その欠落は致命的…Netflix映画『フィアー・ストリート: プロムクイーン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本では劇場未公開:2025年にNetflixで配信
監督:マット・パーマー
ゴア描写 恋愛描写
ふぃあーすとりーと ぷろむくいーん
『フィアー・ストリート プロムクイーン』物語 簡単紹介
『フィアー・ストリート プロムクイーン』感想(ネタバレなし)
「フィアー・ストリート」シリーズ第4弾
プロムってまだ需要あるのか…。異性愛主義と性別二元論とルッキズムを煮詰めてひとまとめにしたようなイベントなのに…。
そう考えている人はきっと想像以上に多いと思いますが、せめて映画でプロムを描くなら、もうちょっとそのあたりも批判的に捉えてほしいなと思う今日この頃。
今回紹介する映画もプロムが舞台なのですが、そんなことを思わずにはいられませんでした。
それが本作『フィアー・ストリート プロムクイーン』。
本作は『フィアー・ストリート』という映画シリーズの第4弾となります。このシリーズは、『グースバンプス』で有名な“R・L・スタイン”の書籍を大幅に脚色したもので、最初の映画化は2021年にお目見えし、3部作となっていました。
その3部作の公開のしかたが異例で、「Netflix」での独占配信となったのですが、毎週1本の映画を立て続けに公開するという豪快な提供で…。こうして『フィアー・ストリート Part1: 1994』、『フィアー・ストリート Part2: 1978』、『フィアー・ストリート Part3: 1666』という3つの映画が誕生しました。
好評だったので第4弾が作られることになり、本作『フィアー・ストリート プロムクイーン』に繋がったわけですが、本作も独自の1本の映画になっているので、基本的に過去のシリーズの映画を観ておく必要はありません。とは言え、舞台は同じで、時代が違うので、鑑賞しておくと接点がわかります。もちろん、今作もスラッシャー・ホラーです。
ただ、ここで残念なお知らせが…。
観てからガッカリさせたくないのであらかじめ書いておきますけど、前回の3部作はレズビアン・ロマンスの観点で非常にジャンルを刷新する快挙となったことが高く評価されました。当然、この第4弾にもそれを期待するでしょう。
しかし、この『フィアー・ストリート プロムクイーン』…クィアな要素は…ほぼない…。
おいおい、どういうことだよって感じですが、本当にどういうことだよ…。
前作の3部作は“リー・ジャニアク”が監督&脚本を手がけることで、あのジャンルを次世代の王道として生まれ変わらせることに貢献したと思うのですが、今回の『フィアー・ストリート プロムクイーン』には関わっていないんですよね。
『フィアー・ストリート プロムクイーン』の監督は『最悪の選択』の“マット・パーマー”に変わり、彼が脚本を手がけてもいます。『Watcher』の“クロエ・オクノ”が監督する案も当初はあったようですが、そちらは消えたようです。
ということで、後半の私の感想では本作『フィアー・ストリート プロムクイーン』を溜息をつきながらほとんど酷評していますが、一緒に怒りたい人だけ読み進めてください。
『フィアー・ストリート プロムクイーン』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2025年5月23日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
基本 | 人体切断のゴア描写がたくさん描かれます。 |
キッズ | 残酷な殺人描写が多いです。 |
『フィアー・ストリート プロムクイーン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1988年、その日、シェイディサイド高校はそわそわとしていました。隣町サニーヴェイルの完璧さとは大違いで日陰に沈んでいるこのシェイディサイドという町は、呪われているともっぱら有名でした。凄惨な歴史が語り継がれているのです。
ブリッケンリッジ教頭はそんな悪評を振り払おうと必死。ウェイランド校長はその熱意に従うだけの存在になっていますが、とにかくその再興の目玉がプロムでした。華やかなプロムを成功させればイメージが変わると考えていたのです。
つまり、今回のプロムクイーンになることは新生シェイディサイドの象徴となることでもありました。この地域出身というだけで後ろ指を指されてきたティーンエイジャーにとっては、またとない機会です。
プロムクイーンの立候補者は6人でした。
まずティファニー・ファルコナー。この学校の典型的な女王蜂気取りの女子です。「ウルフパック」という愛称の女子グループを率いており、ティファニーの取り巻きのリンダ、デビー、メリッサもプロムクイーンを目指して参加していますが、ほぼティファニーの飾りのようになっていることは誰の目にも明らかです。
もうひとりの候補者はクリスティ・ルノーで、反抗的な不良女子。大人と付き合い、ほとんど学校でも浮いています。彼女がプロムに参加するのも変な話ですが、学校に歯向かいたいだけの様子。
そしてそんなプロムクイーンの有力候補に挑むのがロリ・グレンジャーです。見返したいというその一心での参加でした。本人も勝てる可能性はほとんどないのはわかっていました。しかし、実はロリの母親が父親を殺害したという噂がずっと付きまとっており、学校でもその話を持ち出されては殺人者の娘として馬鹿にされるだけの日々だったのです。母は無実と警察には判断されていますが、とくにティファニーたちは全く信じていません。それどころかこぞってその噂を吹聴しています。
ロリには作家になりたいという夢もありましたが、この地域では叶う見込みもなし。メーガン・ロジャースという、プロムに興味ない親友だけがロリの味方です。
メーガンはホラーが好きで、ロリを嘲笑う同級生を驚かすために手首を切断するマジックを教室で披露するくらいの肝っ玉がありました。
現状の一番人気はクリスティらしく、ステファニーたちはクリスティの悪口でプロム前日も盛り上がっていました。
ロリはファストフード店でのバイトを終え、帰宅。母は沈んでいました。母も昔はプロムの候補だったくらいですが、父の死でふさぎ込んでいる毎日です。
お隣はティファニーの家。ティファニーは母ナンシーと父ダンに可愛がられ、溺愛する娘のゴージャスな青いドレス姿を今夜も絶賛していました。
そのプロム前夜、有力候補のクリスティが謎の赤いフードの覆面の襲撃者に斧で惨殺されたことをまだ誰も知らず、一夜がすぎます。
すでに惨劇は始まっていました…。
異性愛規範をスラッシャーしてくれ

ここから『フィアー・ストリート プロムクイーン』のネタバレありの感想本文です。
どうしてこうなった、『フィアー・ストリート プロムクイーン』…。
私が再生する映画を間違えたのかな…。それとも映画の隅々まで批評しきれていないだけなのかな…。観ている間、ずっと自分に自信がなくなってくる…。全部私が悪いのか…!?
まあ、いいです。ひとまず私が観た映画の感想を書くだけです。それしかできないので…。
まず本作のクィアの無さっぷりです。
物語における人間関係の多くが異性愛主体で、殺人鬼のせいでどのカップルも皆殺しになっていくので成就することはないとは言え、異性愛しか目立たないのは紛れもない事実。
あえてクィアにみえるキャラクターを挙げるとすれば、主人公のロリ(演じるのはドラマ『Insomnia』の“インディア・ファウラー”)の唯一の親友のポジションであるメーガンくらいです。異性愛しか想定されない1980年代のプロムに無関心そうでありながら、きっちりスーツ姿はキマっているというセンスの良さ。ホラー趣味さえ気が合えば、良いガール・パートナーを見つけてほしいもの。ちなみにメーガンを演じた『レッド・ロケット』の“スザンナ・サン”は、2023年に女性と結婚しています。
ロリはタイラーという男子と良い関係に発展していき、メーガンとの友情にはヒビが入っていきますが、最後は関係を戻します。でも「親友」のままであり、メーガンが何か女性に惹かれていく描写もなく、ストーリー上の交差は何もなし。ああなってくると、メーガンの存在意義が薄いです。単に「犯人かもしれない」と観客に思わせるためのミスリード要員でしかない…。
結局のところ、本作はスラッシャーのジャンルとしても「犯人は誰でしょうか」というその点だけで物語を引っ張ろうとしており、前作『フィアー・ストリート Part1: 1994』の焼き直しです。そのうえ、前作は、レズビアンが恐怖の対象として、狂気の対象として、ポルノの対象として、ずっと当事者抜きで消費されてきた時代に終わりを告げる解放の出発点だったのですが、それが無いとなると…。そこから「10マス戻る」くらいの後退をしてしまっています。80年代の映画でももっと良いクィア作品はあると思う…。
じゃあ、せめて『フィアー・ストリート Part2: 1978』にあった女子たちの連帯(シスターフッド)が炸裂するのかと言うと、別にそうでもないという…。
作中で登場する女子たちは本当に「犯人かどうか」の疑いの眼差しで観客に見られ、答え合わせのように「殺されるだけ」の役割しかないです。メリッサがロリに同情して一時的に助けるのも一瞬の出来事。そもそも女子のキャラクターたちの扱われ方が雑すぎる…。
それも犯人はティファニーの一家全員だった…という何の変哲もないオチのせいではあるのですが、あんな犯人だとシスターフッドを総動員して撃退する価値もなく、何も盛り上がりもしません。
前作を台無しにしてもらっては…
『フィアー・ストリート プロムクイーン』で、ラストまで納得いかないのは、あの犯人だったティファニーのファルコナー家について、最後に明かされる要素。ティファニーの母ナンシーを倒し、その彼女の遺体が部屋に転がる中、その死体の血が魔女の印を描き、この人物が『フィアー・ストリート Part3: 1666』に繋がるであろう魔女との関係性を匂わせて映画は終わります。
このシリーズ自体が時代を超えた地域に染み込む呪いを描いているので、作品同士の接点を用意するのは全然問題ありません。
しかし、『フィアー・ストリート Part3: 1666』の物語は、「魔女狩りの迫害に遭っていたある女性の無念の苦しみがこの町に根付いている」という歴史を解き明かすもので、その未来の世代がその呪いを解き、救ってあげるお話でもあったはずです。それはレズビアンというセクシュアリティが偏見によって差別を受けていた歴史でもあり、前作では主人公をレズビアン・カップルにすることで、新しい時代を切り開くパワーがあって、何よりもそこが感動的でした。
それを踏まえてこの『フィアー・ストリート プロムクイーン』の「魔女」の扱いを観るとどうですか。本作では魔女は本当に危険な「血」でしかなくて、恐怖の元凶です。
魔女が実は偏見の被害者で…という単純な反転すらもなく、本当にただただ忌み嫌われる存在のイメージを強化するだけにしかなっていないです。前作は何だったんだという…。
魔女を登場させるならもう少し位置づけを考えることはしなかったのか…。と言うか、今作の製作陣は、前作3部作の成し遂げたことをちゃんと理解しているのかすら怪しい…。別に女性が主役の残酷なスラッシャーだからウケたわけじゃないんだよ?
魔女を活用するなら、ロリは別の魔女の末裔で、父親に虐待されていたけど、母親がそれから守って、ロリ自身の魔術で父を殺し、その記憶が消えていました…ぐらいの設定でも良かったと思いますよ。そして魔女の才覚がプロムで覚醒し、全員を血祭りにする…とか。『キャリー』よりももっとスケールを上げていくことはできるし、いくらでも独自の可能性がある展開は思いつくだろうに…。
『フィアー・ストリート プロムクイーン』は、前作の3作の積み上げた良いところを全部台無しにするどうしようもない一作なんじゃないだろうか…。せっかく映画で築いたシリーズの新しいオリジナリティをどぶに捨てないでほしい…。
このシリーズをまだ続けるなら、早急に前3部作のどこが素晴らしいのかをみっちり勉強し直して、それを継承できる人にクリエイティブな仕事を任せるべきです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Netflix フィアーストリート4
以上、『フィアー・ストリート プロムクイーン』の感想でした。
Fear Street: Prom Queen (2025) [Japanese Review] 『フィアー・ストリート プロムクイーン』考察・評価レビュー
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