今回は「政治的中立性」という概念について、あれこれと思ったことを整理しています。
政治的中立性って何だろう?
「私は中立なので~」なんてフレーズはわりとよく耳にします。
気軽に「中立」という言葉は使われがちですが、でも「中立」って一体なんなのでしょうか? あらためて問われると意外に答えるのが難しい概念です。
ましてや「政治的中立性」となるとますます難しい気もします。
それでもその意味は整理されず、とりあえずさまざまな場面で「政治的中立性」が掲げられることが多々あります。ゆえにまた厄介な状況を生みます。その認識の差異がまたときに政治的な軋轢を生むからです。「政治的中立性」という言葉は実は最も政治的に論争的なものとも言えるかもしれません。
皮肉ではありますよね。政治的に中立だと言うと、政治的な論争の渦中に飛び込んでしまうなんて…。
「政治的中立性」について、人によっていろいろな意見があるでしょうし、正解はないかもしれません。でもやはり「それは間違っているんじゃないか」と思うことはあります。
例えば、性的マイノリティの活動やイベントをする団体・組織の人は「政治的中立性」というものを意識すると思います。これはどの国でもそうでしょう。
しかし、その「政治的中立性」のスタンスは、政治に対して無関心だったり、距離をとって避けたり、曖昧にしてぼやかすことだと安易に解釈されて実行されやすくもあります。
でも「政治的中立性」はそういう振る舞いで得られるものではないということを肝に銘じておく必要があると私は思います。
結局のところ「政治的中立性」とは、政治権力にどう向き合うかという抵抗のスタンスのことじゃないでしょうか。政治に徹底して意識を持ち、ときに政治的事柄を明言しないと、不均衡な政治権力干渉を招く脆弱性を放置することになってしまいます。また、透明性というものも「政治的中立性」には必須です。
「政治的中立性」というのは「政治的な批判を受けたくないから掲げる建前」などではなく、「私は政治権力に屈しませんよ」というファイティングポーズです。
その背景には、政治権力というのは常に至るところで私たちに干渉しようと虎視眈々と狙っているという現実があることを忘れてはいけません。それが政治権力の習性ですから。
だから、「政治的中立性」というのは、表現の自由や言論の自由といった人権を守ることに直結します。個人が自由に政治的発言をするために、空間の「政治的中立性」は守られないといけません。
・・・
もしプライドパレードをやる実行組織ならば、まず「プライド」という概念自体が極めて政治的なものであることを認識することを大前提に、さまざまな性的マイノリティに関わる諸問題の政治的作用を意識することになると思います。
「LGBTQ+の権利を脅かす政治家にNO!」とプラカードを掲げたり、「政府はすぐに平等な社会を作れ!」とか「差別をなくすために法律を改正しろ!」とシュプレヒコールをあげる…そういう参加者の政治的な意思の表明(権利)のために、プライドパレードの「政治的中立性」はあります。
さらには、プライドパレードが特定の政党や政治家の権力正当化の場になってしまわないように監視し、その権力が社会の不均衡を悪化させて弱い立場の人を苦しめることがなきように保護しなくてはいけませんが、それも「政治的中立性」の役割でしょう。
決して「うるさい政治臭い主張や論争から解放されて和気あいあいと楽しむ」という目的のために「政治的中立性」という概念があるわけではないです(別にそういう目的自体が悪いと言いたいわけではなく、それを目的とするなら「政治的中立性」なんて言葉で着飾ってカッコつけず、素直にその目的を言えばいいだけです。もちろんその目的を明示すればその政治的姿勢は政治批評に晒されるのは避けられないことですが…)。
・・・
思えば、このウェブサイト『シネマンドレイク』も明示したことはないですけども、「政治的中立性」を前提に運営されています。「○○党に投票してください」とか「○○という政治家こそ支持すべきです」とか、そういう肩入れはしていません。政党に寄付もしていません。でも政治に対する言及は遠慮なく書きまくっており、批判もいくらでもしています(稚拙な文章ですけども)。政治的には中立でも、無関心ではありません。映画などのエンターテインメントは政治と密接に関わるものですから。
・・・
私は「政治的中立性」というのは、健康における免疫力に似ているなと思ったりもしています。免疫力が高ければ、病気になるのを防げます。そのためには良好な食生活やワクチンを打つなど日々の努力が欠かせません。そうやって健康になれば私たちはいろいろなことを自由に心ゆくままに楽しめます。
「政治的中立性」はその対象における政治の有害な作用を防止し、個人を守るためにあるもの…そう捉えるとわかりやすいかもしれません。
政治自体が有害だと言っているわけではないのです(“政治”の摂取を避けろとは言っていない)。政治は良く作用することもあれば、悪く作用することもあります。だから政治と健全に付き合いましょう…そういうことです。
「政治的中立性」という概念は、その字面からは想像しづらいですが、実際のところ、かなりの政治的なパワフルさを要求される、高度で複雑なアプローチだと思います。政治に多角的に精通していないとそう実現できません。
私もさも知り尽くしたように偉そうにこの文章を書いているように思えるかもしれませんけど、正直、まだまだ手探りです。
そう簡単に上手くいくものでもありません。不完全さを批判されることもあるでしょう。たいていの人は政治的に中立ではなく脆弱なので当然です。それでもその批判を謙虚に受け止め、試行錯誤を繰り返しながら、自分の政治に対する抵抗力をあげていきましょう。
今回の題材と関連のある詳細特集・用語解説特集、感想の記事です。
・性的マイノリティの「エリート主義」や「分離主義」とは?
・『これがピンクウォッシュ! シアトルの闘い』感想(ネタバレ)



