ハイ・フライング・バード
Netflix映画『ハイ・フライング・バード 目指せバスケの頂点』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:High Flying Bird
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:スティーヴン・ソダーバーグ

あらすじ

北米で展開する男子プロバスケットボールリーグ「NBA」はロックアウトを決定し、業界は完全に停止した。多くのバスケ関係者の仕事がなくなってしまった中、バスケ選手の代理人エージェントの男が、ロックアウトにより窮地に陥った新人選手と自身のキャリアを救うため、権力構造を揺るがす大胆なアイデアを思いつく。

ネタバレなし感想

バスケの試合は描かれません

ふと、学校の体育の授業を思い出してみます。小学生の頃はこれ以外ないと言わんばかりにドッジボールばかりだったのに、中学生になると急にドッジボールは子どもがやるものみたいな流れで球技の代表格はバスケットボールに移行していました。確かにバスケは狭いスペースでも実施できるし、やりやすい方ではあるのかもしれません。

ただ、実際のスポーツとしてのバスケはかなりルールが細かく規定されています(どのスポーツも同じといえばそうですけど)。体育の授業でやっていたのは実質“バスケごっこ”。素人とプロの違いはこのルールにどこまで厳格でいるかという点でもあります。

有名なルールだと、ボールを持ったまま3歩以上は歩けない…トラベリングの禁止があったり、とにかくバスケはボールの保持に関する時間制限が事細かく存在します。これらは全て同じ選手やチームがボールを独占して一方的にならないように、つまり“ゲームを面白くするため”のルールです。

それはあくまで「試合」という小さい世界での決め事ですが、ではもっと大きい世界、例えば、「バスケ業界全体」ではどんな決め事があるでしょうか。そして、その決め事は何のためにあるのでしょうか。

そんなことを考えさせる映画が本作『ハイ・フライング・バード 目指せバスケの頂点』です。

本作はバスケを題材にしたスポーツ映画なのですが、その表面的なルックから勘違いする人は多いはず。なので事前にここはハッキリさせておきますが、本作は試合を見せるスポコン映画ではなく、スポーツを題材にした社会派ドラマ映画です

バスケの社会派要素なんてあったかな? そう思う人もいるでしょうし、私もそう考えていましたが、何をテーマにしているかというと「ロックアウト」です。まずこの用語から説明しないとついていけません。

会社など組織で働く従業員が「この条件なら仕事しないぞ!」と職務を放棄して抗議することを「ストライキ」と呼ぶのは知っていると思います。「ロックアウト」はその逆で、会社などの組織が「仕事を与えないぞ!」と従業員に抗議することを言います。日本ではあまり見られない事態ですが、ロックアウトは本当に正当な条件でしか認められないので当然と言えば当然です。なにせロックアウトが実行されれば、従業員やその業界で働くすべての人は収入を失うのですから。

実はこのロックアウト。バスケ業界、とくに「NBA」、北米男子プロバスケットボールリーグではたびたび実際に起こってきた歴史があります。

最近だと「2011-2012」の年。2011年、リーグ側と選手会側は労使協定を結んでいて、その期間が切れるため、新しい労使協定を結ばなくてはなりませんでした。しかし、新たな労使協定の交渉が決裂。サラリーキャップと呼ばれる年俸の上限制限や収益分配金が争点になり、事態は解決することなく平行線に。結果、ロックアウトが決定し、チーム側はトレードやフリーエージェント選手の獲得、契約交渉も行えず、選手側は給料が支払われず、所属チームの施設の使用や練習も不可能に。当然、試合もできませんから、バスケ業界は一斉休業です。しょうがないので選手はチャリティー・ゲームをしたり、海外のチームと契約したりと、苦肉の策を実施していました。そして、ロックアウトを始めてから161日目のこと。新労使協定がやっと合意し、なんとかいつもの状態に戻った…という出来事があったのです。

このロックアウト騒動、私も詳しくないのでネットでいろいろ報道記事や個人記事を見たりして勉強したのですが、その中にはこの騒動は選手の我がままだと非難する人もチラホラ見受けられました。まあ、ファンにしてみれば「試合を見せろよ」と不満だったでしょうし、多額の報酬をもらっているスター選手も少なくないので、そう考えるのも無理ありません。

しかし、本作はそういう視点ではないんですね。ではどうこの問題に切り込んでいるのか?

それは「人種問題」を切り口にしているのでした。

本作の脚本を手掛けたのは『ムーンライト』の原案者でもあった“タレル・アルヴィン・マクレイニー”。その情報からも本作のスタンスがなんとなく察しがつくと思います。この業界の“ルール”をめぐる騒動は人種問題を孕んでいる…そのアプローチはなるほどなと思わせますし、結局は『ブラック・クランズマン』などと同じ社会構造への警鐘でもある映画です。
つまり、「目指せバスケの頂点」という本作の邦題は、優勝するぞという意味ではなく、業界のトップに陣取っているお偉いさんに挑むぞという意味なんですね。『コーチ・カーター』などバスケと人種問題を絡めて描く映画はこれまでもありましたが、本作は試合要素ゼロ。なかなか挑戦的です。

本作は監督があの“スティーヴン・ソダーバーグ”だというところも特筆ポイントです。ちゃんと彼らしい軽妙なタッチになっています。監督作絡みで説明すると、感染症問題を描く『コンテイジョン』(2011年)や、抗うつ薬問題を描く『サイド・エフェクト』(2013年)などの社会派テイストを前半では滲ませつつ、終盤に『オーシャンズ』シリーズ的な意趣返しのような逆転劇をサラリと描く。そんな映画が『ハイ・フライング・バード 目指せバスケの頂点』です。

Netflix独占配信となりましたが、実はそれも本作の内容とシンクロしていたり…。そのへんは見てのお楽しみ。

事前の紹介が長々となりましたが、この点に関しては頭にいれておかないとわかりづらい映画なので、多少の長文も勘弁してください。

バスケ業界だけではない、あなたの所属する業界にも当てはまる話かもしれませんよ。

オススメ度のチェック
ひとり◯(じっくり鑑賞するのが良し)
友人△(盛り上がる内容ではない)
恋人△(盛り上がる内容ではない)
キッズ△(エンタメ要素はゼロ)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

スポーツはビジネス

本作は先にも書いたとおり、手に汗握る試合を描くスポコン映画ではないです。なので全体をとおして会話劇が主体です。

冒頭、いきなりのマシンガントークが炸裂します。ここでロックアウトの意味を理解していない観客はチンプンカンプンになります。丁寧に用語や物語背景を説明してくれる映画でもないですから。

バスケ業界を相手にエージェントとして活躍するレイ・バークは、新米選手のエリック・スコットにベラベラと説教を垂れます。新参者のエリックは業界にも当然疎く、将来の不安に焦ったために、高利貸しから借金してしまいましたが、ロックアウトで自分の選手活動ができなくなり、無収入の状態に。そうなったことに対して甘いと叱りつけるレイ。こんなときにそんな契約するんじゃない、貯蓄があるからスター選手は困らないぞ、でもルーキーのお前はどうだ…。矢継ぎ早に繰り出される厳しい叱責に、すっかり背中を丸めてしょんぼりしているエリック。全然スポーツ選手の見た目じゃないです。

「俺たちはビジネスの世界にいるんだ」…そのレイの言葉がこの映画を物語っています。そう、本作はスポーツという名のビジネス映画です。

このパートだけ見ていると、レイがものすごく嫌な奴に思えますが、最後まで観た方ならおわかりのとおり、この時点でレイはすでにある“作戦”を実行しているのでした。

その全貌を示すあるアイテムを「バイブルだ」と言ってエリックに渡すレイ。その分厚い何かが入った封筒は「今は開けるな」と言い残して。

ゲームを支配するゲーム

一方、レイはレイでヤバい状況。ロックアウトによって仕事を失っているのはレイも同じ(つまり冒頭のエリックとの会話も収入なしの実質ボランティアでやっているんですね)。所属する会社「SAVマネジメント」ではロックアウト騒動で経営はひっ迫しており、バスケ選手を大勢クライアントにしていたため、いつ潰れてもおかしくない傾き具合。

しかし、それでもレイは自腹を切ってでも契約選手をつなぎとめ、上司にも大丈夫の一点張り。誰にも言っていない“作戦”があるのですから…。

レイはスペンスという地元の子どもバスケでコーチをしている老いた男の元へ。彼は黒人奴隷にまつわるワードを目の前で言われるのを嫌い、それを言うと「神と神の黒人を愛す(I love the Lord and all His black people)」と言わせるというルールのある頑固そうな人間です。

このスペンスの前ではレイの本音が垣間見えます。オーナーも選手会も会社も利益しか考えていない、弱い新米選手だけが搾取されている…。業界の格差構造を罵るレイ。

それに対してスペンスはこう口にします。これは業界の中枢にいる白人たちが、黒人をコントロールするためのシステム…「連中が考えたのはゲームを支配するゲームだ」と。

実際にNBAの選手はすべてNBAのモノであり、自分の画像の肖像権さえも自分が好きには使えません。これを現代の奴隷と言わずしてどう言うのか。このあたりのロジックは『13th 憲法修正第13条』というドキュメンタリーでもありましたね。バスケではないですけど、企業は犯罪で捕まった黒人を都合のいい労働者として酷使しているという話。これはアメリカ社会の歪みなのか。

その名も「不安にさせる作戦」

そんな救いのない状況に起死回生の一手を見せるレイの“作戦”。

それはスペンスの子どもバスケクラブで開催されたプロ選手を呼んでくる「バックコード・デイ」で始まりました。その前にエリックとアンバーの二人の選手はSNS上で罵り合いをしでかしてしまい、マスコミのネタに。険悪な二人はこの場で揃い、なんやかんやでワン・オン・ワンで対決することに。夢のマッチアップだとハシャぐ子どもたちのひとりがその様子をスマホで撮影し、ネットに流したところ、それが話題になります。

これは商業的な活動じゃないかと業界上層部は怒り心頭ですが、レイは余裕。それどころか、もっとやりましょうかと挑発的。今はYoutubeでライブ・ストリーミングはできるので、何もテレビ放送は必要ない。NBAの力も要らないと。

つまりこれが“作戦”なのでした。「NetflixやHuluと契約しちゃうぞ~(チラ)」「いいのかな~(チラ)」「面白いことになるぞ~(チラ)」…この不安を煽る戦法で、NBA側を「このままじゃ、自分たちの利権が水の泡になるかも」と焦らせるレイ。その戦術は成功。ロックアウトはあっけなく終了し、無事、若き選手の立場は守られたのでした。

ハイ・フライング・バード

映画業界では、すでに…

まあ、本作のレイの“作戦”は上手くいきすぎですよ(だいたい『オーシャンズ』シリーズといい、“スティーヴン・ソダーバーグ”監督作は上手くいきすぎですけど)。

でも、フィクションとはいえありえる話です。

なぜなら映画業界ではまさに先行して全く同じことが起こっているのですから。利権や差別にまみれた大手企業主体の業界を嫌って、Netflixに創作の場を求める映画人は大勢現れています。この動きはさらに加速するでしょう。他にも大手企業主体の業界の欠点はよく問題視されていますし。例えば、視聴率を気にしてプログラムの一部を放映からカットするアカデミー賞運営者とか。はたまた俳優の不祥事でスポンサーの顔を気にしてすぐに自粛ムードになってしまう作品を手がける大手企業とか。そうした行動の土台には多くの場合、利権があります。

“スティーヴン・ソダーバーグ”監督は本作をiPhoneで撮影していて(ちなみに前作『アンセイン 狂気の真実』も同じ)、巨匠のわりには結構フリーダムなんですね。だから本作のようなメッセージ性も、この監督らしいと言えばそうです。ここまでNetflixの立場を代弁するような映画になるとは思いませんでしたけど。

ボールをずっと手にしたままのいろいろな業界の権力者。それをトラベリングだ!と禁止するルールはありません。

でも今は第3勢力と手を組むという“新しい技”があります。立場の弱かったプレイヤーが逆転するチャンスがあるのです。

レイが渡した封筒に入っていたモノ。それはハリー・エドワーズ著「黒人アスリートの反乱」という本でした。そして、この映画を観た人も、可能性に気づいたと思います。人種に関係なく、弱さに苦しむすべての人の味方になる武器の存在を。

さあ、権力者の皆さん、まだボールを持っていられると思っていますか?

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 54%
IMDb
6.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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作品ポスター・画像 (C)Extension 765, Netflix