例えば、日本人ならどんなに非日本人の心に寄り添ったつもりでも、その“寄り添ったつもり”が逆に相手を傷つけていたり…。よくありますよね。とある温泉施設がタトゥーを隠せるシールを作って、海外の人でも気軽に温泉に入れる打開策を作ったと自信満々でいる中、そのシールの“肌色”は人種的多様性を全く考慮していない“日本人の考える肌色”だった…とか。

ジェンダーの観点でもこのズレは起こります。男性がよく「私は女性差別は良くないと思っているし、フェミニズムにも賛同する」と体裁のいいことを言いつつ、やっぱり自分のしている性差別には無自覚だったりとか。

「付和雷同」という四字熟語があり、「自分にしっかりとした固定の考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること」を意味します。こんなふうに“問題を理解していない奴”になりたくないから、なんとなくな“わかっている感”を醸し出してしまうのは、立場の異なる同士の人間関係ではありがち。私も自分でも気づかずやってしまっています。

前置きが長くなりましたが、本作『アメリカの息子』はまさにその“ズレ”がテーマになった映画です。

映画です…と紹介しましたが、ちょっと普通の一般的な映画の感覚とは違う作品なので注意が必要です。なぜなら実は原作というか、基になっているのが「ブロードウェイ」なんですね。

演劇自体を映画化することは別に珍しくもなんともないのですけど、問題なのはその内容。本作は、極めて限られたステージと登場人物だけで構成される、ディベートを喚起させるような会話合戦が主軸なのです。こういうコントロバーシャルなメッセージ性を訴えることに特化して、役者の演技力一発で成り立たせる演劇スタイルはよくありますけど、それを映像作品化したのが『アメリカの息子』。映像作品化といっても、中身は同じであり、映画的なダイナミックなカメラワークもなく、ほぼ舞台はひとつの部屋に限定され、登場人物も4人程度。とにかくミニマムな作品です。

決してミステリーでも、クライムサスペンスでもないので、勘違いしないようにしてください。

これだったら元のブロードウェイを映像としてそのまま配信にするのでもいいのではないかと思うのですが、少なくともNetflixと作り手はそうは考えなかったようです。“クリストファー・デモ・ブラウン”という元のブロードウェイの原作者も脚本に関わっており、監督の“ケニー・レオン”も共通。“ケニー・レオン”監督はアフリカ系アメリカ人で、ブロードウェイでのキャリアでは非常に有名な人物です。たぶん「世界中の人がブロードウェイの物語を映像で見れるように提供できないかな」と考えた結果のコラボレーションなのでしょう。Netflixもオリジナル作品として配信していますが「A NETFLIX TELEVISON EVENT」と明記されているので、たぶん「映画」の枠には入れていないのかも(こういうカテゴライズしにくい作品形態をポンっと作れてしまうのもNetflixの強みですが)。

そして『アメリカの息子』はアメリカの人種問題、とくに白人による黒人差別が主題となっており、ひたすら約90分、そのことが休みなしで会話劇として突きつけられます。そのため、私たち日本人は非常に難易度の高い作品になっていることは否定できません。間違いなくある程度の人種問題に関するリテラシー(例を挙げるなら白人警官による黒人への発砲事件とか)は必須知識となってくるので、それがわからないと作中の登場人物がなぜ口論しているのかもわからないでしょう。ちんぷんかんぷんです。しかも、ここに翻訳の難しさという別の難問も生じますし…(実際かなり苦肉の策で和訳している部分も)。

という諸々の理由で安易にオススメしづらい映画ではあるのですが、アメリカの人種問題に興味がある人は一見の価値ありです。ブロードウェイ版は観に行くのは大変ですが、動画配信サービスならどこでもすぐに再生できますしね。人種問題に関する他のドキュメンタリーや映画、書籍などを見て、知の蓄積をする一環として『アメリカの息子』も素材にはなると思います。

オススメ度のチェック
ひとり◯(事前の知見は要求される)
友人◯(題材に興味があれば)
恋人△(恋愛気分は盛り上がらない)
キッズ△(極めて大人向けドラマ)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『アメリカの息子』感想(ネタバレあり)

息子に何が起こったの?

『アメリカの息子』はある夜の警察署の待合室だけで物語が進行します。

窓の外は激しい雷雨。あまり電気もついていないような暗い部屋で黒人の女性が心配そうに落ち着きがなくオロオロしています。時計を見ており、何か時間が気になる様子。

すると息子のジャマールにスマホで電話をかけます。「返信くらいして」「またママよ」「怒るつもりはなかったの」「電話して」…何度もかけるが向こうからの応答はありません。次にジャマールの友人と思われるジェフリーに電話。「ジャマールを探しているの。もし一緒にいたら電話して」そうメッセージを残すも、こちらからも返事はありません。時間は深夜すぎ。この時間帯に電話に出る人はあまりいそうにありません。

そこへコーヒー&ドーナッツ片手の警官男性がひとり現れます。女性とは対照的に全く焦りもせず、通常業務なこの白人警官は「あなたの言っていた車がシステム上にありました」と気軽に告げます。不安でいっぱいの女性はそんな警官に露骨に不快感を示しつつ、家に車が無いから息子が乗ったと思うと推論を述べ、普通は深夜には帰ってくるはずだと切迫している自分の心情を吐露。しかし、パニックになる女性を抑えるように、警官は「帰ってきます」と説得するように発言し、そんなに大事ではないと思っているようです。

「捜索願いは出せないんですか」と尋ねるも、息子の年齢は18歳と知った警官は「女の子と遊びに出かけているとかじゃないですか」と自分もそんな若い時代を過ごしたとお気楽に語ります。

それでも剣幕を激しくする一方の女性に折れたのか、警官は座って聞き取りを開始。ジャマール・コナーというその行方不明の少年に関するアレコレを聞きます。逮捕歴はない、通称は「6月の虫」という小さい頃のあだ名がある、身長188cm、体重80~85kg、メガネ、頭はコーンロー、目は緑、服装はジーンズかTシャツだったと思う、タトゥーもない、お腹に怪我がある…あくまで事務的な情報整理。そのあまりの無機質な態度に腹を立てた女性は、息子の情報をまくしたててます。

ここで「怒っていたりしましたか」と質問されますが「いいえ」と即答。警官は奥に引っ込みます。

女性に電話がきますが、電話に出ると急に声が失望のトーンに。相手はスコットという、女性の夫らしく、やや喧嘩口調で会話。こっちに向かっているようで、ラーキン巡査を呼んでと、先ほどの警官の名を説明します。

また例の警官がやってきて「事件はありましたが詳細は不明で、捜査が保留になっています」とデータベースで調べた情報を説明。わかるのはそれだけ。朝に来るというストークス警部補が知っていますの一点張り。

「奥さん、僕にも子どもはいます」とその女性、エリス・コナーに理解を示すもそれは逆上の引き金に。「黒人の子はいるの?」と言い返され、「いいえ。幼い娘が二人。白人です」と唇を噛みしめるように言うしかないそのラーキン巡査。「だったら共感しているふりはやめて。わかるはずはないのだから」と責められ、再び口論がヒートアップ。

すると「叫ぶな!」と大声で怒鳴る警官。身をすくませて恐怖するエリス…。

「親切にしようとしているだけです」「手順があるんですよ」と落ち着いて繰り返すラーキン巡査。口論は一旦そこで終わり。

「飲み物は?」と聞かれ、「水が飲みたい」と答えたエリスは、この警察署に水飲み場が2つあって建物が古いことを知ると「人種隔離ね」と事情を察知。一瞬の沈黙。奥の水飲み場へ行くエリス。

そこへスーツの白人男性が来て、警察っぽい見た目のその男を同業者と思ったラーキン巡査はエリスへの不満を口汚い言葉で半ば嘲笑しながらぶつけます。ところがその男こそ、誰であろう、エリスの夫、スコットでした。しかも、職業はFBIの捜査官。

こうして新たな登場人物を加えて、口論はさらに終わりが見えなくなっていき…。

一体、ジャマールの身に何があったのか…。

アメリカの息子

人種の違いは何をもたらすのか

『アメリカの息子』の登場人物は4人です。それぞれ全くバラバラの立場があります。

ひとりは、ケンドラ・エリス・コナー。息子のジャマールを常に心配し続ける黒人女性です。彼女は心理学の博士号を持っているらしく、職業的にも生活水準的にも裕福そうです。しかし、子ども時代は人種差別がすぐ身近にある街で過ごしてきており、それがケンドラをここまで焦らせる最大の理由でもあります。

続いて、そのケンドラ(ケニー)の夫であるスコット・コナー。白人男性で、FBIに勤めていることからもわかるように、かなりキャリア思考。それだけでなくパターナリズムな態度も強く、ジャマールを良質な私立学校に通わせるなど、息子への教育姿勢からもそれが見てとれます。妻とは関係性が悪化しており、どうやら白人女性の方に気がなびいているようです。

3人目は、ケンドラの対応をずっとしている警官のポール・ラーキン。白人の若めに見える男性。新米警官らしく、対応は基本的にはマニュアル準拠。最も地味で退屈な夜間の署内勤務なのも新米ゆえでしょうか。

最後に登場する4人目は、ジョン・ストークス警部補。年配の黒人男性で、警察としてもかなりのベテランであり、手慣れた対応をしてきます。彼は黒人街出身らしく、その年齢的にも最も人種差別が激しく対立した黒人解放闘争の時期を経験していると思われます。

この4人がそれぞれ相手を変えつつ「1対1」で激論していくのが基本の流れ。

ケンドラ対ラーキンでは、もっとも距離間の離れた存在同士なため、その溝は埋めようがないレベルで深いです。黒人女性と白人男性。人種も性別も違うゆえに、重なる部分はありません。どこまでも平行線のまま。

ケンドラ対スコットでは、こちらも黒人女性と白人男性でありながら、一応、結婚して子どもまで産んだ仲であり、最初は理解しあった瞬間があったことは窺えます。しかし、やはりその本質的な立場の異なりが行き違いを生み…。ジャマールのことを「J」と呼び続けるスコットに対して「息子はあなたを嫌っている。白人のハーフであることを恨んでいる」と最も聞きたくない言葉をぶつけ、涙をにじませるスコットが印象的です。

スコット対ラーキン。このペアはいたって平穏。男同士、白人同士、キャリアをベースにした上下関係を構築し、すぐに型にハマります。

一方、スコット対ストークス。こちらは同じ男でも人種が異なり、そのせいなのか、スコットは高圧的態度をとり、結果、暴行罪で連行されます。ストークスが白人男性だったらこうはならなかったのかもしれません。

そしてケンドラ対ストークス。同じ黒人同士、話が上手くいきそうに思えますが、男性として、さらには年配として辿ってきた歴史の違いから、ストークスが持つ人種的共存の考えは「私たちにはアメリカンドリームはない」「黙っていなさい」でした。

忘れてはならないのはジャマールの存在。彼は『桐島、部活やめるってよ』のストーリーテリングと同じ、登場はしないがキーパーソンになるキャラクター。そして最も人種的にも中間にあり、立場が揺らいでいるわけであり、彼のあの結末はただの死以上に意味深いものでしょう。

『アメリカの息子』の冒頭では「人種とは人種主義の子であり親ではない」という“タナハシ・コーツ”の言葉が示されます。この人物はアメリカの著名なアフリカ系の作家であり、あのジェームズ・ボールドウィンの後を埋める存在として高い評価を得ています。アメコミの「ブラックパンサー」の脚本も手がけていることでも有名です。

私たちにとって人種はアイデンティティなのか、それとも人生を縛る鎖なのか。この言葉と共に考えさせられる物語でした。

センシティブな作品を扱う責任と難しさ

『アメリカの息子』はそのテーマ性は崇高なものであり、社会的意義の深いものでもあるのは異論はないです。ただ、それが上手く機能しているかというと…微妙なのか。

もちろん私はブロードウェイを観ていないので、比較もできず、それならば感想を語るにはふさわしくないじゃないかとも内心は思うのですが、まあ、それはそうとして。

本作はアメリカ国内でも肯定的に受け止められていません。むしろネガティブなレビューの方が多いです。その理由は複数ありますが、やはりブロードウェイの映像作品化として上手くいっていないのではないかという指摘は大きいです。

いや、そもそもこんな映像作品化は必要だったのかという話もあります。映画にするなら映画としての魅力が必要ですし、ただちょっと映像化されても「だからなに?」という感情しか芽生えてきません。本来であれば非常にセンシティブな問題なのに、これでは思慮深い洞察どころか、ニュアンスさも陳腐になってしまった感じさえします。部屋の椅子など小物すら舞台版と同じですし…。

Netflixは『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』のような動画配信サービスならではのインタラクティブな面白さを提供する試みもやっているわけで、もっと『アメリカの息子』も挑戦できなかったのかと言わざるを得ないような…。これだったらブロードウェイからコンテンツをスニッフィングしたと言われても弁解できない…。

加えて致命的な問題はローカライズですよね。百歩譲って「ブロードウェイ作品を世界中に届けられたから意味がある!」と豪語しても、翻訳が機能しなければ伝わりません。

本作はこの翻訳の問題が各所にあります。例えばジャマールが乗っていた車のステッカーの件。そのステッカーには「Shoot cops with your camera phone whenever they make a bust」と書かれており、「Shoot cops」のところだけ強調されていました。つまり、「警察を撃て(shoot)」という意味に思わせておいて「警察を監視するべく撮影(shoot)しろ」という言葉を伝えるレトリックです。

これはまだマシです。中学高校レベルの英語能力でカバーできますから。

もっとややこしいのはスコットの言葉遣いをケンドラが指摘するシーンです。要するにスコットが黒人英語をうっかり使ってしまって、そのたびに言い直しているんですね(「alls」を「all」と言い直すとか)。ここでケンドラは白人による黒人文化の安易な乗っかりを批判しているわけです。でも和訳だと「ら抜き言葉」を怒っているということになっています。結果、なぜかケンドラが急に「ら抜き言葉」に怒りだす、意味不明な会話になってしまい…。

翻訳の難しさは重々承知ですが、これじゃあ、せっかくの本作のテーマも台無しで、世界中に醜態をさらしてしまうので逆効果です。本国でも評価が低いのに、これならば日本はもっと評価しづらいですし(というか不名誉な誤解の低評価を生む)、仮に評価しても“わかったつもり”になりかねない。まさに作中でケンドラが怒る理由そのものと同じ構造であり、これは本作の意図するところではない正反対ですよね。

やるならやるで、ローカライズの件も含めて相当に考えないと、この作品を手がける資格はNetflixにないと思います。例えば、外国での配信時は専門家による補助的な解説動画や副音声をつけるとか、そんなサポートもあっていいのではないでしょうか。動画配信サービスなら不可能では無いはずです。

動画配信サービスという新興メディアが“ズレ”を埋める橋渡しになる日が来ることを願って…。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 46% Audience --%
IMDb
5.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 3/10 ★★★

作品ポスター・画像 (C)Simpson Street