僕たちは希望という名の列車に乗った
映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Das schweigende Klassenzimmer(The Silent Revolution)
製作国:ドイツ(2018年)
日本公開日:2019年5月17日
監督:ラース・クラウメ

僕たちは希望という名の列車に乗った

あらすじ

1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、それは想像以上の物議を醸す。そして、若者たちは自分の未来の選択を迫られることになる。

『僕たちは希望という名の列車に乗った』感想(ネタバレなし)

ドイツの名作は静かに走りだす

皆さん、学校時代は誰しも経験あると思いますが、授業にガヤガヤと“おしゃべり”でうるさい状態だと当然怒られます。「静かにしなさい」と。場合によっては先生は直接的に注意せず、何もせずに授業をただ中断して子どもが空気を読んでシンとなるまで待つ…という無言の圧力をかけることもあります。それが上手い教育方法なのかは置いておいて、とにかく「静かにする」という行為は、学校で子どもがもっとも求められ、従わなければ怒られやすい要素なのは間違いありません。

そのことをぜひ思いだしながら今回の紹介映画である本作『僕たちは希望という名の列車に乗った』を鑑賞してほしいです。

本作はドイツ映画なのですが、その原題は「Das schweigende Klassenzimmer」、意味は「静かな教室」です。すごく単純なタイトル。

じゃあ、教室で子どもたちがお利口さんに静かになれるまでを描く話なのかと言えばまるで違います。それどころか正反対です。本作は「静かにしたこと」で怒られてしまう、いやそれ以上に学校を追い出されかねない状況に陥った子どもたちの物語です。

どういうことなのか。それは実際に映画を鑑賞してみて確認してほしいのですが、本作の舞台は1956年の東ドイツです。

ここで歴史の復習。第2次世界大戦の終戦後、ナチス支配が消えたドイツは平和が訪れたわけではなく、東西に分断されることになりました。西側の半分は、ドイツ連邦共和国(いわゆる西ドイツ)としてアメリカ・イギリス・フランスが占領し、後に独立して主権を回復します。一方の、東の大部分はドイツ民主共和国(いわゆる東ドイツ)としてソ連の占領下となり、社会主義のもと表現や言論の自由は大幅に制限されていました。結局、支配者がすり替わっただけですね。

そんな中で特殊な状態になったのがドイツのベルリンです。地理的には東ドイツ内にあるのですが、ベルリンの西半分の地域はドイツ連邦共和国と協定があって、実質的に西ドイツの飛び地のようになっていました。つまりドイツ全体が東西に分断され、その中でベルリンも東西に分断されたのです。このベルリンの東西分断を決定的に示すものとして「ベルリンの壁」が作られることになります(ドイツ全体を東西に分断する壁だというのはよくある誤解。まあ、象徴的ではありますが)。

『僕たちは希望という名の列車に乗った』を鑑賞するうえでこの知識は必須の常識なので頭に入れておいてください。

監督は“ラース・クラウメ”という人で、海外へと逃亡したナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの追跡劇を描いた『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』(2015年)が最近の話題作で、ドイツ国内でも賞に輝いていました。なんかテレビシリーズなどでも活躍している人みたいですね。

その“ラース・クラウメ”監督の最新作『僕たちは希望という名の列車に乗った』は国際的な賞を得ていないせいかイマイチな話題の薄さですけど、ドイツ映画賞では長編映画賞や脚本賞にノミネートされるなど、やはり高評価な一作でした。

俳優陣はドイツ人ばかりで私は疎いので馴染みがなく全然語れないのですが、ドラマシリーズ『ダーク DARK』で印象的に登場するキャラを演じる“ヨルディス・トリーベル”が今作でも割と嫌な後味を残す役で出演しています。こういう役を得意としているのかな。


歴史モノではありますが、青春映画でもあり、同時に社会や学校というシステムの怖さを描く作品でもあります。なので日本人にも共感しやすい映画と言えるでしょう。2019年映画ベスト10にこの作品を加えている日本の映画ファンが多数いるのも、そういう日本の実社会とのシンクロを感じている部分も大きいのではないでしょうか。身に覚えがあるというか…ね。

昔のドイツの話…ではない、今すべての若者が直面しているかもしれない社会の話として、ぜひ『僕たちは希望という名の列車に乗った』を鑑賞してみてください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(歴史映画と思わずに)
友人◎(学校時代の不満を語って)
恋人◯(素直な語り合いを)
キッズ◯(ティーンになってから観たい)

予告動画







↓ここからネタバレが含まれます↓





『僕たちは希望という名の列車に乗った』感想(ネタバレあり)

静かにしただけなのに

「ベルリンの壁」建設の5年前である1956年。東西ベルリンの境界駅で、スターリンシュタット発の西ベルリンアメリカ占領地区行きの列車に乗り込む二人の高校生の少年。テオクルトは、列車内で身分証を提示し、墓参りに行くと目的を告げます。

クルトの母方の祖父は元ナチスであり、その墓が西ベルリンにあるのでした。墓には来たものの「死んだら終わりだ」と割とそっけない二人。実は一番楽しみにしているのは社会主義体制下の東ドイツでは絶対に見られない、いろいろなものを満喫すること。ワクワクしながらダッシュでやってきたのは映画館。お目当ては絶賛公開中の『リアーネ』という作品。作中では『リアーネ』と翻訳されていますが、邦題は一応『ジャングルの裸女』になっているみたいですね(原題は「Liane, das Mädchen aus dem Urwald」)。ドイツ映画なのですが、舞台はアフリカでジャングル育ちの美女に探検隊が出会うというもの。女性版ターザンみたいですけど、要するにお色気映画で、セミヌードシーンが多め。まあ、エロ目的です。健全な少年たちですね…。

裏のトイレ窓から侵入し、女性二人の後を追って再入場を装うテオとクルト。なんだろう、映画館で不正鑑賞している主人公たちを私含む観客は劇場のスクリーンで見るという、この矛盾したシチュエーション…。

その映画本編が始まる前、ニュース映画(Newsreel)が流れます。知らない人のために解説しておくと、これは世界情勢などを伝える報道映像を流すもので、当時の貴重な映像メディアでした(テレビの普及と共に衰退)。そのニュース映画で偶然にも取り上げられていたのが「ハンガリーの民衆蜂起」。ソ連の支配に対抗すべくハンガリー市民が1956年に起こした蜂起の実態を知る二人。

地元の東ドイツのスターリンシュタットに帰ると、いつもの仲間たちと駄話をしているのですが、流れでハンガリーの民衆蜂起の話題をします。ここでの新聞に書かれている「反革命を鎮圧」という内容とは異なる印象を受け、ソ連兵へのぼやきを素直にあらわにする若者たち。

クルトは父親にもそのハンガリーの民衆蜂起の話をしますが、「我が国の1953年の暴動に似ている」と流されます。この暴動はスターリン死去後に起きた「東ベルリン暴動」のこと。東ドイツ政府の新政策に反対して建設労働者がストライキを起こしたものですが、多くの死亡者・処刑者・負傷者・逮捕者を出しました。

翌日の学校。進学クラスに通うテオとクルトの教室ではやっぱりハンガリーの民衆蜂起が話題に。にわかには信用できない生徒もいて、そこでアメリカ占領地区放送(RIAS)を聴けると噂のエドガー爺さんのところにみんなで押しかけることに。

そしてラジオを聴くのですが、そこで流れてきたのは「数百名が命を落とした」「サッカーのハンガリー代表チーム主将フェレンツ・プスカシュも死亡」というショッキングな話。プスカシュは1954年のFIFAワールドカップで活躍し、決勝戦の西ドイツ戦では物議を醸す話題もありながら惜しくも敗北したのですが、ともあれ有名人です。だから東ドイツの若者も普通に知っているのでしょう。

「ヨーロッパ評議会では議員たちが2分間の黙祷を捧げた」ということを知り、クルトが「教室でみんなで黙祷しよう」と提案。多数決で実施が決定します。

いざ次の日の授業中。開始2分、一斉に黙って無言を貫く生徒たち。教師は混乱し、なぜ黙っている?と次々生徒を問い詰めます。そのうち生徒のひとりのエリックが「抗議の印です」と言ってしまい、困惑しながら出ていく教師。そのときは黙祷の成功に賑やかになる教室でしたが、これが始まりでした。

シュヴァルツ校長になにげなくお茶に呼ばれたテオ。当然、不自然です。将来のことを持ち出され、黙祷の剣で説明が求められるぞと暗に警告されます。そして農民の諺として「秋にミミズが出ると冬に嵐が来る」「賢い農民は冬の嵐に備える」と意味深に告げるのでした。

静かになった教室のせいで、大人の社会は騒然とすることに…。

僕たちは希望という名の列車に乗った

邦題は見なかったことに

まず最初に言わないといけません。邦題でオチをネタバレするのはやめてほしい、と。

私も一応ネタバレ配慮のために前半はネタバレなしで感想を書くというブログ構成にしているのに、なんかあまりにもストレートな邦題のせいで、こっちがネタバレしている気がして心苦しかった…。配給の人はそういう気まずさを感じなかったのかな…。

それはさておき、『僕たちは希望という名の列車に乗った』は前述したとおり歴史モノでありつつ、青春映画になっています。

お色気映画を観てきたテオとクルトに友人たちが「おっぱい見えたか!」と興味津々でトークするシーンとか、万国どの時代も共通ですね。でも今の私たちと違う部分はハッキリしています。『僕たちは希望という名の列車に乗った』の主人公となる高校生の若者たちは、東西冷戦による東西分断の世界を当たり前として青春を過ごしています。つまり、体制による抑圧をともなう政治と青春が密着しているのです。

例えば、学校ではドイツの子どもは「自由ドイツ青年団(FDJ)」として、ソ連の子どもは「ピオニール」としてそれぞれ青年組織に参加させられ、体制教育が徹底されています。

これは1970年代の中国の若者たちの青春を描いた『芳華 Youth』と同じですが、体制に対する若者のアクションは真逆のものになっているのが興味深いです。『僕たちは希望という名の列車に乗った』は体制に真っ向から反逆するという選択を若者はとるのですから。

体制側につく大人の醜悪さ

『僕たちは希望という名の列車に乗った』は体制というものの恐ろしさを、学校という大人の支配するコミュニティを舞台にして浮き彫りにさせます。

最も醜悪だなと思うのは、大人たちが反抗の意思を見せた子どもたちを極めて陰湿な方法で攻撃すること。その手段のひとつが“疑心暗鬼”。ひとりひとりを呼び寄せてまずは味方がいない場所に連れ込み、「あいつが犯人じゃないの?」「あの生徒は君が犯人だって言ってたけど?」と動揺させ、若者たちの連帯を破壊しようとする。作中でも、教師はテオには「エリックは君が首謀者だと言っていた」と投げかけ、エリックを責めさせることに成功し、孤立したエリックは結局エドガーのことをばらしてしまうことに。若者と言えど集団では手ごわいので、バラバラにさせてやろう…。ほんと、クズな大人たちです。

続いて将来や家族をゆする“脅し”という方法も使います。「進学できないと困るだろう」とか、あげくに家族の決して明らかにしたくない過去を暴露し、それを公衆にバラすとまで。あの共産主義の英雄だったと敬愛する亡父の真実を知ったエリックの苦悩。裏切り者にされる苦しみを父と同じく味わうことになってしまったエリックが可哀想で可哀想で…。

郡学務局のケスラーランゲ国民教育大臣など、権力者が総出で若者たちを貶め、犯人探しをする。もはや教育の現場とはとても思えないですよね。

大人の陰惨さと言えば、こういうときに諺とかを無意味に持ち出して知的ぶるのも嫌な感じです。実際はスカスカでロジックも何もないのに、さも自分たちは正しいと思わせる。

もちろん暴力を振るって屈服させるのは大問題です。でも暴力を使わずとも体制の見えない圧力でコントロールするのも大問題じゃないか、と。それこそ戦争を引き起こした諸悪の根源なのだ、と。

反抗してこそ真の自立がある

そんな体制の恐怖を描きつつ、『僕たちは希望という名の列車に乗った』はそれに抗う力を見せます。

本作を見ていると、多数決による民主主義がなぜ大事なのかがよくわかります。黙祷も多数決で決めており、バレたときの言い訳をどうするかも多数決で決めるなど、本作の若者たちは意図せず民主主義的な行為をとっています。結果、それは体制側の犯人探しに対抗する武器になっていました。

これぞ民主主義の本質的な強さです。上下のない横並びの連帯を示すことで、権力者に抵抗できる。そこには身分も出自も性別も関係ない。あの若者たちは実は結構その立ち位置はバラバラです。テオは労働者階級の家庭で貧しい部類です。対するクルトは父が市議会議長の御曹司で富裕層な家庭。でもあの二人は大親友なんですよね。

若者たちの親も印象的です。最初は明らかに体制側。いわゆる沈黙することで体制に加担してしまっています。かつては反抗した経験のあるテオの父さえも今は従順になるしかない。それは子を思う親の気持ちなのは確かです。体制に反発すればろくな未来はないのですから。でも本当に親がすべきなのはそういうことなのか。

口々に自分の案だと名乗る終盤の教室の光景。そこにいたのは自発的に「回答」する生徒たち。これは悪い生徒でしょうか。

西ベルリン行きの列車に乗るのは、進路を自分の意思で決めた生徒たち。これはダメな生徒でしょうか。

もちろんその未来は明るいとは限りません。でもあのラストで襟もとを少し緩める姿で終わるシーンを見ると、ほんのちょっとでも解放を感じることができた自信を感じさせてくれました。それが「希望」と呼べるものなのかもしれません。

それにしても『僕たちは希望という名の列車に乗った』は日本の生徒が観たらどう思うのでしょうか。たぶん他人事ではいられない気まずさを感じるのかな。日本の学校もとてつもなく体制的ですよね。例えば、イジメが起きた時、犯人探しが始まるじゃないですか。肝心の大人はたいして謝罪もせず、バツも受けずに。若者たちだけの心が傷つく。

なんでもいいので社会に対してオカシイと感じたらぜひ若者には反抗してほしいです。声をあげて、鋭い眼差しで。大人はそれを受け止めないといけません。静かに、目を背けずに。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 89%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Studiocanal GmbH Julia Terjung